「これが、小学校の時のジュニアチーム。これが北川第一で……これが青葉城西」
 ぱさり。ぱさり。自室の畳の上に懐かしいユニフォームが次々と広げられていく。母は一着ずつ背番号を指でなぞりながら、感慨深そうに呟いた。
「小学校の時のはともかく……中学とか高校のは学校の備品だからユニフォーム返しちゃうじゃない?なんかそれが寂しくてねえ……徹が帰ってくるっていうタイミングに合わせて、知り合いに頼んで発注してもらっちゃった」
 部屋着とかにしか使えないかもしれないけど、サイズは今のアンタに合わせて作ったから。良ければ持って帰って。
 言われながらグイっと押しつけられたユニフォームは、青葉城西のものだ。これを着てコートに立っていたのはもう九年も前になるのかと思うと、月日の流れの早さを恐ろしいと感じてしまう。
 小学校、中学校、そして高校。どれも全て思い入れはあるけれど、やはり一番思いが詰まっているのは青葉城西のそれだ。当時高校三年生だった俺は、このチームでなら全国に行けると信じていた。インターハイでは白鳥沢に、そして春高では烏野に負けて結果的に全国進出は叶わなかったワケだが、あと二週間もしないうちに、あの中に潜んでいた「ぶっ潰したい相手」と対戦をすることが出来る。
「こうして見ると、アンタが着てたユニフォームは青ばっかりねえ」
 ネイビー、マリンブルーに、マーメイドブルー……ってとこかしらね。一着ずつ指をさしながら口にした母が、最後に俺に押しつけたユニフォームを指さして、穏やかに笑う。
「CAサン・フアンだっけ?あそこのユニフォームも青だったわよね」
「そうだね」
「ふふっ、やっとオリンピック選手に選ばれて、赤いユニフォーム着てくれると思ったのに……」
 ——まさかアルゼンチン代表として、日本に戻ってくるとはねえ。
 母の言葉に、押しつけられたマーメイドブルーを力強く握りしめる。
 このユニフォームを着ていた頃とは舞台もチームメイトも違うけれど、「全員倒す」と意気込んだその相手は、いつまでも変わらない。
 俺が全員倒してやる。牛島も飛雄もショーヨーも、世界のエース達も。
 全国から世界へとレベルアップした舞台で、一人残らずバケモノ達を倒すと決めたのだ。
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「及川さんって、もしかして国籍変えるんですか?」
 遡ること四年前。俺にこんな風に尋ねてきたのは、岩ちゃんでも飛雄でもない……一番予想外と言っても過言ではない人物、ショーヨーだった。
 前の年と同じ時期にリオへの遠征が入ったタイミングで、そう言えばビーチで修行をしているアイツの調子はどうなのだろうとふと思って連絡をしたのがキッカケだった。一年ぶりに会ったショーヨーはすっかり日に焼けていて、ブラジルの地にとてもよく馴染んでいた。一年前に再会した時と同じ飯屋に入り、そこそこ上達したように聞こえるポルトガル語でオーダーを取ってもらって。さてどんな話をしようかと思った矢先の一言だった。
「……まさかお前の口から国籍というワードが出てくるとは」
「むぅ……!俺、そんなに何も考えてなさそうに見えますか?」
「お前勉強出来なさそうじゃん……まあ、それは高校までのお前ってことにしといてあげる。今は色々考えて動いてるみたいだし?」
 言いながら、向かいに座るショーヨーの身体に目をやる。首、肩幅、胸筋、腹筋……目線を上から下へついっと動かして、テーブルにぶつかったところでその下に隠れた身体のつくりを思い出す。ショーヨーと合流する時にちらりと目に入った脚の筋肉を思い出せば、一年前と比べて身体もしっかり鍛えられているのは一目瞭然だった。
「その考えた頭で聞かせてくれる?どうして俺が国籍を変えるって思ったの?」
 ショーヨーに尋ねた直後、店員が注文の品を運んでくる。ああ、タイミング悪かったな。食ってから聞けばよかった。料理が目前に置かれたのを確認して、いただきますと手を合わせようとしたその直後だった。
「だって、及川さん言ってましたよね?全員倒すって」
 ——全員倒すなら、日本の敵に回るしかないですよね?
