睦月さん
 好き、というものを弁える。それは存外難しいものであると津山睦月は思わざるを得ない。
 それが趣味だろうが友だろうが、或いは異性だろうが、どうしたって普段から意識してしまうのは仕方ないもの。
 何せ、それがなければ人生に甲斐はない。そして、好きには好意を表したくなってしまうもの。最低でも睦月は好きが隣り合って、笑顔になるの中々止められはしなかった。
 ところで、睦月は何時もどこか《《むっすり》》していると言われる。
 彼女本人も表情筋が頑なのは認めるところであり、特に周りとの親睦が深まらない内はよく怒っているのかと聞かれたものだった。
 近頃、鶴賀が共学になって周囲の仲間が刷新され今度は見知らぬ異性からこわごわ声をかけられることで、睦月も自分の表情のなさにうんざりとしてはいる。
 だが、しかしこれもまた中々変えることは出来ないものの一つだった。
 そして、そんな表情が固い彼女が《《彼》》が近くに来る度ぴくぴくと好意に口角を上げているのを見て、周囲はどう思うか。
 それは睦月が所用で退いた後に表れた、ワハハと何時も笑顔の部長のもの珍しい困り顔が、物語っていた。
「京太郎。お前むっきーに何かしたのかー?」
「部長……多分、俺何にもしていないと思うのですが……」
 口にしては見たところで、その声色に、自信はまるでない。
 去り際のポニーテールの颯爽を思い出しながら、自分が寡黙な先輩の表情を変えさせていることに、彼こと麻雀部唯一の男子部員須賀京太郎は頭を抱える。
 自分は何をしでかして睦月を微妙な表情をさせているのか。正直なところ、京太郎も少しは思い当たる節がないこともなかった。
 そんな少年の揺らぎを敏感に感じ取った桃子は、ステルスを霧散させる勢いで大きな声を上げる。
「むっ、多分っていうのは怪しいっす! 何しでかしたかさっさと吐くっすよ!」
「私は多分京太郎君は悪いことしていないとは思うけれど。そうだね……思うところがあるなら、口にした方が楽かもしれないよ?」
「香織先輩……モモからの信用のなさは悲しいですけど……そうですよね。実は……」
 優しく微笑む香織に絆された京太郎は、素直に口を開く。
 そして語られた彼の話は、しかしどうにも皆を納得させるには足らないもの。
 ゆみは反芻するように、その内容を繰り返した。
「なんだ、須賀君の語ったことが本当ならば、津山は須賀君に前にどこかで会いましたよね、と言われた後からああなったというのか?」
「ええ。そのはずですけれど……」
「普通っす! うーん……どうせ、京太郎のことだから、私にしてるみたいに嫌らしい目でむっちゃん先輩を見て怒らせたに決まってるっす!」
「いや、それは……」
 桃子は、向いてきた京太郎の前で自分の豊満を両手で抱いて隠すようにする。そこで思わず、柔らかそうに歪んだそれに目を行かしてしまう少年に、四方から冷たい視線が注いだ。
 少しの沈黙。そしてなんだかんだリーダーシップのある智美が先行しワハハと畳みかけた。
「ワハハ。私は分かるぞ。むっきーはモモほどのおもち持ちじゃないから、京太郎はそそられてないんだろー。きっとそもそも、あんまり見てないっていう自覚があるんだな!」
「いえ、その……」
「慌ててるってことはマジっすか……女の人をおもちで判断するなんて、最低っす……」
「まあ……なんだ、須賀君。ほどほどにしておくんだぞ?」
「京太郎くん……」
 そうとは言わずとも、態度で明らか。図星を言い当てられてうろたえる京太郎に、周囲の麻雀少女達は白い目を向ける。
 言い訳すら、もう遅い。それに気付いた京太郎は心の底から落ち込むのだった。
「どうしてこんなことに……」
「ワハハ。女の子は、視線に敏感なものだからなー。もっと気をつけないといけないぞー?」
「すみません……」
 部長の優しい指摘にただ、自分の素直さを申し訳なく思い頭を下げる京太郎。
 彼はそんな自分の情けなさに、こんなのが睦月先輩に嫌われているところなのかもな、と勘違いするのだった。
「ふふ」
 さて、京太郎が部室ですけべ心を指摘されていた、そんな頃。
