「リターンアドレスは無記名のまま」
初夏の日差しがキツい、7月頭の夕暮れ。みかは少し汚れた軍手で自らの額を伝う汗を拭い、スポットライトのように降り注ぐ日光に色違いの目を細めた。校内アルバイトのゴミ拾いがひと段落しみかは集めたゴミを捨てるためにゴミ捨て場へと足を運んでいる最中である。今日はとにかく暑かった。梅雨も開けきっていないジメジメとした嫌な暑さが身を包んでおり、今日一日でみかは何度か目眩を覚えている。強烈なそれを回避するために壁際ギリギリの日陰を歩いてはいるものの、壁に腕を擦り付けるような距離で歩いたって頭は日向になってしまい、その強烈な暑さはみかの黒い髪の毛を容赦無く焼いている。黒は熱を溜めやすい色だ。どうしようもないとはいえ、この季節はみかにはいささか厳しいものであった。
さっさとこの大きなゴミ袋を指定の場所へ運んで、自宅に戻って依頼の続きをこなさなければならない。みかは少し焦っていた。締め切りは明後日。形は出来上がっているし終わると思っているので学校に出ているしアルバイトもこなしているのだが、今までにないレベルで煮詰まっていた。あと少し、もうひとつ、足りない。そのピースが暗い自宅…宗の居ない薄暗いアパートに居ても思い浮かばないと観念したみかはこの暑い中自宅を抜け出してきたのだった。
ただ、この茹だった状態で新しいアイディアが浮かんだかと言われれば答えはノーで、みかはゴミ袋を運びながら途方に暮れつつも一生懸命頭を動かしていた。Valkyrieの得意とするレースやクチュールをふんだんに使った西洋風の衣装という指示と、世界観と役どころの説明。演劇で使われるその衣装の発注は過不足なくみかに…駆け出しの衣装デザイナーにちょうど良い仕事と言えた。締め切りも少し余裕があり、しかし余裕がありすぎるわけでもなく、金額も宗ほど多くはもらえないが、駆け出しの衣装デザイナーとしては多い部類…布代が含まれているのでそれを引くと手元に残るのは少額…である。しかし、あまり数をこなしたことのないみかにとってその重圧は本来感じなければいけないであろう量の何十倍にもなって襲いかかってきていた。他の出演者の衣装は全て完成しているのに、どうしても眼帯の貴公子の衣装だけが完成しない。キザで優しいフリをした、心のない青年。モテてモテてしょうがないが、その実彼が求めているのは人肌だけでその心は欲していない。しかし顔もよく、器量もよく、優しいフリばかりが上手い彼を誰も叱責できず、被害者…自分のことを被害者と思っているのかも怪しい…ばかりが増えていく。最後は唯一愛した女性が主人公たちにより拐われ…先に拐ったのはこの男である…失意の中自殺。メインのストーリーは別にあり、この男の一連の話は華を添える程度のものだ。しかし、かと言って端役では決して無い。存在感はあるけど、あくまで舞台の主人公ではなく華であり悪である。役者も顔がよく、しかし顔が良いだけでは無い陰りのある青年だ。きっとどんな衣装を作っても着こなしてくれるだろう。…着こなしてもらえる、最高の衣装を作らなければ、自分も作中の女性のように軽く捨てられてしまう。
みかは暗くなってしまった思考を顔を伝っている汗と一緒に振り切ろうと頭を振った。この2〜3日はずっとこのような調子だ。役に引きずられているのであろうが、この沼からの抜け出し方をみかは知らない。師と仰いでいる宗も話は聞いてくれるが君の仕事なのだからがんばりたまえとしか言ってくれず、途方にくれる毎日。しかし、腐っても自分はあの敬愛する宗の弟子で、相方だ。その一点のみで手と頭を動かしつづけ、あと一歩というところまでは完成させた衣装は、やはり一歩、何か足りないのである。陽炎なのかめまいなのかもいまいち区別がつかない暑さのなか、みかは顔をあげる。ゴミ捨て場まであと少しだ。
