ヤンデレ宮守
白望さん
時の流れに急かされて、人は生きるために動かなければならない。だが、小瀬川白望はどちらに進むべきかすら迷う時がある。いや、それどこか踏み出すべきか否かすら。
ただの違和感。しかし捨て置くのは何かが、違う。そして、悩みに悩んだあげくに彼女は先のモヤの中からしばしば輝石を拾うのだった。
「ダル……」
しかし、光を梳いて白く輝く癖髪を掻きながら白望は自分のそんな特異に対してそう零してしまう。
そもそも面倒くさがりな彼女は、悩むことが得手ではない。本当ならばどうでもいいやと思いたいところ。
けれども、時に迷った方が好転する、そんな持ち前のオカルトに助けられたことは数知れない。
だから、今日も白望は仕方なしに悩むのだった。自販機の前でアップルティーか、それともミルクティーか、決めきることが出来ないままにしばし気怠げに立ちすくむ。
「どっちでも、いいんだけれどなぁ……」
緑茶派な白望にとって、紅茶は茶葉どころかフレーバーにおいてすら好みはない。故に、どちらを選んでも満足度には大差はないだろう。だから、ここで無闇に悩んでいるのはただの時間の無駄に思えてならなかった。
どちらにしようかな。どうでもいいの中の一番を見つけるのは存外難しかった。
けれども、そんな風にして動かず時間を潰していたからこそ、偶々に彼に出会えたのは間違いない。遠慮がちな声が白望にかけられた。
「迷い中ですか?」
青年と少年の中間。声変わりしきらない男の子の声色。なんとなく、良い声だなと思いながら白望はゆるりと振り返る。少し見上げてからそして年下の顔を見て、首を傾げる。
彼女は何かどこかでみたような顔だな、と思ったのだった。
「ん……まあ。どっちがいいかって」
しかし、そんな感想なんて面が気怠げに固定されている白望はおくびにも出さない。まあ、他人のそら似だろうと、深く考えることなく自販機の隣り合った二つを右から順に指さし雑に返答を置く。
そっけない応答。愛想の一つもない態度に、拒絶の意を感じる人も多いだろう。
けれども彼――須賀京太郎――は違った。むしろ面白そうにして、会話を続ける。
「そうですか。なら……両方とも買ってみませんか?」
「……どういうこと?」
「いえ、実は俺喉渇いてるんですけど、でも何が飲みたいとかなくて」
「ふぅん。主体性ないね」
「ははは……その通りなんですけど、でも今は丁度いいかなって思いまして」
「うん?」
言いたいことがよく分からない。そっけない、どちらかといえば塩対応。白望のそれにむしろ喜色を増させていく京太郎はどうにも不思議だった。
首を傾げてみる彼女に、京太郎は指を立ててさも名案を口にするかのようにして、言う。
「俺も金出しますから両方買っちゃいましょうよ。その上で選んだらどうです? 俺、残った方を飲みますから」
「それ……意味あるの? ひょっとしてキミ、私の間接キスでも狙ってるの?」
「いや、違いますよ。口付ける必要はなくて……迷うなら一旦両方買った方がすっきりして選ぶのも楽になるんじゃないかな、って思ってのことでして……」
特に意味のないだろう案を提案しながら何を自慢げにしているんだこの子、とぼんやり見つめる白望の前で、京太郎は困る。顔を紅くして、自案の説明のために口早に。
間接キスの一言で、こんなに右往左往する少年も珍しかった。今回不埒を思ったこともなかったのか、うろたえっぷりはどこか初々しい。
妙な発案と良い、実にユニーク。白望はつい口の端を持ち上げていた。
「ふふ」
二人の間に隔意もなければ、未だ愛もなく。ただ白けた自分と色づいた彼は鏡合わせ。なるほど、だからこそ面白いのかもしれない。
白望はようやく理解する。目の前の少年は、鏡の中の自分に少し似ていた。けれどもその実性徴のせいか彼は少し角張っていて、またにこやかで大凡違うとも言える。
しかし、きっと根底で似通った部分があって、だからこそ。
「いいよ。一緒に飲もう」
白望は安心して、そんなことを小さくなっている男の子に言うのだった。
「はい!」
なんでか一転嬉しそうにし始めた彼に、白望も笑みを深める。そしてふと彼女は、これは果たして自己愛になるのかな、と思った。
「シロと京太郎君って、どこか似てるよね」
「えー。どこが?」
「えっと、顔?」
「うーん、そうかなー?」
しばらく時が経ち、寝ぼけ眼に白望はそんな会話を聞く。
耳に慣れた、高い声二つ。これが幼馴染みの二人、胡桃と塞のものであると気付いてから、その内容を気にした彼女はむくりとこたつから起き上がる。
寝転んでうとうとしていた少女が急に顔を上げたことに驚く胡桃と塞に、白望はおもむろに言った。
「ん……私と京は似てるよ」
「やっぱり、シロもそう思ってるんだ」
「うん」
「ええっ、シロと京太郎、どこら辺が同じなの?」
白望の言に納得を覚える塞とは対照的に、中等部の京太郎と共にこっそり部室に持ち込んだこたつの熱で額に汗を浮かしている胡桃は疑問をそのまま口に出す。
