「近い内に織田作に様子を見に来させるから」そう言い残して太宰さんは帰っていった。こっそり要望を聞かれたので冒険ファンタジィのシリーズをリクエストしておいた。意外そうにこちらを見る彼の視線が居心地悪くて何ですか、と尋ねると意外だと言われた。
「だって目の前の出来事を報道する新聞記者が空想ものだなんてあまりにかけ離れているから」
「そんなの私の勝手でしょう」
つんとそっぽを向く私に太宰さんは肩を竦める。
「それもそうだ」
この人は他人に深入りしない。一線引いて輪の外から中を眺めているような雰囲気がある。この場でしか顔を合わせていないからハッキリしたことは言えないけど。諦めたような、どこか草臥れたような気配がする。
「新聞記者だからって皆が皆現実主義者じゃないってことか」
「当たり前じゃないですか。それに……現実ばかり見ても何も良いことはないですから」
今も昔も世間には録でもない大人が溢れていて、人より遥かに優れた聴力や視力が他者の理不尽を働く姿ばかり見てきた。真実を詳らかに調べ公表することは叶わず、いくつもの事実を握り潰された。
自分の心を守るために逃避先として選んだのがファンタジィだった。何故ファンタジィだったのかと言われれば、そこに現実に則した社会が形成されていないことに尽きる。どこ迄も想像の広がる世界は私を自由にしてくれた。
弱い人間だと笑われると思った。堪えられないならいっそ止めてしまえばいいと。けれど彼は淡々とした様子で私の話を聞き、やがて聞き落としそうな小さな声でポツリと呟いた。
「……時に何かに縋りたくなる気持ちは分かる気がするよ」
どう反応したらいいのか迷ってそっと太宰さんの顔を横目で盗み見ると途方にくれたような寂しげな表情が見えた。けれどそれも一瞬のことで、何事もなかったかのような顔で子供たちに向き直ると手を二度打ち鳴らす。
「さぁ、君達。悪者から隠れていることをくれぐれも忘れないように。いいね」
疎らな返事にうん、と頷いて太宰さんはじゃあと片手を挙げる。それから彼の来訪も連絡もない。彼が言っていた作之助さんの来訪とは何時のことだろう。子供たちも焦れてきたようで今日かな、明日かなと口々に言う。本当にあの人は慕われていますねぇ。
くすりと笑いながら落書きの仕上げに入る。子供たちと作之助さんと、あと咖喱屋のおじ様のイラスト。子供たちが周りを取り囲んで完成を今か今かと見守っている。実を言うとちょっぴり窮屈なのだけどそれは秘密にして。
ふと外に人の気配を感じでピタリと手を止める。一、二、三……複数。ひたひたと静かに蠢くそれは実に気味が悪かった。今までそんな気配を感じ取ったことはない。ここに来るのは大抵太宰さんかその配下の人間だった。部屋には単身やって来てその他の人間はこの事務所にやって来たことはない。
喉の奥から言い知れない不安が込み上げてきて咄嗟に電子端末を手に取り、予め教えられていた連絡先を呼び出す。背後で階段を駆け上がって来る音が聞こえた。極力音を抑えた不自然な足音。
「部屋の奥に固まって!」
一番近くにいた少女を抱き締めて鋭く叫ぶ。気圧された少年達がバタバタと一所に寄ろうとしたその時、タタタ、という銃声がして鍵が破壊されて灰色のフードを被った人間達が雪崩れ込んでくる。不味いと思って端末の発信ボタンを押した瞬間、一瞬で距離を詰めてきた侵入者に少女から引き剥がされて床に投げ捨てられた。
「っぐ……咲楽……っ!」
「お姉ちゃん!!いやっ、離して!!」
助けようにも体の上に乗っかられて身動きが取れない。慌てて手から離れた携帯端末の所在を確認すると、離れた所で煙を上げていた。侵入者に破壊されたのだ。此れで外部に連絡を取る手段は奪われた。
「姉ちゃんと咲楽を離せ!!」
少年達が侵入者達に掴みかかった年長の少年が顔面を殴り付けられる。あまりの勢いに体が吹き飛んで壁に激突した。
