夜空から殆どの星が消え去った世界。
地上に落ちた《星の亡骸》と呼ばれる異星物質により、大陸には魔法や魔導科学が栄えていた。
これは大陸随一の美しさを誇ると謳われたイクシア王国が、亡国と呼ばれるようになるまでの前日譚。
======固有名詞======
◆ルーク(本名はルーク=F=ルヴァチュリア。でも出てこない) ?属性
主人公。記憶喪失の剣士。心優しく素直な性格だが、妙に厭世的なところがある。
◆イクス 水?属性
都の外れの僧院の先生。治癒魔法を使う。なにかの秘密を知っているようだが…?
◆アルバート=ホーンスタイン 
王国騎士団員。僧院の先生。刺突剣持ち。イクスに気があるぽい。
◆酒場の男ソラ
傭兵? 酒場に入り浸ってる飲んだくれのお兄さん。
◆騎士団長ゾルタ=ウル=イクシア 時属性
ジャバウォック討伐隊を指揮する団長。約三秒間の時間停止使い。
◆聖鎧の騎士(?) 空(くう)属性
伝承と同じ黄金の騎士。しかし真反対に街を破壊して回る。
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2. -聖鎧の騎士を追って
 そのひとは、なにもかもに絶望していた。
 帰る場所はない。さりとて行かなければならない場所もない。
 朝日は登りやがて沈んで、底知れぬ夜の闇が支配して、また日が昇る。息をしてじっとしている間に、世界はめまぐるしく変わっていく。
 地が動き、天が動く。それでもそのひとはその場を動かない。動けない。そのひとは、「ただ息をしていることが価値だった」から。近づいてきて、交わっていく人の顔を見ているだけでよかったから。何もせずとも「価値がある」。死ぬことだけが許されない。ただ身体を食われるために存在していた。
 あのひとが来るまでは、そう、ずっと絶望していたんだ。
 銀白色に光る剣を持った、あのひと自体も光るように美しい銀髪のひと。
 世界で一番強い剣士だと豪語し、まさしく絵に描いたように正しく美しい軌跡で敵を斃す、最強の名に違わぬ力を持ったひと。
 そんなあのひとが言ったのだ。
『私を――してみせろ』と。
『私を――すために生きろ』と。
 そして、
『――した数だけひとを生かしてみせろ』と。
 母のようであり、姉のようであり、教官のようであり、友人のようであり、恋人のようでもあったあのひととの時間はあたたかくて幸せで、なにものにも代えがたいほどに尊くて、
 でも、あの日々は戻らない。結末は覆らない。
 そんなあのひとがいなくなった後の世界で、『そのひと』はなにをしようとしたかというと――。
 目の覚めるような蒼天。そして蒼穹を貫かんとする白亜の巨城。
 イクシア王国は中心部に建つ王城と、そこから流れ出る蒼の水路で繋げられた六つの区画からなる。街のあちこちに水脈が走っていて、綺麗な水の流れる音がどこにいても聞こえてくる。
 音につられて水路を覗いたルークの目に飛び込んできたのは、自分の顔だった。イクシア王国には珍しい黒髪に緑の眼。蒼と白亜で創りあげられたこの街にはなるほど、確かに決して馴染まぬ色である。鏡もない僧院の中でルークが自分の顔を認識したのは、こうして覗いた水路の水面に反射する姿によってだった。
 奇妙な夢を見た。
 悲しい夢のような気もするし、幸せな夢のような気もした。感じたことのない様々な感覚が駆け巡っていって、ただそれに翻弄される夢。そして散々自分を振り回した挙句、自分の中に確かな手ごたえひとつだけを残していくような、ただの夢と片付けるには気を引かれる夢だったのだ。ちょうど、夢の中で見た女性に抱いた感情に近い。
(あのひとは誰だったんだろう)
 自分とかけ離れた美貌を持つ女性だった。銀髪に蒼の瞳は、ちょうどこの僧院で働き「先生」と呼ばれるイクスに近い。イクシア王国では珍しくもないらしいが、ルークの姿からすれば浮世離れしている。
 知りたい、と思う。あのひとが誰だったのか、記憶を取り戻してわかるならそうしたい。