「…ゆっくん?」
ゴミ捨て場にはクラスメイトの伏見弓弦が立っていた。去年、彼が転校してきた時から同じクラスであり、にっくきfineに所属はしているが優しい態度で穏やかに接してくれる彼がみかは嫌いではなかった。可愛らしい主人のそばでいつでも寄り添う姿に共感を覚える瞬間すらある。しかしみかとは違い、心も体も強い彼は、決してクラスメイトには弱みを見せずいつもピッと背筋を伸ばしてたたずんでいた。自分とは大きな違いである。
が、そんなかれがこの灼熱のゴミ捨て場でぼうっと立ちすくんでいた。迷子のような、叱られた子供のような、なんとも頼りない、ふとした瞬間に陽炎と一緒に消えてしまいそうな儚さを持ったクラスメイトにみかは気がついたら声をかけていた。まるで、いつも拾っている捨てられてしまったぬいぐるみのようだった、なんて本人には死んでもいえない。
「ああ、影片さま。アルバイトでございますか?」
「おん。」
「お疲れ様でございます。…そちら、お持ちいたしますよ。影片さまには少し重いでしょう。」
ここまでえんやこら全力で運んできた紙ゴミをまるで羽を持ち上げるかのようにひょいっと持ち上げ、弓弦はそのまま指定のゴミ場へと静かに置いた。置く時も重さを感じさせない所作は、彼が姫宮家の執事であることを何よりも物語っている。
「ゆっくんこそ、こんなところでなにしてるん?」
「ゴミ捨て場の掃除は明確な当番がおりませんので、定期的に掃除させていただいておりまして。ちょうど今終わったところでございます。」
「んあ〜、ゆっくん本当働き者やな…いつもありがとう。」
「いえいえ、趣味でございますので。お礼を言われるようなことではございませんよ。…影片さまもお仕事をたくさん抱えていらっしゃるとお伺いしております。」
「そんなこと…今はあるかなぁ。でも自分のためやし。」
差し障りのない世間話が、暑さと不快指数が最高潮のゴミ捨て場で続く。人の気配に気付いた瞬間から弓弦はいつもの弓弦であったし、みかもいまいち踏み込むタイミングを掴めないでいた。みか兄ぃ、と慕われていたみかは、このような目をした子供が陰で泣いているのを知っている。隠して、部屋の隅っこで静かに涙を溢しているのを知っている。しかし、その姿がどうしても弓弦と一致せず、踏み込んで良いかどうかが掴みきれずにいるのだった。
「斎宮さまはしばらく帰ってこないのですか?」
「そうやな…秋口まではむこうで集中するって言ってたで。」
「そうでございますか。…少し寂しいですね。」
「そうやなぁー…寂しいけど、成長してお師さんの横に立ってもおかしくない男にならんとあかんからな。」
「そうでございますか」と言った弓弦から、何かしらの壁を張られた気がする。先ほど共感を覚えるとのべた弓弦であるが、何か最後の一歩、違いも感じていた。最後の1点、何か、魂に関わる根本。きっと自分には一生理解できない何かが、徹底的に違うのであろう。しかしみかは二年目の付き合いとなるこのクラスメイトに些か感情移入しすぎてしまっていた。このままはいじゃあさようなら、するには、少し彼は悲しい顔をしすぎていた。
「あんな、ゆっくん…気分を害したら申し訳ないんやけど、なんかあった…?」
「…なにか、とは…?」
「なんか…あの…ちょっと、悲しそうな顔してたなぁ、って思って。」
「…顔に出ておりましたか。」
「んあ、せやね、おれがここにきてすぐくらいは……誰もいないと思ってたんやろ?仕方ないって…」
悲しい何もかもを諦めた表情で、弓弦はふんわり笑う。きっとこれは彼の表面でしかない、何かのヴェールの部分だ。真っ白のクチュールでできているそのヴェールは、彼のご主人様以外取ってはいけないものなのだろう。しかし、