 果たして睦月は珍しくも笑顔だった。京太郎の前で格好つけていようと我慢していたのが解かれたのだろう。ツリ目がちな、しかし端正な顔が優しく歪んで少女の愛らしさを際立たせる。
 通りがかる新入の男子たちも、色づく睦月の綺麗に振り返りがちだった。そして、彼女のその一つ縛りの尾っぽの艶を目にするのである。
 しかし、そんな他人の注目なんて至極どうでも良いのが、恋する乙女の常。ただ、愛する人を思って睦月は言葉を零す。
「京太郎は覚えてくれてたんだものな……」
 そう。睦月は確かに京太郎が口にした、前にどこかで会った、という言葉一つで変貌していた。
 少女は、少年が言った通りに、覚えていた。けれどもそれは相手までも覚えているものではないと考えていたのだ。
 何しろそれは。
「前世の記憶を」
 そんなオカルティックな妄想だったのだから。
 睦月の笑みは深まり、ぱっかりとした半月になった。
 勿論、そんな同じ妄想を京太郎が偶々持ち合わせていたなんていうことはない。ただ、幼い頃にすれ違った記憶があったので、それを指摘したばかり。
 しかし、こじらせて妄想にどっぷり浸ってしまっている睦月は勘違いする。
 ああ、やはり京太郎と自分は運命で結ばれている、などと。
「小さい頃は本当によく、一緒に遊んだよな。何時も後を付いてきてくれたのは忘れられない。京太郎はお姉ちゃんと言ってくれていたなあ。それにしてもあいつは運動が好きな性分だったが、結局のところ麻雀に行き着くんだな。運命って奴かな? 私も前と比べて麻雀の腕は衰えたけど、これでもまだまだ今回の京太郎にはいいところを見せられているから良しとしようか。まだまだ関係も何もかもまっさらだし、大変だけれど楽しみだ。うん。でもそれにしても前回は私達は心の底から結ばれていたよな。それを……あいつは」
 どこかの遠いありえない、を見ていた睦月の晴れ顔は、次第に曇って再びむっすりと。
 そして、怒りに不機嫌すら越えて更に険しく柳眉は逆立った。
 ぎりり、と砕けんばかりに奥の歯列が噛み合う。
 睦月はここには居ない、どこかのセカイの彼女が前の京太郎を奪っていった、そんな妄想もしもを思い出す。
 そして、口の端から血が溢れることすら厭わずに。
「もう、あいつには渡さない!」
 ただただ独り。そんな、空虚な宣言をするのだった。
 香織さん
 妹尾香織にとって、好きというのは秘めるべきものだった。
 だって、自分の胸の中のこの暖かで柔らかなものが、誰かに見られてしまうなんて考えるだけで恥ずかしい。
 ひょっとしたら裸を見られてしまう方がマシなくらいに、少女の想いはいじらしくも純である。彼女は僅かに態度で示すことすら苦手だった。
 そんな香織に、恋を表せなんていうのはとてもではないが無理なこと。好きな相手の前でも彼女はにこりと控えるばかりで、何一つモーションを取ることはないのだった。
「あ・・・・・・京太郎君」
 空も朱色に染まり始めた夕の頃合い。頬の紅すら境を失くす、そんな時に香織は密やかに恋心抱いている京太郎と出会った。
 まだ中学生な年下の彼は、ハンドボール部のユニフォームのまま帰宅中の様子。遠目からでもトレードマークの金髪も少しくたびれた感が見受けられた。
 けれども、香織がひとたび手を振ってみれば、京太郎は笑顔で手を振り返してくれる。いじらしい少年の元気に、彼女もなんだか嬉しくなって気付けば買い物袋から片手を離して笑顔になるのだった。
「京太郎君、今部活帰り?」
「ええ。香織先輩は……」
「あはは……お母さんにお使いを頼まれたの。その途中」
「なるほど、通りで持ってるエコバッグがぱんぱんなんですね」
「うん。明日の分も頼まれたから」
 奇遇。それを運命的なものと考えるのは恋する者の常。香織は京太郎と赤い糸が繋がっていたらいいな、と思わず自らの小指を見つめてしまう。
 けれども当の気になる後輩、京太郎は乙女心を気にも留めずに、バッグから飛び出た青みを気にする。そして得心いったと口を開く。
「明日は鍋ですか?」
「そうだけど……どうして分かったの?」
「いや、先日聞いた時みたいにバッグからネギが飛び出してたので、もしかしたら、と」
