街の門のさらに外側の、古い城壁のすぐ脇に、私をじっと待っている男がいる。
 はじめて彼を見たのは、もう何十年も前、私がまだ年端もいかない少年の頃だった。街の城壁によじ登って遊んでいたとき、灰色の服を着た男が草地に佇んでいた。少なくとも三百メートルは離れていたから、その男が若者なのか老人なのか、醜いのか精悍なのかも分からなかった。ただ手にはステッキらしき棒を握っていて、気ままな散歩の途中にふと足を止めて、私に目を向けた風に見えた。彼が、私が立っていた場所まで登るには、なかば崩れかけた急勾配の城壁をよじ登らなければいけなかった。だから、その見知らぬ人物は、ある種の賛嘆の念で私を見ているのかもしれぬと思った。気をよくした幼い私は、大きく手を振って、彼に挨拶を送った。すると彼もステッキを軽く持ち上げて振った。それはまるで、二人の間に、密かな仲間意識が芽生えたことを伝えあったかのようだった。
 しかし奇妙な感じがした。彼が立つ城壁の外の草地から、そう遠くないところに、ジプシーの乗るような馬車が何台か見えた。そのとき私はちょっとした疑念を抱いた。あの男はもしかするとジプシーで、ともすれば私を捕まえる腹積もりではなかろうか。だがそのときは、のどかで安らかな昼下がりで、いくつか薄い雲が流れていたとはいえ、山の間から指す日差しは暖かで、だからあの男もきっと無害な人物であるように思われた。半面、誘拐という不穏な予想は、当時の私にとって全く未知な不安をかき立てるようでもあった。上手く説明することはできないが、家族や友人たちといった、日常において接することができる関係とは別の、非日常の中に棲む人物を発見したかのような感覚だった。そのときまでは思いもしなかったが、それもまた私の縁であり、私を待っていたもの。それが目の前に突如として現れたのだった。
 数分後には私は城壁から降りようとしていた。そしてその昼下がりの発見について、二度と思い出すことはなかったはずである。三年後、街の最端にさしかかったときに、草地に佇んで私をじっと見つめる男に気付くことがなければ。その男は、三年前に城壁の上から見かけた男にとてもよく似ていた。落ち着いて見える立姿が同じだし、やはりステッキを手にしていた。これはよくある偶然だと片づけることもできた。三年も前の事を正確に思い出している自信があるだろうか? それに、同じような体格で、同じような服装で、手にステッキを持った男がこのあたりに、いったいどれだけいることだろう? 少しの言い訳の後、それでも同じ男だと、私は確信した。そして、もしもの場合でも、すぐに逃げられるだろうとふんで、もっと近づいて確認してやろうとした。だが、方向を間違えたのか、彼があっという間に遠ざかってしまったのか、単なる見間違えや勘違いを起こしたのか、草地には一人ではなく五人の男がいた。その誰も私の方を見てはいなかったし、探していたあの男にも似ていなかった。
 その再びの出会いは、私の中に暗い不安を落とした。そして、いつか本で読んだような、魔法じみた、驚くべき冒険が私の人生に始まろとしているのではないかと思った。人は時として、運命に導かれるような冒険に足を踏み入れることがある。私の番が回ってきた予感が、このとき私のうなじのあたりを微かに触っているようだった。
 
 冒険は始まらなかった。私はいつもどおりの生活を続け、草地に佇んでいた男のことは徐々に頭から消えていった。大人になるにつれて、あの日のようなことは子どもっぽい陳腐な空想に思えていった。
 こうして十年ばかりが過ぎた。やがてあるとき、外国のとある街で、しばらく滞在することになった。夕暮れに郊外の道を車で走っていると、街のはずれの家並みの向こうに広がる、静かで滑らかな草地に、ステッキを振りながら私を見ている男を見つけた。
 車で通り過ぎる人はいくらでもいたのに、どうして彼がほかならぬ私を見ているとわかったのか。どうして、あの遠い日に見たのと同じ男が、どこかの国からの遣いのように、わざわざ私のために世界を横断して、街のはずれで私を待っているのか、今さら問う気にもなれなかった。あれは確かに、彼なのだから。
