:それゆえ、人だから 1
「……はぇ」
終わりかけた秋の日。
それぞれ、所属する中学校と、所属する高校の学生服を着込んでいた。六道骸の住むマンションの扉を背にする少年は、立ち尽くし、薄茶色をチカチカさせて目を疑った。
玄関は薄暗く、せまい。せまいところに二人が立ち、彼は俯き、少年はあおのく。
俯く彼はニッコリと相好を綻ばせる――、青い眼目がまなじりを細めて瞳孔を据わらせた。
「少々、ベタすぎます? ですがね」
心拍音が、彼らの間ではずむ。
「好き」迷わずに、骸は声にした。
「好きです」
「――――」
ぱっと見開かれる目は、その薄茶色の透明度を一挙に引き上げた。学校指定のカバンが、彼の肩からズルッとヒモを滑らせた。咽喉をふるわせて彼は言の葉を万感に潤わせる。声帯が濡れて、声色が発熱した。
「――いくらでも言える、本気なのですから」
区切って、それからもういちど。
「好きです。綱吉くん」
それは、新たな冬が巡ろうという、そんな季節の、秋が終わりかけたある日のことだ。
ドタン、とマンションの扉がその重さによって勝手に閉まった。沢田綱吉の小さい頭越しに、腕が伸ばされて指先は鍵をかけた。薄茶色の目玉が丸まって拡大されて「……」なにやら、つんのめったように後頭部はずりさがらせる。
『……デッか、骸さん、俺の頭一個分くらい、……今更だけどさ……』
玄関先は薄暗く、せまい。
もぞもぞして靴を脱ぐ。どちらの服に付着してついてきたのか、深紅に染まった紅葉が、石模様のタイルに滑り落ちる。今日の待ち合わせ場所はエントランスでもマンションへと至る架橋の手前でもなく、綱吉の中学校にほど近い、目抜き通りにあるスーパーだった。通りはイチョウの木々が並んでいた。
骸が、調達品の詰まったレジ袋をおろし、綱吉の目線を追って青目でも紅葉を見下ろした。綱吉が、拾おうとする。
「綱吉くん。どうぞあがって? 今日も長丁場になりますよ。心理テストもしますし、問診もある。ああでも夕飯は大盤振る舞いをさせていただきますからね。いつもの鉄分補給メニューに、それに刺身の豪華盛り合わせです」
「あ、さっきの。鯛と本マグロ」
「そうです。モリモリ食べて帰って下さいね」
「四人前ぐらいありましたよ!?」
「クフフフフ。そもそも君は育ち盛りです。君の場合は栄養過多でちょうどよいのでは。では採血室にどうぞ、飲み物を持って僕も行きますよ」靴下になってあがって、レジ袋を再び手にする。はぁい、と、返事する綱吉は廊下に居残った。
『喉、渇いた。甘いモンがイイなあ……。ミネラル分とかでまた中国茶かな』
(グレープフルーツジュースにでもするか)
冷蔵庫のライナップを思い返してみる。ビタミン補給。
横目で、目線のみふり向かせれば、沢田綱吉はどこかぼんやりまなこでジャケットを脱ぎ、衛生管理品を扱っている小部屋のノブをまわしていた。骸がパック飲料を両手に入室したとき、馴れたもので制服のジャケットは既にハンガーラックにかけてあった。
骸は、上着はリビングで脱いできた。白いシャツに、制服ズボンの格好。
机の向かい側で丸椅子に腰をおろした。
「では……」
『やった。冷たいジュース!』
早速、綱吉はビニールとストローを外しにかかる。骸は問診票を広げた。問診に複雑多様な心理テスト、血圧チェック、体重と身体測定を加えて、それからいつもの採血が沢田綱吉を待っている。もはやマンションでのこれは、週に一度の定期検診といって過言ではなかった。
といっても骸は医者ではない。いうならば闇医者だ。
骸自身もフランクに、無糖コーヒーのパックにストローを差し込んだ。
「調子はどうですか。食欲はありますか? 排泄の回数は? 夜、眠れていますか?」
「俺は……、いつも通りですよ」
ストローを吸いながら、ちょっと疲れたふうにハニカミする綱吉。
青い眼球が瞼に半分ほど覆われる。冷や汗して、トイレの回数などを指折りで数えようとしだした。
『なんだかなぁ~~ッ。あ~~、意味あんのッ!?』
心理テストに移る前に、今日は綱吉が抵抗した。
「骸さん! 骸さんは? 俺ばっかこんなことしてるけど骸さんはどうなんですか? 骸さんだってニュージーランドで大怪我してきて呼吸だって止まってたのに」
「もう疵痕も残ってませんよ」
平然と答えつつ、片手でステンレスラックの引き戸を漁る。
今回のことが起きてから購入した、専門の検査用紙などがバリエーション豊富に取り揃えてあった。(今日のテストは……。ほんとは、僕がやるんじゃバイアスがかかりすぎなんだがな。しかし専門機関に委任するんでは時間がかかる。人魚的な、獣のような因子など、測定されるべくもなし。……事態は急を要する筈なんですが、ね)
パックジュースをちゅうちゅうしている中学生をちらと見る。
のほほんとしたものだ。
油断している。そんな空気は骸も同様ではあって、こんなような雰囲気は日本に帰国してから、そことなくずっと漂流しつつある。前よりも距離が近く、気安いとも感じられるようなムードが共通して流れるようになった。
契機は、ニュージーランドの孤島、海岸線で起きたとある経口接触にあるだろう。人一倍、神経質な生き方をせざるをえなかった六道骸は的確に道筋を踏まえていた、が。
(この子は無自覚なんでしょうねぇ……)
自分が飲んでいるのは無糖コーヒーなのに、甘ったるく味蕾が錯覚する。
「では。この画用紙に一本の実のなる木を描いて下さい。はい、クレヨン、色鉛筆。あとマジックペンです。お好きな道具で好きなようにどうぞ」
「幼稚園児ですか、俺は……?」
毎回、よくわかんないですよ、口中にぶつくさうめきながら、綱吉は本物の園児なら目を輝かせそうな数々の道具を困って観察などしている。とりあえず色鉛筆を手に持った。
「毎回、僕も言ってますけど。解説したんじゃテストの意味がありませんので……。ほら、綱吉くんは、二十五メートルも泳げなかったじゃありませんか?」
「う、ぐ」
伝家の宝刀を抜いた。
今では綱吉の弁慶の泣きどころだ。狙い撃たれたがゆえにくちごもって気まずげに目を伏せた。
『それ言われちゃあ……、そりゃ……っ、そら俺だっておかしいってわかってるよ。でもよくわかんないもんは、よくわかんないっていうんだよ……。木? だっけ、木を描け!?』
(バウムテストって言うんですよ)
胸中でだけひとまず回答する。骸はもうストップウォッチを押しており、合図を送っていた。テストのはじまりを意味していた。
スタートしている以上、終わるまでは会話は控えるべきモノとなる。
綱吉は、これまでに何度も似たようなテストを受けてきたので、怖々ではあるが指令をこなしはじめる。黒い色鉛筆で一本の木を描いて、その中身をクレヨンで塗り潰す、など。
『うわあ……、ちょーヘタクソだけど、いいのか? 骸さんが帰ってきてからこんなんばっかだな。ん~、あー。絵、幼稚園児レベルだな、俺って……』
ちまちまちま、木を描きながら、たまに面貌を上げて年上の少年を確認する。骸は、寛いだふうに、コーヒーを飲んだり専門の解答紙を読んだりした。
「あの……、超下手な場合はコレはどういう結果になるんですか」
「ヘタウマは関係ないですよ」
簡単な返事なら、受け答えはアリだ。
綱吉がどんな木か聞くと首は左右にふられた。「それは君しか知りません。好きに想像して描いてみてどうぞ」
「えぇぇえええ~……っ!! ええ、えええ~っ……!!」
小動物の寝息のようなものをエコーさせつつ、逡巡したすえに綱吉は赤い実のリンゴを付け足した。困り顔でちまちまと紙面を埋める。手つきに迷いがあり、クレヨンか色鉛筆かの選択すら迷っている様子だ。
(……やはり)解答の専門紙に目を通し、バウムテストの評価軸と照らし合わせながら、骸はこっそりと肺を搾らせた。
(手を変え品を変えようが変化は無いな。標準的。むしろよくまあ、ことごとく平均点が取れるものだ、この子。感心するなむしろ。いえ、別に、赤裸々に深層心理を曝きたいワケではないが――、いや、だが。異常はある筈なんですよ。異常なコトが現実に起きたのだから)
『りんご……。リンゴかぁ。つーか、なんでリンゴだよ? 俺? どんぐりでもいいんじゃ? ん? どんぐりって、木の実? 種なのか? どういう違いだよ! あーもう、適当、テキトウにとにかく描いて』うんちゃら胸中でうなって綱吉は紙面を埋めようとする。骸は、溜め息したくなってきた。
(……測定方法に困るんですよねぇ……!)