「幸介!!」
のし掛かる男の下から這い出ようともがくものの、更に体重を掛けられて肺が押し潰される。呼吸を潰され浅く咳き込んだ。
「大人しくした方が身のためだ」
頭から冷淡な声が降ってくる。そんなことは言われなくたって分かっている。けれども此処には私しかいないのだ。私が年長者なのだ。年下の者のために動けなくて何のための年長者か。
「は、なして……離せ!!」
生まれて初めて吼えた。腹の底から叫んだ。侵入者達は意に介さず立ち向かう子供達を痛め付けている。
「黙れ。これ以上抵抗すると痛い目を見るぞ」
思い音がして米神に銃口を突き付けられる。子供達が口々に私を呼ぶ声が聞こえた。私は一歩も退かない気持ちでぎっと上に股がる男を睨み付ける。噛み締めた唇が切れて鉄の味がする。
悔しい。悔しい。なんて無力な自分。非力な自分。自分より弱い者すら守れない不甲斐ない自分。五感が鋭くて何だ。何一つ役に立たないじゃない。力が欲しい。この窮地を脱するような、何か使える力が。
『―――力を望むか』
突如聞こえた声にはっと辺りを見回す。そこは過ごしていた事務所の一角ではなくて真っ暗闇の中だった。
真正面からぶつけられた声は厳かで、此方の真意を図っているかのように聞こえた。発光する一対の光が値踏みするように此方を見据えている。
『自覚すれば普通では居られなくなる』
考えるまでもない。私は最初からまともではなかった。他人より広い視野、他人より鋭い嗅覚、他人より優れた聴力。どれもが私を他人から遠ざけた。本心から信用した人間などいない。
―――いや、ただ一人だけ。
私に異能があると知っても意に介さず接してくれた人。あの人の役に立てるのなら普通で居られなくたって何も惜しくはない。
「力が欲しい。私にはやらなければならないことがあるから」
真っ直ぐに迷いなく答えれば声の主は光を細めた。
『後悔するぞ』
「構わない。今やることをやらなければ後で後悔するのは私だから」
暗闇の向こう側で声の主が光を消した。やがて再び此方に向けられたものは黄金の瞳だった。
『よかろう、力を貸そう。我を喚び唱えよ、我が名は異能力―――』
「異能力、『天空より来りて』!!」
視界が開けた先は見慣れた部屋だった。急に体が軽くなって、体を押さえ付けていた男の拘束から抜け出た。侵入者たちの間に動揺が広がる。「聞いていないぞ!」「異能力者だと!?」男達が口々に言い、銃口が向けられる。発射される弾丸を何とか掻い潜って旋回すると、躍起になって打ち落とそうとする男が他の男に銃身を押さえられていた。
「止めろ、ガキに当たる!」
ふわふわと空中に漂っていることに違和感を覚えて窓を見ると、そこには野鳥の姿が映っていた。ギョロりとした金眼、獰猛な嘴、焦げ茶色の毛並み。これは鷲だろうか。
翼を羽ばたかせればそれに合わせて窓に映った鷲が体を上下させる。これが正体。長年私を苦しめ続けた力の本性。
「姉ちゃん、行け!」
下から幸介が叫ぶ。驚いて見下ろすと、殴られて腫れた目で織田作を呼んできてと言う。彼らの中で作之助さんは完全無欠の英雄なのだ。
彼らを置いていくことに躊躇いがなかった訳ではない。けれど異能力があっても何の役に立たない自分が残るより、助けを呼んだ方が余程利口だ。でも、それは自分だけ逃げ出すことにはならないだろうか。
「姉ちゃん、お願い!」
「お姉ちゃん!!」
克巳も真嗣も皆口を揃えて行けと言う。ぐ、と口を引き結んだ後一際高く鳴き声を挙げた。子供たちの顔が安堵に緩んだ。これでいいのだ。これが私達の選択だ。今出来る最前の筈だ。男達の間を猛スピードで飛び去る。
追ってこようとした男に幸介が飛び掛る気配がした。子供たちの声が背を押す。銃弾がいくらか翼を掠めたが構っていられる余裕はなかった。飛べ。飛ぶんだ。必ず助けを呼んで此処に戻ってくるために。
「飛べ!!楓姉ちゃん!!!」