「すごい。分かっちゃうんだ」
「まあ、俺の家も今日は鍋の予定だったりするので。そうだったら奇遇だなと思いまして」
「ふふ。確かにそれは、奇遇だね」
 笑顔で繋がる、そんな会話。生活リズムの異なる高校生と中学生。普通にしていたら偶にしか会えない筈だけれども、存外奇遇にも二人は顔を合わせることが多かった。それこそ香織からしたら《《幸運》》なことに偶々で、二人はよく会話を交わす仲になっている。
 だからこそ、京太郎は香織とは気の置けない仲と認識しており、彼は彼女の労を預かることをためらわないのだった。
「失礼します」
「あ……」
 一言。それで手の重みが消えた。横を向けば、自分が重いなと思っていた買い物カバンを軽々目の前まで持ち上げている京太郎の姿が。
 まるでいたずらが成功したかのような笑顔の少年にどきりとしていると、京太郎は間を置かずに言った。
「お家までお手伝いしますよ」
「……いいの?」
「ええ。むしろ香織先輩と一緒出来るなんて、役得です」
「もう……」
 気障な態度に思わずぷくりと膨れる香織だったが、しかしその内は喜色で埋まっていた。
 小さな親切で心まで軽くなり、わざとらしいおためごかしですら嬉しくて堪らない。
 だから、もっともっとと思ってしまったのかもしれなかった。彼女は彼の手を掴んで、言う。
「それじゃ、一緒に行こう」
「えっと、香織、先輩?」
 お手々繋いで。しかし子供ではないのだから、異性同士手を繋ぐのはそれなりの好意がなければなされないと、京太郎は知っている。引っ込み思案なところのある先輩がどうして急に、と思う鈍感な彼に、香織は不安げに見上げる。
「・・・・・・嫌?」
「いえ、そんなことはありません」
 応えるように京太郎は香織の手をその大きな手のひらで包み込む。
 優しい、彼の温もりを受けた彼女は。
「温かい……」
 暮れ空の下の朱に紅く、ぽうっとそう呟くのだった。
 さて、そんな風に香織は大して好きを表せもしないままに、運良くも逢瀬を重ねることに成功する。
 その度に、好きは深まっていく。
 彼の、優しいところが好きだ。格好いいところもあるけれど、あどけない部分だってたまらない。彼がするなら何気ない仕草だって愛らしいもの。
 そして、何より温かい。それが香織には一番好きなところなのかもしれなかった。
 でも。
「京ちゃん―――」
「――咲」
「え?」
 不運、いやある意味幸運にも香織は彼が誰かと結ばれる瞬間を目にしてしまい。そこから逃避したその時から香織は凍えるようになった。
 嫌だ。嫌だ。京太郎君が誰かのものになってしまうなんて。自分がもう、彼と一緒に温まれないなんて、そんなの嫌で堪らない。
 だから、彼女は。
「あんな子……いなくなちゃえばいいのに」
 そう、気の迷いで願い。
「……っ咲……」
「京太郎君……」
 |不運幸運にもその願いは叶ってしまった。
「辛かったね」
「・・・・・・香織先輩……」
 悲しみに暮れる京太郎を半ば使命感から慰めながら、香織は。
「温かい」
 ただ、すがる少年の温もりにほっとするのだった。
 智美さん
 蒲原智美は、好きの違いが今ひとつ分からない。
 嫌いの反対、だとは思う。けれども、恋だの愛だのそんなごちゃごちゃとした分類なんて、とてもではないが区別が付きそうにない。
 智美は根っからの片付け下手なのだから。
 そういう意味では、好きだらけで何一つ分別する必要のない麻雀部は居心地がいい。
 おもわずワハハと足を伸ばしてだらけてしまうのも仕方ないことで、そして唯一の男子部員である京太郎が智美の注意をするのもまた、仕方のないことだった。
 青年の眉の歪みすらなんとなく好んでいる智美は、京太郎の文句をすら待ちわびているようである。
「部長……ちょっとだらしないですよ」
「ワハハ。別にいいだろー。鶴賀は女子校なんだから。むしろどうして男子の京太郎が交じってるんだー?」
「鶴賀が女子校なんて、何ヶ月前の話を言ってるんですか……共学になった今、男子の目を少しは気をつけた方がいいですって」
「んー? そんなこと言っても、この場の男子の京太郎は私の下着なんかよりモモのおもちの方が気になるようだし、別にいいだろ?」
