「あ〜つまんねっ」
 閉店後のモストロラウンジのセンターシート、フロイドは一番座り心地のいい皮張りのソファにゴロリと寝転がったかと思えばすぐに飛び起きて、忙しなくちょうどひんの間を歩き回った。噛み砕いてしまった棒付きキャンディの白いプラスチック棒が刺々しい歯に噛まれて上下に揺すぶられていた。
「存外聞き分けのいい方でいたね。フロイドにはわざわざ出勤していただいたのに、僕の見込み違いでした」
 キッチンで一人軽い夜食を食べ終えたジェイドが洗い物をしながら双子の片割れにそれとなく詫びた。
 「全然話が違ぇじゃん!あいつがアズールと契約すれば楽しいことになるからってジェイドが言うから、めんどくせー小細工仕掛けて俺が契約まで持ってったのに!」 
 あれ大変だったんだから、と駄々をこねる口調ならよかったが今日はどうやら最高潮に機嫌が悪いらしい。「っざけんなよ」と低く吐き捨てる矢印がジェイドに突き刺さる。
「あっさりユニーク魔法を手放したのは想定外でしたが、フロイドもいけません。あんな脅しをかけたら、凶暴な鮫だって背鰭を差し出してしまいたくもなりますよ」
「はぁっ!?俺のせいってわけ?」
「僕が『話し合い」を続けようとしれば相手はのぼせ上がって手を出してくるから、それまでは黙って控えていなさいとアズールにも言われたでしょう。最初から喧嘩腰でどうします。楽しくなる段取りを崩したのはフロイドですよ」
 キュッと水道の栓を閉める音にダンッと鈍い音が重なった。フロイドが地団駄を踏んでいる。
「あんな脅し文句その辺の雑魚でも言うじゃん!その程度で腰抜かす奴を見つけてきたジェイドの見る目がなかったんじゃねーの!」
「先週、『そんなにピアノがすきならお前のはもピアノの鍵盤とお揃いにしてあげる』とペンチで契約者の歯を抜いてさしあげたことは忘れてしまいましたか」
「ちゃんと魔法薬で元に戻してやったじゃん!」
「そういうことではありませんよ。さぁフロイド、遅くなりましたから部屋に戻りましょう。店じまいです」
 ジェイドがマジカルぺんを振れば照明が落ちる。物理的に錠を落とした扉に更に魔法を重ねがけすれば、青い電流がぢりりと扉の表面を這った。良からぬことを企む輩が扉に攻撃を加えるとちょっと痛いお仕置きを受けることになっている。もっとも青い電気はそうした輩への威嚇と一般生徒が間違っても扉に触れないためのホログラムで、これはチェスで連勝したオーナーのアズールが可哀想なイグニハイド寮長から巻き上げた技術だ。
 モストロラウンジから部屋までは少しばかり歩くことになる。もう消灯時間間際とあって廊下を出歩く人影も少ないが、殺気立つフロイドを見かけてきた道を引き返す後輩もちらほら。「ヒッ」と声を上げて廊下を曲がった小魚にフロイドは大きな舌打ちを響かせ、ジェイドは小さくため息をついた。
「どいつもこいつも弱くてビクビクして……てめぇら締め甲斐ねぇな!おい!」
 誰もいなくなった廊下に向かって吼えるフロイドにジェイドは今度こそ聞こえよがしにため息をついて振り返る。
「フロイド、そんなに言うなら僕がお相手して差し上げます」
「は、どういう風の吹き回し〜? めったに手ぇ出さねぇのに、溜まってんの?」
「部屋のテラリウムを割られては困りますので。談話室ならそのうちストップもかかるでしょう」
「そんなのいらねぇよ。死ぬまでやろ?俺そーいう気分」
 少し歩けば談話室。可哀想な寮生がうっかりソファで寝落ちていないことを祈るしかない。
  ジェイドが向かう脚を早めれば、フロイドの靴音もついてくる。急き立てるような歩調にだんだん背後の呼吸が荒くなる。
 それが一瞬、消えた。
 ジェイドは談話室の壁際に張り付くように大きく右に飛んだ。残像に突き刺さるフロイドの飛び蹴り。勢いを殺すように小さくホップしたフロイドのまなじりがジェイドを捉えてとろりと下がった。
「あは、ジェイドが相手してくれんなら少しは楽しめそう。ねぇ、本気でぎゅーって絞めてもいいよね?だめって言ってもやるけど。今日のお楽しみ、ジェイドのせいで台無しだったし」
「それはこちらもですよ。この1週間考えた台本を台無しにされて、僕もフラストレーションが溜まっているんです。だから、骨の一本や二本折れちゃっても許してくださいね」
「あ〜、だからあれは俺のせいじゃねぇっつってんじゃん!!」
