モスティマはトランスポーターとしてトラックで街中を走り回っていました。助手席には誰も座っておらず、その代わりにこの街の分厚い地図が置いてあり、モスティマは信号待ちの度にそれを開いて今いる場所やこれから進むべき道を何度も確認していました。
「手伝ってくれてもいいのにねぇ」
 モスティマは配達地に向かう道すがら、隣の地図にそんな声をかけて、今はホテルでゆっくりしているはずの苦難陳述者(以下、彼で統一)に対して文句を言います。
「どうやってか、これも聞いてるんでしょ?じゃあ、ドーナツか何か用意しておいてよ」
 唇を尖らせながらそんなこと言って、モスティマはトラックを道の脇にゆっくりと止めました。
 結局モスティマがこの街での仕事を終わらせたのは日が暮れて夕食時と言った時間でした。そして、彼女が疲れた顔をしながらホテルの一室にたどり着き扉を開くと、そこから見える部屋の一番奥のテーブルに紙箱が置いてあることに気が付きます。
「ドーナツかい?」
 モスティマはそう部屋の中にいるであろう彼に対して聞きながら、扉の脇のハンガーにコートをかけます。しかし、部屋の中にいるはずの彼から返事が返ってこず、モスティマは首を傾げながら部屋の奥へと歩みを進めます。そして、入り口からは死角になっていたベッドを覗き込むと、そこにはあおむけで、魅惑的な素足や美しい尾羽が目立つ彼がすぅすぅと寝息を立てていました。
「おーい」
 モスティマは遠慮がちに声をかけながらベッドの横に立ち、彼の綺麗な顔を覗き込みます。
「起きなよ」
 長いまつげや高く鼻筋が通っている鼻、髪の色とは違い艶めかしさを感じさせるピンク色の唇。友人としてのひいき目を抜いても、とても美人でした。
「本当に、寝てる時は美人さんだね」
 モスティマは腕を組み、目をつぶって、いつも大体怒っていたり呆れていたりする彼のことを思い返します。半分ほどは自分のせいで、後は思い通りにならない天候などですが、それらを差し引いても素直な笑顔は少ない気がしてしまいました。
 次にモスティマはベッドの横にしゃがみ込み、彼の横顔を同じ高さから眺めます。そして、そおっと指を伸ばし、彼の頬を突いてみます。柔らかくしっとりした女性らしい感触に、モスティマはいけない欲求がふつふつと湧き上がってきます。
「起きないと悪戯しちゃうよ」
 頬を突かれても彼が起きる気配はなく、ホテルにいるからこんなにも無警戒なのか、自分のことを信用しているからこんなにも無防備なのか、モスティマは後者だったらいいなと口角を上げながら中腰になってベッドに腰かけます。
「ほーら、キスしちゃうぞ」
 モスティマは口角を上げながら顔を彼にゆっくりと近づけていきます。やがて唇が触れ合うまであと爪の幅ほどもないところまで近づけた時、モスティマはほのかに漂う太陽のような暖かで優しい香りに気が付きます。
「君の香り、好きだな」
 モスティマは目をつぶって小さく唇を動かしそんなことを言います。そして、彼の規則正しいの寝息を聞いて、揺れ動く空気を肌で感じて、そっとキスをしようとします。
「!」
 しかし、その時、彼がもぞもぞと体を揺らし、モスティマは驚いて顔を離してしまいます。その後、彼はゆっくりと寝返りを打ち、横を向いてしまい、モスティマがキスをするのは体勢的に難しくなってしまいました。
 完全にキスがしたい気分になっていたモスティマは不満げに鼻を鳴らし、彼の頭の下にある枕に手を伸ばします。そして、それをゆっくりと傾けて、横を向いて眠るのには寝心地が悪いようにしてしまいます。すると、彼は夢見が悪くなったのか、小さく唸り声をあげてもう一度寝返りを打ち、モスティマが望むようにあおむけになって顔を天井に向けます。
 モスティマはそんな彼にほくそ笑み、満を持して彼に顔を近づけていきます。そして、唇が触れ合う直前、モスティマは視界の端にあるものを見つけて、はたと止まります。
「いつから起きてたの?」
 ほとんど触れ合う所からほんの少しだけ離して、横目で彼の薄く開いた目を見ます。
「今」
 簡潔なその言葉と共に出た吐息が自分の唇をくすぐる感触に、モスティマは背筋をぞくりとさせながら、困ったように目を細めます。
「してもいい?」
 彼はその言葉に何も答えず、恥ずかしそうに頬を紅潮させたモスティマの表情や、視界の端でに揺れ動く黒い尻尾を見ます。そんな物欲しげなモスティマの様子に、彼は目を閉じながらちょっと意地悪をします。
「どうして?」
「したいから」
 モスティマは正直に自分の欲望を答えますが、彼はその言葉では満足しなかったのか小さく首を振ります。
「もっと詳しく」
「寝てる君が綺麗で、魅力的だったから」
 モスティマは目を閉じて、恋人に囁くように浮ついた言葉を投げかけます。そして、彼の返答を待たずに唇同士を合わせました。
 唇はしっとりと柔らかく、触れ合うだけのキスでもくすぐったさと気持ちよさが胸の奥をくすぐります。二人は力を抜くように鼻から息を吐き出し、そして、お互いの香りを胸いっぱいに吸い込みます。一呼吸、二呼吸と唇を静かに合わせて、モスティマは満足そうに顔を離します。
 キスが終わると彼は目を開き、目の前の深い笑みを湛えたモスティマの横顔と、落ちないようにかき上げられた髪から現れた形のいい耳を見ます。
「満足?」
「うん。仕事の疲れが全部吹っ飛んだよ」
 モスティマは未だに感触が残る自分の唇にそっと触れながら、上機嫌に言います。そして、寝転ぶ彼の肩に手を置いて、起き上がるのを手伝います。二人はベッドの上に座って、いつもよりも近い距離で言葉を交わします。
「ドーナツ、買っておいてくれたんだね」
「ええ、こういう夕飯でもいいでしょ」
 モスティマがテーブルの上にある紙箱を差して嬉しそうに言うと、彼は眉を開いて穏やかな表情をモスティマに向けます。その柔らかな微笑みにモスティマは彼のベッドについた手にそっと指を絡ませていきます。
「ありがと」
 そして、そう言いながら顔を近づけて彼の頬にキスを落とします。
「どうしたの」
 彼はキスをされること自体は嫌ではないのか少し甘い声でモスティマに問いかけます。しかし、問いかけられたモスティマは自分の心の底から湧き上がる暖かな気持ちを言葉で言い表せず、困ったようにはにかみました。
「なんでだろうね」
 そして、言葉の代わりにもう一度、頬にキスをしました。
おわり。
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