「……お前」
「じゃ、いただきます!」
「ちょっとちょっと!」
 なんでもないような顔をしてパチンと手を合わせ、メシに手を伸ばそうとするショーヨーを慌てて制止する。なんですか?とちょっと不満げな顔をして俺を見上げるコイツは、話の重さというものを理解しているのだろうか。
「随分簡単に言ってくれてるけど、簡単な事じゃないって分かってるよね!?」
「?分かってますけど……及川さんならそのくらいの事しますよね?」
 フォークを持ったままピタリと手を止めたショーヨーが、アーモンド型の大きな目をぱちぱちと瞬かせる。
 ——こういうところは本当に、昔から得体が知れないと思う。良く言えば怖いもの知らず。悪く言えば命知らずと言ったところか。
 こっちは、生まれ育った国を捨てるか捨てないかの話をしているのだ。親がその国の生まれだとか、育ったのが別の国だとか……そういう事なら話は分かる。
 俺の場合は、自分が生まれたワケでも育ったワケでもない地球の裏側に国籍を移すということ。いくら名の知れたスポーツ選手でも、そんな暴挙に出るヤツなんて今まであまり聞いたことはない。そんな事をしようものなら、一体どれだけ多くの日本人を敵に回すことになるだろう。
 ……だから、今もまだ迷っているのだ。いくら日本にいるバケモノどもをぶちのめすためとはいえ、そんなに軽々しく日の丸を捨てて良いものなのだろうかと。親にも相棒の岩ちゃんにも相談することが出来ず、今の今まで、一人で抱え込んできたというのに。
 まさかこんなところで、元後輩の元相棒に、軽々しく尋ねられるとは思わなかったのだ。
「俺がもし本当に、アルゼンチンに国籍を移すとしたら……お前は、どう思うのさ」
 命知らずの橙は、一体なんと答えるのだろうか。ペラペラの薄い言葉で、応援してると言い放つのか。興味などないと言わんばかりに、及川さんの好きにしたらいいと言ってみせるのか。
 握ったままのフォークにぎゅっと力を込めた、その数秒後。
「及川さんが敵に回るなら、俺はぜってえ負けません!一緒に戦えないのはちょっと残念ですけど、アルゼンチンで及川さんが力を発揮出来るなら、アルゼンチンと戦いたいです!」
 握ったフォークの柄をカツンとテーブルに叩きつけて、ショーヨーは爛々と目を輝かせる。自ずと上を向いたフォークが店の照明を浴びて、ギラリと鋭い光を放った。
「ショーヨー、行儀悪いよ。フォーク置きな」
「あっ、すんません」
「全く……獲物がどこにいたって関係ないみたいな顔しちゃってさ。ホラ食べよう。いただきます」
「はい!いただきます!」
 二人して行儀良く手を合わせて、ようやくメシを口に運ぶ。
 ——忘れるところだった。この男が俺と肩を並べる……いや、それ以上のバレー馬鹿だということを。
 強いヤツと戦いたい。俺もショーヨーも、飛雄も牛島も。きっとずっと、胸に秘めていること。その気持ちは、今も昔も変わらない。
 俺の敵は、日の丸を掲げるバケモノだ。コートを眺める日本人じゃない。画面の向こうにいる、一般人じゃないんだ。
 日の丸を捨ててその願いが叶うのならば、やるべきことはたった一つ。
「ショーヨー」
「ふぁい?」
「……感謝するよ。岩ちゃんにも親にも、近いうちに話さなきゃって思ってたんだ」
 もぐもぐと、まるでハムスターのようにメシを頬張っているショーヨーに向かってそう言い放つ。咀嚼しながら、んん、と唸り声を上げた彼は、なにか言いたいことがあるのだろうか。しばらく手を止めて彼の様子を見つめていると、程なくしてごくりと、喉が上下に動いたのが分かった。
「こういうのって、近い人にはなかなか言い出せないっすよね。俺くらいの距離の人に話した方が、気楽じゃないですか?」
「……へえ。お前でもそういう風に思うことあるんだね」
「だから!及川さんは一体俺の事をなんだと思ってるんですか!?」
「ジョーダンジョーダン!……でもまあ確かに、お前だからこんな話できたのかもね」
 ——ありがとね。
 まさかこんなところで、ここ最近の大きな悩みが晴れることになるなんて思いもしなかった。素直に感謝の気持ちでも伝えてやるかと、空いた左手で橙色の頭を撫でてやれば、ショーヨーはニカッと満面の笑みを見せてくれた。
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「徹は、青に惹かれる運命なのかもねえ」
 過去へと思いを巡らせていた思考が、母の呟きによって引き戻される。いつの間に、俺の鞄から取り出したのだろう。母の手には、アルゼンチン代表のユニフォームがしっかりと握られていた。
「……母さん」
「ん?」
「日本の国籍を、日の丸を捨てること……否定しないでいてくれて、ありがとう」
 畳の上で胡座をかいていた足を整えて、正座をして。太腿の上に両てのひらを置いてから、ゆっくりと頭を下げる。
 ——母は、日本の国籍を捨てることを、一度たりとも否定しなかった。アンタの好きなようにしなさいと、ただ一言、俺にそう言って背中を押してくれた。
 きっと母も、周囲からの心ない声を何度も浴びてきたのだろう。誰かに何か言われたらすぐに言ってほしいとは伝えていたが、彼女はただの一度も、そんな報告は俺にしてこなかった。
