「それで、お仕事は何ですか?」
 普段、私は人よりも落ち着いた性格でいるつもりだが、このような質問をされたときばかりは、顔を熱くして口ごもってしまう。
 例えば「私はパン屋です」だとか、「警察署に勤務しています」だとか答えられる人が心底うらやましい。こういった人は、ほんの一言で自身がどのような職業で、このように働いていますということを伝えられるわけで、長々とした説明を必要としないからだ。なのに私ときたら、職業を訊かれた場合、こう答えなくてはならない。
「私は笑い屋です」
 こう打ち明けることで、さらに多くを打ち明ける必要が生じる。質問者から次なる質問が発せられるに決まっているからだ。
「芸人さん?」
「ではありません」
 こんなやり取りであれば、笑いを誘い、上手くやり込め、誤魔化し、さっさと別の話題に流してしまうこともできる。しかし、例えばこのような質問が来た場合は最悪だ。
「――その笑い屋で、生計を立てていらっしゃるのですか」
 私は人よりも正直であるから、そうです、と答える。私は本当に、笑うことで収入を得ているのだ。手前味噌だが、そこそこの稼ぎがあると言っていい。私の笑いには、商売として少なからぬ需要があった。笑うことに関して私はプロフェッショナルで、私ほど上手く笑える人間は、そうざらにはいないだろう。笑うという感情表現の際に人間が密かに駆使する技術の、こまごまとした要領を私ほど理解している人はいないし、それを自在に繰り出せる人もまたいないのだ。
 こういった内容をいちいち説明するのは面倒であるから、私は長いこと「役者です」などと嘯いてきた。もちろん、騙すつもりでこう言うのではない。役者の一種のようなものだと理解して欲しいというのが意図だったのだが、身振り手振りにしろ、台詞回しにしろ、私はその方面のスキルもノウハウも持たないものだから、役者という興味深い職業の人間に出会って昂ってしまった人の果てしないインタビューに冷や汗をかかされることが多くあった。だから一言「役者です」と言って片づけてしまうのは、どう考えても看板に偽りアリ、なのである。そして私は正直者である。ゆえに私の答えはいつも、「私は笑い屋です」なのだ。
 もう一度言うが、笑い屋とは芸人や漫才師のことではない。演じて人を笑わせるのではなく、笑いそのものを演じるのが笑い屋、つまり私の仕事なのだ。私の腹の中には、大人の笑い、子どもの笑い、関東の笑い、関西の笑い、アメリカの笑い、中国の笑い、白い笑い、黒い笑い、そんなものが山積みになっている。必要とあらば、私は狂ったように笑い転げるし、涙を流して悲しげに笑うし、笑わないまま笑いすらする。然るべき額の支払いを頂ければ、ご要望のとおりに、この腹の中のコレクションを響かせるのである。
 言うまでもないことだが、これはこれで大変な――非常に難易度の高い――仕事だ。特に私の場合は、伝染する笑いを会得していて、それを売りにしているというのが大きい。これのおかげで、二流ないし三流やそれ以下らしい芸人にとって、私は欠かせない存在となっている。彼らは客に、ギャグのオチがわかってもらえないんじゃないかと心配でたまらないのだ。だから私は、ほとんどの夜を、猥雑な繁華街の地下に座って、控えめなサクラを演じながら過ごしている。全く冴えないネタに、十八番である伝染する笑いを放つのが仕事だ。最も注意すべきは笑いのタイミングで、豪快な、腹の底からの笑いが、早すぎもせず遅すぎもせず、針に糸を通すようにちょうどぴったりのタイミングで出てこなくてはならない。芸人側と予め打ち合わせていた瞬間に、私はわっと笑い出す。他の客も、私の笑いにつられて、ワケも分からず大笑いする。そして、下手なジョークが救われる。
 だが終演後、私は疲れた体を引き摺ってクロークまで戻り、ジャケットを羽織る。仕事は終了だ。家へ帰る。次の依頼が来ている。
「ワライガヒツヨウ.カヨウニロクオン」
 数時間後には、私は暖房が効きすぎた夜行バスのシートに沈んでいる。
 今まで誰にも話したことがないのだが、私は休みの日にまで笑う気にはなれない。パン職人の朝食は米と魚がほとんどだと言うし、制服を脱いだ休暇中の警察官は少々の赤信号を無視して渡るものだ。至極当然なことだと思う。私だって、仕事以外では決して笑わない。私は正直な以上に厳粛な人間である。結婚したての頃、妻は私に「笑ってよ!」とよく言った。だがやがては妻も、この願いばかりは私が叶えてやれないことをわかってくれるようになった。張り詰めた顔の筋肉と、疲れた心とを重々しい厳粛さのなかで休ませること、それが私の唯一の楽しみなのだ。
 
 かくして私たちは、静かで平穏な夫婦生活を送っている。いつの間にか、妻も笑い方を忘れてしまったように感じられる時があるが、時折、妻の顔が笑顔になることがある。そんなときは私の顔も微笑む。私たちは小声で話す。繁華街の地下に沸き起こる下品な笑いの波も、高速道路を走る夜行バスの走行音も、携帯の着信も、中身のない会話も、私にはうるさくて、嫌で嫌で嫌で仕方ないのだ。私をよく知らない人は、私をただ無口な人間だと思っている。真の意味では、それは全くの勘違いであるが、現には、そのとおりなのかもしれない。なにしろ、私の口は笑う以外には働かないのだから。
 私は平静な表情で人生を歩む。たまの微笑みだけを自分に許しながら。そしてしばしば考える。私は笑ったことがあるのだろうか?
 実に様々な笑いを持つ私のレパートリーに、自分自身の笑いという項目が、不思議と見つけられないのである。
~了~
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ワラう
初公開日: 2020年08月14日
最終更新日: 2020年08月15日
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コメント
掌編小説。一応書ききれたみたい。