「具合はどうだ?」
 彼にしては柔らかな声で問われる。といっても知り合ってまだ
半日ほどだ。それだけの時間で人となりを掴むのは難しい。
案外、これが彼の素なのかもしれなかった。
 「問題ない」と答えようと思って声が出ないことに気がついた。
 かすかすに干からびた声はひゅうと情けない息となるだけだ。
「あー……。無理して離さなくていいから。熱が出てつらいだろ」
 汗ばんだ額に張り付いた髪を優しく梳かれて、子供のころに義母に
してもらった記憶がセピア色に蘇ってくる。
「咽喉乾いてるか? 水飲む?」
「……問題ない」
 ようやく形になった声を絞り出して上体を起こそうとすれば、
呆れ顔の相手に押しとどめられる。
どうやらレストルームのソファーに寝かされているらしい。
「おいおい。いきなり動くなよ。傷口が開いちまう。さっきの
やつに肩から胸にかけてばっさりやられたからな。さすがにホチキス
を使うまでもなかったが、それなりに深くてデカい傷だ。
とりあえず今夜はそのまま寝てろよ」
 その言葉を聞いて緩慢な動作で見下ろせば、きっちりと巻き付けられた
包帯の白が目を焼く。その下で肌を覆うシートが不可思議で子供の
ように手触りを確かめていれば、ペットボトルの蓋を開けていた
白衣の青年が目ざとく気づいた。
「それはなんていうか……でっかい絆創膏みたいなものさ。
傷口をすばやく塞ぎ、染み出た体液を利用して最短で治療ができる。
怪しいものじゃないが、見慣れてはいないだろう。特許出願中だった
からな」
「……いいのか。俺なんかに使ってしまっても」
「はは。逆にいつ使わなくてどうするんだ? ただでさえ、生きている
人間はあんたと俺以外は見当たらないってのに」
 からからと笑う声を聞いて、怪我で臥せった彼の中でようやく現実が
追いついてくる。
そうだ。ここは決して安全な場所ではなく、過去の幸福な記憶に浸るほど
平穏な空間でもない。警官である青年ーーーーディミトリはここで
蔓延するウイルスによって動く死体ーーーゾンビと化した研究員を
根こそぎ【処分】し、研究所を焼却しなくてはならない。
惨い仕打ちだが、ここで食い止めねばこの未曾有の事態はやがて町から
街へと広がり、やがて世界中を地獄へと突き落とす。
そこまでつらつらと考えていると、ここまで彼に同行してくれた研究員
の青年ーークロードがミネラルウォーターを口元へ近づけてくれたので
ありがたく飲む。この状況下で自販機で購入したわけではないそれは
おそらくこの部屋にあった備蓄品なのだろう。治療に使われた道具の
出所と同じはずだ。
生ぬるい水が干からびた咥内を潤していくのが心地いい。飲み損ねた
水が口の端から零れてしまうのが不快だった。
「はは。赤ん坊みたいだな」
ちょうど同じ感想を抱き、黙りこくったディミトリの口の周りを
拭き取り、彼はソファー横のスツールにどさりと収まった。
「痛みはないか?一応鎮痛剤もあるから、つらかったら言えよ」
「大丈夫だ……。すまないな。なにからなにまで」
「別に。こういうのは適材適所だろ?あんたがあのデカブツとやり合って
くれなかったら、俺も死んでたし」
「……お前だって援護を」
「あんたの後ろでこそこそ射撃をしていたがな。でもあんなに身体は
張ってないさ。……しかし、守っておいてもらってなんだが、
もうちょっと自分の命を大事にしろよ。見ていて気が気じゃなかった。
……あんたまでゾンビになっちまったら、もうどうしようもないんだからな」
「すまないな……。上官にもよく怒られた。そういう性分らしい」
「全然申し訳ないって思ってなさそうなのがいっそ笑えるな……。
まあいいさ。ここを出るまではヒーロー様のサイドキックとして精々
尽力させていただきますよっと」
「……ここから出たら、お前はどうするんだ?」
 それは何気ない疑問だった。クロードはこの研究所の唯一の生き残りだ。
当然職場はこのありさまだし、新たな職を探さなくてはいけないのだろうか。
 問われた相手はきょとん、と翡翠を瞬かせて。それから困ったように
笑った。
「そうだなぁ……。逃げるかな。とりあえず」
「逃げる?」
「そう。誰も俺を知らない場所まで。そこで【クロード】じゃない
人間として生きるんだ」
なぜ、という気持ちがそのまま顔に出ていたらしい。奇妙に穏やかな
顔をした彼がしゅるりと白衣の袖をまくり、シャツをたくし上げてみせた。
褐色の腕。ディミトリよりずいぶんと細いその皮膚には、びっしりと
針穴が群れていた。
「……ドラックじゃあないぞ?」
絶句した金髪の疑念を先回りするよう、言う彼の声は奇妙に平板だ。
「俺はゾンビに対する抗体があるんだと。だから俺はここで表向き
研究員として暮らしててーー裏では血を取られ続けていた。
だから、もうモルモット扱いはうんざりなんだよ。ここら出ても
どうせすぐに捕まって同じ生活に逆戻りだ。……だから、これが
俺の最後のチャンスなのさ」
「それでは俺が噛まれたときに使ったのは……」
「俺の尊い犠牲から生まれたワクチンだな。だから俺がゾンビに
なるかもって心配はしなくていいぜ。逆にあんたがゾンビになったとしても
共倒れにはすぐにはならない」
「……なら、お前だけでもここを逃げ出せたんじゃないか?」
「俺はあくまでもサイドキックなんだってば。あんたほどタフな身体を
しているわけじゃないし、ゾンビにならないってだけで怪我をすれば
痛いし、気を抜くと死ぬんだぜ?」
だから頼むよヒーロー様。
飄々という彼に朦朧とする意識でどうにかうなづけば、機嫌よく
クロードはエマージェンシーブランケットをかけてくる。
「言質はとったぜ。とりあえずもう寝ちまいなよ。ディミトリ」
言うべきことはたくさんあるのに、それでも体力低下と発熱が誘因する
眠気に勝てそうにもない。とろりとしたミルク色の波に足を取られ
ながらそれでも青年は考える。
ディミトリはここで歩く死体たちを根こそぎ【処分】し、命ある
者の平穏を守るために来た。だが、それはこの同伴者の幸福には
直結しないと言う。
彼はヒーローと呼ぶ。けれど、たった一人さえ守れない男のどこがヒーローなのだろう。
自分自身であることで、当たり前の平穏さえ手に入らない。そんな
淋しいことがあるだろうか。
「おやすみ。ディミトリ」
その声があんまりに寂しそうだったから、何かを言おうと思ったのが
いけなかったのか。
「……俺も一緒に行く。ここまで来たら、最期まで付き合ってくれ。
サイドキック殿」
素面なら到底言えないであろう、あまりに劇がかった台詞。その意味を
咀嚼し、慌ててクロードが問い返したときにはもう怪我人は眠りに
落ちてしまっていた。
そのことを逃亡の旅路で散々揶揄われることを、まだディミトリは
知らない。
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リクいただいた話を書く回
初公開日: 2020年06月28日
最終更新日: 2020年06月28日
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ぷらいべったーさんでリクエストいただいた話を書く回。
現パロのディミクロ。バ…オは未プレイなのでご容赦ください。
🍱🔥
やすじょ的ななにがしかを書けたらいいですね
ゆいは