 そう言って、スカートをぱたぱたとさせる智美。ちらちらと見える、ま白い肌が目に毒である。
 まるでそれは子供の無防備のようであるが、しかし智美は年頃の女の子。もう運転免許だって取れる年齢だ。男子の貪欲さをもっと知っていてもいい筈である。
 長く女子校で過ごした弊害か、鶴賀学園の生徒達は異性を気にしない子が多いのだが、智美はその極みのようであった。
 ワハハと笑って男女の区別をしない。流石に、京太郎もこれには心配になった。
「あの。俺だって男子なんですからそんなに無防備にしていると気になりますよ」
「ワハハ。男は皆狼ってやつかー。京太郎には似合わないなー」
 あくまで、好きの前でふざけるのを楽しむ智美。彼女の中で好きは自分を傷つけるものでは決してない。
 だから安心安全ふわふわの心地の中。まどろみのようなノーボーダーの内に、しかし京太郎は一歩踏み込むのだった。
「部長」
 柔らかな椅子にもたれかかった智美の顔の横に、京太郎は片手を置く。そして、真剣にしたまま、彼女にその整いを寄せる。
 奇しくも、麻雀部には彼彼女二人きり。まるで告白はたまたキスをするかのような壁ドンに近いシチュエーション。
 明らかに彼女らと違う、可愛いではなく格好いい顔が目の前に。これには流石に智美もどきりとせざるを得なかった。
「ワハ……なんだー?」
 唇が乾くような心地を覚えて、知らずに舌なめずり。緊張して、相手に怖じる。そんなことを好き相手にもようやく思い出した智美は、目をパチクリ。どきどきし始めた胸元を押えながら彼を見上げた。
 そして、しおらしくなった智美を確認した京太郎は、これで分かってくれただろうと安心と共に彼女から離れていく。
 思わず少女が彼へと手を伸ばしてしまったのは、果たしてどんな思いから来たものだったのだろうか。
「部長は可愛い人なんですから、もう少し自分を大事にして下さい」
「私が、可愛い?」
「そうです」
「それは…ワハハ。嬉しいなー」
「ですから――」
 ワハハ。ワハハ。笑い声が彼女の内に響いて渡る。もう、それ以外に何も聞こえず、彼しか見えない。
 ――――私を可愛い、と慮ってくれたのかこの男の子は。好きだ。これはもっと好きにならざるを得ないだろう。しかし、もう十分に彼のことは好きで、もう天辺に届いているのに。さてどうしようか。
 ああ――――なんだ、答えは簡単だった。
「ワハハ」
 智美は何時しか独りになっていた部室にて、陰りの中にて笑う。
「痛っ」
 唐突な太ももの痛みに口に出し、思わず顔をしかめる京太郎。ちょうど見惚れていた時に都合悪く、いいやあるいは都合よく、その痛みは起きた。
 何かと思いきや、そこには横合いから少年の太ももを抓る手が。その細き指先を視線で辿っていくと、そこには何時もワハハとしている先輩の笑みが映る。
 しかし、どうだろう。今やその笑顔の奥に何か怒りが見える。これは、先までおもちに注目していたところを見咎められたのか、と京太郎は遅まきながら気づくのだった。
「ワハハ。京太郎は私が可愛いんじゃないのかー?」
「はぁ……いや、俺が変なところ見てたのを教えてくれたんですよね。すみません」
「分かったならいいぞー」
 うんうん、そう頷く智美に京太郎もほっと一息。未だ女性の人口の方が多い鶴賀でスケベ心によって村八分にされてしまうことほど恐ろしいことはない。
 許してくれたのかと気を緩めた京太郎の顔に、今度はぽふりと柔らかなものが当たる。タイが頬を打ち、その上から声が続く。
「ならな」
「うおっ」
 思わず、京太郎が声を上げてしまったのも当然のことか。何せ今、彼は。
「私だけを見るんだなー」
 智美に優しく頭を抱かれているのだから。そっと大事に、胸元を押し当てられながら。
「っ」
「おっと」
 紅潮するのを感じ、柔らかな拘束から逃れんとし始めた京太郎。それを嫌がらずに、智美はそっと退くのだった。
「智美ちゃん……大胆だね」
「凄い告白っす!」
「うむ。いいものを見せて貰った」
「ふふ。これは須賀君、返事は本気で考えた方がいいぞ?」
