泣き虫が泣けなかった夜の話
最後の、ライブだった。
幾度となく立った、国内最大級規模のハコ。
幾度となく見た、サインライトの海、ファンの皆の顔。
幾度となく歌った、俺たちのデビュー曲。
左右には酸いも甘いも共にしてきた仲間たち。
最高だ、と思った。もうこれ以上何も要らないと思えた。今この瞬間が、この夜が、ずっとずっと続けばいいのに、と。人間にはいつまで経っても触れることのできない、永遠なんてものを願った。
途方もないくらい長い時間を、俺たち、ここで一緒に過ごせたらいいのにね。俺たち、ずっとこの夜にいられたらいいのにね。時間の流れに縋り付いて頭を垂れても、当然彼らは歩みを止めてはくれなかった。
呂庵ー!と、客席から沢山の声が俺を呼んだ。左隣の柊羽の腕が右肩に、右隣のリーダーの腕が左肩に回されて、リーダーと俺を真ん中に、六人で肩を組んだ。
「せーの!」
リーダーの声が、ドームいっぱいに響き渡る。
「「「「「「ありがとうー!!!」」」」」」
俺たちは肩を組んだまま、この上ないくらい深く頭を下げた。ドームが客席の皆の泣き声で満ちる。不思議なほど長く感じられた数秒の後、俺たちは顔を上げた。光の海の中にまじる、色とりどりのうちわ。いつもより“ファンサして”、の文字は少なくて、その代わりに“ありがとう”が並んでいる。
滅多に泣かない零さんが、眼鏡を外して、涙を拭った。それにつられて、孝明も鼻を啜る。俺は客席を見渡した。この光景を、一秒でも長く目に焼き付けたかった。
前から数列目、俺の色のサインライトを持っている女の子のうちわが目に止まる。心臓が、止まったかと思った。
“ここにいて”
ぐ、と喉元から熱い何かが込み上げた。息が苦しかった。たったの五文字。たったの五文字に、その子の全てが詰まっていた。ごめんね、と俺は口の中で呟いた。
涙は出なかった。
◇◇◇
御風呂庵、二十六歳。
天下の月野芸能プロダクション、元国民的アイドルグループの元センターで、ちょっと泣き虫。デビュー時からずっと、ライブでは毎回泣いてた。そう、活動休止直前の、最後のライブ以外ではね。
御風呂庵が泣かなかったという事実は、俺が想像してたよりずっとファンの皆には衝撃的なものらしかった。ついでに、当時俺たちの活動休止を不仲だから、とか方向性の違いから、だとかとにかく騒ぎ立てたくて躍起になってたマスコミにとっても、それは絶好のネタだったようで。まぁ、色々書かれたし、色々言われた。何で泣かなかったのと聞かれても、別にそれまでだって泣こうと思って泣いてた訳ではなかったからね。何にも言えなかった。呂庵はもう、どっちでもよかったのかな、なんていう声も沢山聞いた。勿論、そんなわけない。そんなわけないけど、ライブでそう思わせてしまったのは、アイドルとしては失格だよね。
ふー、と俺は一つ息を吐いて、ポケットにスマホを押し込んだ。海沿いの夜は寒い。目の前のホールは、昼間の活気はどこへやら、すっかり眠ってしまっている。中にはまだ片付けをしているスタッフさんもいるのかもしれないけど、いたとしたって少しだろう。夜十二時。舞浜の夜景は、ほんの少し目に眩しい。
昼に参戦したバズロの皆のライブ。午後は仕事だったから夜の部には行けなかったけど、何だか諦めがつかなくて、仕事が終わった後でふらふらまた戻ってきてしまった。当然、ライブはとっくに終わってるんだけどね。明日は仕事午後からだし、いいよねなんて自分に言い訳する。
「呂庵?」
「え?」
不意に後ろからかかった声に、驚いて振り返った。
「何してるんだ、こんな時間に」
黒いコートを羽織った懐かしい仲間が、その綺麗な卵形の頭を少しだけ傾ける。
「しーくん」
「しーくんはやめろ」
つ、と眉間に皺が寄る。あ、その顔、久しぶりに見た。ちょっぴり嫌そうで、少し困ったような、俺の好きな顔。
「ごめんって。突然だったからつい」
「まぁ、いいけどな」
久しぶりだ、そう呼ばれたのは。志季は俺の隣に並んで、少し笑った。
「そうなの?たかちゃんとか、SNSでよく呼んでるじゃない」
「あいつは面白がって言ってるだけだからな」
また別だ、とまた眉間に皺が寄る。ふふ、と笑い声が漏れた。
「笑うな」
「ごめんって。……ね、志季こそ、こんな所で何してるの?」
まぁ、大方予想はつくけど。俺たち、ちょっと似てるから。なんて、そうやって言うと志季はいつもそんなことないだろうって言うから、言わないけど。
「……まぁ、その、な」
「バズライ、来なかったけど今になって公開してるとか」
「別に、好きで行かなかったわけじゃない」
仕事が立て込んでいたんだ、と、志季はホールを見上げながら息を吐く。ふぅん、と俺は相槌を打って、志季の視線を追って、目線を上げた。
「ただ」
「ん?」
「……多少無理をしてでも行けば良かったなとは、思っている」
「そっか」
「ああ。お前は行ったんだろ?」
「うん。昼だけだけど」
「楽しかったか」
「そうだね。楽しかったよ」
「そうか」
「うん」
俺たちはそのままホールを見上げて、何をするでもなく突っ立っていた。帰るか、と志季が言ったのはそれから数十分後。うん、とだけ俺は返して、俺たちは踵を返した。
「……たかちゃんはさ」
「ああ」
「ライブ中ずっと、すごく楽しそうだったよ」
ふ、と志季が笑う。俺はその、少しだけ上がった口角を盗み見る。隣を歩く志季の歩幅は、俺に合わせてくれているのか、少しだけ小さい。
「あいつは昔からそうだったな」
「ね。楽しそうに歌うよね」
「お前はよく泣いていた」
「あはは、それは言わないでよ」
その話題には呂庵くん今ちょーっとセンシティブなんです、と言うつもりもなかった言葉が、戯けた声で口から滑り出る。マズった。
「すまない」
「んーん、いいよいいよ。気にしないで」
俺こそごめん、変なこと言って。
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