存外人見知りな小さな彼女は、新入りの柔和な少年に対して敵愾心を持つとまではいかなくとも、親友と同じと見て取ることは出来ないようだった。
首を傾げる胡桃に、しかし白望は言う。
「それは――――ずっと、迷っているところかな」
そっと、口にした白望の表情はあまりに透明で。
塞が思わず溶けてなくなってしまうのではと怖くなってしまうくらいに、彼女は透き通った氷の綺麗だった。
「……ありがと」
「いえ、これくらい大したことじゃないですよ」
「そう」
雪が積もることは当たり前。それを己の手で退かすことはもはや苦でもない惰性。とはいえ、嫌でも何とかしなければそれこそ雪だるま式に面倒になっていってしまう。
だから、白望がダルいダルいと言いながら家族と家の周りの雪かきをしていたところ、なんと通りがかりの京太郎が手伝ってくれた。
長野から岩手のお婆さんのところに彼が住んでからもう三年。もう生半可な積雪なんて苦にしない程度に彼は逞しくなっていた模様だ。
既に家の周りの雪をかいてきたのだという京太郎は、もこもこなアウターの上からでも中々の体格をしていることが覗える。流石は、中等部ハンドボール部のエースというだけはあるだろうか。
疲れている白望はその頼りがいのありそうな背中に寄りかかりたくなる気持ちを我慢するのが存外大変だった。
「ずっと、好きでした」
そして、外で白望のお婆さんがお盆と一緒に持ってきてくれたあったかいお茶を呑みながら、二言三言。ただの雪かき休憩の会話の中に、京太郎は口を滑らす。
爆弾発言を聞いた白望は、めずらしくぽかんとして言った。
「……私のこと?」
「あ……はい。そうです。俺、シロ先輩のことがずっと……それこそ最初に会った時から」
「ふぅん……」
真っ赤な少年に、向けられたのはどこか白けた視線。
聞くに京太郎は、たまたま見つけた白望に一目惚れをしていたのだという。
だから困った様子の彼女を見つけて何とかしてあげたくなって、あの日お節介というかよく分からない余計なことをしたらしい。
動転して、失敗する。そんなことは確かによくあることだろう。平熱続きの白望には少々縁遠い話ではあるが。
けれどもきっと、あの日の京太郎の失敗はそういうことではない。薄く開かれた瞼から、碧が覗いて、少年を貫いた。
「嘘だよね、それ」
「え? そんなこと……」
「ダルい、なぁ……」
頭を上げて曇天を見てから、白望はぱさりとぱさりと分厚いフードを落とす。
面倒。わかりきったことを説明するなんて、少女にとっては大儀である。
けれども、と目の前の少年を見つめる。迷いに迷った男の子。決してたどり着かない自分と同じ人。
京太郎の手を取り――手袋でもっさりしていた――白望は言った。
「京は、本当は好きとかどうでもいいでしょ? だってずっと――――死ぬか生きるか悩んでるんだから」
「え……あ」
京太郎は一筋、透明な涙を零す。癒えかけの傷に触れられた痛みから、思わず。
そして、想起する。
燃え盛った屋敷。悲鳴遠く、水で濡らした身体も煙に鈍って動かずに。目の前で灰になっていく車いす。
そう、京太郎は彼女たち三人を助けることが出来なかった。
そんな、トラウマなんて文字なんかでは収めきれない永遠の後悔。
失ったことが辛くて辛くてもう、生きていても仕方ないと思った。けれども、誰も彼もが京太郎に生きて欲しいと言う。
だから、惰性で生き続けて、そして。
彼は自分と同じ悩みを抱える白望を見つけたのだった。
「どう、して……」
そう、折角共感を恋だと勘違い出来たのに、どうして。どうしてこの想いを分かってしまったのか。
力なく、いやもともと全てが虚勢であったがために鏡の前で格好付ける意味すら失ってしまえば当然に、京太郎は膝をつく。
「京」
そんな彼に薄く、どこまでも透明な薄氷のように微笑んで、白望は言うのだった。
「一緒に……死のうか」
死は諦めでもましてや美でもなく、ただの腐れと無。そんなことは知っていたけれど。
キミとなら、それもいい。
白望は、京太郎の耳もとで、そう囁くのだった。
少女は生きるべきか死ぬべきか、そんな悩みをずっと持ちながら、人生の金を拾い続けていた。活きるのは楽しい。
けれども、そうであったとしても悩むのだ。
どちらにしようかな。どうでもよくないものの中から一番を見つけるのは白望にとっては殊の外簡単だった。
愛に生きずに、恋に死ぬ。そんなのだって、良いと思う。
「ああ、俺――――」
捨て鉢な少年はきっとあの日、彼女に全てを委託していた。
そして、マヨイガの少女が真っ直ぐ行き先を決めてくれたのならば。
抱擁の中、頷きは小さくも、確かなものになった。
エイスリンさん
エイスリン・ウィシュアートは夢を描くものである。
エイスリンはニュージーランドの生まれの少女。その中でも景勝の良い地で彼女は過ごしていた。