 ふと人の気配を感じて、ルークは顔を上げた。
「どうかされました? 体調が悪いとか」
 一瞬はっとして、すぐに心の中でかぶりを振った。確かにイクスに似ているが、あのひととは違う。そんな気がする。
「いいや、少し変な夢を見たので」
「夢? あ、もしかしてルークさんが記憶を失う前の……?」
「そうかもしれないけれど、なにかをはっきりと思い出せるほどに鮮明じゃない、そんな夢です」
「そうでしたか。取り戻せるといいですね、記憶」
 ルークが顔を上げ、目を合わせようとする前にしかしイクスはその場を離れてしまった。
「ごめんなさい、今日はお供できなくて。どうしても僧院を留守にするわけにもいかないですから……」
 ただでさえ居候の身なのだから謝られることなど何もない。そんなこと、と否定を口にする前に、イクスは声の届かない距離へと立ち去って行った。
(んー……どういうことなんだろうな……)
 どうも最近、ルークはイクスに距離を取られている。出会った時から良すぎるほどに良くしてくれた彼女のことだから、むしろ今までが優しくされすぎていたような気もするが、突然のことにルークも気になっていた。
 いや、はっきりとした境目を探そうとすれば心当たりはある。ルークがアルバートと一戦交えたあの時からだ。
 あの時、しばらくの間子どもたちからも妙に距離感を感じたものだ。ルーク本人には本気で剣を振るったつもりはないけれど、もしかしたら怖がらせたかもしれない。そうやって自己解釈していたルークだったが、イクスにまで避けられているとなると相当ななにかをやらかしたのかもしれないと気がかりにもなる。……考えていても仕方がないが。
「なんだ、覇気のない顔をして」
 逆に、ルークと距離感の縮まった相手がいる。アルバートだ。
「そんなに締まらない顔だったかな?」
「今日は討伐隊に顔を出しに行くんだぞ。王国の人界境界線を守る精鋭の前でそれだと、俺のメンツにもかかわる」
「それはいけないな」
 ルークも立ち上がる。今日は朝から腰に鞘を下げているのは、これからアルバートと出かけるためであった。ルークがこの国で目覚めてから初めて僧院より外に出る日となる。
「案内役をお願いします、先生」
「お前に先生といわれるとぞっとするわ。案内といっても、隊の駐在基地まで行くだけだぞ。市街に一瞬出たらそこから一本道だ」
 ジャバウォック討伐隊というからには大森林の付近に駐在基地を持つが、ここズィーラ僧院も同じく大森林近くにある。基本的に、外周を歩いて向かうよりも、放射状の街に従い中心に出てから行く先を目指したほうがよい。
「そうと決まればすぐにでも出るぞ。ちんたら昼近くになってから出向いてみろ、お寝坊さんですねとかからかわれるに決まっている」
 イクシア王国には無数の水脈が張り巡らされているが、それは同時に道にもなる。海に突き出た場所に位置していることもあり、土地が海に浸食されて沈んでいるとも言えるこの王国では、水路を利用し小舟で移動することがある。
「へえ。アルバートさんは舟の扱いも慣れてるのか」
「舐めるな。騎士団員には必須のスキルだ」
「なるほど。案内人ってこういう意味か」
 水路を渡る小舟はいくつも見られたが、そのどれも舟漕ぎを本職としているように見受けられる。騎士装束を着て漕いでいる者はアルバートだけだった。
「あっ、騎士さまだ!」
 向こうからやってきてすれ違った小舟の親子連れがアルバートに手を振った。アルバートも舟の操作をしながらなんなく手を振り返す。
「へえ、大人気だ」
 僧院でルークが目にするアルバートは子どもたちから舐められきっているが、本来王国騎士とは憧れの存在であるらしい。
「当たり前だ。この国を守る騎士様だぞ。ジャバウォックだけじゃない、海生生物から国民を守るのも、不作や天変地異から国民を守るのも、果ては初等教育に至るまですべて騎士の仕事だ」
