この身で顕現してからの一番古い記憶は、白い天井と、誰かの優しい声。
「ーーーー」
それが自分にかけられた声とわかったのは、その音に、馴染みがあったから。その響きは、自分のなまえであったから。
そして自分が何者かを理解してすぐに、気がついた。
自分がこうしてひとのかたちをとるのは今が初めてではない。顕現したばかりにしてはあまりにも器に霊力が馴染み過ぎている。何もわからなくとも、刀剣男士としての直感がそう語る。
けれど、自分の置かれた状況は、その理由は、何もわからなかった。ただ、自分が自分であること、今そこに在るという事実だけが、その時彼が知っていたこと。
だから、それが一番古い記憶。
それより昔のことは。刀剣男士としてこの世界に顕現した、本当の"はじまり"は、覚えていない。
***
「む」
大きなガラスケースの前で立ち止まった。透明な板の向こうには、まるで本物かと見まごうほど精密に作られた食品サンプルがずらり、並んでいる。目に留まったのは、盆の上に大きく一つ、どんっ、と置かれたどんぶりの器。サンプルだらけのこのケースの中でも、例外として本物の食事がそのまま置かれていることがある。日替わり定食がそのうちの一つで、そのどんぶりの中身もまた本物のそれのようだった。それがつやつやと光っているのはきっと、とろり、甘く煮詰められた、醤油ベースのタレがたっぷりかかっているから。ちょこんと乗せられた緑色は何だろう。何かの薬味か。
「肉!」
うん、と頷いて、ケースの隣の券売機に小銭を投入、そして迷わず「C定食」と書かれた、緑のランプが光るボタンをがしゃんと押した。ぽとり、機械から吐き出された少し硬いその紙を指先でぺかぺかと曲げながら、広い食堂の壁際、厨房とこちら側を区切るカウンターへと向かう。果たして、目当ての彼は今日も今日とてその向こう側にいた。
「切国くん!今日も来てくれたんだね、ありがとう」
持っていた券を渡せば、彼ーー燭台切光忠は嬉しそうに笑った。
「ちょうど今、空いてるから。すぐにできるよ、待っててね」
「ああ」
頷いて、近くに積み重ねられた盆を手に取り、これまた近くに置かれていた箸を一膳、その上にのせる。
待つこと少々。
「はい、お待たせ!」
どう見てもケースの中に入っていたあのどんぶりの中身より多い。受け取るとずしりと重くて、見た目通りそれなりの量が盛られていることがはっきりとわかった。けれどこれは珍しくも無い、いつものこと。
「ありがとう」
一言礼をいって、その場を離れて食堂内、空いた席を探す。途中でコップに水を入れるのも忘れずに。
ちょうど窓際、周辺に誰もいない場所を見つけたので、贅沢にテーブル一つをおひとりさまで借り切って、どんぶりを前に手を合わせた。
「いただきます」
第二食堂の日替わり定食、本日の献立は焼豚丼である。
今日もうまかった、と告げれば、光忠はぱあっと顔を輝かせた。
「ありがとう!ふふ、焼豚丼、好評だ」
まるで他の誰かに褒められたというような口調だと思っていたら、光忠は「実は」と話しだした。……別に聞いていないんだが。まあでも、話を聞いてやろう。
「特対課の国広くんがね、褒めてくれたんだよ」
「そうなのか」
切国が所属する本丸調査課と同じフロアの、調査課のすぐ隣の島を陣取る特殊怪異対策課ーー通称・特対課にも、山姥切国広が所属している。すぐ隣にいる調査課の「切国」と呼ばれる自分との区別のため、あちらは一般的に国広と呼ばれることが多い。
自分とは違って常に布を被っている同位体の、これまた常に変わらない無表情を思い返した。山姥切国広という刀剣男士は確かにそうころころと表情を変えはしないけれど、別に能面のように変わらないというわけでもない。
しかしあの国広は山姥切国広の中でも群を抜いて表情筋が死んでいるようで、切国は彼の表情が崩れるところをほとんど見たことがなかった。表情どころか、そもそもあまり喋らないし感情を表に出していること自体を見ない。山姥切国広にしては珍しく本科と常に二振りで行動するあの同位体の存在は、その個体性もあいまってここ近辺の山姥切国広ネットワークの中でもそこそこ有名である。政府刀剣には訳ありの過去を持つものも多い。もしかしたら彼もまた"そういう"刀剣男士なのかもしれない、というのが界隈における一般的な認識である。実際のところは切国もよく知らないけれど。
そんな彼が、賞賛の言葉を口に出したとは。
いつもあの同位体を見守るように隣にいる本科は、そんな彼を見てどう思ったのだろうか。
「僕すごくテンションあがっちゃって...彼、いつもC定食べてくれるからそれだけでも嬉しいのに。で、そこに君がきたから楽しくなっちゃって。いつも以上に盛り過ぎちゃった」
