「ど、ち、ら、に、し、よ、う、か、な」
 ココア、りんごジュース、ココア、りんごジュース。トントンとリズミカルに指を左右させていると、突然にゅっと伸びてきた腕。あ?と不機嫌丸出しの声が音になる前に、自販機はピピ、なんて間抜けな声を上げる。そのままガン、と勢いよく落ちてきた代物は、ココアだ。ココアのボタンが点灯しているから間違いない。
「おおきに、角名」
「は?何勝手に選んでんの」
「迷っとったやん。俺はココアがええ」
「自分で買えば」
「金欠なんやもん。三分くらい前にお釣りんとこ漁っとったくらいには」
「ホームレスかよ」
 人の許可も取らずにぷしっとプルタブを引っ張るこの男は、人でなしの片割れだ。たしかにこいつは、四時限目の授業が終わると同時に教室を飛び出していった。見る限りだと何も持ってないから、どうやら収穫はゼロみたいだ。まあ、そんなに都合よくお釣り忘れる生徒なんていないよね。
 俺は優しいから、そんなの知るかと言って治からココアを奪い返したりはしない。好きなだけ飲めば?俺そんなに金に困ってないし。声に出す代わりに、ココアを口に持って行く治のことをぼんやりと眺めた。
 ごく、ごく、ごく。治がココアを喉に流し込んでいく。大きく上下する喉仏が、なにかの生き物みたいでちょっと気持ち悪い。
「ぷはあ、美味かった!おおきに!」
 喉を潤して満足したらしい治が、ココアの缶をずいっと俺の前に差し出す。今度何奢ってもらおうかな、なんて考えながらココアの缶を受け取れば、想像していたよりも全然軽くなくて、少しだけ目を見開く。ちゃぷん、と揺れる中の液体は、缶の半分程度の位置にあることを教えてくれた。
「あれ?もういいの?」
「んー?全部飲んで良かったん?」
「いや、良くないけど」
「せやろ?ごちそうさま」
「ふうん」
 治のことだから絶対全部飲むかと思った。珍しいこともあるもんだ。そう思いながら缶を今度は自分の口につける。まずはひとくち口に含めば、ふんわりと程よい甘さが口いっぱいに広がる。うん、おいしい。ココアにしてもらって正解だったかもしれない、なんて。これもまた絶対に言ってやらないんだけど。
 ふたくちめを喉に流し込もうとした時、痛いくらいの治の視線に気付いて眉間に皺を寄せる。なんだよ、やっぱりまだ足りないんじゃん。いったん缶を口から離して、呆れたようにため息一つ。エンリョなんて、随分とらしくないじゃん。
「もういいの?って聞いたのに」
「ん?もうええよ」
「え?まだ飲み足りないんじゃないの?」
「ちゃうよ。気にせんといて」
「そう言われても、そんなに見られたら飲みづらいんだけど」
 不快感を隠すことなくそう伝えたのに、相変わらず人のことをじろじろと見つめっぱなしの治。こいつ、こうなったら頑ななんだよなあ。ため息をもう一つ吐き捨ててやってから、もう一度ココアを口に含む。俺にしては大きなひとくちを一気に喉に流し込もうとした瞬間。治の唇が、ふわりと弧を描いた。
「うまい?俺の唇」
「ぶっ!」
「きったな!」
 予想外の治の一言に、口に含んでいたココアを思い切り吹き出してしまう。びしゃりと下品な音を立てて、白い廊下が茶色に染まる。間一髪で避けた治の顔面に思い切りかかってしまえばよかったのにと、口元を拭いながらぎろりと睨みつけた。
「お前が変なこと言うからだろ!?馬鹿治!」
「そないなオーバーリアクション取るとは思わへんやん。それとも何?自分動揺しとるん?」
 ニヤニヤ。ぶちまけたココアより下品な笑みを浮かべる治は、絶対に侑より人でなしだと思う。誰が人にやさしく生きるって?いっぺん自分のその顔鏡で見てからモノを言いやがれ。
「怒りんぼうの角名くんのために、雑巾持ってきたる」
「当然だろ。ていうかお前が拭けよ」
 俺はベトベトになった口と手を洗いたい。床なんて知ったことか。未だにニヤニヤと腹の立つ笑みを浮かべた治が、しゃーないなあと言って外国人ばりにわざとらしく肩を竦める。かと思うと、おつりの所をかぱっと開いて、ちゃりちゃりと小銭を回収しはじめた。
「ほな、唇代三十円。毎度あり~」
「はあ?」
 普通逆じゃないかと突っ込みたくなるが、もはや突っ込み所が多すぎて何も言う気力がない。金がないと言うから飲み物を分けてやったのに、間接キスを主張して、だらしなく口元を歪ませて。挙句の果てに唇代とは……もうなんというか、勝手気侭と言うべきか、手前勝手と言うべきか。とにかく大したものである。
 でもそんなことよりもっとイラつくのは自分自身。ただの部活仲間でありクラスメイト、もう少しだけ良く言ってやれば友達同士。俺と治の関係なんてそれ以上でもそれ以下でもないのに、唇というワードに過剰に反応してしまったのは大失態。
「すなあ」
 ——顔、真っ赤やけど。
「……っ」
 それに加えて至極上機嫌な顔して耳元で囁かれてしまえば、このワケの分からない怒りは一瞬で頭まで上っていってしまうから、ついつい声を荒げてしまう。
「三十円やるから掃除して駄菓子でも買ってろバーカ!」
「おっほ!そんな怒らんといて」
「うるさいよ人でなしが!ホラ、これももういらないからやる!」
 無駄に鍛えられた胸にココアをぐいっと押し付ければ、俺は人でなしやない!だなんて、お笑い芸人もビックリの説得力のない突っ込み。構わず早歩きで治と距離を取れば、今度は馬鹿みたいに嬉しそうな治の声が聞こえてくる。
「これ飲んだらまた間接キスやん」
 ——ああもう、聞こえない聞こえない。知らないフリ。呪文のように念じながら、逃げるように教室へと飛び込んだ。
 ……ああ。次の授業。サボればよかったなあ。ていうか手と顔を洗いたかったのに、それすら忘れてしまった。
 サボったところで部活はやってくるワケだから、アイツと今日一日顔を合わせないなんて無理な話。
 この後どんな顔してアイツに会えばいいのかなんて今の頭で考えたって全く分からないから、そのまま机に突っ伏して不貞寝を決め込んだ。
:三十円のココア・キッス:
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【腐向けHQ】三十円のココア・キッス【治角名】
初公開日: 2020年08月04日
最終更新日: 2020年08月04日
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※二次創作/腐向け/HQ/治角名