 そして、雀卓を囲んでいたところ、突然巻き起こったそんな恋愛沙汰に京太郎に負けず紅くなる少女たち。
 冷静ぶった照れ隠ししているばかりのゆみのそんな言葉に、今更衆人環視の中告白されたことに気づいた京太郎は。
「あはは……どうしてこんなことに」
 大輪の笑顔の前に、どう応えたものかと思うのだった。
「ワハハ」
 少女は笑う。ああ、やっぱり京太郎は大好きだ。
 好きの上の大好きが出来た。なら大好き以外はどうでもいいか。考えてやるだけ面倒だ。
 片付け下手な智美はそう思う。
「ならみんな、要らないなー」
 智美のそんな恋の歪みが顕わになるのは、もう少し後のこと。
 桃子さん
 好き好き大好き愛している。こんな私の想いに溺れて欲しい。そう東横桃子は何時だって京太郎に対して思っている。
 けれども、想い人は中々につれない。告白染みた言葉を何時もの親愛表現ととってしまうし、それでいて中々見てもらえない自分から目を離さないでいてはくれるのだから、たまらない。
 ぶーたれながら、いじいじと今日も桃子は京太郎に聴くのだった。
「京君は私のこと、どう思ってるんすかー?」
「そりゃあ、好きだぞ」
「それは恋のラブっすか?」
「いや、家族愛的な……」
「いつの間に私達籍入れてたんすか!?」
「気が早すぎる……勝手に俺を東横京太郎にするなよ」
「須賀桃子でもいいっすよ?」
「どっちにしろ、結婚も何もまだ俺たちには早い話だっての」
「あいたっ!」
 ずびしと頭に下ろされたチョップに、桃子は元運動部男子の膂力の強さを知る。端的に言えば、痛かった。
 しかし、そんな拒絶に桃子はめげない諦めない。何しろ、彼女は彼を愛しているから。
 見て欲しい、ひいては自分を好きになって欲しい。そうしてくれるなら幾らでもと、相手を溺れさせるくらいの好きがそもそも桃子には用意されていた。
 そう。誰にも見られず周囲に無関心を装う少女はずっと、誰かを愛したかったのだ。
 そして見つけてもらって愛してもらえたのだから、今こそ存分に。と、思えども生い立ちからくる臆病はどうしようもなく。
 今日も結論濁されたままそれを良しとし、二人、校内で別れるのだった。
「むむ……京君は強敵っす!」
「ワハハー。またモモ、スルーされたのかー」
「桃子ちゃん、その、手に抱きついてたりもしていたのにね」
「珍しくも目立ってばっちりと見られ続けていたな」
「恥ずかしいっす!」
「……それにしても、須賀君はどうしてモモを袖にし続けているんだろうな……」
 そして、途端に影から現れ桃子を囲んでわいわいとし始めるのは、鶴賀学園麻雀部の皆様方。応援団な彼女ら以外にも、好奇の視線は周囲から飛んできた。
 ステルス少女は共学になったばかりの学園では物珍しい男女の恋愛を展開することでそれなりに目立つようになっている。
 それにむずむずしてしまうのは、どうにも影に隠れた人生を送り続けてきた弊害か。
 しかし、と桃子は改めてそんなことはどうでもいいのだと思い直して、悩む《《憧れ》》の先輩に向き直るのだった。笑顔の仮面を付けて、彼女はゆみに言う。
「先輩がそれを言うのはダメっす」
「ん? 私は何かおかしなことを言っただろうか?」
「鈍感も、罪っすねえ……」
 零し、言葉の意味が分からず首を傾げるゆみに、桃子は外れかけの笑顔を深くかぶり直す。そして次第に身体から突き破りかねない鉾を納めながら、疑問を躱していくのだった。
 三角関係の二角が向かい合う事態に、残された三人はこそこそとしながら会話を交わす。
「ユミちん、まだ気づかないのかー」
「先輩は、桃子を差し置いて自分が選ばれることが信じられないみたいで……」
「……加治木先輩、もうちょっと自分を高く見てもいいのにね」
 そう、現状を憂う智美たち。桃子と京太郎、そしてゆみを含めた三人の恋愛模様はどうにも筒抜けのようだった。
 桃子と京太郎は、幼馴染の関係。そして、京太郎とゆみもまた、一種の幼馴染の関係である。
 ゆみは京太郎の手を引き教えた。そして、その教えから京太郎は桃子の手を取ったのは間違いのないことで。
 だから。
「あの人には不慮の事故、ってやつもためらわれるんすよねぇ……」
