喉の異様な渇きで男は目を覚ました。時間は午前四時。冬の外は薄暗く、電気のついていない部屋は異様に暗さを深くしていた。スーツのままベッドで寝こけていた彼はその身を起こして中途半端にはいている靴下を節だった手で脱がし、両方ベッドの足元に置く。両の足の裏をフローリングにつけてその床の冷たさに男は一瞬目を開くが、何ら問題なく立ち上がる。仕事机の上にある眼鏡を掴むと同時に、チョコレートブラウンの髪が張り付くしわだらけのスーツのジャケットを椅子に引っ掛けた。
怠惰のまま伸ばした髪が、暗闇のなかひらひらと散る。歩いているうちに男は思い出す。自身がスーツのまま寝ていた理由を。己の作品が大賞をとって授賞式に出席して、その授賞式に参加した。帰宅して疲れのまま、寝落ちた。先ほどまでジャケットの所為で肩が思うように回らなかったのがあってか、肩の凝りがやけに鬱陶しい。暖房と開け放しの窓から吹く風の温度差は、徐々に男の意識を覚醒させる。ひたひたと冷蔵庫まで足を伸ばし、扉を開けて液体を吟味する。なんとなくアップルタイザーの緑色に瓶を手に取り、そのシャンパンに近い色合いの液体を安っぽいグラスにゆっくり注いだ。残りが中途半端に少なくなっているので全て注ぎ切り、瓶をカウンターキッチンの奥に置く。アルミのキャップを捨てようとしたが、手が滑ってしまう。軌道が外れ、床に落ちてしまった。
カシャン。
その時彼__面倒なので名前を言ってしまうと__切先戒善きっさきかいぜんの身は凍り付いた。何か。何かがいる。男は意味不明な彼自身の勘のもとにひとまず何かと対峙していることをつきとめる。しかし、それを認知してもなお戒善は平然とした顔でキャップを拾いゴミ箱に放り込んだ。ゆっくりとそれの根源を探ろうと目を凝らす。カウンターキッチンのその奥。ダイニングに立って何も言わない。人型らしいものであることは影の位置から推測した。視認を試みるも、それはさらに観察しようとしてもぼんやりとしてしまい、つかみどころがない。
近づかないとデティールはわからない。そう考えた戒善は歩み寄り、カウンターキッチンから回り込んでその何かにべたべたと足音を立てながら堂々と近づいた。
それの見てくれはスーツを着た男性だった。そう、見てくれは。額から垂流れる血は、しずくとなって落ちる前に霧となって空気に紛れてしまう。樹海のような明るい緑色の双眸のうち片方は半分ほど閉じられ、もう半分は見開かれている。男は声も発さず、ただ戒善を濁った瞳の中に入れている。恐ろしいほど青白い肌をもつそれは、一言で言い表すと、まさに”不気味”であった。
だが、それを隅から隅まで見た戒善はその存在を見ても動じることなく物言わぬ男の髪をひと房掴む。サラサラした髪をパラパラと指を離し、不思議な笑みを浮かべた。
新館にいだて勇気ゆうきだったかな。合ってる?」
”何か”は、戒善のその言葉を聞いたのか、蝋人形のようなその硬直を解いた。顔を上げたことで見えた普通の人間にはありえないほどの白い首筋にはくっきりと縄が食い込んだ痕が見つかる。その痕の理由を知っている戒善は目を細めて”何か”の言葉を待っている。待っているうちの、警戒を解いたその隙をついて戒善のものではない声がした。
「……ははは」
笑い声だった。枯れ木を折ったような乾いた声。その声を耳にしたときに、男は少し驚いたように目を開いた。ピノキオに命が宿ったその瞬間のように四肢を曲げて顔を覆い、体を揺らす。
「なんと、醜い。この世の汚さの果てのようだ」
男の声色ががらりと変わる。まるで潰れたヒキガエルの声。憎しみを焦げるまで煮詰めさせたような声が戒善の鼓膜を蝕んだ。全身が総毛立つかのようなうすら寒い感覚に覆われている。彼がすっと眉を顰めさせていると、男は整った笑顔をさらに愉悦といった様子で強くした。戒善はそれでもなお視線を離さない。これは紛れもなく異形である。戒善の脳にもそれははっきり認識されている。それは事実だ。しかし、認識を経てもなお、彼の態度は平静を保っている。ふと戒善はその体を異形から離れさせ、壁際までまっすぐ歩く。
「つけてしまっても、いいかな?」
なんでもないかのように戒善はそう言う。すると、その異形――どうやら人間のような理性があるらしいそれ――はふと笑っていた顔をぷつんとやめてしまう。ねじが切れた人形のようにかくんと表情筋の全てのパーツが元の位置に戻り色味の無い表情となった。
「……ああ、この際だ。好きにどうぞ」
パチンという音と少しの明滅を経て電気がつく。その異形は影がない。それを見た戒善は職業柄・・・それが何であるかを察するが、口にはしない。なんせ今対峙しているものは紛れもなく『未知』だ。何もかもに予測がつかないままの行動ほど死に近い道のりがないことは少し考えれば誰にだってわかる話である。戒善は改めてその目を好奇で開きながら異形に語り掛ける。