「…………」
「…………」
シャカシャカ、ぬり、お絵かき道具が画用紙を引っ掻く。
げえ、色に失敗した、なんて綱吉はところどころで詰まっていた。ついでとばかり、木の横にぐるぐるした太陽を描きながら、紙面に目をやったままで尋ねた。
「コレ、どこで終わりにしたらいいんですか? 骸さん」
「ああ。君の判断です。君が完成とするなら終わりです。お疲れ様です」
『なんじゃそりゃ!!』「は、はあ……、じゃあ終わりです」
「ハイ」画用紙を渡されて、骸は解答紙にもとづいて最後の評価を算出する。結果はごくごく一般的、平凡的な家庭に生きる中学生男児と同等の人格評価だった。(まあ、描いてる途中からもう判りきってる判定結果だったんですが)
そもそも、魚人のスキルとして、もとから綱吉の心の声など骸には筒抜けだ。その人間性に変異がないとはとっくに重々と承知済みだった。
(それでも、こうした検査をせざるを得ない……。異常だったんですから)
綱吉を、思えばこそ。言い聞かせて息を潜めた。
『ほんっとしつこいな。こんなことして意味あるのか、はーあ』
「さて。では、次に」
「はぁーい」
(意味、ねぇ)
疲れてくると、綱吉の心の声はダイレクトに不満を表明する。
意味があるのか? 疑問は繰り返される。正直に述べることが許されるなら、六道骸としても疑問である、が。
(僕が実行している限り、どんな検査もバイアスがかかりすぎる。無用なバイアスが。だから意味など僕がやっている限りはないのかもしれません)
(――無用なバイアス、つまりそれは、僕の恋心、なんですが……)
骸は、沢田綱吉に特別なこだわりと感情がある……、消しようがない事実だ。
「…………、?」
スリッパを脱ぎ、靴下を脱ぎ、真新しい身長測定器に乗って、頭のてっぺんに計りがおろされるのを待って綱吉の睫毛がパチクリされる。顎をあおのかせて頭上を見た。曖昧に笑って骸は測定の計りを綱吉の頭頂部にコツんとさせた。
「身長、ミリ単位で変化なし、ですね」
「……そ、うですか」
骸の口角がさらにナナメに上がる。
見つめ合ううちに、綱吉が、頬辺を染めた。
ひら、と落ちた紅葉の葉っぱのように。色は現われる。
「…………っ!」
息を飲んだ綱吉の呼気に、耳を澄ませた。
耳の内側に波打ち際のさざめきが聞こえる。波の音がはじける。
あのとき、確かに、六道骸と沢田綱吉の関係は変性あるいは進化を遂げているのだった。(……この子の話とリボーンが聞ききだした証言を統合すると、記憶はおぼろげ、だが居てもたってもいられず海に投身した。夢中で伸ばした手は僕に届いた。潜ることすら困難な氷の海で藻掻いているうちに、気がついたら、波打ち際に辿り着けていた)
統合すると、曖昧模糊な、信じがたい話である。
(心当たりがゼロではない)最初に、そうは思った。(沢田家に眠る人魚の血がなんらかの……、異変を起こしているとしても。だが、この子だけが未だに、ニュージーランドでのダメージから回復していないのも事実。傷だらけの体をしている)
少年はあちこちに絆創膏を貼っていた。指先や、首筋など、服からはみ出して十箇所以上にも及んでいる。並の人間程度に治りも遅かった。あれから一ヶ月以上が経過して、骸やリボーンなどはあれだけ激しい交戦を経たにも関わらず、肉体に傷ひとつ残さず支障なく日常に復帰できている。
次は体重測定だ。しんどそうな溜め息が漏れ聞こえた。
「……疲れました? 綱吉くん」
「あっ。ああいえ、大丈夫です!」
『やば。だ、だいじょうぶです、なんでもないです!!』
骸はにこやかに笑顔になってみせ、何気なく手を伸ばす。頭を撫でられる瞬間、綱吉がびくんとなって、前髪近辺を触ってくる指先にあからさまに狼狽した。『てか、あのときって――……』
『……ア。ぁ、なんでもないです。なんでもないです!!』
「今日も、頑張りましたね。検査結果はクリーンですよ。綱吉くん」
ニコニコ顔のまま、報告する。
なまぬるく沈殿する、ぬくい体感温度には浸った。右側に刻印されている六の痣字ごと六道骸の両の目がたわんだ。
ニュージーランド。波打ち際にうちあげられて――、それから。それから交えた交流は、骸と綱吉の温度にだけ閉じ込められて、共通のヒミツめいたものに変性していた。当時はクラーケンの出現もあって緊迫した状況下だった。状況に追われてどちらも追求も告発もせず、今日の秋の終わりを迎えている。
骸がほとんど最近まで日本にいなかった、という事情もあった。タイミングが失われてしまった。
が、人肌を、あのときの唇の感触と潮気に満ちたしょっぱくぬるい吐息を、体は覚えていた。
今も肉体の奥に途切れず底流が通う。あのびちゃびちゃした塩っ気と熱が感じられる。沢田綱吉もそうなのだろう、すぐに頬を上気させては目をそらすようになった行動の変化が、それを端的に骸に伝えてしまう。あのときから。距離は近づき、心は遠のき、体感温度は高まっていた。
あの日の記憶が、骸の胸裡に蘇った。
:それゆえ、人だから 2
ザザーン、海が打ち寄せては引き上げる。黄色い砂浜にあぶくが纏い付き、波と共に前後する。ブラウンの髪の毛の少年がシャツ一枚を半乾きにして座り込んで、青々と晴れ渡る絶景をあおぎ、呆けていた。
後背からガサガサと枝葉を掻き分ける音がした。
「!!」
ビクッ!!