 一人になった桃子がそう零してしまうのも仕方がないのかもしれなかった。
 ゆみは間接的にではあるが自分を救った恩人、ではあるのだ。そして同時に京太郎の心を奪った邪魔者でもあり。
 だからこそ、殺したくなるほど難けれども、最後の一線が踏み出せない。
『やめて! 誰かっ』
『桃子ちゃん……どうして』
『京ちゃん……』
 もう、邪魔者なんてそんなにいないのに。最後の一つの大きなものばかりが取り除けない。そんなことに、少女マーダーは悩む。
「ばっちいっすね」
 次第になんとなく、ある日の手の汚れを思い出した桃子は、幻の赤を流すために手洗い場へと向かう。そして、彼女は何時しかの誰かの血を水で流していくのだった。
 じょろりじょろりと、清水は零れる。手先は冷たくかじかんで、しかし罪の感触は消えは何時まで経っても消えはしない。
 でも、それと同じように、恋する心は一向に冷えずに燃え盛り続けていて。 
「好きっすよ」
 言い、桃子は手を当て、微笑む鏡にべたりと赤を付けるのだった。
 妄想に、滲む全て。そして、ああ、もう少しでどうでも良くなりそうだと、彼女は思う。
 きっと、桃子が憧れをすら火にくべる日は、そう遠くない。
 ゆみさん
 加治木ゆみにとって、恋愛、ひいては好きという感情は酷く簡単なものだった。
 自分の心に触れたて快いかそうでないか。そこに深みは要らない。
 何しろ、大好き一つどころに傾いてしまえば、好きなその他大勢に触れることが出来なくなってしまい、つまらなくなってしまうから。
 つまり、彼女にとって恋をしてしまう、というのは失敗とまではいかないが、それは人間関係のバランスを取り損ねたということ。
 そして、ゆみは今、言うなればすっころんでしまっていた。
「須賀君……」
「ゆみ先輩……」
 京太郎とゆみ。二人は想いを示すかのように互いの指と指を絡め合う。吐息が近く、熱だって恥ずかしいくらいに感じ取れる。
 学園内の一角。一体全体風紀も何もあったものかといったそんな二人の姿に、しかし周囲の目はまるでない。
 それは、通って三年目になるゆみが密会に都合のいい場所を知っていたから、というだけではなかった。
 彼彼女らを覆うは、暗がり。そう、今の時間は夜。二人が人目を忍び続けて行き着いたのが、今日この場所だった。
「あ」
「ん……」
 誰も居ない校舎内に男女が二人、興奮の渦の中にある。そうなれば、タガが外れていくのも当然。
 まずは指先、次は唇。次第にエスカレートしていく触れ合いに、空気の冷たさを感じる分も増えていく。
 罪悪感すら燃料にして、二人は燃え上がらんとしていた。
 だが。
「何、してるの?」
 幸運不運にも、彼女はゆみと京太郎が行き着くところまで行き着いてしまう前に、二人を発見できた。
 そう、顔面を蒼白にさせた香織は、しかし蠢きを止めた彼らに気丈にも続ける。
「おかしいと思ってたんです……京太郎君が、私に連絡をくれなくなったり加治木先輩が部活の途中に居なくなってしまったり、今思えば全部が全部変でした!」
 暗い中。月明かりすら眩しい。そんな最中に香織の糾弾の声以外には、荒い息が続くばかり。
 果たしてこんな状況、誰が望んだものか。最低でも、彼女と彼は望んでいなかった。
 感極まり涙を目の端から零しながら、香織は叫ぶように言う。
「こんなこと、ずっとしていたんですね……私に黙って、二人……」
「っ」
「はぁ」
 泣き崩れる、彼女。慌てて受け止めようとする、少年。しかし、それはゆみの手によって留められる。
 ため息一つ。そうしてゆみは光のもとに姿を見せた。肩をはだけさせたまま、彼女は頷く。
「ああ、そうだ」
 そしてゆみは、思わず見上げた香織がはっとするような笑みを作るのだった。
「妹尾が須賀君と付き合っていたことは知っている。そして、須賀君が別に私を好いていなかったことだって知っている」
 はじまりは遅く、どうしたって横恋慕。そんなものに手を出すほど、自分は堕ちてなるものか。
 最初はそう思っていたゆみであった。
「だが、それがどうした」
