「あー腹減った。減り過ぎて腹がもう鳴ることを諦めるくらい腹減った」
「何か食いに行くか?」
「行く行く行きまーす!角名も行くだろー?」
「や、ごめんパス」
「珍しいな」
「旦那さんとこ猫の手も借りたいって言ってたから手伝いに行かないと。お先ですー」
「ああ、もうそんな時期か」
「お土産よろしくー。新米希望」
ちゃっかり土産を強請ってきた古森と苦笑する鷲尾さんに手を振って足早に駅に向かった。今日中に行きますって言ったは良いけど夜行バスの時間ギリギリになってしまって早足から駆け足になる。駐車場に停めてある車には既に泊まりの支度を済ませた荷物があって直接バスターミナルに向かった。ホントはターミナル最寄りの駐車場代高くつくから公共交通機関で行きたかったけど練習が終わってシャワー浴びる時間とか色々考えたらギリギリになってしまうから仕方ない。安全運転につとめてターミナルまで行くと後はやっぱり駆け足で。もちろん周りに気をつけてだよ。途中売店で軽食を買ってからバスに乗り込んで席に着き、ひとつ息を吐くついでにスン、と自身の匂いを嗅いだ。シャワー浴びたけど走ったから結局汗かいてしまった。臭ってないと良いけど。
夜行バスは時間掛かるけど安いし、何より寝てるだけで着く。スマホでラインを開き北さん…もとい、信さんに無事バスに乗った旨を伝えた。バスが着く頃迎えに来てくれると言うのでお言葉に甘える事にし、到着予定の時間を知らせると、「わかった」「バスのエアコンで体冷やさんよう毛布使わなあかんで」「おやすみ」と返事する前に会話が終了してしまった。荷物の中にあるタオルを出して汗を簡単に拭った。信さんは自分ちでもあるんだから手ぶらで来たら良いと言ってたけどやっぱ気ぃ遣うじゃん。義実家みたいなもんだと言うけれど世の中の義実家はそういうものだろう。兵庫の大学な進み、四年の時に付き合い初めて、そろそろ秋を迎えるという頃、ヌタバに呼び出され神妙な顔で俺に話があると切り出した。纏うオーラから良くない話なんだろうと警戒していたら目の前に出されたのは一冊の冊子。
『免許?』
『おん』
『えーと……すいません、意味がよく…』
『一生の頼みや。免許取ってくれ』
そんな事で一生のお願い使わないでくださいよ……双子なんて一ヶ月に一度くらい一生のお願い使ってましたよ。
卒業後長野のチームに行くと決めていたし、住むのもチームの寮。近くには店もある、交通の利便も良い。だから免許を取る予定は無かったんだけど。
『秋は米があんねん。ウチ米だけとちゃうけど、米があんねん』
『はあ…なんで二回言ったんですか』
『大事やからな。………手が足らん』
『手』
『おまえの手を貸して欲しい』
そう言って手を握られて、単純な俺はYESと答えていた。つまりはこうだ。北さんちは季節雇用で人は来るけど、前年それで痛い目見たらしく(詳細は教えてくれなかったけどテレビで農作物の泥棒のニュース流れた時に凄い顔していたから関係あるのかもしれない)信頼出来る人の手を借りたいのだそう。トラクターを運転するのに小型特殊の免許が必要で、普通免許にそれが含まれているからと。免許、今は必要ないけど必要になったら取ろうと思ってた。他ならぬ北さんの頼みなのだから今がその時なのかもしれない。
『なんべん言うてもトラクターはバアちゃんが自分で運転する言うて聞かんねん。せやから角名が来るーて言うてしもて』
『もう言っちゃったんだ…』
てかトラクター運転出来るおばあちゃん凄くない?
