その日は薄曇りであった。季節の変わり目の天気は変わりやすい。朝方は晴れたと思っていたのが、昼を過ぎた頃からは薄い雲が空全体を覆っていた。空模様が変わったことに気づいたのは昼食を食べた後だった。モーリーは飛行場の窓から天気を確認する。
 雲を漉して白く薄らいだ日の光が辛うじて窓に差していた。夏ほどに日差しは強くは無い。あれほど汗をかいた日々はとっくに記憶の彼方に行ってしまったようで、近頃の肌寒い気温に既に上着を出していた。シャツ一枚を着ているばかりでは冬の本番には耐えられないであろう。窓枠にうちかけられる日光に暖かみを求めることは出来なかった。窓の外、ポールに括られた島のシンボルの旗は、海から吹き付ける風に強くはためいていた。外は寒い。
 「ねぇ、寒くないの」
モーリーは飛行場の中から声をかける。その先には、飛行場を出た先、すぐそこの桟橋ではロドリーが風に吹かれるまま立っていた。きっとそういう風景にはタバコでも一服する大人の男の佇まいが似合うのだろうけれど、ロドリーはそこに立ったまま何をするでも無く海を見ていた。荒れるでもなく、凪いでいるわけでもない海を。冬に向かう秋の海は遠くに鈍く淀んだ色をしていた。その色をモーリーは窓越しに見る。荒れるだろうか。しかし今日の雲は昼にやってきたっきり動く気配は無い。天候が荒れるときにありがちな、不気味に走り去っていくような様子では無かった。きっと明日まで曇ったままなのだろう。
 声をかけてもロドリーは返事をしない。何か考え事でもしているのだろうか。それとも波が桟橋に打ち付ける音に消されてモーリーの声が聞えなかったか。
「ねぇ」
「・・・・・・なんだ?」
やっと気づいたようでロドリーは振り向いた。機嫌がいいとも悪いとも分からない、半端な声だった。低い声の人間はその感情の起伏が分かりづらい。モーリーにとってその男の声は未だに謎の範囲の多い物だった。それに顔の様子も分からない。こんなに日光も無いのでは意味もなさないであろうサングラスをしたままいるのだから。夜だろうと何だろうとサングラスをかけたままの男に、彼自身何のこだわりがあるのかはモーリーには解しかねた。しかしこだわりがあると言われてその内実を詳細に語られたとしても、きっとモーリー自身がその詳細に興味を持たないことだけはわかっていた。たまに男は分からないことをする、それだけがモーリーにとってのロドリーに関する真実だった。
「寒くないの、って」
意味も無く律儀に質問を繰り返してやる。本来だったらこんな雑談の部類の会話、聞えなかったなら流せば良いものを。暇もあることで、モーリーは質問を繰り返した。肩にかける上着は自分の分だけ、寒いと回答が返ってきたって、だからどうしてやれる訳でも無かった。
「・・・・・・すこし寒い」
言ったきり、男はまた海を眺め始めた。前にもこんなこと有ったような、なんて思いながらモーリーは受付カウンターに戻った。温かいコーヒーを淹れよう──空になったマグカップを手に取った。秋にしては少し、寒い昼だった。
 飛行場は正直なところ、ここしばらく暇をしていた。フライトの要請が無い訳では無い。島民の往来はあるし、キャンパーも訪れる。暇、とは言っても孤島にありがちな、そして田舎の交通インフラにありがちな、あるべくして有る暇であった。多忙に身を任せるのと比べて自由が利く代わりに、する事が無ければとことんまで暇になってしまうのが唯一の短所だった。刺激的な毎日を求めるわけでは無い。ある程度の安定は欲しい。しかしこうも、予想外に多くの暇を与えられてしまうと枯渇に心をすり減らしてしまうのがモーリーだった。唯一の話し相手であるロドリーは普段から一人で何かしている。話す機会があるとするならば彼がフライトから戻ってきた時か、仕事が終わって帰りの支度をするときくらいだった。半年以上ともに暮らしているというのに、未だに彼について知らないことは多い。訊けば話してくれる所からしてプライベートを話したくないという様では無さそうであるが、しかし彼から主体的に自身について話すと言うことは無かった。春先から勤務してもう半年以上。未だに二人の間には淡泊な関係が横たわっていた。男がどうしてそうもサングラスを始終かけているのか分からないというのも、その関係性ゆえの事だった。関係性が縮まればサングラスばかりかけている理由を聞けるようになる訳でも無いが。とはいえ今更聞くつもりもなくて、モーリーの中では放置した謎の一つとして捉えられていた。