 しかし、そんな過去の己の小心をあざ笑うくらいに、今のゆみは満ち満ちている。
 だから、彼女は言い張る。
「私は須賀君が好きだ。この感情に比べたら………他の全ては取るに足らない」
「ひどい……」
「酷くて結構。須賀君が私に傅いているのが妹尾の弱みのためだとしても、どうでもいい。私は決して、諦めない」
 あまりの言葉に香織は沈黙。
 代わりに続くはエンジン音。車が通り過ぎていく。
 そのライトに一瞬照らし出されたのは《《手首足首を拘束された》》京太郎の姿だった。
「え」
 瞠目する香織。そこに再びにこりとゆみは嗤い。
「それに妹尾。嫌でも……刺激すれば反応はするものだぞ?」
 そんなことを言い、京太郎の胸板を撫でてから諦めの悪い自分を嘲り続けるのだった。
 そうきっと、ゆみは私は君が欲しいと、彼に《《も》》言えなかったことを後悔し続けるのだろう。
「ああ、消え入りたい気分だが……もう、そんなことだってどうでもいい」
 そして、誰かに頼られることのなかったゆみは、折れた心を再び京太郎に預ける。
 やがて沈黙の中、月光すらも雲に陰った。
 取り返しのつかない今。祭り囃子も遠く。ゆみはもうこの闇から逃れることは出来ない。
 しゅらば
「桃子ちゃんって、気持ち悪いよね」
「どこがっすか? かおりん先輩の目が悪いのは知っていたんすけど、頭も良くないなんてびっくりっす」
「ワハハ。私は香織の言いたいことは分かるけれどなー。何せ、モモは京太郎に知られていないからって犯罪行為に走りすぎだからな」
「はぁ? 冗談はその笑い方だけにするっすよ。部長」
「ふむ……桃子が京太郎の後をつけている姿がここに映ってるが?」
「うっわ。むっちゃん先輩、何私と京君の二人の時間を映しちゃってるんすか。普通にこっちの方がキモいっす」
「やれ……隠し撮りというのは津山も趣味が良くないが、能力をストーカーに使っているモモも大問題だ。須賀君に見られたらどう思われるとか考えないのか?」
「先輩も、堅いっすねー。他なんてどうでも良くないっすか?」
「まあ、確かに須賀君が大事にしていなければ、この麻雀部すらもはやどうでもいいがな」
「随分軽いですね加治木先輩……まあそれには同感ですが、同じだけ虫酸が走りますね」
「ワハハ。前の私だったらむっきーもユミちんも喧嘩すんなよとか言うんだろうけど、まあもうそんなのもどうでもいいなー」
「本当だね。京太郎君が大丈夫なら、肝心なところでヘタれちゃう桃子ちゃんも許してあげちゃう」
「かおりん先輩に許してもらわなくても、京君は最初から私のものっす」
「ワハハ。寝言は寝ていうんだなー」
 わいわい。
「失礼します……いや、すみません。遅れました……」
「京君、遅いっすよ!」
「うぉっ、モモ」
「京太郎、何かあったのか?」
「津山先輩。いえ、ただ鶴賀の授業は進んでるなー……と」
「ワハハ。居残りでもさせられたのかー?」
「智美ちゃん、それは失礼だよ……」
「いや……実際その通りでして……」
「大丈夫か? 少しくらいなら私も勉強を見ることだって出来るが……」
「いえ、大丈夫です。休みの日に幼馴染に勉強を見てもらう約束を取り付けておきましたから!」
「へぇ……」
「そうっすか」
「ワハハ」
「なるほどね」
「ふむ」
「久しぶりですから、会うの楽しみなんですよねぇ。あいつのぽんこつが少しでも直ってたら俺としてはありがたいんd」
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咲の京太郎くんSSです!
初公開日: 2020年11月27日
最終更新日: 2020年11月27日
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ヤンデレ鶴賀ですねー。
美鈴おかーさんを書いてます!
東方Projectの紅美鈴さん主人公の二次の最新話を書きます!今回は岡崎夢美さんが出てきますよー。
茶蕎麦
グッ・ド・ラッグ
2021/01/25ショートショート グッ・ド・ラック
郁菱万
執筆記録。
2020/12/13~2021/01/13までのひと月の執筆記録です。
郁菱万