 そのときから、何度も彼を見た。どの街に行っても、すこしはずれの方へ足を運んだり、見晴らしのきく塔や展望、鐘楼に上ったときは、必ず彼を見た。彼は、私を追いかけていて、私に付きまとっているのだ。しばらくは、彼のことが頭から離れず、怖かった。もしかすると、夜を待って街に入り、人気のない道を選んで私の寝る家までやってきて、何かの目的のために私を襲うのではないか? いざそのとき、私は自分の身を守れるだろうか? いつか、何度か、彼と面と向かい合うべく勇気を奮い起こして近づこうとしたことがあったが、決まって出会いを妨げる何かが起こった。突然、彼が姿を消したり、他の人々が近づいてきて邪魔をしたり、私が道に迷ったりした。
 「私にいったい何の用だろうか」時折、心の中で思った。うまく彼を捕まえることができたなら、たまたまそこを通りかかった、名前のある、どこにでもいるような浮浪者だとわかり、相手は私の奇妙で必死な関心に呆れ返るといった結末に終わるのではないかと。だが、たとえそうだとしても、心の底から安心することはできないだろう。だから私は、恐ろしい出会いを避けるために、郊外まで出かけることをやめた。やめると、不安な心はむしろ大きく育っていった。たとえ、彼が私に出会えなくなったとしても、私を追うことを諦めるとは限らないかもしれない。私は一生、彼に付きまとわれるのだろうか。
 だが、あれから多くの時間が過ぎた。いまや私は年老いた。そして彼は、私がどの街に移って暮らそうと、変わらずあそこに、城壁の向こうに、まだいるのだ。このところも、一度ならず彼を見た。私が満員列車の人込みに紛れていても、カーテンの後ろに隠れていても、夜の暗闇の中でも、彼はあの落ち着いた視線を、じっと私に向け続けていた。
 この話を聞けば、人はこう質問するかもしれない。私が田舎や海や、とにかく街から遠ざかっているとき、彼はいったいどこで私を待っているのかと。だが、これは彼にとっては、ほんの些細な問題にもならない。そういうときでも、彼は近くに、それでいて一定の距離を保ったところにいるのだ。ただ草地に現れるのが好きな彼は、手ごろな場所を選べば良いだけの話だ。私が船に乗って海の上に出ても、彼は私の次の上陸地を知っていて、船が港に近づくころには、すでに先回りして静かに岸辺を散歩していることだろう。
 私はもう理解した。不安はない。もはや彼を恐れてはいない。私に何を望んでいるのか、どうしてあれほどの苦労をして私を追いかけるのか、そして、彼がどこからやってきたのか、この世の存在なのかどうかも含めて、そういったことは全くわからない。ただ最近になって私は、彼の意図が何なのか、どことなく気付けるようになった。つまり、あの不可解なる人物は、私に何か悪いことを望んでいるわけではなく、苦しめたいわけでもなく、夜中に襲いかかるつもりもないのだと確信した。彼はただひたすらに待っていて、そしてそれに満足している。街から街へ私の後を追い、私を煩わせることがないようにしながら、風雨に打たれてもなお、すこし離れたところで待っている。いつか、私がついに立ち止まる日が来ることを信じて。ずっと先のことかも分からないが、私は私の最後の旅で、どこかの街か村に入るだろう。つまりそこが、私の旅の終着点になるわけだ。私がそこを発つ日は来ず、その時はじめて、彼は意を決するのだろう。はじめて、城壁の内側に足を踏み入れ、静かに通りを進み、私の家の門前までやってきて、あのステッキで扉を叩く。
 私はもはや彼を恐れてはいない。それどころか、つつがない日々を送りながら、彼に対して一種の感謝の念を感じてすらいる。なぜならば、月日が流れて私は老い、子どもの頃に暮らした家は崩され、遠い若き時代を思い出させてくれる友人たちもひとり、またひとりと亡くなるから、春が来るたびに私はいっそう孤独になる。私を愛してくれる人々も同様に亡くなるから、希望もいっそう減っていくのだ。けれども彼は、辛抱強く私を待っている。私の周囲で少しずつ悲しみが積みあがっていくときであっても、けっして私から離れていかないのは、きっと、郊外の草地でステッキに寄りかかった彼だけだろう。結局、彼だけが、人生の一番困難な時期に私の傍らに寄り添うだろう。であれば、どうして不安に思う必要があろう。どうして、彼を嫌う必要があろうか。
 城壁によじ登ったあの日から、どれだけたくさんのことが変わったことか。時折、私は、早く彼と話したいとすら思う。ステッキで叩かれた扉を開けて、ついに彼の顔を正面から見つめ、彼が灰色の服のポケットから、どんなメッセージを取り出して、微笑みとともに私に差し出すのか、知りたくてたまらない。もしも私がそう言ったら、皆さんは信じてくれるだろうか?
~了~
 
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