照さん
 宮永照は、チャンピオンである。女子高校麻雀界の絶対者。麻雀を嗜む女子で知らぬ者はないくらいの有名人だ。最早人間の域を超えている、とすら言われる少女。
 とはいえ、そんな照とて人の子。チャンピオンの椅子に深々と座すまでの麻雀から離れていた頃。特異なまでの得意は見当たらない、普通の女の子として過ごしていた時期もあった。
「あ」
 それは、長野から東京に来て、大して経たない日。高いビルの合間を、人の波をすり抜け続ける暮らしに慣れはじめた、そんな時に照は京太郎と出会った。
 急に増した風。ビル風のいたずらだろうか、照の頭から白いキャプリーヌがさらわれ飛んでいった。
「おっと」
 大きく天に持ち上がり、青いリボンの軌跡を残してふわりふわりと飛んでいったつばの広い思い出の帽子。その布地の白が地に落ちて汚れる前に、なんと通りがかりの男子が見事にキャッチしてくれたのだ。
 高く、ぴょんとひと跳びで捕らえた彼の上手さに、感動した照は思わずぱちぱちと拍手をする。
 その音に失くした人を知った金髪眩しい少年――京太郎――は、照のもとへとやって来た。
 ぼうとする照の手元に、京太郎はキャプリーヌをそっと置いて言う。
「違っていたらすみません。貴女のですよね?」
「……そう」
「やっぱり。この帽子、きっとお似合いでしょうから」
「ん」
 少し頬を染めて、頷く照。受け取った帽子を、彼女はそっと抱いた。
 向けられたのはありきたりな褒め言葉。しかし。それが本気であるのは嘘に欺瞞に未だ揉まれていない照にも分かる。
 満面笑顔の少年。彼が怖いとは思えない。けれども、母親に常々言われていた、何かあったら《《それ》》を使いなさいという言葉を照はここで思い出す。
「ありがとう」
 適当に返し、そして彼女は照魔鏡と言われる、相手の本質を映し出す鏡をそっと彼の後ろに創出した。
 敏な人でなければそれと分からぬ、オカルトによるただの人には見えない代物。それの閲覧を受けた京太郎は。
「――――なんか、しました?」
 何を感じたのか照をじっと見ながらそんなことを言った。
 それに対して、彼女が京太郎に言えることは、一つ。
「なんでもないよ――――素敵な人」
 抜けるような蒼穹のもとに、照はうそぶくのだった。
 宮永照にとって、須賀京太郎はとても素敵な存在だった。
 優しくて、何より甘い。砂糖菓子のようなその人格に、甘い物好きな照が惹かれたのは自然なことだろう。
 しかし、人が初対面の相手に優しさの仮面を被るのは人付き合いの常。普通ならば、照が京太郎に懐くのには時間がかかるものだったろう。
 けれども、照は照魔鏡によりはじめに京太郎の本質を知った。
 ならば、何心配することなく――――溺れられる。
 なにしろ、とある事件により大切なもの――父と妹――から離れて暮らすようになった照は、安心できる場所が欲しくてたまらなかったのだから。
 それこそほとんど遠慮なく、彼女は彼に近づいていった。
「肉じゃが、ですか?」
「うん。作ったから、あげる。京ちゃん、お父さんと二人暮らしなんでしょ?」
「うわ、マジでありがたいですけど……いいんですか?」
「うん。作りすぎちゃって、二人じゃ食べきれなかったから」
「え? これ照さんが作ったんですか?」
「そうだけど?」
「手料理とかホント、ありがたいです! 家宝にします!」
「ふふ。そんなのいいから、早めに食べて」
 照は、まず長野から上京してきたのだという同じ境遇を使って――彼の引っ越し前の住居は長野に住んでいた頃に関わりがなかったのが不思議なくらいに燃え尽きた実家の近くだった――近づいて、京太郎の良いお姉さんになろうとしていく。
 連絡を密に取るのは当たり前。得意な勉強を教えてあげたり、こうして偶にはご飯を持っていってあげたりして、仲を深めた。
「……甘っ!」
 もちろん、照が帰った後に肉じゃがの味見をした京太郎がその糖分過多に悲鳴を上げるような、そんな些細なミスが頻発したりもしたが、それですら誤差の範囲内。
 目指すところに殆ど一直線に照は進んだ。
「京ちゃん」
「あ、照さん。また本読んでたんですか?」
「うん。この作者の文章はどこか詩的で面白いんだ」
「へぇ……っと」
 広い公園の端っこ、植わった木々が枯れに染まる頃合いに二人。彼彼女らは並んでベンチに深く座していた。
 本に連なる英文を苦もなくすらすら読み解く照。その隣で京太郎は日本語に訳されたのがあったら読んでみたいな、くらいに興味を持ちながら、しかし視線は偶に見るいわし雲の広がりばかりに惹かれていた。
 しかし、そんな中ふと、彼は肩に掛かる重みを覚える。そちらを向くと、なんとも愛らしい少女の顔がこてりと乗っかっていた。
 もちろん、それは照である。驚く京太郎に、彼女は呟くように言う。
「失礼するね」
「あはは……照さん、ちょっと無防備過ぎませんか?」
 肌に乗っかった髪のくすぐったさに思わず、京太郎は注意するかのようにそんなことを言った。
 京太郎からすると、照はお世話になっているお姉さん。ときにデートもどきはしているけれども、彼の中では恋人と言うよりもお友達という感覚。
 甘えてくれるのはありがたいが、しかしこうも気楽に男子に身を任せるようなことはいかがなものかと存外お堅い倫理観の京太郎は思う。
 しかし、軽い体重を更に預けて、照は零す。身じろぎにはらりと、前髪一房、額から流れ落ちた。
「京ちゃんだからだよ」
「はぁ……」
 真剣な声色に、思春期の少年は困る。
 自分はなにもやっていないし、むしろして貰っている側。それなのにこんなに安心されているのには、どうも解せない部分がある。
 初対面こそ変な感覚があったが、付き合ってみたところ照は存外普通の女の子。
 少々抜けているけれども優しいし、砂糖中毒のようにも思えてしまうほどのお菓子好きではあるけれどもとても頭が良い。
 京太郎の好みとは異なれども、照には幸せになって貰いたいと思う。彼女のことを好き、といえばその通りなのだろう。
「……気をつけて下さいよ?」
 だからこそ。とりあえずは自省して、この人を傷つけないようにしようと京太郎は思ってしまうのだった。少年には、キスすら棘の一つである。
 そんな、甘く優しく過ぎる男の子に、年上少女は微笑んで。
「京ちゃんになら、何をされてもいいんだけれどなぁ……」
 そう、誘惑するのだった。
「妹さん、ですか」
「うん。私には妹がいるの」
 そして、柔らかに安堵していると、それが過ぎて言葉がぽろり。油断して秘密にしていることまで晒してしまった照は、仕方ないからと愛すべき妹のことについて語りだす。
「色々あったんだ。それで、ずっと離れたまま……これがいいとは思っていないんだけれど」
「それは……辛いですね」
「辛い?」
 遠く、まるで長野の妹を望んでいるかのような――方向音痴の彼女らしく、見当違いの方角だったが――照に対して、京太郎が深く訊ねるようなことはない。そんなせっかちなことをする前に、察したことがあるから。
 よく分からないと首を傾げる照に、その苦しみをどうにかしてあげたいと心より思いながら、京太郎ははっきりと言った。
「だって、照さん、その子のこと好きなんでしょう? 会えないのが残念って顔に書いてありますよ」
「……そう、なんだ」
 過去にあった事態はまことに複雑。トラウマとして思い出すのは燃え盛る屋敷に、台無しになった車いす。楽しかった全ては灰燼に帰し、残るのは悔恨ばかり。