『言うてしもた。迷惑掛けるつもりなかってんけど』
『いっすよ』
『ホンマか。助かる。……助かる、ありがとお』
ほっと眉から力を抜いた笑顔がとてもかわいかった。何回も遠慮したけど費用は半分出すと言って聞かなかったのは参ったけれど無事に免許を取得したのだ。初年はトラクターの運転にも齷齪していたけど今はけん引免許も取ったし大型特殊も取った。ちなみに信さんは俺以上に色んな資格持ってる。なんとか機械士とか…簿記も持ってんじゃなかったっけ。この調子だとバレー引退しても仕事はありそうだな…本当に婿入りする気分だ。そう言ったらあの人は多分、来たらええ、なんて言うのだろう。からかい半分本気半分で。
昨今高速バスの座席は改良されたとは言うけど、俺の身長にはやはり狭くて。バスで寝るのは慣れたものだけど降りて伸びると背中や腰から変な音がした。頭を左右に傾けると首からもえげつない音がする。布団で寝たいけど寝る時間あるかな。着いたよ、とラインを入れながら駐車場に向かうと、そこには同じく迎えに来たのであろう何台かの車に混ざって一台だけ軽トラが停まっていた。間違いない、信さんだ。その軽トラに寄りかかっている人影がある。朝日を背にして缶コーヒー飲む姿は軽トラじゃなく外車でも転がしてる洒落たオトコみたいなオーラを放っていた。
「コーヒー飲んでんの珍しい」
「そこの自販機、ぬくいのがコーヒーしかなかってん。おかえり」
「んー。ただいま」
寝癖でもついていたのか、信さんの手が俺の髪を撫で付ける。帰ったらそのまんま畑出られるように作業着なのに立ち姿が只者ではない感を放っていた。高校の頃からこの人は纏う空気がちょっと違っていた。きれいなところしか見たことがなかったから、おばあちゃんちの農業継ぐと聞いて驚いた。ついに北さんも泥に塗れるのか…なんて思っていたけど、実際泥塗れでも北さんは凛としていてきれいだった。金色の稲穂の海からすくりと立ち上がる姿は神々しくもある。ほっかむりしててもかわいい。助手席に乗ってシートベルトを締めるとすぐに動き出す。
「三軒隣の和久田さんおるやろ」
「うちにも年賀状くれる人?」
「おん、その和久田さんとこの娘さんがな、信ちゃんとこの旦那さん帰って来たら教えてくれーて」
「なんで?」
「サイン色紙欲しいねんて。娘さん道の駅のファーマーズマーケットに勤めてはるやろ」
「あー、なるほど。いーですよ」
「ほんなら昼にでも行こか」
「卸す時じゃなくて?」
「もう行ってきた」
ああもう行ってきたのか。それならまた時間を見つけて行くしかないか。
「……困らせるつもりやなかってんけど」
「ん?」
「結果としてそうなっとるな」
「なんの話?」
「俺の旦那て呼ばれんの」
信さんとこの手伝いを始めた年に近所のお母さんおばあさんから囲まれた。付き合ってる子は居るのか結婚しているのか、相手は欲しくないか結婚したくないのかと矢継ぎ早に聞かれて狼狽えてしまったのだ。ようは自分の娘、孫娘の婿探し。跡取り候補として見られていたのだ。そんな中信さんが「倫太郎は俺の旦那やからアカンで」と一蹴した。その後やれホモが伝染るだの何だの言われたがそれもまた「医学的根拠でもあるんか」と正論で殴って黙らせた。それでも距離置く人も居るけどね。
「昨日練習場出る時飯誘われたんだけど、旦那さんの手伝いしに行くからパスって断ったんだよね」
「……」
「俺、北倫太郎になるのも視野に入れてるんでよろしくお願いしまーす」
「アホやな」
はは、とひとつ爽やかーに笑って何事も無かったように軽トラを走らせる。小さく鼻歌も聞こえるし俺の答えは信さんを安堵させるに足るものだったらしい。
「ホンマは要らんかった苦労させんのも忍びないな思てんけど。礼くらいは用意したらな」
「お礼?ご褒美って事?…それってさぁ、」
「アホか。こん車のドラレコ中も映してんね」
「……ハーイ」
ご褒美って?と期待満面に身を乗り出し顔を寄せると普通に軽く平手打ちされた。信さんちに着いて荷物を下ろし作業着のつなぎに着替えてから畑に出る。
「精々晩飯に好きなもん食わすくらいやな。ああ、それとは別に米と野菜持って帰り」
「………「あーん」で」
「は?」
いつもここの家に来たら信さんとおばあちゃんが俺の好きなもの食べさせてくれるじゃん。特別に何かを、と許されているなら俺は恥ずかしげもなくお願いしますよ。あーん(はぁと)を。俺を怪訝に見たあと、苦そうな顔で善処する、と答えてくれたものだからその日一日トラクターのハンドルさばきが神がかっていた。でも終了間際にフォークリフトのフォークを出荷するコンテナにぶっ刺してしまったのでご褒美は無しになった。