「やっぱりそうか。米の密度がいつもより高かった」
「ごめんごめん。でも切国くんなら大丈夫でしょう」
「余裕だ。任せろ」
胸を張って答える。...そうだ。機嫌の良い今ならば。
「光忠、リクエストをしたい」
「コーラとハンバーガーとフライドポテトのセットの常設メニュー化リクエストは受け付けてません」
「くっ」
先手を打たれた。
「ああいうのは時々食べるからいいの!」
「む...」
きゅう、と口を引き結んだ後、ぷうっと尖らせてみれば光忠はあああああ、とため息をついた。
「そんな顔してもダメ!まったく、君って子はほんとにずるいなあ...わかった上でやってるからまたなんとも」
「個体差というやつだ」
「そういうところだよ!ああもう...」
ほらほら、そろそろお仕事に戻る時間でしょ!と言われて、しぶしぶ引き下がった。最初に引き留めたのはそっちだろうに。
「午後も頑張ってね!また明日、お待ちしてまーす」
「ああ。楽しみにしている」
実際、光忠の作る食事は美味しい。各本丸でも厨に立つことが多いと噂を聞く燭台切光忠という刀剣男士、その同位体は、優れた腕前をこの第二食堂で発揮している。本刃曰く、天職であるとか。
「僕も刀だ、必要であれば戦うさ。でも、今の僕の仕事はみんなのご飯を作ること。戦うみんなのサポートが今の僕の使命だな。そういう”燭台切光忠”がいたっていいだろう?」
いつだったか、彼に刀として戦う意思はないのかと聞いた時の返事を思いだした。彼はにこにこと、いつもの笑顔で答えていた。
彼とは対照的な彼の同位体も、切国は知っている。特対課に所属する燭台切光忠だ。
一般的に皆から「燭台切」と呼ばれる彼も、燭台切光忠という刀剣男士らしく穏やかでひとあたりは良いけれどその中身は随分と好戦的で、まとう雰囲気もどこか殺伐としたところがある。本体を持って戦う意思をあらわにしない二食の光忠に対しては色々と思うところがあるようで、彼の話題が出ると口数が少なくなるほどだ。
とはいえ燭台切もやっぱり料理は得意なようで、ときおり手料理をもって出勤してくることがあって、しかも随分な量があるので調査課もおこぼれを預かることしばしば。そしてやはりというかなんというか、美味い。流石は伊達家伝来の刀というべきか、本丸の厨当番二強のうちの一振りというべきか。
(......まあ、俺は本丸の燭台切光忠はよくわからんが)
政府所属の刀剣男士は、顕現したその時から政府所属の者もいれば、もともとは本丸の所属で訳あって
政府へと移動して来た者、大抵がそのどちらかである。
切国はそのどちらでもない。……というよりは、わからない、というのが正確な表現か。何故ならば、彼にはある時より以前の自分について、全く記憶がないからだ。
ただの刀であった頃の記憶ならある。打たれてこの方数百年、覚えていること、覚えていないことあるけれど、その中で不自然に損なわれた記憶というのは存在しない。
けれど、刀剣男士として顕現してからは別である。
気がついたら、政府にいた。
天井も壁も、それから床にいたるまで白いちめんの部屋の真ん中でベッドに寝かされていて、そこで目を覚ました。ベッドの傍らには刀剣男士がひとりいて、自分が目覚めたのに気がつくと慌てて職員を呼びに行った、その背をぼんやりと見送ったことを覚えている。
その後、慌ただしくやってきた人間の職員や政府の男士たちに様々な検査やいくつかの質問をされた。けれど、何も答えられなかった。何も覚えていなかったから。
そこでどうやら、自分は何らかの問題があって、その結果こんな状況にあるのだ、と空っぽの頭で理解した。そもそも記憶がなくなっている時点で異常だと気がつけばよかったものを。
それからは目まぐるしい日々で、気がついたら管理本部の調査課という部署に配属が決まっていた。
特定の審神者に顕現された男士であれば、その霊力のつながりをもって主とのつながりを感じることができる。けれど切国にはそれが全くなくて、だから自分はきっと政府で顕現したのだろう、と自身で結論づけた。周囲に聞いてみても切国が本丸にいたと証言した者はいなかったし、もし仮に自分がどこかの本丸の刀剣男士であったら、主とのつながりも感じられないのに長いこと顕現体を保てているはずもないから。
本丸の刀剣男士が審神者との霊力のつながりを感じられなくなる時は、何らかの理由によって審神者が審神者としての務めを果たせなくなった時である。
ゆえに自身が政府権限のもと顕現した男士であることに何の疑問も抱かず、切国は今日もせっせと、本丸調査の任にはげんでいる。