 けれども。それでも自分は彼女にまた会いたかったのだ。そんなことを、彼の口から聞いて、ようやく理解する。
「うん。私……咲のこと好きだったものね」
 好きだった。何しろ彼女は可愛らしくって、温かい。だから甘く優しくしてあげた覚えもあって、それが出来ない今がつまらないというのも、当然だったのかもしれない。
 照は少年に教えられ、今更にそんなことを気付く。京太郎は、微笑んだ。
「へぇ。咲っていうんですか、妹さん。可愛らしい名前ですね」
「むぅ……京ちゃん咲のことが気になるの?」
「まあ、照さんの妹さんですからね、ちょっとくらいは」
 他の女――妹だけれど――のことを気にする京太郎に少しむっとする照だったが、続いた言葉に溜飲を下げる。
 そう、未だ彼にとってあの子は私の付属物でしかない。だから、会ってみたいと思った程度。つまり、何より気になっているのは。
 そこまで考えて、笑みを隠せなくなってしまう自分は現金だなと照は思った。
「ふふ。そうだね、後で紹介してあげる」
 でも今はただ喜びに口軽く、少女はそんなことを言うのである。
 そのまま、照は京太郎のことが好きなままだった。けれども、高校生になってから、彼女を取り巻く状況は変わってしまう。
 卓上にて発揮された照の魔物は、たちどころに彼女を高校生の頂点へと押し上げた。
 最強の女子高生。すると、自然照は注目を浴びるようになり、人に囲まれるようになる。それは麻雀で繋がった絆。縛されてみれば温かくもあるが、しかしそこには彼の姿がない。
 だからつまらないと、時に照は嘆くのだった。
「京ちゃん分が足りない……」
「照。またそんなことを言ってるのか、お前は……」
「だって、本当に会う時間がないから」
「はぁ」
 カメラ前での笑顔は何処へやら、あからさまに萎れた様子の照に彼女の大切なお友達であり曰く親切な人であるところの白糸台高校麻雀部部長弘世菫は嘆息する。
 照と菫は、高校入学して直ぐからの付き合い。菫も紆余曲折を共に進んでトップを歩む照をずっと支えて来たからには、彼女の想い人である京太郎の名前をうんざりするほど聞いているし、顔を合わせもした。
 初邂逅の時に起きた面倒を思い起こし、菫が額に皺が寄らぬように我慢していると、同じチームの後輩二人が思い思いに言葉を零す。
「でもここまで照先輩に想われてるなんて、その京……なんとかって奴は幸せ者ですね」
「きっと先輩の想いは通じてると、思います……」
「誠子、尭深……」
 ボーイッシュな亦野誠子はしかし頬を染め、渋谷尭深は眼鏡の奥を柔和に細めて言った。
 彼女らは後輩の鏡というべきか、女の子らしく恋バナは嫌わないし、敬愛する先輩の恋の成就を願いだってする。
 そんな思いやりに感動する照。のろりと首をあげて京太郎分の代わりに後輩分を摂取しようと手を広げると、そこにきゃんきゃんと最年少が声を上げた。
「そんなことないよ。きょーたろーってバカだもん。間違いなくあいつはテルーの気持ちなんて分かってない!」
「そういえば、淡は彼と同じ中学で知り合いだったな……はぁ。こっちにも火が点いてしまったか」
「そー! せっかく淡ちゃんお世話係に任命してあげたのに、勝手に別の高校に進学しちゃって。女装してでも白糸台に来てって言ったのにー……」
「……淡。それ、初耳」
「ふふーん。テルーにも言ってなかったからねっ! それにそもそもきょーたろーが教えてくれたんだよ、テルーの凄さを」
「むむむ……」
 可愛い後輩大星淡の言葉に、頬を膨らませる照。そう、こと京太郎関連において彼女たちは意見が合わなかった。
 淡のその無垢な性格もふわふわ髪の毛だって、照は大好きだ。それこそ、妹代わりみたいに接して甘やかしてしまっている。
 とはいえ、そんな大切な淡にだって、京太郎は奪われたくない。そして中学時代に京ちゃんを私物化していたんなんて、と憤慨した照はぷんすかした。
「京ちゃんは私の」
「違う。きょーたろーは私のだよっ」
 照の文句に、淡も意地を張り出す。そして、はじまるのは子供の喧嘩。
 私の、いや私のと繰り返されるばかりの口論にすらならないそれに、誠子と尭深も苦笑い。しかし、その横で捗らないチームの会議をどうしようかと、ついに額に深い皺を刻んだ菫は。
「やれやれ。須賀君も可哀想だな。こんなポンコツ二人に執心されて……」
 淡と照に両手を引っ張られる京太郎を幻視し、後で慰めてあげよう、と心に決めるのだった。
 確執はそのまま。しかし、大好きな男の子の存在が慰めとなりこころ和やかに。
 少し短くそろえた髪を気にしながら、照はすっかり慣れた東京の街を一人歩く。
 見上げるような人の波に、しかし望む長躯は中々覗えない。
「それは、そうだよね」
 人の海に、彼を願う。そんなこと何度繰り返したことか。でも、そうそう彼と隣り合える試しはなかった。
 改めて語らずとも、宮永照は須賀京太郎のことが好きである。
 そして照はなかなか会えなかろうが、それでも自分の想いは届いていると信じていた。
 自分は好きで、彼もきっと好き。ならば多少の距離なんて。そう考えていた。
「あ……きょう……咲?」
 しかし。広い道路の反対側に望んでいた京太郎の姿、そして見紛うことない愛すべき妹、咲の姿を認めて。
 照は停まった。彼女は、その場で男女の会話を、聞く。
「京ちゃん!」
「なんだよ、咲……」
「えへへ、京ちゃんとお買い物を一緒出来て嬉しくって」
「……お前、照さんすら霞むくらいのとんでもない方向音痴だから遠出には付いていかないと不安なんだよ……全く、臨海女子中への道に迷ってる咲を俺が拾わなかったら、初登校は何時になったんだろうな……」
「それがはじめての出会いだったね! あの時は、お姉ちゃんと間違われてびっくりしたけど、結果的に相手が京ちゃんで良かったなぁ」
「そうしたら、肉じゃが持って家におしかけてくるようになったけれどな。警戒心なさすぎだろ……」
「だって、お姉ちゃんが認めた男の子だよ? 大丈夫に決まってるよ!」
「咲お前どんだけあんな無防備な照さんの人を見る目、信じてるんだよ……」
「だって、お姉ちゃんは凄いもん!」
「まあ、確かに凄いけどさ……」
 長身男子に、控えめ少女。どこかぴったり嵌まっているような微笑ましい二人。
 しかし、そんな彼彼女が共に自分の大切なものだったとしたら。
「咲? 京ちゃん?」
 どうすれば、良かったのだろう。照は己の内にて揺らぐ天秤に、悩んだ。
「――――京ちゃん大好き!」
「はいはい」
「っ」
 届いた妹の愛言葉。それを聞いて、照はその場から走り去る。もう、自分とは違う自分と似たものが自分の代わりに隣にいる事実を認めたくはなくて。
「う、うう……」
 いやいやをして、泣きじゃくりながら逃げ出す少女は、痛々しくも幼気。
 ただ、か弱い自分を鏡を見つめて守っていたばかりの彼女は、ひび割れる胸元を止めることは出来ない。
 そして照は、ぱりんと、大事なものが壊れる音を聞いた。
「……なかったことに、しよう」
 少女はいつの間にか潜り込んでいたベッドの中で頭を振って、そう呟くのだった。
「京ちゃんもお姉ちゃんへのプレゼント、買えると良いね」
「そうだな。せっかくここに仮にも女子がいるんだから、確りとセンスを見て貰わないとな」
「仮にもってなに!?」
 そんなだから。もし、彼女がこの会話まで聞いていたら、というのはあり得ない。
「照さん。咲に、貴女の妹に――――なんか、しました?」
「――――京ちゃん。私には《《もう》》妹はいないよ?」