「徹。顔を上げなさい」
 穏やかな母の声が、頭上にぽつりと落ちてくる。言うとおりにゆっくりと顔を上げれば、彼女は眉を下げて、穏やかに笑っていた。
「そりゃあ、最初アルゼンチン人になるって聞いた時は驚いたわよ。だけどね……」
 ——徹がどこにいようが、どこの国の人になろうが。アンタは私の自慢の息子よ。
 ツン、と鼻の奥に刺激が走って、慌てて下唇を噛みしめる。冗談じゃない。二十七にもなって母親の前でなんて泣くものか。そう思って、太腿の上に置いた手のひらをぎゅっと握り締めて拳を作る。ぼんやりと滲む視界に慌てて顔を上げてやり過ごそうとした、その直後だった。
「それに、徹は日の丸を背負わなかったかもしれないけれど……」
 ——しっかり太陽、背負ってるじゃない。
 トン、トン。母は膝の上に広げたアルゼンチンのユニフォームの、胸元を指さして笑う。その瞬間堪えきれなかった涙が、ぽろぽろとこぼれ落ちた。
「……っ、もうお母ちゃん!なんでそういうこと言うのさ!」
「アッハハ!母はいくつになっても息子を泣かせる才能に長けてるモンなのよ!」
「く……っ、そんな才能溢れるお母ちゃん!俺を凡人に産んでくれてありがとうね!」
「何言ってんのよ、徹は努力の天才じゃない」
「!」
 涙を流す俺とは対照的に、声を上げて楽しそうに笑う母のすがたが、なんだかちょっと悔しくて。なんとかして仕返しをしてやろうと思って紡いだメチャクチャな一言を、母は綺麗に拾い上げて、あっさりと言葉を返してくる。
「上を向き続けることは簡単な事じゃない。努力をし続ける事にも、才能が必要でしょ?」
 母はにこりと笑って、俯く俺の頭をわしゃわしゃと撫でてくる。そうして母はそのまま、俺の涙腺をことごとく崩壊させてくるのだった。
「他の競技はもちろん日本を応援するけど、バレーボールだけはアルゼンチンを応援してあげる。努力の勲章しっかり見せて、金メダルもぎ取ってきなさい」
「……ふん!言われなくても分かってるよ!!」
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 二〇二一年某日、有明アリーナ。
 男子バレーボール決勝、日本対アルゼンチン。
 ネットを挟んでずらりと並ぶ、日の丸を背負った真っ赤なバケモノ達。まずはネット越しに立つ牛島に、ビシリと指を差してやる。
「元気ー?ウシワカちゃん。今日こそぶっ潰してあげるからね」
「……及川か。まさかアルゼンチンの国籍を取得するとはな」
 相変わらず無表情で俺を見下ろしてくる牛島に向かって、クイッっと口角を持ち上げてやる。
 ——春高で烏野に負けた時にコイツに言われた一言を、俺は一日たりとも忘れたことはない。
「今日は俺の選択が間違ってなかったって、存分に証明してやるよ。お前らをぶちのめすために、取るに足らないこのプライド携えて、日の丸捨ててここに来たんだ」
 ——それでもお前はこの俺のプライドを、取るに足らないものだと言ってみせるのか?
 笑みを浮かべながらそう問えば、牛島はたった一言吐き捨てて、くるりと俺に背を向ける。
「俺たちに勝てたら、撤回してやらんこともない」
 いちいち癇に障るヤツの言動に、イライラしてたって仕方がない。お次はついっと左に視線を滑らせて、変人コンビを視界に入れた。
「やっほーショーヨー。四年ぶりだね。約束通りお前らを倒しにきたけど……全部出来るようになった?」
「ウッス!出来るようになったかどうかは、試合で感じてください!及川さんと戦うの、めっちゃ楽しみにしてました!」
「うんうん。清々しいほどのバレー馬鹿。俺もお前を倒すの、楽しみにしてたよ」
 牛島と話してイラついていた心が、ショーヨーとの会話で少しばかり落ち着く。こいつには色々と感謝したいことがあるけれど、それは試合の後でいいだろう。覚悟しろよとだけ伝えて、今度は飛雄に挨拶をしてやった。
「ショーヨーとはくだらない試合含め馬鹿みたいに勝負し続けてるみたいだけど……俺とは一勝一敗だってこと、まさか忘れてないよね?」
「忘れるワケないっす。今日は絶対に金メダル取ります」
「それはこっちの台詞!」
 ——さあさあ、バケモノ達よ。世界最高の舞台の幕開けだ。
 国を背負った世界のエース達は、ここに来るまでに全て倒してきた。
 今日の敵は日の丸を背負ったバケモノ達。牛島も飛雄もショーヨーも、全員俺たちが倒してやる。
「はじめようか!勝つのはアルゼンチンだよ!」
 赤い悪魔をビシッと指さして、高らかに宣言する。そうしてからくるりと彼らに背を向けて、五月の太陽を背負った仲間たちに囁いた。
「それじゃあ……」
 ——信じてるよ、お前ら。
:五月の太陽:
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五月の太陽
初公開日: 2020年08月04日
最終更新日: 2020年08月04日
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2020.07.19にツイッターにてUP。その翌日にpixivに上げたものです。
※二次創作です。
※本誌最終話バレ注意。