全身を垂直に震わせ、少年が両手を砂に乗っけてふり返る。
出現したのは六道骸である。
藍黒の頭髪がまだ少し濡れて、黒いシャツも肌に貼り付いて、ボトムは汗にも湿っていた。砂や汚泥などが飛び散って探索の険しさを端的に物語っていた。
本人こそは余裕がある。残しておいた綱吉、その周辺に異変がないことを確認し、きょろきょろしながら骸はなんてことなく報告した。
「獣の気配はありますが、人魚は無縁ですね。アチラが警戒して近寄ってくる気配もなし、当然ながら襲われる心配も無用なようです。この北極海の血脈は、深海にのみ、残存してるんでしょうかね」
「て。こと、は――!?」
「自然豊かな、ニュージーの孤島です。ここは単なる」
「よ、よか、よかった」
浜辺に突っ伏しそうに、綱吉は両手をズルズルと砂に滑らせる。
伏せって呼吸は喘がせた。延々と疲労困憊、極限の緊張状態にあったのだ。
「こ、これでさらに怪獣バトルなんて今度こそ骸さん死んじゃうよ!! つうか俺も死んじゃうっ!! はあ、よかった、やっと生き残ったって心地してきたぁーっ!!」
「僕の失血は回復してきてますけどね」
「骸さん!? そもそも、そんなに動きまわって」
「大丈夫ですよ。血液も再生します。……とはいえ、心臓が止まったのは事実ですね。まだちょっと頭が痛い」
「そんな程度で済んでるのがオドロキなんですけどっっ……!?」
瞳の輪郭も中身も小皿のように点にして、綱吉は葉っぱを掻き分けて海岸線に復帰する骸を改めて眺めまわす。乾燥した枝や葉っぱなどを抱えていて、骸はこれを薪として焚き火にくべた。半分濡れたシャツはバサッと脱ぎ、上半身を露わにする。
パチ、パチ、火の粉は爆ぜるが、見てるだけでも凍える光景だ。
綱吉が引き攣るが、骸は同じく脱ぐように告げた。
「完全に乾かしちゃいましょう。野営して問題なさそうですから。それに日が暮れる。君、寒さに耐えられないですよ」
「え……。ぁ、っくしょん! あ、でももう、けっこう乾いてて」
「完全に、です。ここで体調を崩せば厄介だ」
言うなり枝を組み立てて蔓で結び、ピラミッド形状の簡易テントが作成された。シャツを着せて猛り火に当たらせる。当の彼は、この極寒の孤島でも平然と動きまわっている。綱吉が喉をごくんとさせて肩をちぢめる。
野営地は、整頓されている。昼間のうちに、骸は自らの血液をビニール袋ぐらいになるまで伸ばし、そこに海水を入れて袋にして、水レンズ代わりにしてみせた。現在、綱吉の前で盛んに揺らめいている焚き火が、そうして成育された種火である。骸の言うなりに、自分のシャツを脱ぎ、しかしすぐ綱吉はまたクシャミをした。
「寒いですよね、綱吉くん。さぁ」
「!?」流木をイス代わりに引っぱってきた骸は、おもむろに腰をおろし、上半身が素っ裸の綱吉を抱き寄せる。肌がぴとっと吸着し合って過度に密着していた。綱吉の、薄茶色のブラウンがまん丸に瞠られて、頬は汗ばんだ。
青く染まる両眼は、水辺線に沈みゆく太陽に向かう。
「ひとりきりで心細くありませんでした? なにか事件は?」
「――あ、あ。なんも。……船もなんも、ですけど」
「そうですか。君は、お腹は空いてます? 魚か貝かチャレンジはしてみますか」
「が、我慢できますよ。こうして火があるだけで有り難いです、俺」
徐々に暮れる大空が少年たちの頭上を覆う。果てしない海よりも空は広大だった。青紫に紅色が混じって夕暮れが溶けていく。背後はキィキィとジャングルの生命が秘やかに行き交う。
現在地は、正体不明の小島。それは明らかで、綱吉の指先はピクピクと痙攣している。
それを目の端にしながら、頭一個分ほど背が小さい少年を、その強がりを、骸は内心で労るつもりで優しく微笑んだ。とっておきのものです、と、ジャングルからの戦利品を持ち出した。
「偉いですね、綱吉くんは。……でも水は要りますよね。水場がありましたよ。例によってスキルの応用ですけど、それでよければ。ああ、自分で行って飲んでくるのでも構いませんけど? 凍死しちゃいますね? 僕の血で作ったものですが我慢して欲しいんですが」
「え? あ――!!」
蔓で結んである、薄っすらと赤っぽいビニール袋に包まれた清水が、葉っぱや枝の上にあった。綱吉はツバもないのに喉を嚥下させてこれには大喜びだ。
「あ、ありがとうございます!! よかったー!! どうしようかとっ」
「くふふふ。ま、食べなくても数日は平気でしょうが水はね。ああ、ちゃんと目を離さずに血はコントロールしてますから、僕の血まで誤飲する心配は無用ですよ」
「そんな!! 別にこの際、血ィくらい平気ですよ」
心から有り難がって、綱吉はビニール袋からごくんごくんと水を飲む。
ぷ、あ、息継ぎして両目を輝かせた。
「骸さんってどうしてそんなに万能なんですか!?」
『なんでもできんじゃないか!? この人!?』
(永く、生きてますからね)率直な回答は、しかし胸中に押し戻した。ニコリと笑んで頷き、人差し指をイタズラっぽく立てる。夕日が沈み、水辺線に一条のオレンジ色の線が走っていた。
「なぜなら、それはお兄さんだから――、ですかね? 兄なら完璧がお望みでしょう」
「んな、完璧っつか……」『人間離れしてるよーな!?』
「にしても明日には救助も来るかと思うんですが。あんな惨憺たる戦闘になったとはいえ全滅してませんし、リボーンがいる。今頃はコチラを目指している筈です。ですから、現状今はコチラは君の休息と身の安全ですかね」
「俺、ですか?」
「もっと火に当たりましょう。凍死しますよ?」
「……あ、……は、はあ」
骸が肩を抱き、焚き火に向かって身を乗り出した。
互いに、肉体はほとんど乾いた。密着する体の半分側が人肌以上のぬくもりを放ち、骸は綱吉に、綱吉は骸に、直にぐっと触れている。身長差、体格差があってそもそも六道骸は全体的に綱吉よりもひとまわりほどサイズが大きい。そんな少年に抱えられれば、肩を抱く程度のものであっても、綱吉は下手すると全身がすっぽりと覆われてしまいそうだ。