 秋頃から冬に入るにつれて、どこか心が沈鬱になるのは多くの人間に起こる事らしかった。夏の暑ささえ憂鬱だというのに、冬の寒さも憂鬱となれば人間の機嫌の良い時期とはいつなのか。小春日和を待って憂鬱に沈むならば、春を待って堪え忍ぶならば、さっさとこの暗雲に沈む時期を取っ払って欲しかった。上着を深く羽織って、パソコンに向かう。自慢の羽毛さえ冬の時期には追いつかない。元来冬の気候に似合う種族では無いのだ。こればかりはどうしようも無い。自分の心の内から勝手にわき出て来る憂鬱の名をした何某を、快く迎えてやるような風流人では無い。ましてや冬の寒さに凍えながらそんな苦しみを季節の云々として喜ぶ気風も持ち合わせていない。勤務に必要な分だけの心を仕事に割いてやったら、残るのは自分の為に使う心だけだ。温かいスープと柔らかいコート。この冬に必要なのはそれだけだった。デスクのキーボードを打ちながら、傍らで今日は何を食べようだだとか、帰ったら何しようだとか、そんなことを考えていた。寒気に熱を奪われて、淹れたばかりのコーヒーは長らくもせずに冷めきっていた。
 バディはあれから島へ出かけていって、今頃商店で買い物でもしているのだろう。フライトさえなければ全く自由にしているロドリーは、たぬきち社長はじめ島の人間と仲の良い方だった。大人同士のつきあい、というより専らロドリー本人の暇つぶしに島内を散策ついでで交友をしているらしいが。住民ともよく会話をするらしく、用有って飛行場にやってきた住人がなにか知らない話題でロドリーと盛り上がるのはよく見る光景だった。蚊帳の外、と言うと何だか嫉妬しているように聞えるかも知れないが、モーリーの自認としては会話に入れないことを特段悔しがるわけでもなかった。必要があれば雑談でも何でも交わすモーリーにしてみれば、逆に必要外の仕事中の会話は必要外であるために避けられるものだった。プライベートと仕事の区別が強い方と言われることもあるが、きっとその通りなのだろうと考えていた。受付の人間の職業病とも言えるだろう。今更どうこうする気も無かった。プライベート部分をさらけ出す相手もいないだけに、島の人間にとっては明るい人間と受け取られているのだろう。嘘では無い。元来陽気である。しかし定義されるところの「明るさ」に、モーリー自身と他人とでは乖離があるのも、またモーリー本人が自認するところの事実であった。
 
「どこ見てるか分からない、とはよく言われたな」
「じゃあなんで」
「じゃあなんで、「そんなに言われたのにサングラスかけてるのか?」ってか?」
はは、と笑ってロドリーは返した。目の奥が笑っているのかどうかは分からない。
「実際必要なのはフライト中でしょ?」
「まァな」
否定はしなかった。否定はせず、しかしサングラスはかけたままだった。曇り空の桟橋の上、寒々とした波のしぶきも身に受けるままに。彼は自分自身に無頓着なのだろうか。シャツが濡れてしまったら寒いだろう。それともそもそも寒くはないのか。ドードー鳥の個体間で、そうも差異があるとは思えなかった。
「お前もわかると思うけど、着けてると安心するんだよ、やっぱ」
「は、はぁ・・・・・・」
ちょっとフレームをつついて、彼は言う。サングラスの何か男の心を安心させるのか。その暗がりがだろうか。夜になってはろくに何も見えないだろうというのに。
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途中作
初公開日: 2020年10月18日
最終更新日: 2020年10月18日
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モリロド二次創作です
かきかけ