 何時の日か、焦燥に疲れた京太郎の前で照は、そうつぶやくのだった。
 鏡は壊れた。もう、あなたしかみえない。
 菫さん
 弘世家、といえば東京、いいや全国でも指折りの名家である。
 家が大きい、土地が広いは当たり前。その豪奢の全てが、静に沈んでいる。和に倣っているわけではなく、弘世家が和の代表。そう思ってしまうくらいに格式高い一族の一人として、弘世菫は生まれた。
 いわゆる、お嬢様。しかし、本人は特にそれを嫌いもせずに受け止めて、そこらに蔓延る普通一般にも習った。向上心の高さに、深い度量。それによって、菫は誰からも一目置かれるようになった。
 見目の整いを心がけてみれば、あっという間に幼い華となる。習い事では抜きんでるまで励み、特に得意のアーチェリーに至っては大会で負けなし。
 そんな菫は勉学だって当たり前に行うことの一つ。辛くもなければ楽しさこそ勝り、そのお陰かガリガリ学ばずとも花丸だらけの答案と馴染めた。
 それでいて、普通を劣りと思わず認める器。それを多くが優しさと捉え、殊更周囲の女子は熱狂する。流石にファンクラブまでが出来てしまっては菫も眉をひそめたが、それくらい。
 基本的に、菫は百点満点を出し続け、険を作らず過ごしていた。
「菫ちゃんって、アホだな」
「え?」
 だがしかし、それこそが間違いだと、少年は言うのだった。
「上品、と言うには少し贅が過ぎるな」
 様式に合わせ、久々にドレスに身を包みながら、菫はそんな風に呟く。サテンのドレスは、彼女の未発達の身じろぎに合わせて、滑らかに揺れた。
 パーティに慣れきった喜色のない子供。それで口を開けばこれでは、まことにかわいげがないものだろうと思う。だが、どうしたって無駄に育ちきった審美眼が、この場の華美にバツをつけるのだ。
 財閥として有名な龍門渕。その娘の誕生パーティという名目のお披露目兼社交練習場。
 その表層、資本の多寡でいえば日本でも随一の一族の誇りをかけた上質な飾りにすら、しかしどうにも菫は洗練されていない野暮ったさを感じてしまう。
 絢爛豪華。しかしそこには飾らなければいけないそのままの自己に対する自信の薄さが透けて見えてしまった。
「ふぅ。こう思うのは、驕っているようで良くないな……」
 菫は果実の唇から、小さく溜息を吐く。そして龍門渕は何もかもが半端だと、そう評した先日の祖父の言葉を思い出す。
 財閥の系譜とはいえ、歴史が足りない。黄金にすら最早洒脱さを見いだせない、そんなレベルの大家ですら弘世家のこの国に張った根の深さと比べればもの足りなかった。
 無意識に、そんな家の子であることの誇りが出てしまい、恥じる菫。これは頭を冷やさなければ、と彼女は財界の魑魅魍魎達とにこやかに会話を続ける両親から離れた。
 流石に訓練されているために、子供の自分すら見逃さずに都度避けてくれる給仕たちに道を譲られながら、大人達の会談の谷間を歩む。
「っと」
「あ、ごめん!」
 そして、安堵しきった菫は突如大人達の間から表れた少年にぶつかりかける。急なことであったが、持ち前の運動神経で菫が反応し、ぼうっとしていた男子も良い反応をみせたことで何事もなかった。
 とはいえ、明らかに上等な年上女子に衝突しかけるなんて、あまりに気が抜けたことだと反省した少年は疾く頭を下げる。
 そんな彼に、菫は微笑んで言葉をかけた。
「なに、お互い何もなかったことだ。悪いことなんて何一つ起きてもいないというのに、君が頭を下げることはないよ」
「あ……そっか、ありがとう」
 下がった金の頭は再びぴょんと持ち上がり、彼は笑顔を見せる。
 少年の顔に見覚えはない。その金の毛髪に龍門渕との繋がりが伺えるが、それくらい。菫も見ず知らずに優しくするのは得意だが、もっとも必要以上にすることはない。
 とはいえ、その笑顔は人を見るのに長けた菫であっても素敵に思えたので、彼女も倣って微笑むのだった。
「うん。笑顔の方が好ましいな。私は弘世菫」
「菫ちゃん、か。俺は須賀京太郎っていうんだ」
「そうか……なあ、京太郎。君が良かったら一緒に会場を見て回らないか?」
「いいの?」
「ああ、一人ではつまらなかったからね」
 涼しげに菫は話したが、しかしつまらなかったというのは本当のことだ。
 何しろ、先に語らった龍門渕の一人娘は子供に過ぎた。必死に自分と背比べをしようとし続ける者の相手をするのは疲れるものだ。
 そして、それが終わってみれば可愛がるフリをして近寄ってくる大人共の相手を笑顔で務めるばかり。これには菫も少し面白みのなさを感じてしまうのも仕方ない。だからこそ彼女は表裏のない様子の京太郎を伴に選んで、しばらく暇を潰そうとしていた。
「あら、《《私の》》京太郎と一緒にどこに行くんですの、菫さん?」
「貴女は……」
 しかし、そこに現れたは、パーティの花。品を捨てて足早にやって来た主役に、周囲はざわめく。
 そう。社交のいろはを教わったばかりの龍門渕透華は、そんなものを投げ捨てて菫のもとへとやって来たのだった。
 そして、その目的は彼女の言から分かるように、勿論。
「透華おねーちゃん」
「京太郎! お久しぶりですわ! 元気でしたか?」
「うん。透華おねーちゃんも元気?」
「もっちろんですわ! 衣は寂しがっていましたが、私はこれっぽっちも京太郎と中々会えないことを寂しがっていたりなんて……」
 べったり。京太郎にくっつく透華を見た菫は、なるほど関係性においてそういう言葉はこういう様態に使われるべきものなのだな、と理解できた。
 それほどまでに、場を忘れた粘度。肌がくっつきかねない程の距離に、少女は遠慮なく寄っていた。そして、険を持って龍門渕透華は弘世菫を見つめる。
 これは、自分が厄介なところ逆鱗に触れてしまったのだと気づいた菫は、面倒に巻き込まれないように疾く口を開く。
「これは知らないとはいえ、少しお邪魔だったかな? では私は……」
「あら、菫さんお待ちになって。これでも私、貴女を邪険にするつもりはありませんわよ?」
「そうだよ菫ちゃん。俺たちと一緒に話そーぜ?」
 白々しい言葉と、笑顔の本音。あまりにあからさま過ぎるその様子に、彼らがあまりに擦れていないことに首を傾げたくもなる。
 正直なところもうこの二人に関わり合いになりたくなかったが、しかし表面上とはいえ場の主役に留め置かれてしまってはどうしようもない。
 菫は、ため息を飲み込んだ。
「ああ、そうだな。少し一緒させてもらおうか」
 そして、少女は笑顔を仮面として、腹をくくるのだった。
 須賀の家は、龍門渕の傍流。とはいえ、須賀家は当時弘世家も注視していた先端分野にて頭一つ抜けた成果を出している会社の代表を務めてもいた。
 父が社長。幼き京太郎もそういう認識くらいは持っていたそうだ。しかし、それだけでしかない、とも言えたが。
 酔狂にも、あまりに普通の子として育てられたお坊ちゃんである京太郎は、何時かバカ正直に本家龍門渕の問題に顔を突っ込んで手を伸ばし、その全てをぶち壊しにしたのだそうだ。
 語る透華の言葉があまりに称賛に偏っていたために不確かだったが、そんなことをパーティの残り時間の殆どを使って語られた。
 そして、後。
「うーん……京太郎ー……」
「透華おねーちゃん、寝ちゃったね」
「その、ようだな……」
 三々五々、お開きになり始めた中で確りと寝入る透華のその手は二人と結ばれていた。
 なんだかんだ、初めての社交の場ということで気疲れしていたのだろう、ぐっすりしてしまったのもパーティが終わったということで緊張の糸が切れてしまったが故だというのは菫も理解出来る。