人の良い隣人達と遊ぶことや、海の青さを楽しむことなんて当たり前。幼い頃には、その国らしく珍鳥キーウィの愛らしさに目を輝かせたり、ラグビー代表が行うハカの迫力に泣かされたりもした。
そんなエイスリンは、自身をそこそこ愛国心に溢れた人間だと自負している。彼女は大好きな土地の名前に動物の名前を図鑑から覚え込んでそれをスケッチブックによくよく描いた。
白い画用紙は大好きなものばかりで埋め尽くされる。しかし、それらはどこか彼女の幼き希望にて歪められていた。
細に描かれたカカポ――飛べないオウム――がオットセイの背中に乗って海を渡る。島離れたラグビーチームのユニフォームを着た子供二人が仲良くパスを繋ぐ。
エイスリンの心のキャンバスに、ボーダーはない。故に優しい、それこそ夢のような世界を彼女は描いていたのだった。
さて、確かにエイスリンは生まれた国を愛する少女である。しかしそんな彼女はそれとは別に、日本という国にそれとなく理想を抱いていた。
サムライニンジャゲイシャにハラキリ。大昔の日本の概要を聞きかじったばかりのお婆さんの話を聞いた幼きエイスリンは、是非とも異文化溢れるその国に行ってみたいと思ったのだった。
『でも、サムライなんてもうどこにも居ないのね。つまんない』
そして、紆余曲折と幸運を経て、はるばるニュージーランドから留学生としてやって来たエイスリンは、半ば雪に埋もれた岩手の町にてありふれた普通の人たちを眺めながら、母国語にてそう零す。
そしてはたと、地元の案内をしてくれている、唐突に流暢に紡がれた異国語に首を傾げる同い年のクラスメイト女子――臼沢塞――に気付いたエイスリンは笑顔を作ってから、一言。
「ゴメンナサイ」
「ううん。別に大丈夫。……絵、上手だね」
真白くか細いその指はさらさらと、申し訳ないと手が合わさったイラストを描きだす。その上手な出来に、塞はぱちぱち。
日本語を聞き取るのは出来る。しかしどうしてだか話すのは未だ苦手なエイスリン。
であるから、会話の補助として彼女の絵の得意は活きるのだった。仲良くなりたい少女が大丈夫と言ってくれて、エイスリンもほっと一息。
「エイスリンさん、周囲を見回してたけど、何か面白いものでもあったの?」
そして、続く塞の勘違いした言の葉を聞いて、どうしようかと彼女ははたと考える。
つまらないから周りをきょろきょろ見ていた、と正直に語るのは印象が悪いことだろう。ならばと、別の本心を披露するために、エイスリンは画用紙にそれを描いて笑顔で言うのだった。
「ユキ!」
「わあ、それって雪の結晶? エイスリンさんって本当に絵が上手なんだね……」
大きな雪花を片手にくるくるり。そのたびに喜色が沸き立っていく。
そう、日本の田舎の普遍につまらなさを覚えていたエイスリンであったが、しかしその実岩手の冬の雪深さに感心もしていたのだ。
何せ彼女が暮らしていたニュージーランド北島ではほとんど雪が降らない。それこそ道の周りを囲むかのように雪の壁がそびえ立つ光景なんてあり得なかった。
「サワリタイ……」
「えっ……エイスリンさん?」
そして先からとことこ進んでいたところ、隣には誰一人足を踏み入れていないだろう純白が。思わずふらふらとそっちに向かうエイスリン。
正直なところ、彼女は周囲に高く乗りかかった新雪の無垢にうずうずしていた。あれに触れたらどれだけふわふわでひんやりとしているのだろう。
そしてぜひとも誰も踏み入れた様子のないあの広場に足跡を残したい。雪に目を取られた彼女はついつい駆け出してしまう。
「あ」
「危ない!」
そして、エイスリンは雪中の石に足を取られて転んだ。
途端にぬくぬくしていた身体は雪に埋もれて安堵する。しかし、冷たくも優しげな圧迫感の他にも、彼女は膝小僧に強い痛みを感じた。
思わずその場を転がって雪を纏いながら、エイスリンは駆け寄ってくる塞に言う。
「イタイ……」
「ああ、エイスリンさん、膝のところ切れてる……」
痛いはずだと、塞の言を聞いてエイスリンは納得する。そして、起き上がろうとして、膝に力が入らないその事実に怪我を見てその赤に卒倒しかけた。
裂けた、筋。そこからだくだくと血が。そのグロテスクに、気をやられそうになった彼女が塞にもたれかかったその時。
「大丈夫ですか?」
エイスリンは駆け寄ってくる年若い男子の声を聞いた。
そちらに向いて、彼女は。
「ア……」
一つ、夢を描いたのである。
「エイスリンさん」
「ン……キョウ!」
「っと」
そんなことがあって、しばらく。エイスリンの足から包帯が取れてすっかり痛まなくなった夏の頃。偶に町で出会った彼女に、須賀京太郎は声をかけた。
すると、彼女は当然のように駆け寄って彼にハグをする。唐突かつ、情熱的なその接触を、少年はその身で感じる。
「あー……元気そうですね。良かった」
嫌に欧米的なボディランゲージ。ただし、それは自分相手にだけ。
そんな挨拶に無闇に慣れてしまった京太郎は、胸元に頭をごしごしとこするように当ててくる異国より来た年上少女を仕方がなしに受け容れるのだった。