唇のラインをもじ、もじもじ、なにやら綱吉はツッコミをしたそうにモジモジするが、しかし言葉がまとまらないらしく、喉を詰まらせる。
そうしてる間に陽は沈んだ。真っ黒い、都会離れした本物の夜が、焚き火を囲むようになった。
ややして「クフフ」、面白そうにわざと骸が喉を鳴らした。
「……借りてきたネコですかね、綱吉くん? えーッ、とか、死んじゃう、とか、叫ばないんですか? こんな状況って十分なピンチなのでは!?」
「……え、ええ……っ?」
抱き寄せられ、骸の胸にもたれながら、綱吉は体育座りになっている自分の膝を両腕で抱きしめる。綱吉は、前歯が見えるぐらいに口角が引き攣っていて、頬を焚き火にちょっと似たピンク色に染めていた。眉根が困惑に下がっている。
「や、どうなるコトかっ、ッて思、おもってますけど。……でも骸さんが次から次にどんどん、して、くれてて……。……えっと……、……ありがとうございます。骸さん」
「クフハハ、殊勝な! 綱吉くんてば」
「お、俺ひとり漂流してたんじゃ、死んでますよね」
目線、顔向きをそらし、目をあわせまいとする沢田綱吉。
『きょ、距離が、近いな……』
その耳たぶまでが火照っている。
うなじにかけて、なだらかな丘陵のラインが夕日を帯びたようだ。骸は青い両目を静かにしならせる。
現地探索を最優先に、綱吉は留守番をさせてきた。あれから――、この波打ち際で人工呼吸による蘇生を施されてから、まだ一時間とちょっと程度だろう。人工呼吸。もはやそれは名ばかりの名称で、あれは口内粘膜同士をすり寄せ合わせる濃密な粘膜接触になっていた。今も口内に生々しく、骸は名残が感じられる。
「――――」無意識に、下唇をすぅと舐めて、骸は綱吉をもっと覗き込もうとする。
(大慌てしちゃって。おや、くふ、可愛い……もんですね?)
「……、綱吉、くん? ……大丈夫ですか? シャツ、そろそろ乾いてきました。コレ一枚ですが、とりあえず二人で被っておきません? 体温をより保持できますよ」
「あ、は、は、ハイッ!」
「救助されるまで孤島にふたりきり、ですね? くふ」
「……あ、……は、……はぁ、い」
こく、こくこく、首のみが前に振り子した。
シャツを広げてマントにして、綱吉ごと自分にも被せて一緒くたにして包む。焚き火に熱せられた空気が綱吉と骸のうちに閉じ込められて、熱気がこもる。布一枚でもガラリと体感温度が変わる。イタズラ心を刺激されて、骸が面白半分にくちずさんだ。「無人島生活はしばらく続くかもしれません。アダムとイブの覚悟をちょっとはしときましょうか?」
「ふえあっ」
奇声を漏らし、綱吉が上半身を起こすと、肩をしっかりと骸に抱かれているのでシャツはふわっと浮いた。熱を孕んだ空気が肌を掠めて流動した。裸の上半身がこすれる感覚になにやら綱吉は眉間をシワ寄せた。そ、そ、そんな、小声でオロオロして取り繕うとする。
もしも、の話です、歌うようにして骸がまた笑う。
「でも大丈夫ですよ。君の、兄、なんですよね? この僕は。ちゃあんと面倒をみますよ」
「兄……っ?」
片腕に抱きかかえられながら、綱吉は泡を食って目を白黒させる。
『兄!? 兄ってなんで、あ、俺か。いやでも兄にしたって、さっきのはなんか、あ、あれ? エエエッ……!? な、ナニが起きてるんだ今!?』
(……なにがあったのかは、よく覚えてませんが……)
(氷海。あの海中で――)
サア――と、なにかがきらめき、薄氷の沫色に光った。
そんな記憶は、確かにあるのだった。
(アレは、綱吉くんを僕のもとに導く光だったのか? 人魚と魚人が内在引力を有し、クラーケンと人魚、魚人もまたそんな引力を有している。沢田家に残っている血脈もなんらかの反応因子があってそれが光と可視化された、など?)可能性はいくらでもあって、今はまだどんなふうにも考えられて、不安定だ。骸は自然と肩を抱く腕に力を注いだ。(今は、仕方がないですね)
(今は、考えるだけまだ無駄だ……)
仄かに、両目を閉ざす。
火の爆ぜる音。黒く沈んだ海岸線、波の破裂する音。そして少年の暖かな体温、それから、未だに異物になって感触が残存している例の――、口内接触の余韻。
ふ、口角を吊り上げて、骸は傍らの頭部に頬をすり寄せた。
「っ。っ、っ?」
綱吉がきょどきょどして目を瞠る。
(……僕は君がだいすきですよ、つなよし、くん)
(今は、この感情だけで、じゅうぶん。か。ねぇ? ねえ? 綱吉くん)
「…………っ。……骸さん?」
頭に頬っぺをぐりぐりとされる綱吉が、当惑しながら名を呼ぶ。柔らかな髪はキスのように骸の口元に触れた。うずめながら、骸はさらなる肉感を求めた。
「もっとこちらへ。暖めあいましょう? 凍えますよ」
「あ、ぇぁ……ゃい」
はい、と返事したらしき声だ。舌がもつれるらしい。
先程、波打ち際でのコトが、少年に確かな爪痕を刻んでいる。綱吉の反応のすべてがそれを証明している。だから知らずとも口の端は上がりっぱなしでニッコリしては骸は綱吉の肌と毛並みに体の左半分を押しつける。暖かかった。
よそから見るなら、それは、またしてもキスしてしまいそうなムードだろう。こんな海とジャングルしかない北極圏の孤島でなければロマンチックなプライベートビーチにもなっただろう。
「!? !?」
『……な、ぬわ、っくろさ、なっ……、あ――、なんでもないですけど!?』
『む、むくろさ、ちか、近すぎないですか!?』
「ちかすぎませんよ?」
『ちっっ、え、あ、あえ、ぅあ、っ……!!』
えんえんと、綱吉はなにやら悲鳴を押し殺すでもするように、自らの思考を打ち消しては封じている。それが何を意味して何を戸惑っているのか、骸は楽に読み取れた。それこそ読心スキルなどなくてもわかるだろう。
愛しの少年は、密着させる肌をこんなにも汗ばませて、真っ赤にしているのだから。
(――さすがに、バレてる……か?)
(もう下心なんて、隠す理由もありませんよね?)