 しかし、それにしてもどうして私の手をも握ったまま寝入ってしまったのだと、菫も文句の一つでも言いたくなった。
 だがまあ、衆人環視でそんなことを口にしてしまうのは、上手いことではない。だから努めて黙っていると、きょとんとした京太郎が言った。
「ん? 菫ちゃんって、こういうの嫌だったか?」
「いや……」
 正直に、嫌と言えたらどれだけ楽だろうと、菫も思う。しかし、減点を恐れる彼女には子守をすら嫌ともいえない。
 静かに首を横に振る、菫。そんな彼女を見た京太郎は。
「菫ちゃんって、アホだな」
「え?」
 あっけらかんと、そう言うのだった。京太郎は優しく笑みを作ってから、続ける。
「嫌なら嫌って言って良いんだよ? 窮屈だったら言って良いんだって。――――皆が皆菫ちゃんみたいに頭いいわけじゃないんだから、言わなきゃ分かんないからさ」
「お前は……」
 途端、優しさの前で菫は分からなくなる。
 お利口こそ、優れた処世術。それを信じて満点をばかり貰っていた菫。
 けれども、そのための我慢をアホらしいと彼は言った。そんな文句に、ぐうの音も出ない自分に気づいた菫は愕然とする。
 自分に素直なだけで、磨かれてもいない。しかしなるほど、これは。
「大器、だな」
「おじい、様……」
 それを眺めていたばかりの老人が、輪から一歩進んで京太郎を一言で語った。
 それが自分の祖父であることに気づいた菫はそちらに顔を向けるが。その厳格を前にしたまま、何一つ気負うことなく京太郎は言った。
「たいき? 俺は京太郎って名前だよ、おじいさん」
「ああ、なるほどなあ。ワシの孫娘をよろしくな、京太郎」
「うん!」
 そして、平素から眼光一つで大人を震え上がらせる翁をその仕草一つで微笑ませる。
 なるほどこれは、見誤っていた。小さいものはどちらだったのか。彼女が今も眠りの中で彼に縋っているその理由もまたよく理解できて。
 菫は、吹き出す。
「ふふ、あはははは!」
「菫ちゃん?」
 何も分からずに首を傾げる京太郎の前で、菫は思う存分に笑んでから。
「はは……よろしくな、京太郎」
 ただ、それだけ言った。
 龍門渕透華は、須賀京太郎のことが好きである。
 弘世菫もまた、須賀京太郎のことが好きである。
 そんなことが広く龍門渕に弘世の家に縁のある家々に知れ渡るのに時間はかからなかった。そして、両家が本気で彼を囲おうとする動きもまた、迅速極まりないものだったのだ。
「え? 婚約? そんなの俺には早すぎるって! しかも相手透華おねーちゃんに菫ちゃんって……俺たちが仲良くしてるからってなんでもくっつけようとすんなよなー、大人たち」
 しかし、どうにも世間とズレている京太郎はそんな本気を本気にすることなんてなかった。京太郎は須賀京太郎のまま、年上彼女たちと親しむ。
「京太郎! 誕生日プレゼントですわ! その、プレゼントは……わた」
「あ、透華おねーちゃんも来たんだ。いや、ついさっき菫ちゃんが来てさ」
「失礼している……それにしてもプレゼントがどうのこうの言っていたが……そのまるでラッピングされているかのような衣装はひょっとして?」
「な、なんでもありませんわー! 私を京太郎に貰ってもらおうなんていう魂胆なんて、ありませんの!」
「あ、解けた」
「脱げたな……」
「きゃあっ、二人共凝視しないで下さいな!」
 大人しく言祝ぐよりもと、京太郎は菫に透華に全面の親愛を受ける。
「よしっ。折角だし、皆で遊ぼうぜ!」
「……仕方ないな」
「ま、待ってくださいまし! せめて運動できるような格好に……きゃ、いつの間にか服が替わって……ハギヨシ、ナイスですわ」
 そして、次第に彼らの喜色は飛び跳ねた。
 遊び戯れることこそ子供の全力。得意と得意を擦れあわせ、三人はきゃきゃあ高い音色を響かせる。
「はは……楽しいな」
 そんな稚さの中で、微笑むこと。そのあまりの楽しさをはじめて知って、ますます彼女は彼に傾倒することとなった。
「やあ、菫……さん」
「ん? どうした京太郎? 私のことは前のようにちゃん付けでも良いんだぞ?」
「いやさ……最近ハンドボールのクラブチームに入ってさ。上下関係っての教わったんだよ」
「だから、二つも年上の私に礼儀を払わなければと思ったのか? なら、それは間違いだ」
「間違い?」
「なに、私と京太郎との仲には親愛以外が入る余地なんてないさ。むしろ、もっと私に寄りかかれ」
「うわぁ、菫ちゃんめちゃ格好いいな。流石はふた桁もファンが居るだけはあるなあ」
「お前は口が裂けても私を可愛らしいとは言えないのか……あと、ファンは最近三桁になったようだな……」
「おぉ……」
 そんな中、どうにも先達として立ちたがる菫に京太郎が気を引かせることがありもしたが、それも一言で解消。
 嫌に女性人気がありすぎる、そんな菫のどうしようという本気の相談を京太郎が聴いたりもした。
「差し入れを断るのも大変でな……断るのは一言でいいが、彼女らの手作りの苦労を思うと心苦しい」
「あのさ。前にも言ったけどさ……そもそも付き纏われるの嫌だったら止めろって言ってもいいんだぞ? 人を想うってのも限度があるって。菫ちゃんって嫌でも平気な顔してることあるからさ、心配だ」
「……そう見えるか?」
「好きなことだけしろとは言わないけどなぁ……俺は嫌なことに慣れるのも良いことじゃないと思うんだよな。ハンドやっててつくづく思うんだ」
「そうか……嫌なら止める……」
 そんな、風にして付かず離れず。周囲から見れば驚くほど奥手な交流は続くのだった。
「にしても、京太郎はヘボだじょ……どうしてあそこでドラの四索が切れたんだじぇ?」
「いや……正直俺も悩んだんだけどさ。チャンタに三色同順があるからもう無理に持ってなくても良いかなって……」
「それで京ちゃん、染谷先輩の清一色に振り込んじゃうんだから……後ろであーってなったよ……」
「染めてたんだって後で気づいたんだよな……正直俺、あの時優希とかの捨て牌とか見てなかったわ」
「染谷先輩もわざとミエミエにやってくれてたのに……やれやれだじぇ」
「マジか……うっわ本当に格好悪いな、俺」
「ふふ。役を作るのに懸命になりすぎてしまうのは初心者にありがちなミスですから、これから気をつけていけばいいと思いますよ?」
「おぉ……俺に優しくしてくれるのは和だけだな……これからもお世話になります、和先生!」
「えっと、先生ですか? それは、その……」
「もう、京ちゃんったら和ちゃんに変なこと言わないの!」
 そして、高校に上がり、なんとなく懇意にしている年上女子ふたりがハマっている遊戯に触れることで、京太郎はいち麻雀部員として清澄の地にて日常を謳歌することになる。
 どうしてか男子が一向に入ってこない麻雀部にて、京太郎は当たり前の交流を楽しんだ。ここでは金持ちの息子でもハンドのエースでもなく、むしろ曰くただのヘボ。
 一般家庭と言いながらカピバラを飼っているということに和あたりには違和感を持たれたが、それくらい。少年はそのまま平凡に浸ることで、大器を忘れる。
「良かったな。京太郎」
 勿論、彼女たちはそれを忘れることなんてなかったが。
 それは、ある日。
 京太郎が麻雀をはじめたということを喜んだ透華が衣ハウス――少女を閉じ込めるような動きはもうなく、ただの遊戯場と化している――にて衣と透華、ハギヨシとで彼から点棒をこれでもかと奪い去った後のこと。
