お題:香水 祭り
花火が打ち上がって、人々も歓声を上げた。オレは人だかりの中をどうにか歩いている。地元の火祭りは今年も盛況だった。体温とそこらじゅうにある篝火の熱で、冬も近い季節だというのに暑苦しい。炭と火薬の匂い、その隙間にふと、甘い香りがした。
オレは思わず立ち止まって、すれ違った男を目で追ってしまう。見知らぬ男の、微かに鼻をかすめた香水だ。匂いに特別敏感なわけではなかったが、この匂いだけはずっと忘れられなかった。フゼアの爽やかさと、バニラの甘さが香るミドル・ノート。ラスト・ノートはパチョリとベチバーが、スパイシーな色気を醸し出す。まるであの食えない男そのものだ、と思った。学生の財布には優しくない値段だったその香水を、何食わぬ顔でプレゼントしたのも数年前のことだ。
贈った相手、トレイとはここ数年連絡を取っていない。遠くの街でパティシエ修行をしているらしい。戻ってきたら、真っ先に食べさせてよ。お前甘い物苦手だろ。ちょっとなら大丈夫だから! そんなやり取りを、あいつは覚えているのだろうか。オレは未練がましく覚えてるよ。香水を贈ったのだって、独占欲の表れみたいなものだった。同じ香水を二つ買って、こっそり自分もつけてみたけど、似合わなすぎてほとんど使えなかった。そんなオレの気持ちなんて、トレイは知る由もない。
「おっと」
「すみません」
「ちっ」
すれ違いざまにぶつかった男が舌打ちをする。隣には女がいた。独り身でふらふらしてすみませんね。オレとあいつはただの友達。親友、なんて言ってもたった四年間の付き合いだ。卒業してしまえばそれまで、分かっていたから親友以上の感情なんて伝えられなかった。楽しそうな笑い声が響く街中で、オレは一人惨めな気持ちになっていた。出歩いたのもマジカメに上げる写真のためだけだ。うんざりする。またあの匂いがした。トレイからあの香りがした瞬間の高揚感を思い出してしまう。好きだった。もうやめてくれ。早く帰ろう。腕を掴まれたのはその瞬間だった。
「ケイト!」
しばらく、何が起こったのか分からなかった。見覚えのある、いや、厳密には記憶している姿から少し雰囲気が変わっているかもしれない。
「……トレイ?」
「お前に会いに来たぞ、って言っても信じないか?」
トレイの笑顔は信用ならない。こいつは平気な顔してすぐ嘘をつく。でも、嗅覚が判断を鈍らせる。
「香水、つけてるんだ」
「ああ、気に入ったからずっと使ってる。いい物くれたおかげで、出費が結構痛いんだぞ?」
いたずらっぽく笑うその表情は、数年前と変わらない。
「ていうか、なんで、ここにいるの」
「真っ先に食べさせるって、約束しただろ」
聞きたいことは、山ほどある。どうして出かけてる場所が分かったのかとか。パティシエ修行はどうだったのかとか。数年間、どうしてお前はオレのことを忘れずにいてくれたのかとか。
人だかりは色んな匂いがある。汗、食べ物、火祭りの火薬と炭、その中で、トレイの甘い匂いだけが妙に際立つ。香水をつけすぎたわけではないはずだ。その香りにくらくらする。
まだお前の気持ちは知らないけどさ、オレがその香りに慣れてしまうまで隣にいたいと、今度は言ってもいいだろうか。