「……少し誤解していました。なんせ目覚めた場所が場所だったもので。お許しください騎士様」
「その言い方はやめろ、寒気がする。それに剣技だけで言えば、お前は間違いなく一般騎士の平均を超えている。それに関しては誇ってもいい。他はダメダメだけどな、特に教養」
「そんなのは誇るようなものじゃ。それに剣でなにかを守っているひとのほうがずっと立派だよ」
「ん。殊勝なことを言うじゃないか。どうした?」
「いや本心。俺はどういう剣士だったかも自分じゃわからないから。ただあてもなく旅をしていただけの可能性もある」
「……なんだなんだ、そんなに悲観的になって。放浪していた自覚でもあるのか?」
 舟の船首に立ち、ルークより一段高い所から見下ろすアルバートがたずねる。アルバートは一度手を止め、ルークのことを気遣うように意識を向けた。
「自覚は……まだない。でも、僧院のベッドで目が覚めた時から、無性に自分がどうしようもない存在のように感じている気がする」
「それは記憶が飛んでいるからだろう」
「いやどうだろう……」
「俺の見解だが」
 アルバートはふむと自身の顎先に手を当てる。
「お前の剣はとてもじゃないが放蕩者の剣じゃないぞ。道楽で鍛えたものではないだろう。本人に自覚がないのが恐ろしいな」
「そう……なのか?」
「この国に目的があった可能性だってあるだろう。何かを追って、とか。巨悪を追い、未踏の大森林を駆け抜けていたのだとすれば称賛に値するな。まあ、この国に巨悪の侵入を許すようなことはあり得ないが」
「それはまた、すごい自信だ」
 三方を海、そして大森林に囲まれた王国。あだなす者がわざわざ攻め入るのも困難な地形ではあるが、そういった土地柄がそもそもの慢心をも招きうる。これだけ美麗な都市ならば財宝を求めて……なんてこともないわけではないだろうに。ルークが暗に「なぜそこまで?」と問うと、騎士は当たり前のように答えた。
「この国の王族は最強だからだ。王族に伝わる魔術と剣術、そして彼らが従える騎士団をもってして防げない災厄など存在しない。お前、ガキどもに聞かされなかったか、王国の永劫の繁栄について」
「ああ、えっと、聖鎧の騎士ってやつ?」
「そう。あれは正しく王国のありようをあらわした物語だよ。どこに攻め入られることもなく、永らく孤高の国として存在しているんだから」
 ほら、見えてきた。
 いつのまにか市街の喧騒から遠ざかりつつあった舟の向かう先には、城壁と同じ白亜の堅牢な石造りの砦が見えた。なるほど、ジャバウォックを討伐するためだけとは思えぬほどに頑強なつくりをしている。それこそ、国力を誇示するように。
 短い舟旅を終え、駐在基地を訪れたルークとアルバートを迎えたのは、しかしまったくいい知らせではなかった。
「なに? ジャバウォックなんて確認できなかった?」
「夢でも見たのかって散々言われてるぞ。この時期にありえない。三日三晩観測を続けたが平年通り、異常なし、だ」
 ジャバウォックを長年討伐し、国民を確実に脅威から守ってきた実績ある隊は、『ジャバウォックはいない』と結論付けたという。
「でもあれは間違いなくジャバウォックの傷跡だった。現にこいつは記憶喪失なんだぞ」
「って、後ろのこの人かい? 確かにこの国の人っぽくないが……」
 アルバートと旧知であるらしい、眼鏡をかけた討伐隊の一員と思われる男が、初めてアルバートの後ろにいた人物に気がついたというふうに目を丸くした。
「本当にジャバウォックにやられたのか? ピンピンしてるぞ」
「助けていただいたので」
「凄腕の治癒使いだな。それで? 例にもれず記憶喪失なわけか」
「記憶がないのは真実。随分偏りがあるようだがな」
 男が険しい顔をする。
「事実なら事実を認めるしかない。……隊のみんなは誤報だって確信しているけどな」
 男は報告に向かったのか、一度二人からは離れて奥の棟へと消えた。ルークとアルバートの二人は肩をすくめて顔を見合わせるしかない。