そうは思える。骸が聞こえるものは、人間の心の声。感情は、声には含まれない成分だ。
綱吉の柔肌は、男を知らなかった生娘が男を知ったかのように、以前とは異なる反応をしている。シャツ一枚を自分たちの抱擁の道具にしながら、骸は、唇を少年の耳元に運んだ。
こしょ。吐息でくすぐって語らう。
「熱い、ですね。綱吉くん、あったかいですか……?」
「……っぁ……、ぅあ、んあ、はい」
「肌が少し汗ばんでいる。夜気に当たってしまうと余計に冷えてしまいますね。体、ちょっと拭きます?」
「え、え、えっ? あ、さ、さわらなくて平気です……!?」
しどろもどろの綱吉は、これ以上なく赤面する。
骸がお試しに触った心臓付近の胸部はどっくんどっくん、激しく脈動していた。指の腹が汗に湿るのが心地よくて骸は青目を微笑ませる。乾いたシャツの袖を引っぱって裸の胸をなぞろうとした。
ぁう、ぃや、ぃいです、などと小声がなにやら断続的に呻いた。
それは、骸にすれば、爽やかな春風の唄声だ。北極海、流氷の浮かぶロス海を目の前に、極寒の大地に吹き通るものでは決してないのであるが、魚人にして人魚の能力も獲得しつつある六道骸には凍気などそよ風だ。問題は綱吉だ。今こそは、本人がカァーッと発熱して凍えてはいなかったが。
(……もう一回くらい、ノリでキスできちゃえそうな……)
狼狽には恥じらいが含まれている。断固とした拒絶でないのは明白だった。
一瞬、そして即座に、骸の胸がザワつく。直後に鋭利なカカトが繰り出されてゴンッ! と、真後ろから背中を蹴られていた。
「っ痛!!」反射的に呟く骸の真後ろに、ジャングルの蔓や葉っぱなどを長身痩躯に散らかしている男性――、沢田リボーンが、黒い両眼をこめかみまで引き上げていた。遅れてわらわら、砕氷船の船長だった男やら生き残りの傭兵などがジャングルから駆け出てきた。
「テメェ!! っにしてんだゴルァ!!」
「……チッ」
こっちだ! 船をまわせ! 船員が救助活動に移ろうとしてにわかに騒ぐ。
彼らが信じがたいほど骸はピンピンしているのだが、シャツを背にはおる綱吉は湯気を立てるほど赤面して目玉をぐるぐるさせてなにやら震えており、もう限界だ、と全身で主張しているのだった。
骸の背を硬いブーツで踏んづけたままでリボーンは凄んだ。
「な、に、し、て、や、が、る、非常時に!!」
「り、りぼーん……っ? リボーン?」
目をしぱしぱさせる綱吉が口を呆けさせた。ほとんど無意識だろう。体に引っかかって残る骸の手を払いどかし、中腰になった。「リボーン!? 無事だったんだな!」
「どうせ来るとは思ってますけど……。タイミングを少しは考慮してはいかがです? リボーン!」
「テメぇ!! ブチ転がすぞ!!」一転、自分に抱きついてきた綱吉には、優しい声色になって吐き捨てる。
「ッたく、テメーら、心配させて損させやがる」
「リボーンっ!! っつうか寒~~ッ!?」
上半身からシャツが落ちて、上半身裸の綱吉が情けなさそうに我に返って自分の体を抱きしめた。リボーンがシャツを着せ直してやるが、防寒具には足らないのは明白だ。骸も、文句やこれ以上の未練は後回しにして、船員に毛布やコートを持ってくるように指示を飛ばした。
「どのくらい離れたところに接岸して? 綱吉くんが凍傷を負いますよ」
「歩けてすぐ行ける。つかテメ、骸。テメェは――」
「後にしません? 綱吉くん、船に行きますよ」
足で砂を蹴り、焚き火の始末をする。
砕氷船の船員たちによって強烈な懐中電灯が光り、岸辺を照らしていた。骸と綱吉、リボーンの影が巨大に膨らんで、波打ち際にまで伸びてザザンとした波に呑まれては蠢いた。
船は、カプセル型の救命ボートだった。収容してすぐさま綱吉は厚手ニットにマフラーに防寒コートなどをありったけ着せられて毛布にくるまれた。そうして、陸の孤島、謎の無人島からの脱出が果たされた。
「……俺たち、助かったんですよね?」
と――。
ようやっと町に戻って朝日を迎えた頃に。
今更の疑問を、ようやく言葉らしい言葉を、綱吉が口にする。
手を貸しあって船員たちは救命ボートを降りる。小さな港に、ロス海を隔てた向こう側からの日の出が射し込む。骸は港の先端に立って、防寒具のコートにざっくばらんに両手を突っ込んだまま足元の海を眺めていたところだった。考えてから、今更ながらの確認に応えた。
「新たな研究課題とともに。……ですか、ね」
「生きてりゃイイんだよともかく、この馬鹿ヤローどもが!」
「り、りぼーん。ゴメンってば!? ごめん!!」
「生還者に賛辞とか言えないんですか? あなたって男は?」
日の出、赤らんだ曙光にふちどられ、生存者一同は町へと帰った。
沢田綱吉の夏休みはそのように終了することとなった。予定通りに帰国する少年を、六道骸が見送った。クラーケンの遺体はロス海を漂流している筈で、その回収が必要と判断したための居残りだ。
再三、綱吉に求められるので、骸も再三に渡って言質を与えてやった。
「わかってます。大丈夫です。僕は、海には行きませんよ。クラーケンがまたきたりしたら生還できるかわかりませんからね。では、綱吉くん。また日本で。さようなら。新学期、がんばってくださいね。リボーンはきちんと綱吉くんを送り届けて下さいよ」
「言われんでも帰るわ。ボケかよ」
「骸さんほんっっとーに無茶しないで下さいよ!?」
最後の晩餐は、例のカフェで共にした。船長、生き残った船員なども招いて打ち上げ会にもなった。それは葬送会でもあり、戦死者への弔いの場でもあるので、全員で手を合わせてから食事をいただくなどした。
(戦死者には慰労金も出す契約でしたっけ)と、骸は事務仕事も頭の片隅に置いておく。これから、通信によるクラーケンの遺体回収指示など、厄介な事後処理がはじまるのだ。六道骸の帰国はこのようにしてほぼ二週間ほど遅れることとなった。ニュージーランドは10月の春を迎え、あちらこちらで花が咲き、陽気な日当たりが安定する毎日だった。
:それゆえ、人だから 3
(キスの塩味も、さすがに、思い出せなくなってきましたね……)
後背から凍った鉄の匂いがする。
その少年は、フラリと校門の前へと歩いてきた。
夏は過ぎ、春は置いてきて、秋が終わりそう。長袖の冬服に着替えた生徒たちが校門から溢れる。彼は、立ち尽くして、校門の傍らにてすらっと待ち伏せしている美少年の名を呼んだ。