「キョウ、スキ!」
「はいはい、俺も好きですよ」
愛言葉を照れずに受け流す京太郎。ただ、ぽんぽんと彼はエイスリンの頭を撫でる。
青い目の美少女からの好意をこうも粗雑に扱う男子なんて珍しいが、しかしそれも仕方のないことと言えた。
そう、須賀家の雪に塗れた広い庭に入り込んで転んで怪我をしていたエイスリンを介抱した京太郎は、一目惚れした彼女からところ構わず行われる直接的なアプローチに慣れきっているのだから。
「ムー……」
京太郎のそんなつれなさに、思わずエイスリンはふくれっ面。
この年下の男の子は年上お姉さんを軽く扱う。こんなの自分が思い描いていた未来と違う、とエイスリンは思う。最初はどぎまぎしてくれて、上手くいっていたはずなのにどうして。
これではまるで自分がキーウィ――小動物――にでもなったよう。ぷんすかと、エイスリンは怒った。
「ギャク!」
「逆って……いや、前にエイスリンさんが犬になれって言ってましたけれど、そんなの俺、嫌ですからね?」
「ムゥー……ン!」
「うおっ、エイスリンさんに首輪付けられて四つん這いで散歩させられてる俺の姿なんて、描かないで下さいって!」
一息で画用紙にでかでかと描かれた、飼われている様子の自分のイラストを誇示するかのようにふりふりするエイスリンに、京太郎は至極嫌そうな顔をした。
そう、エイスリンは怪我を懸命に手当てして病院まで同席して慰めた京太郎に、犬になってと言ったことがある。彼から見たら彼女は明らかに、異国――文化が違う――の人という事実を抜きにしたところで変人だった。
何とか、変わった女の子として評価を落ち着かせはしたが、しかし京太郎にとってエイスリンは最早ただの面白い先輩。とてもではないが恋愛対象には思えないのだった。
渋る京太郎に、エイスリンの柳眉は下がる。ぽつりと、少女は言葉を零した。
「モウクビワ、カッタノニ……」
「俺の意思の確認は?!」
「イラナイ!」
「えっと……あ、俺の尊厳、投げ捨てられてる!」
そして、くしゃくしゃな何かが投げられる絵を描いて、エイスリンは自分の意思を表明。少女の頑固なおかしさを見て、京太郎はどこかユーモラスに愕然とするのだった。
なんでか自分を気に入ってくれる、変わった女の子。
ハンドボールの試合にて右肩の大怪我をした後に親の都合による転校などにてすっかり鬱いでいた京太郎。そんな彼にとってエイスリンが良い刺激であったことに間違いはない。
とても可愛いし、性格も良さそうだ。これで変な性癖すらなければきっと懸想していただろうにな、と京太郎は思いながら彼女を諭すのだった。
「いや、俺エイスリンさんのこと結構好きですけれど、首輪をかけられるっていうのは違いますよ……もっとこう普通のお付き合いと言いますか……」
「ソウ。ナラ、ハナシガイ……」
「放し飼い!? いや、エイスリンさんってどうしてそんなに俺を飼いたいんですか?」
「ン?」
至極当然な京太郎の疑問に、何を言っているのだろうこの子はと首を傾げるエイスリン。
彼女は、口を開く。
さて、エイスリン・ウィシュアートはやはり夢を描くものである。
そして、彼女の思い描く未来にボーダーはない。夢の中でただ二人の間に強い繋がりがあることこそ重要である。
何故か《《力》》があまり効かない京太郎にはやきもきさせられてしまうけれどそれでも彼女は。
にこりと、下手なルージュいらずの美しい桃色が弧を描く。
『―――これなら私が貴方の全てを管理できる。それに一生一緒にいられるでしょ?』
ゆりかごは、無理だった。けれども墓場までなら。そこまでなら一緒について行ってあげられる。
貴方の全てを私にちょうだい。心の底まで、幸せにしてあげるから。一分一秒全てを私に捧げて。
そんな風にどろりとした思いは笑顔に細まった瞳の奥に隠れる。当然のように、そんな内心も言葉の意味すら分からない京太郎は、言う。
「えっと、なんとかライフ……なんだ。あの、流石にネイティブな発音されますと分かんないですけど……」
「フフ……ナイショ!」
エイスリンは、元気を取り戻した膝を使って背中を向けてもったいぶる。
そして背後で首を傾げる京太郎を余所に、手を広げた。
「おおっ……」
途端に天は開闢。思い描いた通りに雲開かれた空の元、きらきらと光芒を受けたエイスリンは。
「スキ!」
笑顔を作って愛を言葉に。とりあえず、彼に思いの一欠片ばかりを晒すのだった。
胡桃さん
鹿倉胡桃には、弟分が居る。それは須賀京太郎という、学年が二つも違う男の子。彼の出現は彼女にとって唐突だった。
『おねーちゃん、だれ?』
『私がおねーちゃん?!』
引っ越し場所の下見に来たらしい夫婦の下で金髪の幼児がぴょこぴょこ。小さな胡桃のことを、はじめてお姉ちゃんと呼んだのだった。
これには、胡桃もびっくり。そしてついつい彼女は口の端を緩ませてしまうのだった。
