日勤帯への引継ぎを終え、溜まっていた雑務を片付けたから今日の当直はこれで終わり。後は家に帰るだけだ。粟田口一期は椅子にもたれながらぐっ、と両腕を伸ばして上を向く。
「当直お疲れさん」
金色に輝く瞳が映った。鶴丸が一期の顔を覗き込んでいる。
「鶴丸殿、お疲れ様です。貴方も当直だったんですよね。忙しかったでしょう?」
「ああ。救急の連中と病棟から何度呼び出されたことやら……。お陰で寝不足だ」
鶴丸は大きな欠伸をする。
「でもまあ、これで帰れるんだ。今日はしばらく1人だし、貞坊が帰って来るまで羽を伸ばすことにする。きみはどうするんだい?」
「そうですね……。弟たちは皆学校で出払っていますし……私も羽を伸ばすことにします。帰って仮眠でも――」
スクラブのポケットに入れていたPHSが震
「はい。小児外科の粟田口です。……はい。はい。……え? 今からですか? ですが私は当直明けですし他の先生に……親御さんが直々に私を指名していると……」
緊急手術でも頼まれたのか。評判のいい彼のことだからよくある話だ。
「……わかりました。では今から――」
「一期。ちょっと借りるぜ」
ひょい、と鶴丸はPHSを取り上げる。
「ああ。俺だ。鶴丸だ。一期は随分とお疲れの様子でな。他を当たってくれないか? 疲れた医者に執刀させてミスでもされたら大問題だろう? そもそも外科は一期に仕事を任せ過ぎだ。もっと彼のことを考えてやれ。……とにかく、一期は今から退勤する。PHSの電源も切っておくからな」
鶴丸は電話を切るついでに電源も切った。
「……これでよし、と。きみも時には断っていいんだぜ? 指名されたからそれに応えたい気持ちはわからなくもないが、このままだときみの身体が持たない。帰るぞ」
一期の腕を掴んで鶴丸は医局の外へと引っ張っていく。
「待ってください鶴丸殿!!」
一期の声を無視して鶴丸はずんずんと廊下を歩いた。
「一期。これから少し時間を貰えないか?」
病院の外へ出たところで鶴丸が訊ねてくる。
「それはまあ……構いませんが……。何を?」
「いつも頑張っているきみに褒美をと思ってなあ。こっちだ」
鶴丸が指差したのは近くにある高級ホテルだった。
「ここで茶と甘いもんでもどうだ?」
「え? いいのですか?」
「言っただろう? 褒美だって」
「……それなら、お言葉に甘えて。ありがとうございます」
一期は頭を下げる。鶴丸は満足そうに笑い、一期を連れてホテルへ向かった。
「……大体、簡単なオペくらい他の方がやればいいでしょう。ヘルニアもアッペもそんなに難しくないでしょうに……。どうして皆私に任せたがるんですか? 帰る時間が遅かったりオンコールで夜中や早朝に呼び出されたり弟たちともなかなか会えない。転職を考えたいくらいですよ」
苺がたっぷり乗せられたタルトにフォークを刺しながら不満そうに一期は話している。
「でも、きみは小児外科医として名が通ってしまっているんだ。どこに行っても同じだと思うぜ」
ブラックコーヒーを啜りながら鶴丸は一期の話に耳を傾けている。
「ですがこれでは弟たちに申し訳ありません。どうしたものでしょうか……」
「なに。さっき外科の連中には俺から言ってやった。電話の相手はただの医師だ。小児科医長の俺に言われたら強く出れないだろう。権力にはこれっぽちも興味はないが、こういうところで役立つものなんだなあ」
楽しそうに鶴丸は笑っている。
「確かに、簡単なオペは他の奴らにやらせてもいい。きみは器用だから細かい手技が求められる難しい症例を中心に扱えばいいだろう」
「最初からそれが出来たら苦労しませんよ」
タルトを咀嚼しながら疲れた様子で一期は答える。一口、二口とそれからは無言でタルトを口に運んでいく。リスのようで可愛らしい。思わず頬が緩んでしまう。
「……何笑ってるんですか」
不服そうな一期の声が聞こえた。
「何でもないぜ。そんなにがっつかなくてもタルトは逃げないからゆっくり食えよ」
鶴丸は再びコーヒーに口をつけた。
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初公開日: 2020年08月08日
最終更新日: 2020年08月09日
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