短く長い船旅を終えた頃、陽は傾き始め、港町は鮮やかな橙に染まっていた。揺れる水面もまた淡く色付く。海へと続いていく水路には先程とは違う眩しさがあった。
乗り込んだ時と同じように、先に船を下り、彼へ手を伸ばす。託された自身のものより幾分華奢な手の重みを、知る程にそれへの愛おしさが増す。迷いなく託された彼の一部をそっと握った。
「良い時間をありがとう」
「こちらこそ。素敵な二人の一日にお邪魔させてもらえて嬉しいよ」
朗らかに笑う船頭に手を振られながら色付いた街を行く。繋いだ手はそのままで、彼も解きはしない。普段の自分たちを思うと、こんなにも睦まじい二人があることが、どこかくすぐったかった。
「あ」
石の道を歩く最中、すれ違った少女が自身の隣を見て小さな声を上げた。恐らく彼のファンだろう。そういえば、今日一日、幾度も視線は感じたが、誰も何も言わず、声をかけられることすらなかった。
少女もちらりとこちらを伺ったが、やはり、それ以上はない。うっすらと赤くした頬を抑え、街中へ消えていく。
「お前、何かしたのか?」
「何が?」
「……スーパーモデルサマなんだろ」
「今日はただのヴィルだもの」
彼女の視線に気付きながら、微笑み一つ渡さなかった彼はすました顔で言う。それがどれだけ凄いことなのかは分からないが、フォロワー五百万人だという彼が、一度も人に囲まれずにいたことは不思議を通り越し、不審だった。外からの観光客が多い街であれば尚更だ。
疑問を抱きつつ、口にはしなかったが、あそこまであからさまだと気になってしまう。そもそもだ。服装に気を遣おうが自分たちが並んで街を歩き、目立たない訳がない。日暮れが迫る時間を前に、今更過ぎるがこれはごく自然な疑問だと思う。
「まあ、そうね。ちょっとだけヴィル・シェーンハイトに戻って何か言うとしたら、アタシのファンがとってもお行儀と聞き分けが良かったってことかしら?」
「……はあ?」
「今は良いのよ、そんなこと。それよりほら、見て、綺麗」
無理やりに話の腰を折り強く手を引いた彼に連れられ駆ける。そこは舟でくぐった橋の上だった。
眼前に広がる海も街と同じ色を映す。煌めく青はそっと息を潜め、代わりにゆっくりと水平線へ落ちていく陽の色を纏っている。海も砂漠も学園も、夕刻の色は皆変わらない。
「確かに、綺麗だな」
「ふふ、アンタにしては素直ね」
そう言われ、簡単な賛辞すら日頃声に出せない自分を知る。捻くれ者の自分だが、綺麗なものは綺麗だと思うし、愛らしいものもまたそう見える。嫌いなものがあるように、好きなものだってある。けれど、その幾程に、きちんと言葉を渡しただろう。
彼のことだって、いつも美しいと感じている。ただそれを、教えたことは一度もない。
「……お前も、綺麗だと思う」
「アハハ!」
幾らか迷って、最後まで躊躇って、決死の覚悟で絞り出したそれを彼は笑う。嘘ではないと伝える術のない自分は、何も返せない。
「あ、ごめん、違うの、レオナ」
「別に良い」
慰めも言い訳もいらない。これは自身の怠惰だ。狼少年がどれ程吠えても嘘吐きから出た真に頷く人間などいない。
「拗ねないで、ね?本当に違うんだから」
彼の指が自身の髪へ伸びる。後ろ髪を撫でながら、彼は困ったように眉を下げる。彼も言葉を探していた。お互いに、口は良く回るが心を上手く伝える方法を知らない子どもだった。
「その、なに、分かってるのよ?アンタが綺麗だって、思ってくれているって、ちゃんと」
伏せられた彼のまつ毛は橙色だ。細い絵筆で一本ずつ丁寧に色を付けたように染まるまつ毛も綺麗だと、彼が次の台詞を捕まえる間、それをただ眺める。
「言わなくても、分かっていたから。でも、それを言葉にしてくれたアンタが可愛くて」
「笑ったと」
「うん。からかうつもりじゃなかったの、本当に」
夕日のチークが乗った頬に手を伸ばす。緋に染まらない自身の手は、彼の肌と対照的だった。この手で彼に触れる度、白のキャンバスに黒い絵の具を垂らしたときのあの背徳感と高揚感があった。
両の手で頬を挟み、俯く顔をこちらへ向かせる。この瞳に微かであろうが不安が浮かぶことが一体幾程あるのか。少なくとも彼に出会ってからの三年間の中でこの色を見たことはほとんどない。
それを一日で二度も前にしている。やはり彼は、どこまでも自分を喜ばせてくれる人だった。
「こっちも不機嫌になって悪かったよ」
もう良いのだと、彼の鼻先に唇を当てる。
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コインランドリーより愛を込めて2020秋
初公開日: 2020年09月28日
最終更新日: 2020年09月28日
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作業します。
スランプの戦い~2020春の陣~
スランプが酷いので無理やりなんとかしようと思います。地獄を見ることができます。
いと
まったりと原稿(R-18入るかも)
八真の原稿をちびちびやります。既にある部分を貼り付けてからやるので、一気に文字が増えたり減ったりする…
敬助