 フロイドが右の拳を振り上げる。遊びの一撃だ。ジェイドは乗った。鏡映しのように左足を大きく一歩、右の拳を振り上げて殴りかかる。体を右にスリッピングさせると見せかけ、膝を撓め懐へ。素早く重心を右足に乗せて左に反転。勢いを乗せた左肘がフロイドの鳩尾を抉った。
「ぅおげっ!」
 フロイドの頭から帽子が落ちるより速く、回転に任せたジェイドの右拳はフロイドの膝頭を殴って、背後を取る。低い体勢のまま、踏みとどまろうとしたフロイドの腿裏へ右肘の一撃。たまらず膝が折れる。畳み掛けた後頭部を狙う掌底突きは、しかし、横に転がって躱された。
 もっともこの辺りまではジェイドの想定内だ。
「それ、首が折れるやつじゃね?」
「兄弟ですからね。あまり苦しませたくありませんので」
「殺る気あっていいじゃん♡」
 肩からストールを剥ぎ取り、寮服のジャケットから腕を抜いたフロイドは、ノールックでそのジャケット投げた。ジェイドに向かって。
 蛸の脚みたく広がったジャケットは一瞬ジェイドの視界を奪った。両脚がものすごい勢いで刈られる。左肩に衝撃。叩きつけられた反動で側頭部を打ちつけてくらくらした視界に喜色満面のフロイドの拳が降ってくる。防御反射が間に合わず頬骨に二発、鋭いパンチを喰らう。鼻先を狙わないのはまだ遊んでいる証拠だ。
 遊びのうちに終わればいいんですが。
 三打目を躱し、膝を立てる。馬乗りになっているがマウントの固め方が甘い。四打目を左手で外にいなしつつ腕を引っ張る。がら空きのまま近づいてきた首を掴んでそのまま膂力に任せて一気に床に組み伏せる。
「ぉわっ!?」
 重心の高い体はあっけなくひっくり返ったが、ジェイドの肋骨が嫌な音を立てた。フロイドの鉄板入りの靴の踵が肋骨の角を引っ掛けて思い切り蹴り上げた。長い脚で跳ね飛ばされてジェイドは壁際まで吹き飛ぶ。長躯の直撃を免れた観葉植物がざわりと葉を震わせた。
「あはははは、そんな簡単に乗らせねぇよ?ここベッドじゃねぇし」
「っ、野外ではあんなに乗り気なのに。わがままですね」
 立ち上がりジェイドがファイティングポーズを構えれば、だらりと腕を落としたままだったフロイドも軽く構えた。間合いを測りながらだらだらとジェイドを取り巻くフロイドに対して、ジェイドは重心を低く、体の正面でフロイドをとらえる。右ストレートを軽くいなして半歩前へ入るとこめかみへ一撃。脳を揺らす。ぐらついたように見せて間合いを取り戻したフロイドから風を纏った蹴りが飛ぶ。腕で防いでも体ごと持っていかれる蹴りの重さはジェイドよりも速く泳ぐ長い尾鰭を思わせた。腕が痺れる。
 下段への小さな蹴りを繰り返し、フロイドの意識が下に向いた隙をついて顔目掛けて右脚を蹴り出す。
「んな大振り当たるかよ!」
 力任せに掴まれた脚が捻られる。そのまま振り回すつもりだ。蹴りの勢いが死ぬ前に腹に力を込めてジェイドはフロイドに引きずられるより速く脚を振り抜いた。腕を地面に持っていかれるフロイドは狂った重心を取り戻そうと咄嗟に脚を踏み出した。その足に向かって鉄の入った踵を踏み下ろす。
「いっでぇ!」
  談話室に絶叫が響く。首を狙った手刀は頭に当たって痛みわけ。当たりどころが悪くて小指がじんじんと痺れた。
「ってぇぇ〜!クソッ」
「はっ、……ふっ」
 半分解けていたボウタイを放った。手袋も邪魔だ。ジャケットも。
 パンチは受け止めたほうがいい。肉に伝わる衝撃でフロイドが満足すればそれでいいのだろう。だが、体はフロイドの拳を、蹴りを尽く逸らせて無力化する。右手で逸らし、左手で何度も何度もこめかみを揺らす。脳を揺らされて覚束なくなった足元から繰り出されるパンチが大きな隙を見せた。右ストレートをいなして掴み、ステップでフロイドの背後を取りつつ、顎下を左手でぐっと掴んだ。
「ぅげ、じぇ、ジェイド!」
 右腕を背中の方で捻り上げながら顎を掴まれる。そのまま後ろへ引きずられればどんな男でもよほどの力がなければ拘束から逃れることはできない。横倒しに引き倒すついでに左腕に膝を乗せ、軽く手首の方を持ち上げてやる。
「ぃいだいいだい!!ジェイド、折れる!」
「どうします。これ以上やるなら右肩は外して、左腕は折りますが」
 腕に乗せた膝頭に少し体重を乗せるとフロイドの肩がぴくりと反応した。
