すぐ隣で眠っていた人が小さく唸ってもぞりと身じろぎする。カーテンの隙間から覗く陽の光は鈍く、スマホで見た時間にしてはずいぶん暗かった。肌に触れる自分の体温の混ざったシーツの感触と温度が心地いい。んん、と伸びをして隣の人の顔を覗き込んだ。眉間に深いシワが寄っていて不快です、という感情が見て取れる。あー、これはあれかな。低気圧かなんか…天気予報を見損ねてた。今日の天気は雨なのだろう、窓にぱらぱらと当たる雨粒の音がする。純さんは気圧の変化で頭痛を起こしやすい。梅雨入りはまだ先だったから油断してしまった。
「……起きるの」
「はい。おはようございます」
「うん…」
いつもは全世界に向けて叫ばんばかりにハツラツと朝の挨拶をかますところだがそんな声量はきっと今の純さんには毒だろう。そっと吐息で触れるように言ってベッドを抜ける。昨日は服を何一つ纏わずに眠ったから全裸なわけだが、そもそも俺は昨日服をどこに脱ぎ捨ててしまったのか…寝室にはその痕跡はない。それならリビングかな…全裸で部屋をウロウロするのは良くないがどうせ今日の純さんはまだ起き上がれない。視線がないうちにささっとリビングに通じるドアを開けると何故か部屋に安置されているグランドピアノに引っかかっているのが見えた。……俺か?俺が勢い余って吹っ飛ばして…いや純さんが……あの人適当にぶん投げるからな…そういうことにしよう。そうであれ。
全裸のままそれらを洗濯カゴに回収してドラム式洗濯機に突っ込んだ。今日の天気だったら外に干せないし部屋干しするスペースなんてこの部屋には存在しない。しっかり乾燥もされるように操作してスイッチを押した。
「ふふーん、ふん、ふふーん、ふん、ふーんふん…あーぱつあぱつ…」
シャワーを浴びながら最近よくテレビや外で流れている流行りの曲を口ずさむ。あの人の前で歌ったら耳に残るからやめてって言われてしまうのだ。
さっぱりしてドライヤーで髪を乾かして洗濯機の残り時間をチラ見してから脱衣場を出た。
「どんちゅうぉんみらいあいうぉんちゅーべいべ…」
「それやめて」
「ぎゃああ!!」
「うるさい…静かにして」
気分が上がってサビを口ずさむとてっきり純さんはまだ寝室で寝ていると思っていたのにリビングのコーナーソファから声がして心臓が飛び出る思いだ。せっかく大きな声を出すのはやめようと気をつけていたのに思い切り声を上げてしまって喉がひりつく。
「まだ寝ていればよかったのに…今日も夜のレッスンあるんでしょう。まだ11時ですよ。お昼前……うわ全裸!服着て!」
「司だってさっきまで全裸でウロウロしていたくせに」
しっかり見られていた……見られちゃうと全裸でうろつくのを注意しにくいのだ。というか全裸のままソファでゴロゴロしないでほしい。
「シャワー…浴びる」
全てにおいて自己中心的なまでのマイペースを貫く純さんは割とキビキビと行動しがちだ。チンタラしてると置いてかれたりするし。氷の上では言わずもがな。そんな彼が全身鉛で出来てますとばかりにのそぉ…と体を起こす。
「何か食べて薬飲んでからの方がいいんじゃないですか?」
「この格好のまま食べろって?」
「そうは言ってないでしょう!」
服を着たらいいのに!けどなんとなくわかるぞ…俺もさっきそうだった。ちゃんとさっぱりした状態で新しい今日着る服を着たい。さっぱりする前に着た服を1日貫くのはちょっとね…この人は無頓着なようでそういう清潔感は気にする。それにもう洗濯機は回ってるので。
さてあの人は今日は何なら口にしてくれるだろうか。俺としてはまともに食事をとってもらいたいところだが何せ食事という行為そのものが嫌いなのだ。現役時代に食事面で苦労したから食事の時間というものは苦痛であると覚えてしまったかららしい。なのでその時間が最短で済むようパーソナライズされたカロリーバーとサプリで済ませてしまう。たまーーーに味を楽しむ程度の量を口にすることがあるが完全な気まぐれなのだ。今うちにあるのは……うーーーん…シリアルとヨーグルト…あ、この間買った高級食パン。ハムにベーコンに卵。トーストと目玉焼き…いやベーコンエッグだ。俺は5回に1回くらいは料理を失敗するがただ焼くだけなら失敗しない。
「あーぱつあぱつ…あーぱつ…あぢっ!……ふふんふふん……あっ」
油を敷いたフライパンにベーコンを乗せて卵を割ると油が跳ねた。二つ目の卵を割るとフライパンに着地した瞬間ぱつんと黄身が崩れてしまった。ただ焼くだけなら失敗しないと言ったがたまにはこういうこともある。卵を二つ焼いたのは純さん一つ食べるかなーという期待。食べなかったら俺が食えばいい話だ。焼けたベーコンエッグを皿に乗せ、トーストを二枚ポップアップトースターにかけた。
「……遅いな」
俺は特別な身支度がない限りはシャワーといえばほとんど烏の行水。純さんも俺ほどではないがシャワーだけならささっと浴びてチャチャっと出てくる。髪も乾かさずに…そんでまた全裸なのだ。体の熱が冷えてからようやく服を着る。まさかぶっ倒れているんじゃ…!