 暮れかけの空の下、仲のいい《《普通》》の友達と遊ぶ衣を背景に、幸せいっぱいな透華は感極まる。京太郎のその手に抱きついて、彼女は告白した。
「京太郎! その……好きですわ!」
「ん? 俺も透華姉ちゃんのことは好きだぞ?」
「鈍感!? いえ、そっちの好きではなくてですね……その、恋愛的な好きといいますか何と言いましょうか……」
「恋愛って……透華姉ちゃん何変なこと言って……」
 本当に、変なことだと、京太郎は思う。自分との間には既に確かなものがある。
 お互い好きであり、それでいい。それを越えて貪り合うことなんて、はしたないことだ。
 そんなことを、京太郎は幼心に誰かに聞いていた。真心に似せた毒。大器はそれを飲み込み、歪んでいた。
 受け取りきれずに惑う少年。しかし、想い募らせた少女は頑強。真っ直ぐに、彼女は彼のためにも続ける。
「いいえ、私は決しておかしなことは言っていませんわ。恋愛は京太郎、あなたが思っているよりよっぽど当たり前にあって良いものです。それを否定するのは怖がりというものですわ」
「そう、なのか……」
「ええ。それで京太郎。勇気を出して教えて下さいな。――あなたは誰が、一番好きなのですか?」
「えっと、その……」
 少年は、困る。傷つけたくはない。けれども。
 どうしてだか《《これまで知らない間に何度も言い聞かせられたか》》のように、口は勝手に開いて、あっけらかんと答えを口にした。
「菫ちゃんだけど」
 平らに、まるで嘘のような。けれども、それは本心でもあったのだ。
「はは……」
 それを盗み、聴いていた彼女は笑う。
 近く、京太郎に対する愛のみを好きとして、それ以外の全てを嫌って捨てた少女は。
「本当に、私はアホだったな」
 残骸となってしまった富貴を思い出しながら、ありきたりな涙を一つ零す。
「それでも、私も好きだよ、京太郎」
 言葉に震え、ごく小さな居の中彼の画で造られた闇にて、彼女は再び昏く凝った。
 尭深さん
 渋谷尭深といえば、麻雀の高得点プレイヤーとして有名である。
 あの、宮永照の居なくなった白糸台にて大輪を咲かせ、三年時には最多得点記録を更新するに至った、強者。
 生来からの大人しさと優しさが溢れる、どこか押しの弱そうな見目に反してのその実力に、ファンはそれなり以上に多い。
 とはいえ、それに無自覚でのんびりと過ごしてしまうあたりもまた、らしいといえばそうなのかもしれなかった。
 半ば押し付けられるように渡されたファンレターをその手に、困惑した様子で尭深は言う。
「……まさか、バイト先でこんなの貰うなんて思わなかったね」
「いや……尭深先輩なら納得ですよ。なにせこの前も、麻雀雑誌の表紙飾ってましたし。大学生でっていうのあまりないみたいですよ?」
「あれは……宮永先輩が忙しかったみたいだから、その代打。高校の縁でカメラマンさんが知り合いだったから、受けたの」
「いや、プロの代わりになれるっていう時点で凄いことに気づいて下さいよ……」
 尭深にとっては見上げる長身である京太郎が、肩を下ろしてがっくり。
 美人で、謙虚。長じた部分に無自覚な先輩に、彼はたびたびそのアンバランスさを不安がる。
 自己評価があまりに低すぎて、これでは悪い奴だってそれを良いことに関わりを持とうとしかねない。
 沸き起こる庇護欲――危なっかしい幼馴染とこの頃随分と疎遠になったためか――をくすぐられた京太郎は、本屋のバイトで偶々顔を合わせた知り合いなだけの少女に構いたがった。
 しかし、そんな青年を見て、尭深は口角が上がることを禁じえない。ファンレターを店名がプリントされたエプロンに入れながら、彼女は笑う。
「ふふ……」
「どうしました、尭深先輩?」
「京太郎君って、心配性だなって思って。大丈夫。私だって自分が有名だってくらい分かってるよ?」
「いや……それでは足りないかと」
「足りないの?」
「ええ。それだけじゃなくて、尭深先輩がどれだけ魅力的なのかっていうのもまた……と」
 有名の自覚。しかし、それでは足りないと京太郎は熱弁しようとして、ようやく彼も二人の間に失われつつある距離に気づく。
 それは、聞くふりをしてどんどんと尭深が寄ってきていたことが原因だ。
 柔らかな笑みに、崩れきらない整いが眩しい。吐く息が、互いにかかりそうだ。
 これほどまで近寄って気にしないなんてあまりに無防備、とは思う。直ぐに注意したくはあった。だが京太郎も男である。
 可愛い女の子をいたずらに突き放すような気にはどうしてもならず、なにも言えずにしばし。沈黙を笑顔で飲み込んだ尭深はそして。
「ふふ……私って、そんなに魅力的?」
 そう、言った。
「美味しい?」
「はい! いや、正直お茶の良し悪しはよく分かんないんですけど、尭深先輩に淹れてもらうとなんか……ほっとしますね」
「ふふ……それは良かった」
 一人のためのアパートメントに、二人。京太郎は尭深のもてなしを受けて、ほころばせる。
 青年の本心からの褒め言葉に、笑みを続ける尭深。じっと彼を見つめる彼女はメガネの曇りすら気にならない。
 年離れた妹を郷里に置いて、一人暮らしはちょっとさみしいというそんな言葉。
 それを本気にした京太郎は尭深のアパートに顔を出すことをいとわなくなった。はたしてどっちが危なっかしいのか、とは彼女の思いである。
「緑茶って良いですよね……これまでペットボトルでばっかりでしたけど、尭深先輩の注いだのを呑んだらなぁ。うーん……後で急須買おうかな?」
「良かったら、お家から持ってきたお古があるんだけれど……どう?」
「良いんですか? いや、でも……」
「ううん。使わないのは勿体ないから。それに、どうせ安物」
「そう、ですか……なら」
「ん」
 短い返事を置いてから、とたとたと歩んで奥に消えた尭深はそのままごそりごそりと、戸棚を漁りだす。
 尭深には趣味が四つある。麻雀に読書に園芸。そして、お茶入れだ。
 麻雀が殊更達者であるが、それ以外の趣味もどれも熱たっぷりに入れ込んだもの。
 高校時代それらの趣味は、メガネを友にするくらいにのめり込んだ読書は少しポンコツな先輩との話の種になったし、唯一の日を浴びる趣味の園芸はそのため虫に慣れていたがためによく同級の少女の趣味である釣りに連れて行かれる原因となった。
「ぐぅ……」
「ふふ」
 そして。今回も趣味のお茶入れは働くこととなった。どうしてこの後輩は、お茶を呑む度に寝入ってしまうおかしさに気づかないのだろうと、尭深は微笑む。
 そう、京太郎は尭深の家でぐっすり。ソファに倒れ込んでよだれを垂らしている。その前のテーブルに探し出した、二桁万円はする茶器をそっと置いてから、彼女は彼に顔を寄せる。
「ん」
 そのまま、尭深は京太郎に口づけた。そして、口の端に流れる液の後を這わせるように彼女は舌で撫で、もう一度唇に唇を寄せる。
 そしてそのまま口内に舌を入れた。
「んぅ」
 舐る。いやむしろ食むような勢いで彼女は彼を味わった。
 しかし、どうしようもなくそれは柔らか。花を弄るような愛を持って尭深は京太郎を愛する。触れる離れる、その程度の快感ばかりで決して達さない。
「はぁ……」
 だからこそ、これ以上はとてもではないが了承のない今ではとても出来やしないのだ。
 もっと己を刻んでみたい。でもしかし。そんな葛藤は彼の呑気な寝姿にて急速に収まっていく。
「……ちょっと、苦い」
 唇をぺろり。彼にあげた茶の苦さを味わって、尭深は再び微笑んだ。
 ああ、可愛い。食べちゃいたいな。
 そんな想いは決して口から出ない。