「おお、切国ではないか。久しぶりだな」
「三日月」
自分の席に戻ると、向かいでのんびりと熱い茶をすする天下五剣が一振り。
三日月宗近である。
「戻ったのか」
「つい先ほどな」
パソコンの前に座って湯のみを持ち、ほけほけと笑う三日月宗近。彼もまた、切国と同じく本丸調査課に所属する刀剣男士である。
ここ数日、任務で出払っていた三日月が戻ったということは。
「例の本丸の調査は終わったのか」
「ああ。後一歩で堕ちるところだったな」
……ということは、何とか持ちこたえたというところか。
「あそこは確か、審神者が黒だったな」
「そうだ。一番やられていたのは粟田口の短刀でなぁ」
「む……」
ちらりとフロアを見渡した。粟田口の長兄の姿は見当たらない。
彼もまた、本丸調査課に属する一振りである。切国の班の所属であるから、三日月と共に任務に出向くことはそう多くはない。今は偶然、席を外しているようだ。
「保護対象はいたか?」
「いや。審神者に厳重注意、要経過観察で終わったぞ」
「相変わらず甘いな」
「調査をするのは俺たちだが、処遇を決めるのは俺たちじゃないからなぁ」
「まあ、そうだが……」
所詮は政府の部署。神格ある刀剣男士といえど、ここではたらく以上は人間的な社会の階層にしたがって行動するしかないのだ。
「まあ、何はともあれ一見落着だ」
「いや、全然そんなことはないと思うが?何を言ってるんだあんたは」
「俺たちの仕事は調査である故な」
三日月はコトンと湯のみを置いて、ぐぅっと伸びをした。
「じじいは疲れた。しばし休むことにしよう」
そう言って、立ち上がったので。
「まずは報告書をかけ、くそじじい」
ぴしゃりと言い放った。
「頭がいたい」
ぽつりと呟けば、たまたま近くを通りかかった特対課の国広が切国の顔を覗き込んできた。相変わらずの無表情。けれど、彼の考えていることはわかる。それは同位体だからか、はたまたそこそこ付き合いが多い故か。
「体調不良じゃないぞ」
「そうか」
「あのくそじじいがすぐにサボろうとする。困る」
「……」
なんだろう、心なしか、同情の念を視線から感じるような。切国ははぁ、とため息を吐いて、机に突っ伏した。
「あいつのことを考えると頭がいたい……」
「お前が言うか?」
もうひとつ、頭上から降ってきた声。
「本科」
がばりと顔をあげれば、じっとりとこちらを睨みつける青がふたつ。
「俺はお前のことを考えると頭が痛いよ」
は〜〜、と頭をふって、彼はーー特対課の本科山姥切は、何やらたくさんの書類を抱えたままその場を離れた。
「ほら、行くよ偽物くん」
「ああ。……お疲れ様、俺」
「ありがとう、俺」
ひらりと白い布の裾が翻る。
なんとなく、自分のうなじに手を伸ばした。指先に触れる二本の帯。そのまま掴んで、しゅるしゅると目の前まで引っ張って、眺めた。
白には程遠い、鮮やかな橙色とそれを縁取る金色。
「……」
自分にも、あのように布をかぶっていた頃があったのだろうか。
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小夜
いつも書いてる政府伯仲に出てくる極の彼の話
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続きかきかき
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はいしんしゅーりょー
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2020.0806 政府の切国くん
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小夜
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小夜
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小夜
おあそびけした
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初公開日: 2020年08月05日
最終更新日: 2020年08月06日
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原稿とか短編とか。
伯仲ワンライ
配信のお試しもかねて。果たして60分で書ききれるのか……。
小夜
七夕
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