「む、骸――っさん!?」
肩掛けカバンがずり落ちそうになって、片手で捕まえた。駆け寄る。
その他大勢の生徒が、行き交いながら興味津々に綱吉と彼とを盗み見る。あるいは、思いっきり注目して凝視するなどしていた。
「いつ帰ってきたんですか!!」
「こんにちは。綱吉くん」
『あー。またきてる!』
『クラーケンのにーちゃんだ』
『イカ魚の謎イケメンじゃん、沢田のやつのなんかの』
ニュージーランドで別れて、なんだかんだと三週間は経過した。研究室にはクラーケン検体のホルマリン漬けや脳みその破片などが新たなるサンプルとして加わった。
「ちょっと今日、いいですか? 早速ですけれど君の血を備蓄しておきたくて。急なお願いですみませんけどね」
「今日ですか!? か、かまいませんけど」
驚くも、躊躇わずに承諾する。綱吉は、久方ぶりの六道骸を頭の房から高い腰から足元までを見比べる。みぎれいできちんと、五体満足な――、きれいな色の秋服ジャケットに黒いボタンがついたもの、上品な深緑色のボトムスにショートブーツ。私服姿は校門の前にいるには余りに目立ち過ぎていた。
生徒たちは骸を見慣れてきている。周辺に群がってきた。それが権利のように、今日は女生徒が綱吉の横に立って自己紹介をし始めた。
「あ、あの。沢田のクラスメイトですぅー、はじめまして!」
「ああ。どうも?」
ニコ、とお愛想笑いをした。
きゃあっ! にわかに、歓声が上がる。女子が駆けつけて、黄色い声援が輪になった。そうなると男子生徒が遠巻きに野次るなどして、いつものように、
「コラーッ!! 懲りないな、お前らー!?」
「ぎゃああああ!? でた!! 骸さん、逃げましょう!!」
「君んとこの先生も大変ですね。毎日、下校の見張りやってるんですか?」
「沢田!! あんたまた独り占めをして!!」
「骸さん、こっち!」
「君んとこ、生徒も元気ですよねぇ」
「骸さんが焚きつけてるからじゃーないですかああっ!?」
『死なない魚とか! クラーケンとかまた言って!』
『やだー、今日こそもっと話す!』
『あれ~!? サカナのヒトどっち行ったかな!?』
『クッソ、とっとと行っちまえイケメンなんか』
『なんだなんだ? 学生が。なんの騒ぎだ?』綱吉は細い私道へと突入して曲がりくねった道を抜け、住宅街の壁と壁の数十センチのすき間すら経由して目抜き通りまで逃げた。後に続き、最終的な行き先は、いつもの通りに骸が一人暮らしをしているマンション兼研究室である。
歩幅を緩めながら、ふぅ、綱吉が息を吐く。
と、気づいたように目線を上げる。
「……あれ、骸さん、髪ちょっと伸びました?」
「ああ。かもしれません、ね? 美容室に寄る前にとりあえずは挨拶を、と思ったもんですから」
綱吉の歩幅に歩くペースを合わせながら、骸の指が首筋に絡んでいる後ろ毛を摘まんだ。摘まんでクチッとできるほどには伸びていた。
「ニュージーだと散髪屋もけっこういい加減で。このスタイルを崩すのが嫌だったので髪は切らなかったんですよね」
「あ。骸さん、こだわってそうですもんね」
『その変な髪型に』
まったく他意なく、イナズマ模様の分け目やら後頭部の房などを綱吉が目でなぞる。街を歩くペースはすっかり綱吉のものになっている。
「元通りにするんですか?」
「そですね。ま、昔っからこんな感じの髪型ですから。人間の姿でいるならコレがいいんですよね」
「へぇ~……?」
『……んっ!? 前世の記憶のこと、言ってんのかな!?』
ニュージーランドではとうに終わった、冬の気配を帯びた風を浴びながらマンションの扉を開けた。つつがなく久しぶりの採血を終えて、骸が次回からの話をした。クラーケンの検体を入手し、深海の血脈を確認し、しかし流氷のような薄氷のような、あの薄水色の光などで問題は増えたのだった。
「え? 別に、かまいませんけど……。てか骸さん、大丈夫なんですか? 骸さんの体は?」
「ああ、あと新学期、でしたね綱吉くん。検査など増やすといっても勉強の障害にはならないようにしますよ。そろそろ受験勉強とかはじまりますよね?」
「うっわ!! な、なんてこというんですか!? 骸さん!?」
「僕の体は、すっかり元通りですよ。髪は明日にでも切ってきますけどね」
採血室の机にて、頭を抱えている綱吉の前で、骸は首筋に残っている毛の束をまた摘まむ。それを後ろに流してどけながら、薄く爽やかに微笑みを浮かべた。うなじが露わとなるが、ザックリとクラーケンに抉られた筈の肌はすっかりと元通りに再生しきっていた。
面を食らう綱吉に、骸がクスクスする。
「人魚の再生スキル、ですよ。君らの血が僕に馴染んできている証拠ですかね」
ぴ、たわんだ毛先を指に弾く。
週末に再び、骸が綱吉と集合するそのとき、既に髪は元通りの髪型に戻してあった。マンションの扉が開けられて、綱吉はまたしてもレディファーストの要領で案内されたドアの向こう側へと無自覚に足を踏み入れる。
「さて。では、クラーケンと深海の血脈の問題はひとまず、終了です。今後も研究継続はしますが先に懸念ができました。綱吉くん、君自身ですよ。わかりますね?」
採血室にて、六道骸は告げる。
「――氷の絶海に落ちても尚、君は生き残った」
「しかも泳げない君が僕を連れて海を渡って陸にあがった」
「あきらかに、異常だ。どこかに必ず異常がある。ですから、当面は君を研究しようと思うんですよ。君自身、僕に意見などはありますか? 綱吉くん」
「……ないです」
沢田綱吉は、両目をぱちくりさせる。
どんぐりみたいな目をするな、骸は思う。こうして秋が終わる前に話はまとまる。週末の健康診断と検査が、新た習わしとなった。
その日――。
秋の終盤を迎えた、終わりかけたある一日。
目抜き通りのスーパーで待ち合わせた骸は高校から直行して制服姿のまま、綱吉は中学から直ぐ来て制服のまま、それぞれの制服を着て買い出しを済ませた。骸が帰国してからの検査メニューは時間がかかるものばかりで、綱吉は週末はほとんど骸のマンションで夕食を食べていくようになっていた。
藍黒髪の高校生が、刺身パックを手に(うん)と、決めた。(DHA、EPA、まゆつばもんではあるがそろそろ綱吉くんも期末テストですし。まぁ栄養分は豊富に補給するに超したこたないです。あとホウレン草、貧血予防にしじみの味噌汁あたりか?)