「っ……うわっ、ひょっとしてまた俺、寝てました?」
「うん。ぐっすり。……バイト帰りだったし、きっと疲れてたんじゃないかな?」
「それなら、尭深先輩も同じじゃないですか……うわ、情けないな、俺。体力どんだけ落ちてんだよ……最近多いな、こういうの」
 起き抜けに、全身のダルさを覚えながら落ち込む京太郎。微笑む尭深はその横で、もう少し頻度を落とさないといけないかなと冷静に考える。
 それもそうである。未だ彼に感情の芽しかなければ、収穫には程遠い。拙速にも少し味見してはいるが、しかしそれで鮮度を落としてはいけないのだ。
 恋愛。それは尭深にとって花ではない。糧、なのである。だからこそ、彼女にとって彼は必要なものだった。
 そっと急須を入れた袋を胸元に持って京太郎に寄りながら、尭深は言う。
「情けなくてもいいよ」
「そうですか? いや、流石に迷惑ばかりかけて申し訳ないなと……」
「迷惑をかけても、いいよ」
「そんな……」
 懐の深さにますます恐縮する京太郎。そんな彼に、尭深は。
「それまでどんな労があったって、収穫は喜びでしかないから」
 ほそくほそく、目を細めてじっと見つめながら、そう微笑むようにして真顔で言うのだった。
 花枯れた後に、実はつけるもの。それをもぎ取ることは彼女にとって。
 誠子さん
 亦野、といえば我々のような釣りを趣味にしている人間にとっては実に馴染みの深い名字であるかもしれない。
 その辣腕にてルアーフィッシングを日本中に広めた亦野●●――執拗に塗りつぶされていて読めない――と、その息子日本全国津々浦々の大魚を平らげたとすら言われるテレビでもおなじみの彼、亦野○○――名前の部分が破り取られている――はまことに有名だ。
※ハサミが入れられ一部綺麗に切り取られた痕がある
 そしてこの写真の彼女、亦野誠子は彼らの血を真っ直ぐに引く、しかし高校女子麻雀界のホープとしてその界隈にどっぷり浸かっている、そんな子だ。
 筆者からすると、小さい頃に〇〇氏が連れ歩いていた、あの可愛い誠子ちゃんが大きくなったものだなと感慨深いが、しかし知らない読者諸君にとっては急に釣り雑誌で麻雀女子の紹介をはじめてどうしたの、と思われてしまっても仕方がないかもしれない。
 とはいえ、その麻雀のスタイルを見てみると、我々釣り人にとってきっと無視できるものではなかったりもするのだ。
 ポン、チーと鳴いて牌を河から釣り上げ誰よりも早く和了る、そんなスタイルで彼女は麻雀界の強者として君臨しているんだ――どうだい、麻雀を知らないフィッシャーな君も、それを聞いたらたまらないなと思ったりはしないかい?
 誠子ちゃんには否定されてしまうかもしれないが、我々からすると亦野家の血というものをその闘牌からはひしひしと感じ取れてしまう。そうなると、贔屓する気持ちがムクムクと湧いてきてしまうものだ。
 今回は前回予告していたチヌ釣りのイロハについてのものではなく、白糸台のフィッシャーとして名を上げているそんな誠子ちゃんを応援する記事になる。
 編集長の説得には苦労したものだが、今号が誠子ちゃんが挑む第71回全国高等学校麻雀選手権大会が始まるちょうど前に出回るのであれば、応援のためにもねじ込まざるを得ないだろう。
 それでは……―――――以下に続くだろう文章は強い力で破かれて損なわれている。
「はぁ、はぁ……クソッ」
 自分が悪い。そんなことは分かっている。だから、我慢できるとは思っていた。しかし、そのせいで先輩が悪し様に言われてしまったら。真っ直ぐな性根をした彼女に我慢など出来はしなかった。
 どうでもいい嫌な女子たちに掴みかかって、暴力沙汰。そして停学。しかし家の中にじっとしていられず、今逃避のようにただひたすら駆けている。
 端的に、亦野誠子は荒れていた。
「私が、弱いせいで……」
 口に出しても、弱いというそのふた言が信じられない。そんなことを自分に思ったことなど今まで誠子は一度もなかった。
 頭は悪くないし運動神経だって抜群、そしてこと釣りをしてみれば祖父と父親に褒められるほどの釣果を上げてばかり。そして、そんな釣りの得意を麻雀という土俵に持ち込んでみたら、群を抜いた。
 強豪白糸台であるからこそエースになりきれないが、全国の代表校のエース達と戦ったって自分は引けを取らない―――そんな自信も、たしかにあったのだ。
「でも、私のせいで白糸台は、負けた」
 そうではないと、優しい人達に何度言われたことか。けれども、影から投げかけられた心無い言葉は胸元に刺さったまま抜けてくれやしない。
 まるで自信と共に温かいものすべてがどんどんとその傷から抜けていくような感覚。
 ひょっとしたら、先輩への文句に崩れてしまったのも、この冷えこそが原因だったのかもしれなかった。
「寒いな……」
 彼女ほど髪短ければ、雨粒の冷たさだって感じ取りやすい。
 何時の間に空まで泣き出していたのだろう、誠子はすっかり濡れていた。
 震えすら、もうない。それどころでどうにかなる域ではない、凍えによる血色の悪さが顔にまで出ている。
 気づけば足取りもふらふらだ。前に進もうとして、よろよろ。ガードレールにぶつかった誠子は、そのまま寄りかかって、その先を見つめた。
「汚い、な」
 見て取れたのは、臭ってこないのが不思議なくらいに汚れた川。濁りの中に雑多が捨てられていて、大きな何かのスポークが川底から顔を出しているのが分かる。
 こんな中でも、しかし魚はいた。汚泥を啜って、彼らは生きている。そんな生き方に彼らは最適化しているのだけれども。
「可哀想、だな」
 どうしてか、誠子はそこに自分の末路を重ねてしまう。そんな不味いもので生きるくらいならいっそ。
 そう思った彼女はいつの間にか沸き起こっていた熱に浮かされながら、口を開いた。
「そんなヘドロより私の血の方がきっと、美味いぞ?」
 そして彼女はガードレールの上に登り、そのまま。
「危ないっ!」
 突然現れた彼の抱擁によって、引きずり降ろされるのだった。
 彼――京太郎――は自分と同じようにずぶ濡れで、しかしそんなことはどうでもいいとナニかを終わらせるためにともがく誠子を必死で捕まえる。
「っ、駄目ですっ……どうしてこうなってんのかは、よく分かんないですけど……飛び降りるとか、駄目ですって」
「駄目って、誰が決めたんだっ、私なんか……私なんか……」
 もがいて、熱い。そして抱きすくめられて、燃えるようだ。
 そのまま嫌だ、逃さぬを繰り返し、解けて脱げて、すっかりもみくちゃになった誠子と京太郎は、次第に動けなくなる。
「どうして……」
「はぁ、はぁ……どうしても何もありますか……」
 ただ力強く抱く彼の必死を肌で感じるばかりになった誠子は、京太郎のその目をその時はじめて見た。
 そこにあったのは燃えるような、そんな意思。彼は、彼女のために心から言う。
「まだ、何もはじまっていないのに、終わるなんてナシですよ」
 そうして安心してもらうためにと笑んだ京太郎のことが、誠子にはとても眩いものに見えたのだった。
「ま。そんな言葉に私がまんまと釣られて、今があるってわけか」
「いや、それじゃ俺がいやらしい人間みたいじゃないですか……当時、そんな他意はなかったですよ?」
「なら、今はあるんだな、良かった」
「はぁ……」
 飄々とした恋人の言葉に、あの日のしおらしさはなんだったのかと、思う京太郎。
 彼のため息を他所に、誠子はにこりとしながらココアをずずと啜った。
 須賀家の広い一室。京太郎のためにとあてがわれた部屋にて、当たり前のように誠子は寛いでいる。
