むき出しの足裏で蹴るシーツの感触と、よそよそしいつめたさが心地好い。暫くすると此方の体温を吸いとって、くしゅくしゅと波打つ布地は人肌になじみ慣れていってしまう。そんな変化が勿体なくもあり、こんな真っ昼間からベッドにねそべるひとときにしか味わえない特権だとも感じる。
照明のリモコンに手を伸ばすのはもっぱら日が沈むか否かの瀬戸際で、日中の寝室はカーテンの隙間からさし込む陽光程度のあかるさが丁度良い。今年の梅雨はなかなかに足が遅いようで、未だに列島上空に留まって二の足を踏んでいる。しかし、なんの気まぐれか今日は珍しく青空が顔をのぞかせて、たまりにたまった鬱憤を吹き飛ばすかのように一面澄んだ色が広がっていた。
ふと目を閉じる。ごうんごうんと、遠くで洗濯機が働くせわしない音が聞こえた。視覚を遮断すると、そのぶん聴覚がより研ぎ澄まされていくような感覚に陥る。久々の快晴だ。きっとどこの家でも、あの家電は大忙しだろう。
今朝、いまの洗濯機に負けず劣らず慌ただしく飛び起きた彼は、果たして二限の講義に間に合ったのだろうか。己にとっては見慣れた、鳥の巣のような寝癖をきちんとなおしていく時間はあったのだろうか。開封済みのコーンフレークの大袋がキッチンに、水に浸した木のスプーンと小皿がシンクにそれぞれ置かれていたから、軽い朝食を摂る余裕はあったはずだ。牛乳ではなく豆乳の紙パックが僅かに軽くなっていたのは、シリアルのあまさとの塩梅がちょうど良いと以前感心していた彼の、ささやかな嗜好の変化が理由だろう。彼は甘党だけれど、だからこそ自分である程度の制限をかけていた。もしかしたら、お亡くなりになった彼の祖父が糖尿病を患っていたことも、関係しているのかもしれない。
「……あ、」
そんなふうに、とりとめのないあれこれを瞼の裏に浮かべて微睡んでいると、聞きなれた機械音が家主を呼び寄せようとかん高く響いた。けれど、わかったわかったともちあげた瞼とは裏腹に、寝返りをうってうつ伏せた腹は清潔なシーツを恋しがって離れようとしない。低反発が売りのマットレスだって、サマーパーカーの下腹部に位置するポケットと密着してばかりいる。みな諸手を挙げてベッドに留まろうと誘ってくるので、あと少しくらいは、その誘惑に甘えておくことにしよう。
夏らしいレモンイエローの部屋着は、リビングのソファに置き去りにされていた彼のものだった。マットレスに再び背を預けて、首と肩の裏っ側で潰れたフードをずり上げて頭を収めれば、途端に嗅覚は彼のにおい一色に染まる。良いにおいだとかそうではなく、無論臭くてたまらないというわけでもなく、彼のにおいだと識別できるその事実が、いま真っ直ぐにこの胸に沁みこんでくる。そうして得る心の震えは、彼や、彼に付随する事物によって、幾つも己にもたらされていた。今までも、いまこの瞬間でさえも。
ほかの誰でもない、黒子テツヤその人によって。
「………」
つい先ほどまで尾を見せていた眠気はどこかへ行方を眩ませたようだった。洗濯物を干して、彼にとっては少し遅い昼食を自分のぶんと一緒に拵えて、シンクの食器はその後まとめて洗えばいいだろう。関節を駆使してベッドから起こした躯にとっては、うたた寝から尾を引く僅かな気だるさよりも、久方ぶりの日光を多少なりとも浴びた清々しさが勝る。フローリングに行儀よく揃ったルームシューズに足をすべりこませて、ゆっくり立ち上がってから躯の強ばりをほぐすように伸びをした。壁掛けの丸時計に視線をやれば、もう間もなく講義が終わりを告げようという時間帯に差し掛かっていた。
寝室を抜けて、洗面所へ続く短い廊下を歩く。記憶が正しければ、野菜室には胡瓜とレタス、冷蔵庫には使いかけのハムもまだ残っていたはずだ。今日は暑いし、彼も汗だくでやって来るだろう。しかし、いくら恋人といえど他人の汗のにおいなどは御免こうむりたい。来訪と同時に彼を浴室へ誘導して、ランチはその間に手早く作ってしまおう。さっぱりした麺類、冷やし中華やうどんが良いだろう。
風に揺られてはためく衣類の隙間から見える、吸いこまれそうな蒼穹に目を奪われる。外はこんなにも暑くて、こんなにも良い天気なのだし、今日はセックスよりも昼寝がしたい。先ほどのうたた寝ではなくて、シャワーを浴びた彼と空腹を満たしたあとで、つめたいままのシーツに寝転がって耽る、そんな最高の贅沢を味わいたい。セックスもいいけど昼寝だって好きだ。日中に微睡むという時間の使い方を教えてくれたのだって彼だ。彼は体力がある方ではないし、きっと天候と気温の変化にやられていまごろ疲弊していることだろう。
乾いた空気。真夏の晴天。多少の制約の中で許された自由。彼のにおい。ひんやりとしたベッド。午後の昼寝。あと一つ足りないピース。
そんな最上級の贅沢は、彼無しでは成立し得ないのだ。