長野からやってきた須賀家は、その後鹿倉家の隣に居着く。やがて同年代の子供が居る家庭同士、お隣さんの交友が始まったのも至極当然のことだった。
最初、胡桃は瞳がくりくり綺麗な、自分の後をひょこひょこ付いてくる子供を大変に可愛がったものだった。
素直で元気で意外に優しく、何より自分より小さい。こけしや座敷童だなどとからかってくる同学年男子に都度ぐるぐるぱんちをお見舞いすることの大変を思えば、京太郎という少年と一緒の間は随分と安らぐものだった。
しかし、年月が経てば変わるものもある。成長を忘れてしまったかのように変化の乏しい胡桃と違って、それは当たり前に。
素晴らしいことに内面的な変化はあまりなかった京太郎であるが、しかし彼はなんとぐんぐんと背を伸ばしていった。遠ざかる、大好きな笑み。
その急激な成長ぶりに彼がつい胡桃さんひょっとして小さくなりましたか、と聞いてきたときには思わず彼にぐるぐるぱんちをお見舞いしてしまったほどに悔しかったことを彼女は覚えている。
「胡桃先輩」
「京太郎……むむむ」
可愛いけれど、でっかい。そんな京太郎を見上げながら、胡桃は思わず歯ぎしり。男女の理想の身長差であるところの15センチメートルまで縮まって欲しいとまでは思わないが、これでは彼と距離が遠すぎる。
ぴょんぴょん跳ねたりしながら、何となく胡桃は見下げられてしまうことを悔しがるのだった。
「……何それ胡桃? うさぎの真似でもしてるの?」
「シロ!」
度々行う幼馴染みのお姉さんの奇行を苦笑して見逃す京太郎だったが、しかしその様を見咎めてしまう者だって存在する。
小さな子供が愛しの彼の前で忙しく跳ね回っている姿なんて、うざったい。そう思いながらも面に出すことなく、白望は自然と京太郎の横に付いた。
並んだ女子に、歩みを合わせる男の子。二人を下から見上げれば、とてもお似合いに見える。
「むむむ……」
「……胡桃先輩、さっきからどうしたんですか? 流石に挙動不審ですよ?」
「だってー……」
唇尖らせる胡桃の複雑な想いをしかし、京太郎が気づくことはない。彼の中の彼女は、小さい姉のような人。そう固定してしまって動かない。
愛されているのは分かる。しかし恋しく想われていないもまた明らかで。密かに恋情を育ててきていた胡桃にとっては悲しいことだった。
「どうでもいいじゃん。京……ダルい。おんぶ」
「いやいや、流石にそれは拙いですから、何とか学校まで頑張ってください」
「はぁ……ダル」
「むぅ」
そして、立派なおもち持ちに成長している白望に対して、京太郎はどうにも照れ気味だ。その顔と胸元を視線が行ったり来たり。
下の方から見てみれば、彼の助平心と理性の争いが透けて見えるようだった。
――――こんな反応、自分にはしてくれないのに。
そう思って、胡桃は一向に膨らんでくれない胸元に目をやる。そして、先日京太郎がいない間に恋仇として宣戦布告をしてきた白望の正反対の豊かな持ち物に歯噛みをするのだった。
「……ん?」
何となく、胸元の視線を察した白望は至極だるそうにしながら、胡桃を気にする。彼女は涙目少女をみやってから徐に、口を開いた。
「ん。こんなの……重いだけだよ?」
「そんなの、分かんないもん!」
「まあ……胡桃はそうだよね。でもまあ、ダルくてもいっか」
「えっと?」
隣で交わされる性徴の話について行けず、何だかよく分からず首を傾げる京太郎。
なんだかんだ初心であり自身が注目されていることに気づかない彼は、己の一挙一足が人に与える影響というものが今ひとつ理解できないのである。
しかし、大好きな先輩二人が、今ひとつ仲良くしてくれていないのは何となく分かる。
どうしたものかと思う京太郎に、白望は寄りかかる。そして。
「っ!」
「京は、こうされるのが好きだろうから」
「うおっ」
腕に細腕絡みつかせて、そうして白望はぽにょんと胸元をくっつけるのだった。ふわりと、幸せそうに少女は笑う。
唐突なおもちの感触を受けて途端に、赤くなる京太郎。拳握った手のひらに痛いほど爪を食い込ませる胡桃。
なんだか朝の清々しい時間にはふさわしくない、どんよりとした空気が流れたそんな時。
「シュラバ!」
「わわ、シロすっごく積極的だよー!」
しかし、何かが切れる前に、エイスリンと豊音が気にせず入って、嫌な空気感を払拭。
エイスリンは、何やら熱心にスケッチを始めて、豊音はきゃーきゃー言いながら顔を隠した手の指の間からちらちら白望と京太郎を覗く。
どうにも、流れがコメディチックな感じだった。
「……流石に恥ずかしいや」
「あ……っと。すみません」
「ふふ」
弛緩を覚えた白望は照れくさくなって離れる。そして、抱きつかれていた京太郎は慌てた末に何故か謝った。
そんな少し格好悪い様に、愛らしさを覚えるのはきっと恋してる贔屓目だなと思いながら白望は笑んで。
「――――許さない」
胡桃は、怒りにばきりと奥歯を噛み砕いた。
