##リーヴァ 手首・星・白波
 はじめてあの男と引き合わされたとき、父が注意深く自分の方を窺っているのに、ヒルダは気づいていた。
 上背のある人狼たちの中でも、さらに際だって背の高い男だった。雪原に照り映える曙光のような髪の色、冬の晴天を思わせる澄んだ碧眼、鍛え上げられた無駄の無い体躯。まるで、歩いて話す『人狼の誉れ』そのもののような美丈夫。
「正式なご挨拶はこれが初めてですね、|お嬢様マイ・レディ」彼は膝をつき、快活さをこれでもかと湛えた笑みを浮かべて見せた。「エギル・トールグソンです。|お望みのままに《アット・ユア・サービス》」
 褒めそやすようでいて微かに面白がっているそぶりで、『氷のような目』と男たちが言う──その眼差しで、エギルを見つめる。彼はそれを、他の男たちと同じく挑戦と受け取ったようだった。青い瞳が、微かに輝く。
 ヒルダは一目で、この男のことが嫌いになった。
「お前がわたしの望みのままになるというなら、今すぐにここから消えろ」
「ヒルデガルド!」
 父の叱責の素早さを思えば、こうした反応まで予測されていたのだろう。だがヒルダは取り合わずに席を立ち、今のちょっとした見せ物に騒然となりかけている大広間を後にした。エギルがどんな顔をしていたのかはわからないが、背中に突き刺さる視線を、ヒルダは勝利の証と思うことにした。
 父であり〈クラン〉の頭領でもあるスキョルの思惑はわかっていた。ここのところ父は国中から、優秀と名高い|氏族クランの跡取りをヨトゥンヘルムへと呼び寄せていて、その度にこうしてヒルダと引き合わせるのだ。だが、その理由を面と向かってヒルダに言うことが出来ないのだ。父は厳格で有能な頭領だが、ただ一人残った娘には甘い。
 ヒルダは、ヨトゥンヘルムの中でもフィンガルの一族しか立ち入ることが出来ない広縁で、夜を眺めていた。ドワーフらしい質実さを湛えた意匠の手すりにもたれて、もうどれくらいここに居るかも思い出せない。切り立つ雪峰にかかる冴えた月。ちぎれ雲は白波のように、無数の星はその|飛沫しぶきのように見える。海が時を止めたら、こんな風に見えるのだろうかと思う。ゆっくりと移ろう雲のように、時の流れが少しでも遅くなれば良いのに、と。
 スキョルは一〇〇歳を過ぎたばかりの頃に〈クラン〉の頭領となり、以来一二〇年もの間、その重責を担っている。本当なら、もう何年も前に〈クラン〉の後継を定めていなければいけなかったのだ。ヒルダが頭領の座を継ぐことができたなら、ことはもっと簡単だった。だが、それは無理だということは、誰よりもヒルダがよくわかっていた。
 ずらりと目の前に並べられた求愛者たちの中から誰か一人を選べば、その男が次の頭領になる。もちろん、後継を決める戦いでヒルダに勝つことが出来れば、の話だ。とは言え、いざその戦いが始まれば、ヒルダは負けるより他ないだろう。たとえ実力で勝っていても──狼に変化することができない頭領を、人狼たちは認めない。
「|お嬢様マイ・レディ
 後ろから声をかけてきたエギルは、許されても居ないのにヒルダの隣に並んだ。
「トールグソン」
 前を向いたまま名前を呼ぶ。このあからさまな侮辱にもめげず、彼は略式の辞儀をした。「|お嬢様マイ・レディ、俺は──」
「わたしはお前のレディではない」ヒルダはぴしゃりと遮った。
 少しの間黙ってから、彼は言った。「俺はあなたの父上に忠誠を誓っている。そのご息女なら、わたしにとってあなたは|お嬢様マイ・レディです」
 後ろ足で砂を掛けてやったというのに、それを狩りの開始の合図か何かのように勘違いして追いかけてくる手合いは他にも居た。だが、この男は何かが違った。
「やむにやまれぬ事情があるのは、俺も承知の上です。たった一日で、このヨトゥンヘルムに受け入れられようとは思っていない」
 ヒルダははじめて、エギルの方を振り向いた。「父がお前に話したのか?」
「いいえ」彼は言った。「だが、貴女が何かと戦っているのはわかる」
 不思議な感覚だった。頭一つ分も背が高いこの男に見下ろされているというのに、なぜかそれほど嫌な気分にはならない。彼の眼差しには欲望も打算も無かった。そんな風に──純粋な眼差しで見つめられるのは、本当に不思議な感覚だった。
 だが、長い間に身につけた冷笑が、息をするのと同じくらい自然に、ヒルダの顔に仮面をかぶせた。
「それなのに、わたしの意図を酌んでここを去ろうとは思わないというわけだ。大した忠誠心だな」
「狼は一人では戦わない」エギルは言った。「俺は仲間を置き去りにするような真似はしない。たとえ、勝ち目の無い戦いであっても」
 ヒルダはあらためて、エギルの顔を見た。真摯というのはこういう表情かと思わせるような彼の顔を、瞬きもせず見つめた。
 何かが変わったのは、その時だったのかも知れない。それとも、続く九年の間に少しずつ時間を変えて変わっていったのかも知れない。波が地面の形を少しずつ変えていくように。その変化は、目で見るにはあまりにも小さかった。あるいは穏やかだったと言っても良いのかもしれない。そして、ひたむきだった。
 だが、この瞬間のヒルダに未来を思い描く余裕は無かった。
 エギルがもう一度膝をつき、そっとヒルダの手を取った。口づけはせず、ただ額を寄せるだけ。傷だらけの大きな手は温かく、手首にほんの少しだけ触れる指先にまで、彼の熱が漲っていた。手を振り払わなかったのは、その熱のせいだったかもしれない。
 少なくとも、手を温める役には立つかもしれない。
「エギル・トールグソン」ヒルダははじめて、彼の名前を呼んだ。「わたしの戦場に立つのは容易ではないとだけ言っておく」
 彼はにっこりと微笑んだ。挑戦を投げつけられるたびに輝く青い瞳が、まっすぐにヒルダを見つめ返していた。
「望むところです、|お嬢様マイ・レディ
 
 
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【リーヴァ】 手首・星・白波
初公開日: 2020年12月06日
最終更新日: 2020年12月06日
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リクエスト頂いたCPとパレットに指定された単語を元に、短いお話を書いていきます。
CP:エギル×ヒルダ(from 日月の歌語り)
ワードパレット制作:@Wisteria_Saki 様