 まあ、それも当然のことか。京太郎と誠子が付き合っているのは須賀家亦野家の公認。子供だけは焦るなよとは、誠子の父親の実感篭もった一言だった。
「いや、それにしてもあの日、京太郎たち清澄麻雀部が東京に来ていなければ私も危なかったな。なんだっけ、宮永先輩と咲ちゃんの仲直りを見届けるために、部の総出で来てたとか何とか」
「実際のところ大会の時は麻雀漬けで周れなかった東京観光も兼ねてたんですけどね。咲は私のために皆過保護だよって苦笑いしてましたが……結果的には良かったです」
「私が家から出たことを父さんから聞いた宮永先輩が、その場に居た清澄の皆の手を借りることさえなければ、私は今は川の底かな」
「あの時は照さんも慌ててましたよ……いや、だから助けにならなければとより必死になりましたが……それで結局誠子さんを俺が脱がしていたように勘違いされて散々な目にあったのは残念です」
「ふふ。私が寝込んでいる間に、そんなことがあったのか……よいしょっと」
 微笑みで話は一段落。そして誠子はふかふかベッドから腰を上げる。彼女はそのまま、扉へと向かう。
「どこへ?」
「いや、京太郎の分のココアを淹れようかと思って」
「あー……よろしくお願いします」
「ん」
 返答は短く。そして、誠子が帰ってくるのにばかりは少し時間がかかった。
 その間、京太郎は思う。どうにかして、誠子を以前のようにとまではいかなくても好きだった麻雀と向き合えるようにはしてあげたいな、と。
 とはいえ、そんな以前から考えていた解決策の思いつかない問題の妙案を、短時間で浮かべるのは無理なこと。
 とりあえず、誠子の笑顔が再び浮かべることが出来るようになった笑顔を大切にと思うのである。京太郎が戻ってきた彼女から受け取って飲んだココアは、とても温かかった。
「ふぅ……美味しいっす」
「それは、良かった」
 本当に、良かったと誠子は思う。心配だったけれども、美味しいのだ。ならもっと彼のためにも、と絆創膏の付いた指先を弄る。
 京太郎は、そんな彼女の人差し指に気づいて、問う。
「そういえば、その指先……何時の間に怪我したんですか?」
「なんでもないよ……そんなことよりココア、冷めちゃうよ? せっかくだからなるだけ美味しいうちに飲んで欲しいな」
「それはそうですが……誠子さん、怪我には気をつけて下さいよ?」
 京太郎のその心配は本心から。けれども、その心はもう決して届かない。
 だって、誠子は今気づいてしまったのだ。こうすれば、自分を慮ってもらえるし、何より――――美味しいと言ってもらえる。
「ふふふ」
 返事の代わりの笑みに、京太郎は大丈夫だろうと勝手に納得する。
 しかし、折角釣ったんだ逃す気がないのなら食べてもらわないとね、と誠子は心のなかで言葉を転がすのだった。
 淡さん
 大星淡は、星星が好きだ。
 太陽はおっきくてあったかいし、月は満ち欠けが綺麗。地球だって、とても大切な私達の世界だってことも分かっている。
 しかし、夜空というカンバスに思うがままに光を散らしたかのように細々とした星星一粒一粒こそが、淡にとっては空を見上げる一番の理由だった。
 キラキラ、星星は届かない。光り輝く全てはただひたすらにキレイなだけ。けれども、だからこそ愛おしかったのだ。
「だって、手を伸ばし続けたくなるじゃん。好きなの。須賀だって好きな人の名前くらい覚えてるでしょー?」
 須賀京太郎の、どうしてそんなに星のことばかり諳んじれるんだ、という質問に対して淡はそう答えた。
 天の川より大いに光を孕んだ彼女の瞳は希望にきらきらと零れんばかりに輝く。
 思わず見とれた京太郎だったが、しかしこの《《中学からの馴染の少女》》が、ポンコツであれども魅力的であるのは何時もの通り。
 今日も今日とで淡は我が道を往く。授業中に騒ぎ出した彼女にまたかとため息をついた教師の表情にも気付かずに。
「たとえばねー、このはくちょう座にある星なんてとんでもないんだよっ。太陽なんて千六百個並べたってダメでさあ……」
「あー、そうか……」
 何やら図鑑を取り出して、ベテルギウスだのUY星だのの魅力を語り出した、その新たな一面に京太郎は藪をつついてしまったかと反省。
「一等星くらいは須賀も知ってるよね? たとえば星座から一等星がなくなっちゃうと寂しいものだけど……まあ、光り輝くばかりが偉いってわけじゃないの。それでね……」
「あ。そっか」
「え?」
 愛しのアイドルを語るかのように頬を染めながらよく分からないどうでも良さそうな星星の詳細を流暢に語る淡に、しかしふと彼は思う。
 そして、思いついたことはそのまま口にしてしまうのが、よくも悪くも京太郎らしさ。
 まるで名案を口にするかのように、彼は身を乗り出してきた話し相手に目をパチクリさせる彼女に、言った。
「そんなに好きならさ、部活創っちまおうぜ」
「創る?」
「おう。この学校って天文部、確かなかったよな。でも、創部が禁止ってことはないだろうし、淡だってそろそろ勧誘され続けんのも嫌だろ?」
「創部かぁ……しかも天文部。なにそれ、面白そー!」
 感激に淡は、何やらわさわさとそのふわふわ長髪を興奮させる。
 現段階で、彼女は届け出やら必要な部員数などの面倒は考えていない。星を見上げる時間が増えるかもしれない、そのことにばかり目を引かれて枝葉末節はもはや脳裏になかった。
 気分屋なところがあり好きなもの以外に目もくれないために部活動とは疎遠な一年生である淡と同じく部に入っていない京太郎は、続ける。
「ああ、そうだどうせなら俺も部員にしてくれよ?」
「えー……別にいいけどさぁ……須賀って星のことそんなに興味なさそうじゃん」
「とはいえ、他に興味があるものだってないし……それに、俺も一々運動部に勧誘される度にケガのこと話さなくていいっていうのは楽だしな」
「あ……」
 淡は、素直に目を伏せる。
 京太郎には現在興味あるものがない。それはそうだろう。何しろ、今彼は中学の三年間をかけて努力した大好きなハンドボールが怪我によって出来なくなっているのだから。その右手がもう肩より上がらないことを、彼女は知っている。
 淡は思う。もし、自分から星が取り上げられてしまったら、そんなの泣きたくなるくらいに悲しいことだと。
 優しい彼女は少し涙ぐんでしまったが、そんなのを無視して努めて明るく、京太郎は言うのである。
「それに何より、淡と一緒に居たら退屈しないだろうからな」
「……ふふんっ! それはそうだっての。淡ちゃんは凄いからね。面白さだって高校100年生分くらいはあるんだから!」
「高校100年ってどんだけ留年して老成した面白さだよそれ……っと」
「もー、揚げ足取らないの! あのねっ」
 雑にツッコミを入れる京太郎に、それでも淡は元気全開のなまま。
 そしてブレーキ知らずの状態で、授業中だということすら忘れて叫ぶのだった。
 だって、ふわふわ空の上ばかり見ていたばかりの淡は、右も左も分からない。だからこそ、これからも彼に頼るためにと大胆なことを口にする。
「とにかく須賀は私と一緒にいればいいのっ!」
 完全にカップル認定された京太郎が頭を抱えることになった、そんな原因の一言を発した淡は、まるで恒星のように光り輝いていた。
「ふぅん。それで、天文部を創部できなかったからって文芸部に入ってきたんだ……君たち面白いね」
「ほら、須賀ー。先輩にも面白いって言われたよ! これは私の高校100年生分の凄さが出ちゃったかな?」