京太郎は、胡桃にとって大切な弟分である。そして、目に入れても痛くないくらいに愛おしくも恋しい人でもあった。
そんな彼が離れてしまうなんて、とても考えられることではない。
「シロさん」
「京……」
京太郎が、女とキスをしていた。
――それは私の唇なのに――
「俺、シロさんのことが好きです」
「私も……」
京太郎が、女に告白をしていた。
――それは私に向けるべき言葉なのに――
「俺最初はシロさんのこと、お姉さんみたいだと思ってたんですけど……でも」
「いいよ。今好きでいてくれるなら」
京太郎が、女のことを姉のように思っていたと言った。
――それは、私のことじゃなかったの?――
もう、胡桃は耐えられなかった。
小さな体躯に冗談みたいな愛を秘めて、胡桃は生きていた。
胡桃は目に映るすべてに対して、注意を出来る。うるさいと言われても、彼女は決して気にしない。それは自分の正しさを押し付けているがためではなく、正しくあるのが彼らのためであるからと信じているからである。
本当は、皆幸せであって欲しいと胡桃は純に願っていた。
「……」
「京太郎! 学校内での……その、い、淫行はだめ!」
けれども。それくらいに大きな愛が歪んで恋に落ち込んでしまったとしたら。
「そういうのしたかったら、次は、わ、私に言いなさい!」
「……」
堕ちた彼女は思ったのだ。彼が自分以外の女を想うのは間違っている。なら――正さないと、と。
そして、胡桃と相対して付き合う男女として《《正しい寸法》》に切り取られ、二枚舌を正すために切り取られてしまった京太郎は。
「京太郎も男だもんね、私でいいなら……」
「……」
ただ、壊れてしまった姉のために、涙を流し続けるのだった。
塞さん
臼沢塞にとって、須賀京太郎という人物は、奇々怪々な人物だった。何やら共学化したばかりの宮守高校に一年生として入ってきたかと思えば、特に新入部員を求めてもいなかったというのに、気づけば麻雀部の仲間入りをしていた。
そして、女子ばかりの中で自分の立ち位置を確保し、大いに周囲に好かれている。それこそ、部員》に恋愛沙汰に発展するすれすれまでも。これには、部長である塞は頭を抱えざるを得ない。
更に、彼の打ち筋もまた中々にオカルティックな代物であり、それがまた彼女の頭を悩ませるものだった。
「ロン。七対子、ドラ二、赤ドラ一。満貫です」
「……はい」
卓上で滞りなく行われる、支払い。8000点程度の行き来に一喜一憂するほど麻雀に不慣れな塞ではないが、しかし。
「……やっぱり、塞げなかったのかい?」
「……はい」
「うーん。京太郎のそれは強いオカルトとはいえ、塞に塞ぐことが出来ないほどのものとは思えないんだけれどねぇ。……相性かね?」
「はぁ……」
どうしたものかとシルバーグレーの髪に手を当てながら考える麻雀部顧問の熊倉トシ。悩む彼女に雑に応じながら、塞は考える。
意気揚々と麻雀部に入部してきた京太郎は、しかし面子が三枚揃うことが阻害されてしまうようなオカルトを持っていた。麻雀にしか適応されない意味不明な能力だったが、しかしそんなものがあってしまえば中々和了ることなんて出来はしない。
けれども、そこで腐らないのが京太郎の良さだった。伸ばせないならそのまま突き進む。七対子、または国士無双ばかりを狙う思い切りの良い彼の雀風には惹かれないこともない。
けれども、そんな彼に対して、塞の能力である相手の能力、引いては和了りを《《塞ぐ》》、というものが効かないというのは驚きというか困った事態だった。
労して塞げないのではなく、すり抜けるように効果がない。
男女で効果が違うのかと、雀荘で中年男性を塞いでみたところ、完封成功。つまり普通に考えれば京太郎にも効くはずなのに。これには、オカルトにも麻雀にも造形の深いトシも不思議がった。
最後に二位に浮上することに成功し、そのことに喜ぶ豊音やエイスリンに絡まれ胡桃に注意されている京太郎を、塞は何となく遠いもののように見て取った。
「まあ、分からないということはそういうものだということにしようかねぇ。ただ、一つケースが取れたのは良かったかもね」
「良かった、ですか?」
「そうだよ。これから向かう全国にも塞の能力が効かない相手が居るかもしれない。その時の対応の練習に京太郎はもってこいだと思わないかい?」
「それは……なるほど」
トシの言を聞き、塞も納得。麻雀全国大会は能力者の巣窟。しかし、出来ればこの麻雀部の皆で勝ち抜きたいと思っている塞は自分の対応力を増やすための経験の一つにこのよく分からない少年がなってくれる、と思えば喜べた。
なんとなく、京太郎の方を向き、そして。
「それにしても部長は凄いですよね。シロさんもエイスリンさんもかわし切るなんて……なんでか俺今回は結構和了れましたけど、それでも勝てないんだものなぁ……流石です」
「へっ? あ、う、うん。うまく使えば私のオカルトは、それなりにね……」