「ゃだ、やだ。痛い、いたいっつってんじゃん!やだ!!!」
 力の限り叫ぶフロイドの声に本気の拒絶が見えて、ジェイドは口の端がつい持ち上がってしまうのを感じた。
 あぁ、もう少しだけ虐めても罰は当たりませんよね。
「なにやってんだ!おまえたちは!!!」
「アズール!助けて!ジェイドに腕もがれるぅぅ!!」
 バタバタと子供みたいに脚をばたつかせて助けを乞うフロイドの頭を、履いていたスリッパでアズールはバシッと引っ叩いた。パジャマ姿で威厳もへったくれもない格好をしているが、オクタヴィネル寮長、アズール・アーシェングロットの登場となれば、この「喧嘩」はここでおしまいである。
「あぁ、せっかく興が乗ってきたところでしたのに」
「なに言ってんですか!」
 パシン!と非力なビンタで頬を張飛ばされた。
「これ以上やるなら寮の外でどうぞ。その場合、無断外泊でお前たちを1週間寮の掃除係にしてやりますよ。僕に灰かぶりのようにこき使われるのと、ホットミルクでも飲んでゆっくり眠るのどっちがいいですか」
「おや、この件は不問にしてくださると?」
「お前はこの寮の副寮長でしょうが〜」
 低いところから胸ぐらを掴まれて揺すられるのは遠慮してほしいところだ。ジェイドは痛む脇腹にそっと手をやり、「そうでした」と少ししおらしげにして見せた。こうすればアズールの手は離れる。
「フロイドがあんまりにも『つまらない』『ジェイドのせいで楽しみが台無し』というものですから、僕もついカッとなってしまって」
「お前に『つい』なんて可愛げがあるわけないでしょう。ほら、フロイドは立って先に部屋に戻って」
「はいはーい。ジェイド、お説教がんばって♡んじゃ、おやすみ」
「はいはい、おやすみなさい」
「先に寝ていてくださいね」
 ふらふらと一人で廊下の向こうに消えたフロイドを見送って、アズールは深い深いため息を落とした。
「お前の意地の悪さは僕にも真似ができませんよ」
「なんのことです」
「わざわざフロイドに契約を唆かせて何をしたいかと思えば、兄弟喧嘩でしたか」
「そんな、まさか。僕はほんとうに二人で楽しむつもりだったんですよ、商談を」
「お前たちに頼んだのは取り立てですよ。あっさり回収してきたので何かあると思えば、
はぁ〜全く冗談じゃありませんよ。肝が冷えました」
「心配してくださったんですか」
「副寮長が暴力沙汰で退学なんて、僕の監督責任が問われます! いいですかジェイド」
 アズールは腰に手を当て、胸をはる。
「暴力は僕の目が届くところでなさい。管理外であれこれされては揉み消せるものも消せませんので」
「かしこまりました。善処します」
「それと、左頬の痣もすごいですが、ちょっと切れてますよ」
 アズールがジェイドの頬を擦ると、乾いた血の欠片が指先にこびりついていた。
「それなりに手酷く蹴る殴るの暴行を受けましたからね。肋骨はヒビが入っているかもしれません」
「それは重畳。フロイドも珍しく本気の喧嘩ができて喜んでいるでしょう」
「ふふ、僕もフロイドに恥じらいというものがあると知れて少し嬉しいです」
「は?」
「ベッドじゃなきゃ嫌だと」
「おまえ、明日廊下のガラス全部拭きあげてもらえます?」
 軽く笑み返しながら、ジェイドは床に散らばったストールや帽子や手袋たちを拾い上げた。じんじんと痛む頬と脇腹と腕。
 あぁ、興奮冷めやらぬ血が部屋で寝ている片割れに意地悪をしないといいのだけれど。
 
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ジェイフロの喧嘩をかいてみている
初公開日: 2020年08月02日
最終更新日: 2020年08月02日
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コメント
ワンドロのお題に触発されて「ジェイフロの喧嘩」をかいてみている。
途中までは書いちゃったから写し、あとはじわじわ書いてる。
喧嘩ってか殴り合い。
昨日のジェイフロのお直し
昨日書いてたジェイフロ小説のお直ししている。誤字が多すぎやばい。
桐原十六夜
看病しようと押し掛けるおにいさんvs拒否するゲーム主人公【宗おに二次創作】
タイトルは仮というか、分かりやすいメモみたいなもんです。書き上がるかは不定。エンド10後想定:おにい…
MN*B