30日CPチャレンジ 普独 2日目
2、抱きしめる
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ヴェスト、と兄さんが切り出したのは、夕食が終わって食後のコーヒーを俺が飲み始めた時だった。コーヒーを淹れるのに使ったミルやドリッパーを片付けた兄さんが、自分のコーヒーを片手に俺の隣に腰を下ろす。
日曜日の夜は飲酒をしないのが常だ。外で飲むならまだしも、兄さんと二人きりで家で飲むと盛り上がって――つまり泥酔してしまうものだから、日曜日の夜は飲まないようにしている。ならば平日の前日は常に飲めないではないか、実際飲んでいないのか、と言われてしまえば返す言葉はないのだが、せめて週の始めくらいは肝臓を休めてから迎えよう、と飲み過ぎた時にいつだか兄さんと取り決めたのだった。
兄さんの持つカップの中で、コーヒーが揺れる。海を渡ったイギリスでは紅茶が主流のようだが、ドイツではコーヒーの方が主流だ。俺も兄さんもカフェインには強い体質だから、コーヒーを飲んだせいで夜寝つけないということはない。だから日曜日の夜はビールの代わりにコーヒーを飲むのだ。朝に飲むのは電動のコーヒーメーカーで淹れたものだが、今飲んでいるのは兄さんが手ずから豆を挽いて淹れてくれたコーヒーだ。俺は兄さんの淹れるコーヒーが好きなので――味もそうだが、鼻歌混じりで兄さんが豆を挽いている姿を見るのが好きだ――日曜の夜のこのコーヒーを俺はこっそり楽しみにしていたりする。それになにより、兄さんが丁寧な手付きで俺のためにコーヒーを淹れてくれている姿を見ると、愛されているんだなと嬉しくなる。
「何か見たい番組でもあるのか?」
テレビの中では二人の研究者が討論をしていた。ドイツ人は討論が好きだ。――らしい。俺自身は特に意識したことはないが、他国と比べると討論好きにあたるのだと、いつかの世界会議でイタリアだかアメリカだかに言われた記憶がある。たしかに、我が国のテレビ番組には討論ものが多い。
俺たちの家はダイニングとリビングが繋がっていて、対面キッチンに立つと反対側の壁の前に置いてあるテレビをそのまま見ることができる。テレビの前にはL字型のソファが置かれていて、俺はこのソファに腰掛けていた。
「違ぇ、違ぇ」
兄さんは軽く手を振って俺が差し出していたリモコンを辞退すると、おもむろにポケットからスマートフォンを取り出した。
「これ、やってみねぇ?」
兄さんが俺に見せた画面には、英語のリストが表示されている。
「《30 Day OTP Challenge LIST!!!!(30日CPチャレンジ)》……なんだこれは」
「恋人同士でチャレンジするんだってよ」
「こっ、恋人ッ!」
思わず身体を揺らしてしまう。コーヒーカップをローテーブルの上に置いておいて助かった。
「何慌ててんだよ」
ぷはっ、と兄さんが笑う。
「俺たち、恋人になっただろ!」
そう、俺と兄さんは一週間前からその、こ、恋人……になったのだった。好きだと言ったのは俺で、俺もと言ったのは兄さんだ。それから一週間。俺と兄さんの間柄は、残念なことに何も変わっていない。
だって、かれこれ二百年以上兄弟をやってきたのだ。一週間やそこらでいきなり恋人になれるわけがない。
「いいか、ヴェスト。俺はお前が好きだ。家族としてもそうだけど、一人の男としてもそうだ。だからお前の告白を受けた。好きだし愛してるし、キスも◆◆もしたい」
「せ、せ、せ……ッ!」
「まあ聞けって」
兄さんが軽く俺の肩を叩く。
「いきなり『恋人になりました』っつって、『はいそうですか』って気持ちを切り替えられっか?」
俺は首を横に振った。
「む、無理だ……」
「だろー? 俺様もそう思う。だからきっかけでも作ろうと思ってよ」
ん、と兄さんが差し出してきたスマートフォンを受け取る。リストは三十項目あるようだ。指で画面を一通りスクロールし終わると、兄さんが俺の手からスマートフォンを取った。
「おもしろそうじゃねぇ?」
兄さんの指が画面を再び上に戻す。
30 Day OTP Challenge LIST!!!!
力強い四つのエクスクラメーション・マークが、背中を押してくれているような気がした。それに、兄さんがきっかけを作ろうとしてくれたことが何よりも嬉しい。
「これを、毎日一つずつこなしていく、ということか……」
「おっ、やる気になったか?」
「ああ。……俺も、その、早く兄さんと……」
兄さんがにやつきながらこちらを見ている。それに気が付いた途端急に恥ずかしくなって、俺は兄さんの顔面を掴んだ。
「いででででで! ヴェ、ヴェスト! 俺様の顔! 潰れる!」
「で、今日は手をつなげば良いのか?」
兄さんの顔から手を離して、リストの一番上の文字を思い起こす。一番目は《Holding Hands(手をつなぐ)》だ。
「いや、昨日手繋いだし、二番からで良いんじゃね?」
「二番」
「Cuddling Somewhere……ハグだな」
「ハグ」
それなら簡単にできそうだ。今までだって兄さんにハグをねだられたことは何度だってある。
コーヒーカップを置いた兄さんが、俺に向き直って両腕を広げる。俺はその腕の中に自分の身体を寄せた。手を兄さんの背中に回す。幼いころは回り切らなかった腕が、今は兄さんを抱き締めている。身体の前面と背中に兄さんの体温を感じて、なんだか安心した。
「なぁヴェスト、分かってっか?」
俺を抱き締めたまま兄さんが言う。
「何をだ?」
「これ、家族じゃなくて恋人同士のハグだぜ?」
ぴたり、と身体の動きが止まる。恋人同士のハグ。家族のじゃなくて。兄さんと。恋人同士の。
顔が熱くなってくる。どうしよう。どうすれば良い。兄さんが近い。兄さんの体温が熱い。心臓が激しく脈を打ち始めて、兄さんに聞こえやしないかと心配になる。止めろ兄さん、頭を撫でないでくれ。
「けせせせせ」
耳元で幸せそうに兄さんが笑う。
このままでは昨日と一緒だ。
いきなり恋人繋ぎをされて慌てふためくことしかできなかった昨日のことを思い出す。二日連続で兄さんの良いようにされるのはなんだか悔しい。告白したのは俺の方だぞ!
俺はほんの少しだけ兄さんを抱き締める腕に力を入れた。ぎゅう、と兄さんの首元に顔を寄せる。
「兄さん」
「ヴェスト?」
俺は首を伸ばして兄さんの耳元に唇を寄せた。そして、
「兄さん。愛してる」
「――ッ!」
驚いた兄さんが俺の顔を覗き込もうとするが、俺はそれよりも早く兄さんの首筋に顔を埋めた。
「ヴェスト! 可愛い顔見せろ!」
いやだ! という言葉は兄さんの襟口でもごもごという音になって消えた。
どうだ兄さん俺だってやる時はやるんだぞ!
「ヴェーストー!」
もごもごもご。
顔の熱が収まるまで、俺は兄さんにしがみつき続けた。
了
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