「まず最初に、質問してもいいかな」
「なんだい?」
「君は、『何』だ? ……その体は、俺の本に出てくるやつだった。そのものだ。いるわけがないんだよ」
ホラー作家である彼のその言葉を聞いて、異形は顎に手を当ててしばし考え込む仕草をする。余っている手の指が暇を持て余しているように動く。
「平たく言えば、怪異って呼ばれる代物だよ」
「怪異。妖怪とは違うの?」
「あいつらは怪異の中でも偏屈なやつらばっかさ。妖怪よりももっと大きな枠が怪異だ。わかるか?」
その怪異は存外饒舌だった。しかしそれを知ったからと言って戒善はその地に足着けた態度を崩すことはない。その対話がなんだか面白く感じられたのだろうか、はたまた単純に早朝であることからまだ疲れが残っているのか、戒善はリビングのソファーに座り込む。浅く、いつでも飛び出せるように。
「じゃあ聞くけど、君は怪異という枠の中でもさらに何なんだ? そもそも本を読むような怪異なんて俺は知らない。知識の範囲にない」
「そうさねぇ。……時折あるだろう、『作った怪談話が流行ったせいで、本物が生まれてしまう』話が」
「ある。最近はネットでよくある話だ」
「そうそう。あたしは所謂それの中の『本物』だ。流行りの話に合わせて変幻自在に身を変えて、その話通りの事をする」
それを聞いて戒善は合点がいったように頷いた。確かに、その異形が模っている姿はリバイバルした彼の初期の作品だ。古い話だったとしてもそれが流行っているということならばそれになったとて不思議なことなど起きもしないし、その話の特性上異形が直接自身を殺すことはない。
「つまり、今の君は頭蓋骨を砕けるくらいの力があるってことでいいのかな」
「そうそう。というか、あんたみたいなやつ、あたしゃ初めて見たよ。いくらなんでも怖いんじゃないかい?」
「……どうなんだろ。よくわかんないんだよね」
そう言って曖昧に笑う男を見て、異形は面食らったような顔をする。それは確かに異形であるはずなのにあまりに人間味があるものだから、ついに男は吹き出してしまった。
「なんだ。怪異って、もしかして普通に話が出来るものなの?」
「あんたが特例なだけだよ」
捨てるようにそう言った異形をまっすぐ見ながら、男は言葉を続ける。
「なぁ、もし。もしよかったらでいいんだけどさ。
このままここに居てくれないか?君の話を聞きたいんだよ」
「そりゃまた、なんでだい」
怪異はあっさり言ってのけた。戒善はその返答にうぅん、と考えるような声を出してそして続ける。
「だって、そうだ。もし今君が俺を生かして色々な話を言って聞かせれば、多分君から俺を殺す気をどうにかすることが出来る、よね?」
「あぁー……あのさぁ、多分あんたはあたしに対する考えを間違ってるよ」
額から流れる血を止めるように手を当ててその怪異は思案を巡らせたが、やがてそれさえも疲れたのか一つため息をついた。
「あぁわかった、わかったよ。あんたの間違いを指摘してやるまではいてやるよ。それでいいだろう?」
怪異がそう言ってしまうと戒善がパッと顔を上げる。好奇に駆られたその目が何故か怪異には面白く感じられて、それは間もなく吹き出してしまった。疑念が顔に出てしまったようで、眉間に皺を寄せ目を細めた戒善はソファーに深く腰かける。
「……俺の名前は、知ってるんだよね。君の名前は?」
「あぁー、そうだなぁ。とりあえず『ワショウ』って名乗っておこうか」
「ワショウ。漢字は?まさか和尚とかじゃあるまいし」
「なわきゃ。話を唱えるで話唱だよ」
文字を指に書きながら説明する話唱に、戒善は楽しそうに口角を吊り上げた。
「じゃあ、よろしくね話唱」
「……とんでもないもんに会っちまったな。まぁしばらくの間頼むよ」
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手取川
ちょっと洗濯物運ぶので一旦失礼
50:47
手取川
はい戻ってきました
77:26
手取川
これはかなりマシになってるのでは?
84:21
手取川
今朝はここまで
100:20
手取川
終わった……
100:25
手取川
とりあえずここまで
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自創作をリメイクしたい
初公開日: 2020年07月05日
最終更新日: 2020年07月07日
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タイトル通り