ぼっと、顔を紅くさせる。そう、京太郎に恋愛沙汰すれすれまで好意を持っているのは部員全員。当然のように塞も含まれていた。
ぽむぽむお団子を弄りながら、視線を外すいじらしい塞を見たトシは。
「……なるほどこれは、そういうことだったのかねぇ?」
それとなく、塞が京太郎を塞げない理由を察した。
塞は時にお婆ちゃんぽい、と言われることがある。きっとそれは無自覚に他人に気を使ってしまうところが所以しているのであろうが、しかし彼女もやはり年頃の女の子。
気になる男の子がいれば、それを見つめて好きになってしまうことだってあるし、他人の好きが彼に向けられる度に、やきもきしてしまうことだって仕方ない。
「はぁ……現実でも、塞ぐ力が働けばいいのに」
塞が思わずそう零してしまうくらいに、現状は憂いるべき様子である。もし、恋の矢印が現実化したなら京太郎は何度も死に瀕してしまうだろうくらいに、モテモテだった。もし、他人の恋を塞げれば、と塞が思ってしまうのもどうしようもない。
好きな人が愛されることは、本来胸を張って喜ぶべきことなのかもしれないが、家族でも恋人でもない自分にはそんな余裕を持つのは無理そうだと、塞は思う。
そんな独りごちながらの部活動の終わりの後片付け。麻雀牌の方は既に終わり、後は部室の掃除ばかり。あまり汚れる余地もないそれを終わらせ、掃除当番の札を次のエイスリンに代えて、部室から出る。そうして凝った身体を解すために伸びでもしようかと思ったその時。
「あ、部長。終わりました?」
「え、京太郎、君?」
すると、どうしてだか愛しの彼が待っていた。なにこれ夢かなとすら思ってしまう疲れていた塞に、京太郎は続ける。
「お疲れさまです。帰り道、一緒させて貰っても構いませんか?」
「えっと……うん。いい、よ?」
にこりと、向けられる柔らかな笑み。それに解されたのか何なのか、取り敢えず緊張も何も失ってなるようになれと思うようになった塞は、京太郎を連れて遠く紅くなり始めた空の元歩むのだった。
そして、沈黙のまま数分。歩調を合わせて歩いてくれる彼に気づいてまたどきりとし始めた頃合いに、京太郎は再び口を開いた。
「……部長。実は、聞きたいことがあるんです」
「何? 答えられることなら、答えるけど……」
「あの、部長には恋人っています?」
「え、えっ?」
塞は唐突な内容の問いに、目を白黒させる。むしろこれは巫山戯て自分をからかっているのではと京太郎を見たが、しかし彼の表情は真剣そのもの。
この問に、意味を見出しているのは明らかだった。塞は、どういうことだと動揺する。
自分に恋人が居るのか、と聞くなんてもしかしてフリーかどうかを気にしているのか。つまりそれは。
希望は泡のように膨らんで。
「……実は俺、長野に恋人がいるんです」
そしてまた、泡のように弾けた。
ぱたり、と玄関扉を閉じる。ああ、何か、いろいろなことを聞いたような気がする。
部長は信頼できるから話したとか、遠距離恋愛は大変だとか、咲という名前とか、その他色々彼の言葉を。それに確か自分は笑顔で頷きで返していた。取り繕って、ぼろぼろになりながら。
そう、塞は思い返す。そして、家に帰った今我慢する必要なんてもうなくて。
「うぇ」
思わず嘔吐く。しかし、吐き出そうとしたものは、何も出てこない。とても、胸に詰まっているものがあるというのに。
「うう、うゎあああん……」
思わず、塞は泣いた。ぽろりぽろり、透明な雫はモノクルを伝って落ちていく。
好きだった。しかし、彼の心はここにない。それが、どうしようもなく先の会話で解ってしまった。
好きなのに、それが届かない。こんなに辛いことはなかった。
「私の想い、塞がなきゃ……でもそんなの無理だよぉ……」
しかし、どうしてたって好きなものは好きで、心は塞げない。
どんどん想いは溢れ出し。そして。
「ああ、なら――――」
奥の方から悪意が出てくるのも当然のことだったかもしれない。
塞は一人、言う。
「咲っていう子を塞いじゃえばいいんだ」
自分の心は塞げない。何故か能力が効かない彼の心も塞げない。なら、塞ぐ相手は一人しか居ない。
だから、とそんな間違った答え。そんな違いぶりなんて、心優しい塞には分からないはずがない。けれども。
「あはっ」
優しくしていて彼が得られないなら、優しくなくてもいいや、とも思うのだった。
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豊音さん
「わー、京太郎くんやっぱり、ちょー凄いよー。男子麻雀で頂点を獲ったことはあるねー」
「いえ……それを言うなら、豊音さんの方が凄いですよ。俺の方にばかり有効牌がごっそり来てたのに、失点がほぼなくて」
「えへへ……このやり方は慣れてるからー」
「なるほど……」
雪積もった旧びた家屋の下で、年若い長身男女がこたつを挟んで何やらガチャガチャ。
硬質なその音は、手積み麻雀の洗牌をしているがためというのは、簡単に分かる。しかし、男――京太郎――が渋い表情をしている故は、何故か。