「純さん!?」
「………うるさい…」
「あっ、生きてた」
ぐらぐらと頭を揺らしながら洗面台に項垂れている。これは…今日の頭痛は深刻なようだ。目力が半端ない。一緒に住む以前の俺ならここでちびっていたかもしれない………は流石に言い過ぎか。………そんなことないな。
「まだ体びしょびしょじゃないですか。ほら拭いて」
「動きたくない……」
「髪は俺がやりますから。ちゃーっと拭いて乾かしてご飯食べましょう。薬飲んで横になればすぐ治ります」
多分ね。狼嵜選手とのレッスンまでには回復するだろう。あーー今日の雨何時までかな。ずっと降るなら送迎しないと。純さんからタオルをとって髪をわしゃっと拭くと腕を払われた。頭揺らされると痛いのかな。じゃあ極力揺れないように。むぎゅっ!と胸に頭を抱き込んでタオルで髪を拭く。これなら大丈夫だったのだろう、純さんが抵抗の意思を見せない。…見せないどころか、胸にかかる圧力が増したような。寄りかかってまどろんでないか?
「こーーら」
「もういい…」
ちゃんとドライヤーで乾かしたいんだけど。もういいやこのままやってしまえ。ドライヤーをコンセントに繋いで胸に頭を抱いたままドライヤーをかける。完全に俺にもたれかかっているから前髪はかけられない。変なセットになっても知らないからな。
「でも前髪ピョコってなっててもかっこいいんだよな〜〜」
「なに」
「なんでもー」
現役の頃よりもいくらか増えた白い髪。おでこが見えるとギュン!と来てしまうのだ。この…ギュン!は俺だけなのだろうか…ファンならみんなこう?それとも惚れた欲目なのでしょうか。そんなの聞く相手などいないが心の中で問いかけた。うなじのあたりに風を送って出来上がり。軽くブラシをかけたがやっぱり前髪が上がってしまった。かっこいいなクソ……いつだってかっけえや…もう助けてくれ…
「は…はい出来ました。服着て」
「着せて」
「いやだよ!朝っぱらから…昼だけど、なんてプレイ…」
「……こんな時間から何考えてるの。そんなつもりなかったのに…いやらしいね、司」
「…〜〜〜!!」
なんだよもう!
「とてもじゃないけど今はそんな気分じゃないからおねだりは夜にして」
「しません!」
「へえ、そう」
く、と純さんの口角が上る。本当にしないの?耐えられるの?見ものだね、の顔だ。逃げるようにやけに熱気のこもった脱衣場を出てポンと飛び出していたトーストを皿に乗せる。冷蔵庫から炭酸水を出して二つのコップに注ぐとちゃんと服を着た純さんがやっとでてきた。
「卵食べる?」
「いらない。ヨーグルト食べる」
食べる意欲があるのは素晴らしいことだ…食後に飲む頭痛薬を薬箱から出してようやくダイニングテーブルにつく。
「卵、失敗したの」
「し、失敗じゃないですよ。わざと。これでどっちも楽しめるといいますか」
「わざとだって言い訳するのって失敗した時だけなんだよ」
「だから失敗じゃないって!」
結局割れた方の卵をちょっとだけ食べた純さんが薬を飲んで早々にコーナーソファに移動し横になった。こういう時は馬鹿でかいソファも役に立つ…というか、俺はここに出入りするようになってからのこの部屋の状態しか知らないがこの人、俺がくるようになるまでベッドじゃなくてここで寝起きしていたんじゃなかろうか。それくらい、この家での拠点になっている。広いベッドもあんまり使用感なかったもんな…え?俺がくるからやっとベッド買ったとか…そういう……いや流石にね、いかに生きるのが下手くそな夜鷹純でもそこまでは。
「早く」
「待ってくださいよ今皿洗ってるとこなんで」
「後にして」
「いやそれは俺が無理」
「やだ。早く」
「だーめ」
こういうのは溜め込んだシンクを後で見てうんざりする時間がいやなんだよ。しっかり洗って乾燥カゴに皿を置きソファに寄るとここ、と座面を叩かれる。座れってことだろう。言われた通りに座ると俺に一切の断りもなく俺の膝に頭を乗せて腰に腕を回して腹に顔を埋めてきた。いつもなら硬いだのなんだの文句言うのに。
「ちょっと寝ますか」
「眠いわけじゃない。……テレビつけていいよ」
「いや。本でも読もうかと」
詰んでる本がサイドテーブルに置いたまま。栞を挟んでいる本を手に取ると純さんが俺のお腹に耳を当てて目を閉じた。
「お腹の音する。ポコって」
「は、恥ずかしい」
消化している音だろうか。恥ずかしい。それを言ったきり、目を閉じた純さんが俺のお腹の音を聞きながらまどろんでいる。眠くないんじゃなかったの。静かになった部屋の中に、純さんの吐息、俺の吐息、本のページを捲る音。そして雨がさあさあと降り注ぐ音が響いた。
30秒くらいオーバーしてはちゃめちゃに悔しいです!!!!!お付き合いありがとうございました!!!ブチュッ💋