スーパーのバスケットを覗き、中学生は目をきらきらさせた。
「豪勢ですね? 骸さん、デザートは?」
「どーぞどーぞ。検査のご褒美ですよ、綱吉くん。アイスにします?」
「やったぁ」
年相応の脳天気さで喜んで綱吉は冷凍食品コーナーの向かい側にまわった。ヒンヤリした冷気に晒されながら、イチゴ味のカップアイスを手にする。「骸さんは?」聞きもする。
「僕もストロベリーで。綱吉くん、本当に異変はないんですか?」
「骸さん、そればっかですね……、あ」
「こっちのアイスにしましょ。ご褒美なんですから」
笑って綱吉の手の上のアイスを二百円ほどお高いものと入れ換えてみせる。
話は入れ換えずに落ち着いたトーンで続けた。「君、流氷の浮いてる絶海に落ちてそのうえ僕まで引っぱって島まで泳いだんですよ? オリンピック選手だろうが不可能ですね。二十五メートルを泳げない君では論外じゃありませんか」
「あのときは、夢中になってて、気づいたら」
『もー、俺だって知りたいよ!! リボーンも骸さんもしつっこいんだよな、あ。ごめ、ごめんなさい骸さん、まじめに考えてないワケじゃないですよ!?』
「夢中で、気づけば、ね」
アイスボックスを前に、薄ブラウンの瞳が気まずげにさ迷うなどする。この話題になると、綱吉は返事がにぶく、心の声では文句を言いがちだ。本気で自分でも全くよくわかっていない様子だった。
『何度も言っててすんませんですね!! あ~、えっと』
「……そうとしか……、ハイ……。すいません」
「クフフッ。そんな、叱られた子リスのよーな顔をすることはないんじゃありません? わからない、なら仕方がない。僕の出番です。恐らくは人類史上で一番、この課題には詳しいですから。僕はね」
「そりゃ、そうですよね」
どこかおっかなびっくり、慎重に綱吉がチラチラと右ナナメ上方を覗く。
青く色味が揃っている眸が並ぶ。ああ、と骸は思う。このちらちらと見られている感じ、日本に帰国してからというもの、黙々と継続されている。
(原因は、――探るまでもなし、ですがねぇ。くふは)
胸中でのみ、一笑に伏した。
あれから。
海辺で人工呼吸を……。キスらしきものを交わした、あれ以来の話だ。
綱吉はどことなく六道骸と距離をとって歩くなどする。心の声からして、そうと意識して警戒しているわけでもなく、無意識下での行動である。
そんなふうな変化を、骸は今、面白いと感じていた。楽しんでいた。しかし、それはそれとして、異常もあると確信もある。
(ともかくも僕を陸地に生還させたのはこの子だ。思えば、以前にも。異形の人魚として僕を喰おうとしたリボーンをこの子が制止している。あの戦闘場所は、てっきり地元の人間だから予測ができたかと思っていましたが。そうではなく。沢田綱吉は、完璧に純然たる人間では無い――、人魚と魚人が引き合うような特殊な引力があるのかもしれない。なんらかの人魚の能力が備わっているかもしれない。……としても、随分とまぁ、人間らしい人間なんだがな……)
「……骸さんは、あんとき放っておかれてたら、……どうするつもりだったんですか?」
反撃めいた一言だ。小声で、声色だった。
骸があっけらかんと答えた。
「さァ」
「さあ、って」
綱吉が、やり返されて目を剥いた。
「深海だったんですよ!? しかも骸さんは、死ねないのにっ――深海まで落っこっちゃってどうするっていうんですか!?」
「永遠に、死にながら生きるのでは」
「んなっ!!」
ガァン!! と、衝撃を受けて大口を開けて硬直する。
綱吉は顔色から血の気を引かせた。
「そ、な、じょ、冗談でもやめてくださいよ!」
「そりゃ僕だって嫌ですよ? 望みませんよ。ただね。状況が状況だったでしょう」
「なんでそう骸さんって変なところで諦めてるんですかーっ!?」
「諦めてますか?」
「てますよぉ!?」
『リボーンにだって食われかけてた!!』
(……魂は永続するものでね)人間的な綱吉とは、感覚は異なって当然ではある。
やぶへびにならないよう、骸は浅く笑んで話を切り替えた。
「君が、しかし助けました。おかげさまで今こうして主婦までできる訳ですよ。まさか君を研究対象にするとは想定外ですが、今のところはこれしきで済んでいるのが僥倖でしょう」
「……そ、それ、は、そ……、うですけど」
声音を曇らせて、言葉尻は消え入りそうになっている。
レジに並ぶ骸は、笑顔に苦い汁を混ぜた。
「研究対象にするといっても。乱暴な手段は絶対しません、安心して下さいね? 大丈夫ですよ」
(僕ならいいんですが、なにをやっても。しかし綱吉くんに指一本まずは詰めましょうか、なんて。もし再生しなかったら死にたくなるな……)この一件は、慎重に、検証と実証を積み上げねばならない。対象は、古代の人魚の血筋があるとはいえ、ただの人間――、そのうえ沢田綱吉だ。もう一年ほど、骸が片思いをしている少年でもあるのだから。
人魚の新たな研究材料だ。そうした観点からの興味はあるが、動機が大きいのと同じほど不安も増大した。こと綱吉なのだから。
少年は、口をつぐんで綱吉を見下ろした。
――――、薄茶色の目とバチッとはちあう。――、と、急に、綱吉は大きな目をさらに拡げて頬はピンク色に上気させた。
「っ!!」
ふいっと顔向きが、変えられた。
(――あぁ)『アレ、って――』幾度となく、所構わずに押し寄せるさざ波が、今日もまた瞬間湯沸かし器のようにして沢田綱吉を沸騰させた。あごが落ちて口は丸く、ぽけっとした。見開かれた目の瞳孔が揺れる。
『なに……なんだった? あの島、で、あ、ぁえっああああ、なななんでもないんですけどねっ!? 骸さーん!?』
「……」
頭一個分ほど上背がある高校生は、うん、うん、と、ニコニコ顔にて首肯する。
(こっちは検証などする必要もなく如実、まあ、かわいいこと……)右目に刻印されている六の印ごと青く濡れる双眸が細くしならされた。骸は、回想する。
(島でのアレから)
あの日、あのあと。島を探索してから帰ったときも、火をおこしたあとも、ふとした刹那に綱吉はこんな反応を何回も繰り返しているのだ。
あのアレ以来、綱吉ははっきりと(僕を意識している)それが、顕著に端々に見て取れる。
ほかでもない骸がそうさせた。胸が溺れるような感覚があって、骸の指先が軽く痺れる。期待と興奮、高揚感が内側に留めておけないほど体内を循環しているのが、冷静な頭でも判った。自分は、この子に本当に惚れ込んでしまっている。あんな人工呼吸は、絶対の死と地獄を覚悟した直後に受けるには甘過ぎだった。骸は綱吉を貪らずにはいられなかった。
結果、綱吉はオロオロして珍妙は行動を乱発させているが、骸はその点には触れずに今日まで来た。
「……綱吉くん、バニラアイスも食べるんですか? 次にうち来たときのデザートですか?」
「アッ!? あ!!」
おろおろして、アイスボックスから二個目のアイスなどを手にしている。綱吉は、小学生が見咎められたかのような反応だ。頬を真っ赤にさせて沈思した。
「ア、ァッ、え、……と、ぉれやっぱバニラにします……」
「そうですか?」
バスケットのイチゴ味が、バニラと入れ替わる。
会計の列が進んで骸はおばさんにバスケットを差し出した。後ろポケットから財布を出し、紙幣を数える。目をしぱしぱ、胸はざわざわするらしく、綱吉はなにやら自分の息を飲み干した。何度も飲んだ。
袋詰めの作業をするサッカー台の上で、二枚のレジ袋に分けて詰めるときでも綱吉は骸の姿を見まいとして、明後日に目線を飛ばしている。マンションへと歩く、道すがらだった。
ぽつり、質問が発音された。
乾いた風が吹き抜けて、制服の裾がなびいた瞬間だった。
「……どうして……、俺にあんな……こと、を?」
「あんなこと、とは?」
「エッ!! あっっ……!! えと」
目線の先に困って、空を仰いだり、整備された歩道を見下ろしたり、汗ダルマになりながら綱吉は冷や汗する。まっ赤っ赤だ。正直、敵にすらならないな、など骸は感じるのだが。
(まあ、正直に言っておいてあげますよ。泣くなんて理由はわかりますから――)
「体が勝手に、つい動いちゃったんですよ。アレは」
「か、かって、に!? つい!?」
素っ頓狂に叫ぶ綱吉は、顔面にうそだろ! と書いてあるような表情だ。信じられなさそうに骸の顔と目をやっと横から覗いた。
「アレ――、お、俺は、俺は――っ」
『は、じ、あ、そんな、だってそんなん、そんなことってある!?』
くふふ、と声に出さずに骸は苦笑する。これ以上に言葉は捧げなかった。
綱吉が、次第に不満そうに唇を尖らせるが、渦巻く感情がゆえか耳たぶまで赤色に染まった。なにやら叫びたそうにして口元を開いたまま固めている。『いや、いや、だってっ……、いやもういいんですけど。ただ俺が知ってるコトと、なんか、なんか違うっていうか……!! なんでだよ、ああもう!?』
「……ぷッ。綱吉くん、七面相ですねぇ。くはははっ」
「んっな!! んな!! なんで、そんないじわる言うみたいに言うんですかぁ~~っ!?」
(好きだから!)