それは、女――豊音――の喜色に富んだ言のせいだった。
二人で、それぞれ二つの家を担当して打ち合う。それに慣れているという寂しげな内容を、まるで当たり前のように語る彼女に、京太郎は困惑を覚えていた。
「何時もは、四人分一人で考えてやっているから、今はちょー楽で楽しいよー」
「そうですか……」
そして、再び山を積み上げる二人。京太郎には、妙齢の豊音がどうしてだか賽の河原にて石を積み上げている子供と重なった。
同じところは、無為な一人遊びをしている、というだけ。そして更に京太郎はどちらにせよ助けになりたいと思うのだった。
京太郎は、改めて頭を下げて、言う。
「改めて、やらかして立ち往生していて困っていたところ、軒を貸していただき、どうもありがとうございます」
「わわっ、そんなに頭を下げなくていいよ。困っている時はお互い様だよー」
「そして、すみません。俺、正直なところ豊音さんに会えて舞い上がっていました」
「え?」
大学を卒業してしばらく。つい先日亡くなった祖父の話を聞くために岩手の限界集落の親戚の元へと車で向かっていた京太郎は、その手前の山奥のとある村にて誤って車を雪の山に埋もれさせてしまった。
ほうほうの体でそこから抜け出た京太郎だったが、しかし一人ではどうしようもない状況。すぐ近くの民家に助けを求めた。そこで対応してくれたのが豊音である。彼女の長躯を久しぶりに見た京太郎は、驚いたものだった。
京太郎は豊音に親切にされ、更には家の中に入ることまで許される。そして、流されるまま彼女に麻雀に誘われて今がある。
青年は、こんなところにこんな素晴らしい女性が一人ぼっちであることを、悲しく思った。
「俺、実は……えーと、何回だったけ……そう、豊音さんが三年生の頃に出てた全国麻雀大会を横で見させていただいてたんです」
「わー、あの時って……うう、恥ずかしいよー。私確か負けて泣いちゃったよね?」
「えっと、それは正直覚えていないんですけど、でも俺は強烈に豊音さんの強さを見て……憧れたんです」
「ええっ? そんな。だって、京太郎くんはプロだよ? 京太郎くんに比べたら私なんて……」
「まあ、今ならいい勝負出来ますけど……当時はそれこそ初心者でしたから、豊音さんの道理を越えた力には憧れを禁じえませんでした」
「へぇ……」
麻雀だこを感慨深げに弄りながら語る京太郎に、豊音は目を白黒。そして遅れて須賀プロに憧れて貰ってたなんてちょー光栄だよ、と横目で貰ったサインの無事を確認しながら思うのだった。
ますます嬉しそうになった豊音に、しかし京太郎は悲しげに続ける。
「けれども、俺はそれだけで……そればかりでした。ただ、真似して麻雀で強くなることを求めてばかりで……憧憬のお礼を返すことも忘れて、豊音さんという少女のことを忘れていた」
「えっと?」
なんか、よく分からなくなってきた。でも、なんだろうこの胸のドキドキは。期待、だろうか。
珍しいお客さんが来てくれて、それが敬愛している須賀プロで、彼に下の名前で呼び合う仲にまでなって。
でも、これ以上求めてはダメだと思う一線。そこでもじもじしている豊音に、京太郎は手を伸ばした。
「ですから、あの……俺と友達になってくれませんか?」
「友達? ――嘘」
思わず豊音は、顔を覆う。それは、もう遠くなって忘れかけたもの。どんどんと物理的な距離のせいで疎遠になっていく友達に、もうそんなのいらないといじけていたけれど。
「ちょー嬉しいよー!」
この真摯な熱意を向けてくれる彼がそうなってくれたらどれだけ嬉しいか。
豊音は今日はじめて、以前のような花が咲くような笑顔を見せたのだった。
「良かった」
そんな姿に満足を覚えた京太郎は、これから密に連絡を取り、せめて半年に一度以上は会ってこの人に悲しい思いをさせないようにしないと、と決意するのである。
「えへへ、きちゃったよー」
「来ちゃったって……」
そして、長野に戻った京太郎は、すぐさま豊音の訪問を受けた。
ごろごろとただの旅装にしては過ぎた荷物を持ってやってきた彼女は、どうにもただ遊びに来たという様子ではない。
これは下手をしたら泊めてくれと言いかねないな、と思いながらも取り敢えずお茶をと思い室内に踵を返す京太郎。もちろん中に豊音を招くのも忘れない。
「ん、あれ?」
しかし、とある執事に教わった上等な淹れ方で紅茶を淹れている際に、彼はふと疑問を持つ。
自分は、彼女にメールアドレスと電話番号しか教えていない。それなのにどうして、自分の住所を知っていたのか。その不思議に思い当たり。
「えへへ」
「っ」
振り返った京太郎は、自分を見下ろす豊音の瞳にどろんとした孤独の洞を見て取って。思わず、身震いするのだった。
しゅらば
「……私は断然上かな」
「下!」
「真ん中がいい!」
「それなら私は右かな」
「なら私は左だねー」
「これでずっと一緒」
了。