それは人の顔を形作った。
美しいといえるかもしれない。ただし、大きさがせつらの身長の3倍もなければ。
手ごたえはない。ただの霧だ。
それが、ずれた。
顔の中心に走った線がむなしく消えたかと思うと、すっぱりと分かれて、半分は文字通り霧散した。残りは悲しげな表情を浮かべ、そして叫んだ。
しばらく澱んでいた霧が、再び人の顔になった。今度は先ほどの表情とうってかわって、鬼のようだった。上空にいるせつらめがけて凶悪な乱杭歯が閉ざされる前に、後方へ飛びのいた。こちらをギロリと睨みつけたその動きが止まった。
おや、と思ったがとりあえず、安全圏から見守る。
怒っているような、泣いているような、笑っているような、複雑な表情が次々と浮かび上がっては消え、最後に一滴のクラウンを落として、それはただの霧に戻った。
始まりはいつもの人探しだった。それ以外の理由で動く事は滅多にない。
ある神社の桜の木を引き抜いたら、そこから五色鮮やかな霧があふれ出し、それに触れた人間が次々と消えた。一晩で800人。慌てて一画をを封鎖しているが、今のところ霧は尽きる事がない。
後になって、その神社の由来が調べられたそうだが、開けてしまった蓋は戻らない。
「お役所仕事はこれだからなあ」
着地して呟くと、せつらはてくてくと歩き出した。
かつて、ロンドンで1万2000人を殺害した5日間のスモッグは、二酸化炭素と一酸化炭素が結びついたものだった。霧に巻き込まれて別の世界に行ってしまう話は、それこそ星の数ほどある。
魔界都市にももちろん。
春先に3日間ほど現れる濃い霞の向こうには、あきらかに古代の遺跡らしきものが見え、外国の摩天楼が乱立していたり、あるいはそこに住んでいるという住人がこちらへやってきたり、証言は様々だったが、それはあくまでも蜃気楼のようなものだという。買い物をしたという住人が代金に置いて行った貨幣は、どこの国のものとも知れない文字が刻まれていたらしいが、夢の名残としてどこかに厳重に保管されているらしい。
だが、今は秋だ。そして、地面からあふれ出したのは霧だ。
「水の成分は同じなんだよね」
それを区別しているのは人間だ。霧も霞も消えるわけではなく、目には見えないだけで、空気中に存在している。人間もほとんど水だが、消えたりはしない。多分。