「誕生日なんだ、付き合え」
その日、諏訪は大学もボーダーの任務も丸一日のオフだった。休みを堪能すべく、あらかじめコンビニで買いこんでおいたホタテの燻製やビーフジャーキーをアテに、缶ビール片手に、アパートで悠々自適に積み上げられた文庫本を上から片付けていると、玄関に鍵をしていなかった自分も悪いのだが、いきなり訪れた風間が問答無用とばかりに告げてきた。
「あ?」
「どうせ暇なんだろう?」
ぐるりと部屋と諏訪のていたらくを見渡して、風間は顎を軽く上げた。
「幾ら時間を持て余してたとしても、お前の用事に付き合うかどうかは別問題だろ」
と口では言いながらも、諏訪は口をつけたばかりの缶ビールを未練たらしく睨むと、無駄な抵抗ではあろうが上面をラップで覆って輪ゴムで留めて冷蔵庫に戻し、おつまみたちの袋の空け口を封じた。密封ジッパー万歳、だと腹の中でぼやきながら。
部屋着にしてしまったのをいいことに毛玉だらけのスエットを脱いで、ニットにデニムパンツを着て、ブルゾンに袖を通す。そして、部屋の片隅に放り出してあったマフラーを掴むと、入り口でおとなしく諏訪の支度を待っているダッフルコート姿の風間に向かって放り投げる。彼のファーラインには、姿を現したばかりの時には、本当にうっすらとだが白いものが積もっていた。今は儚くも溶けてしまって跡形もないが。
「雪、降ってんだろ。それ、傘代わりにしろ」
そう言って、諏訪は自らもブルゾンのフードを、黒と金髪に染め分けた頭にかぶった。
雪。そう、雪なのである。
みかんの名産地でもある三門市は比較的温暖な気候で、寒い季節になってもあまり降雪に悩まされることはない。まして、風間の誕生日であるはずの九月ならばなおのことだ。
昨今、九月の末日でも、まだ夏の名残の気配は濃く、暑さすら感じる日だってあるくらいだ。つまりは、うっすらと街の風景に白の紗がかかったような風景が現れる今は九月などのはずもなく。カレンダーは二月の頭を示していた。
もちろん今日が諏訪の誕生日のはずもないし、ぎりぎりこの時期で思い浮かぶのは先月の笹森くらいだ。
「何も聞かないんだな」
先に歩く風間が、後から黙ってついてくる諏訪に声をかけたのは、アパートが見えなくなって少ししてからだった。
「お前のことだ。必要なタイミングで説明すんだろ」
「なるほど」
それを信頼などとくくってしまえばこそばゆいにも程がある。諏訪にとってはただの事実のようなものでしかない。寒気に鼻の頭をやや赤くてして、白い息を吐きながら、風間は小さく頷いた。
「ここは……」
やがて、たどりついたのは街の片隅にある公営霊園だった。かつては郊外と呼ばれるような場所ではあったが、侵攻を経た新たな街づくりの結果、比較的生活圏から近い場所になったと思うと皮肉な気分にはなる。
風間の足取りはためらうことなく、幾つもの墓石が並ぶ区画をすたすたと進み、やがてひとつの墓の前で止まった。霊園を目にしてから、諏訪の中にあった予想通り、御影石の表面に彫られていたのは、風間家之墓の五文字だった。そして傍らに佇む墓誌の一番最後には、風間進の名前が刻まれていた。その没年は第一次侵攻と同じ日になっていた。諏訪が聞き及ぶ限り、風間の兄が戦いの中で果てたのは五年と少し前のことのはずなのに。
「……明日が、兄さんの誕生日なんだ」
なるほどな、と諏訪はようやく合点がいった。
「今年、とうとう、兄さんの年を抜いたと思ったら、どうしても来ないといけない気がして」
振り返り、表情の乏しい風間にしては珍しく、分かる程度のほのかさであったが諏訪へと笑いかけた。
「付き合わせて悪かった」
「帰りに屋台のラーメンでも奢ってくれりゃいいさ」
「最後に何を話したんだ?」
「……『兄さんがやることなのか』と」
「……」
「兄さんがやらなくたっていいことじゃないか、俺はそう言ったんだ。兄は俺と違って、決して血の気の多い人じゃなかった。むしろ穏やかで静かな人で、外で体を動かすより家の中で静かに本を読んだり、音楽を聴いたりするのが似合う人だった。だから、そんな見たこともない世界で命を賭けてまで戦う理由がさっぱり分からなかった」
「『俺がやらなくていいことかもしれないけど、俺がやってもいいことだろう』そう返された。それでもあの時無理にでも止めていたらどうなってたかと思うことはある」
「お前の兄さんの代わりに誰かが死んでたかもな」
「諏訪!」
「簡単に予想ができることだろう。違うか、風間」
風間はぎゅっと下唇を噛む。
「レイジか、迅か、小南か、ゆりさんか、それとも本部長か、林藤支部長か、……城戸さんか、俺たちも知らない『最初』のボーダーの誰かか分からないけど、生き残った誰かがお前の兄さんがしたことをしようとして亡くなってた可能性は高い。戦いってのはそういうもんだろ。俺は、まだ、マジの命の駆け引きはしたことはねえけど、それくらいは理解る」
まして、遠征で実際に生き死にに直面したであろう風間ならなおさら。だからこれは、誰かが言うべきことなのだ。たまたまそれが諏訪に回ってきただけのことで、特別なことではない。
「林藤さんが言ったんだ」
「?」
「敵を食い止めようとしてた兄さんに手を貸そうとした時に、逃げろ、と。もうその時はトリオン体は破棄されて、生身に深手を負ってるのは一目瞭然で。だから、というわけではないだろうが、一分でも一秒でも時間は稼ぐ、だから残った仲間を連れて逃げ延びてくれと兄は言ったんだ」
それを語る風間のその、頬に、流れるものはなかったけれど。
「きっと、お前も、そんな場に直面したら同じことを言うだろうな」
「そうかな」
「そもそも、そうはならないように立ち回るとも思うけどよ」
「そうだな、うん、そうしよう。俺もお前が無駄死にするのは見たくない」
「無駄死にって決めるのやめていただけません、風間サン」
「ここで、みんな散ってしまったら、誰が、俺たちの死を、無念を、伝えてくれるんだ。林藤さんたちは俺たちの記憶をつないでくれ。こんなことが繰り返されないように、賢く、ずるく、立ち回れるように、若い奴を鍛えてくれ。そして、もし」
「もし?」
いや、と風間は首をゆるく振った。
おそらく、だが、きっとその遺言の最期には、弟のことがあったのではないか、と諏訪は思った。ひとりっこの諏訪自身には兄弟はいないが、もし、その立場になれば、諏訪はきっと背を向けたまま、未来を繋いでくれるその誰かに笹森や小佐野のことを託すだろうから。