「いや、淡は喜んでるけどこれ多分褒められてないぞ?」
「ううん。褒めてるよ」
 古い本の山の側にてパイプ椅子に座りながら訳されていない本を読む、大人しい女子生徒。
 いかにもな文芸部らしさがある光景を前に、しかし京太郎と淡は何時もの通り。話を大人しく最後まで聞いてくれた文芸部の三年生――宮永照といた。文芸部唯一の部員らしい――は、そんな二人を《《鏡》》と実の目で認めてにこりと微笑む。
「それじゃ、淡ちゃんに京……ちゃん。よろしくね」
「こっちこそよろしく、テルー!」
「いや、どうして俺まで先輩に最初からちゃん付けなのか分かりませんし、淡は相変わらず軽いな……」
「ごめんね。京太郎って意外と呼びづらくて……噛みそうになったから、京ちゃんにしたんだ」
「可愛い理由ですね……淡と一緒で須賀呼びでいいですよ?」
「それはフレンドリーさに欠けると思う。京ちゃんも照ちゃんって読んでいいんだよ?」
「分かりました、部長」
「がーん……」
「あー、須賀がテルーをいじめた!」
 素直にぷんぷんぎゃーぎゃー言う淡の隣で、京太郎は宮永照のおかしさを見つめる。
 普通ならこんなに拙速に距離を縮めようとしてくる下級生なんてうざったがられるのが然り。
 それをこうも《《当たり前のように受け容れる》》なんてよほど器が広いのか、或いは何か裏があるのか。
「いい子たちだね」
 まるで大切な一つ星を庇うかのように隠れて真剣にしている京太郎を認めた照は《《改めて》》そう思うのだった。
 その後。
 照が独り持て余していた部費を使って購入した望遠鏡で揃って星を見上げたり、天球模型を持ってきた淡が京太郎にクイズを出すのを趣味としたり、大人しく三人で本を読み耽ったり。
 そんなこんな日々を送ってから、最近ハマったのだと言って麻雀牌を持ってきた京太郎が三麻をやってボロボロに負かされたことがあった。
 明らかに手加減をしていた照に、教本を持ってあーだこーだ言っていた淡にまで完封された京太郎は、絞り出すように言う。
「はぁ……麻雀強いのな、二人共」
「それはもう私は……」
「高校100年生だから、か? まあ淡は適当にやって和了ったって感じだけど、部長は凄いですね。無駄がないっていうか何というか……上手でした」
「うん。でもこれは昔とった杵柄」
「はぁ……麻雀部に入っても活躍できそうな感じでしたけど……」
「私は麻雀それほど好きじゃないから」
「なるほど」
 京太郎は、その言葉に納得を覚える。好きと得意が違うなんていうことは当然のようにあり得ること。
 それに何しろ、宮永照という少女は淡々と――ときにダイナミックに――打牌をする先の姿よりも、静かに本と親しむ姿の方が似合っていた。
 また、正直に言えば照が麻雀部に行ってしまうと、とても寂しい。このぽんこつ2(1?)号な先輩のことをすっかり好きになってしまったことを、京太郎は感じるのだった。
「んー……でも、私はちょっと麻雀に興味あるかも。いっそのこと、麻雀部に殴り込みをかけてみて……」
「止めたほうがいいかな」
「部長?」
 反して、麻雀というものに興味を持ち始めた淡は、実力を確かめたいとそんなことを言ったが、照に止められる。
 頬を膨らまして、淡は反発した。
「えー、多分だけど、私きっと負けないと思うよ?」
「うん。私も負けないと思う」
「なら……」
「だからこそ、止めたほうがいい。勝ち続けて……でもそこには京ちゃんを連れていけないよ?」
「須賀を? ……ふーん」
 訳知り顔で、不明なことを述べる照。どういうことだと考える京太郎に、しかし淡は特に悩むこともなく答えを出す。
 あっけらかんと、笑って。少し瞳の輝きを曇らしながら、淡は言った。
「なら麻雀なんて止めよっと」
 そうして遠く旅立たずに。だから、彼女は今日も星を見上げる。
「ねえ、京太郎」
「どうした、淡」
「もしもさ、私が遠くに行っちゃったらどうする?」
「そりゃあ当然、付いて行くに決まってるだろ」
「それが出来ないなら、どうするの?」
「出来なくても、どうにかするさ」
「ふーん。頑張るんだ。私のために必死になるんだね――――私には、それが嫌だったんだ。京太郎にはね、ずっと笑っていてほしくって」
「あは。そのためなら、私に翼なんて要らないんだ」
 そう。彼女は今日も、彼のために背中の痛みを我慢し、笑うのだった。
 しゅらば
「分かった気に成っているだけ。照、お前はそれだけが得意か」
「菫……どういうこと?」
「何、須賀君に対してもそうだが、お前は慌てなさ過ぎる。それはきっと、致命的な失敗をするまで変わらないのだろうな」
「……京ちゃんに、何かしたの?」
「何もしていない。だが……馬脚は現れたか。ふん。その険を持った表情のほうが、宮永照らしい」
「そんな菫は、あんまり余計なことをしない方がいいと思うけど」
「つまり?」
「きっと京ちゃんはうざったいと思ってるよ」
「ふん。お前のほうが余程うざったいと思われているだろうがな。所詮お前は宮永咲の代わりだ」
「何者にもしてもらえてない菫がよく言うね」
「下らない。そこは、何者にもしてもらえると言いかえるべきだな」
「……つまらない人になっちゃったね」
「お前こそな」
「どうしても、彼には私が愛されるよね」
「よくそんなことを言えるなぁ、尭深。ただ京太郎に親切にされているだけだってのに」
「粗雑に扱われている人が自信を持てるのが私には不思議だけれど」
「壊れ物を扱うように、っていうけれど実際はもう壊れているのにな。京太郎もよくこんなのに付き合ってられる」
「大雑把だから触れやすいのだろうけど、中身が不細工じゃ彼には似合わないよ?」
「こんだけ恋して綺麗なままでいられるって思えるあたり尭深も夢見がちだな」
「綺麗でありたいというのは女子の当たり前だよ? それとも誠子は女の子じゃないの?」
「ああ、男子だったらそれはそれで良かったかもな。京太郎をむちゃくちゃにしてやれる」
「彼が可哀想。自慰に使うためにしか想われていないなんて」
「ああ、京太郎が可哀想だな。触れることすら出来ない臆病者の相手をしないといけないなんて」
「……いなくなればいいのに」
「そればっかりは同じ意見だな」
「キョータロー……あれ? その女、だれ?」
「ああ、この人は白糸台OBでプロの……」
「ねえ、どうしたの? おかしいよね。まだ部活の中で目移りさせるのは許せるよ? でもそれ以外の場所で私以外の女子を気にするなんて変。どこか頭ぶつけたの? それとも……うん。そうだ。その女が悪いんだ。間違いないよ。目つき悪いし。キョータローを誘惑するなんて許せない、どうしようかな、どうしようかな……」
「……淡」
「なに!? キョータローの言う事なら私、なんでも聞いちゃうよ? 恥ずかしいことはちょっと嫌だけれど、でもそれがいいかもしれないし……」
「ハウス」
「分かった! 先に帰ってるねっ!」
「はぁ。大変だな京太郎」
「……分かりますか」
「ああ。お前は既に私のものだってのになぁ」
「……へ?」
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ヤンデレ白糸台
初公開日: 2021年02月09日
最終更新日: 2021年02月10日
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咲の京太郎くんのカップリング系の二次短編を書いているのですが、その中のヤンデレシリーズのひとつです。
白糸台高校ですねー。