ですよ、胸中で解答はするが、骸は赤面に火照りまくる綱吉の隣でけらけらと豪快に笑うだけだ。綱吉の心の声が混線した暗号文のようなもにゃもにゃごにゃごにゃしたものに成り果てた。
『う~~~~っっ!?』
(好きだから、なんですよ)
とっくに、もう随分と前から知られててもおかしくはないのにな、など骸は思う。この一年ほどあまり、恋心を自覚してからというもの、それとなく沢田綱吉に肉体的な接触をしてはセクハラまがいのボディタッチなどしまくった覚えはあるのだ。
(にぶいんですよね、綱吉くんは。色恋沙汰には。……あー、かわいいこと!)
「はは、くははははっ」
「~~~~っ。む、むくろさぁあん……!」
綱吉が八の字眉になって当惑し、絶句する。そして赤面症の面構えを隠すようにそっぽを向いた。肩口がやや震えて、全身がピクリピクリと神経質にちょっと痙攣している。
こんな調子だ。アレからずっと。
そーですね、骸は胸中にて独白する。疑念も不思議も怪異も、人魚もクラーケンも課題は山積みにして残されているのであるが。あるが、
(ひと、として、ぼくは……――)
人間としての骸が、今は別れ道にいるのだった。
(恋して、るんですよね、君が好きで)機会は、真っ赤な果実になって熟したと思われた。魂の輪廻転生を制止した沢田綱吉。海へと助けに来た沢田綱吉。原因不明、しかし鮮明な氷の切れ端の如く、透き通った淡色の海色のひかり――、あの青水色が脳裏に焼き付いている。綱吉が起こした奇跡のすべてが今や魂に刻まれているといって過言ではない。
これ以上、いくら死のうが輪廻を巡ろうとも、この世界においてこの少年ほど愛おしく思える相手とは巡り会えない。
今や、六道骸には確信があるのだった。
今週の検査も無事に終えて、夕食に刺身を突っつき、しじみの味噌汁やほうれん草の胡麻和えなどを食べて、デザートに高級アイスを食べて、マンションの周辺は真っ暗になった。
中学校の制服のジャケットに袖を通し直し、綱吉は、六道骸宅のマンションにて、スニーカーのかかとをトントンさせて靴の履き心地を調整していった。そうしながら体半分をふり向かせて、家主に挨拶した。
「骸さん。ご馳走様でした! 宿題まで見て貰ってありがとうございましたぁ」
「いえいえ。じきに受験生ですからね」
「きょ、強調するのやめましょうよそこは!?」
(このテの話題はナイーブになるのもカワイイですよねぇ)
年頃の子どもといった感じが愛らしい。ニッコリとして骸は後ろの廊下に視線を伸ばし、薄暗い玄関から、開けっぱなしのカーテンの外を確かめた。夜が開かれて空は紫色と青が混ざったような具合だ。
「すっかり遅くしてしまいました。週末はこんなんばかりで申し訳ないですよ。今日もお疲れ様でした。綱吉くん」
「そんな、俺、大変じゃあないですよ」
『仕方ないことだもんな』
「くふっ。頼もしい返事ですね。ありがとうございます」
あの日、見上げた空の色を思って目尻を細めた。
北極海へと沈んでいく太陽、地平線。暗闇に響く、ザザン、とした波の音色。
薄暗く、せまい玄関先。波打ち際とはまったく異なって、解放感どころか閉塞感がある。しかしその分、距離は近い。綱吉が体ごと真っ正面を向いて最後の挨拶を口にする。そしてここを出て、帰宅するのだ。
そのほんの数秒前に見つめ合う。やっぱり少し挙動不審になって綱吉が頬を染めて、はにかんだ。そっと視線はそらして逃げようと――、する。刹那。
骸は、二人の肉体はとっくに知っているだろう事実を自ら声に出した。
「綱吉くん」
「ん、骸さん?」
表情が柔らかくほどけていく。
くたっと眉が八の字に苦笑してから、さらにほどけた。
骸が告白した。
「――君が、好きです」
:それゆえ、人だから 4
「……はぇ」
終わりかけた秋の日。
それぞれ、所属する中学校と、所属する高校の学生服を着込んでいた。六道骸の住むマンションの扉を背にする少年は、立ち尽くし、薄茶色をチカチカさせて目を疑った。
玄関は薄暗く、せまい。せまいところに二人が立ち、彼は俯き、少年はあおのく。
俯く彼はニッコリと相好を綻ばせる――、青い眼目がまなじりを細めて瞳孔を据わらせた。
「少々、ベタすぎます? ですがね」
心拍音が、彼らの間ではずむ。
「好き」迷わずに、骸は声にした。
「好きです」
「――――」
ぱっと見開かれる目は、その薄茶色の透明度を一挙に引き上げた。学校指定のカバンが、彼の肩からズルッとヒモを滑らせた。咽喉をふるわせて彼は言の葉を万感に潤わせる。声帯が濡れて、声色が発熱した。
「――いくらでも言える、本気なのですから」
区切って、それからもういちど。
「好きです。綱吉くん」
それは秋の終わりかけたある日のこと、だ。
新たなる冬が来る。
つづく