「……どういうことなんだ? 討伐隊が見逃すわけも、嘘をつくはずもない」
「幻覚ですって言われると不思議な気持ちになるな」
「お前はもっと深刻な顔をしたらどうだ。そんなだからピンピンしてるなんて言われるんだぞ」
「それも事実だよ」
 二人が軽口を叩いていると、先ほど眼鏡の男が入っていった棟から、ぞろぞろと大勢の騎士たちが現れた。騒ぎを聞きつけてやってきたのだろう。
「おい、あれは……」
 アルバートの表情がこころなしか青くなる。ルークはもちろん、事情など知るはずもなく「古巣で犬猿の仲だった人物でも見つけたのかな」なんて考えていた。
「君が記憶喪失だっていう?」
 ルークより背の高いアルバートを大きく超える高身長の、すらりとした有能そうな男が歩み出た。ルークが返事をすると、隣からはたまらずといった具合に声が漏れる。
「副団長……」
「おや。アルバート=ホーンスタイン。久しぶりですね、ズィーラ僧院ではどうですか?」
「もちろん、滞りなく」
「それで、ここに来たということは討伐隊に加わる心づもりでもあったんでしょう?」
 副団長と呼ばれた男が、ルークを品定めするような容赦ない目で眺めまわした。
「ジャバウォックに襲われた者が確かならば、見過ごすわけにはいきません。時期でないとしても、大森林の深くへ入る必要があるかもしれません。それに〝あなたほどの剣士が大怪我を負ったというなら〟なおさらです」
「……見ただけですごい評価をしますね」
「わかりますよ。見ただけでわかるぐらいなんです。だとすれば大問題だ。かつてないほどに聡明な個体が気配を隠しているのかもしれない。ホラ話などと軽く見るべきではありません。ご協力いただけるのであれば有難い限りです」
 案外トントン拍子で話が進んでいくので、あらかじめそのつもりで足を運んだルークのほうが戸惑うほどであった。
「いいんですか。俺は騎士団の方のように訓練を積んだわけでも――」
「もちろん、同じ隊に入って討伐に参加してもらうのであれば、お互いに力量を知る必要はあります。よければ今、ここで」
 副団長が身体をずらし、ルークの視線を奥へと通した。
「広い場所もあります。ぜひとも見せていただきたい」
「それは構いませんが……」
 ルークとしては願ってもないことだ。はじめ『そんなものはいない』とはねつけられどうなることかと思ったが、予定通り入隊が認められるらしい。しかもたいした査定もなく、見ただけで。
「お相手していただけるなら、こちらもありがた……」
「いや、相手にならないだろう」
「えっ?」
 驚きの声をあげたのはアルバートだった。
「私がお相手しよう」
 一歩前に歩み出るのは、明らかに周辺の騎士たちとは一線を画したたたずまいの、齢を重ねた老騎士であった。風貌、足運び、声の深み、どれをとってもその実力を推し量るに事足りる。練度が違う。
「団長直々に?」
 アルバートがその正体を口走った。ルークも驚いたが、あまりにも立場の違いすぎる御仁を前に迂闊な反応はできまいと口をつぐむ。代わりにアルバートがたずねた。
「一体なぜです?」
「立ち振る舞いを見れば力量はわかる。長年ここの団長を務めていないのでな。副団長ロギンスでは相手が務まらない。貴殿は“至って”おるな」
 真っすぐにルークにかけられた言葉。
 俺はそんな人間じゃない、だの、買いかぶりすぎ、だの、言おうとすればいくらでもルークの口をついて出そうだった。しかし己への否定は同時に相手への無礼でもある。ルークの目の前に立つ御仁は騎士団の精鋭をとりまとめ頂点に立つ人物だ。確固たる実力を持つ人間からそのような言葉をかけられておいそれと否定などできるはずもなかった。
 それに。
 真っすぐ語り掛けられて、初めて腑に落ちるものをルークは感じていた。なにもわからない、なにもないと思っていた自分自身の中にある柱が目の前の人物には見えているらしい。〝至っている〟。なにも見えないのに、なにも知らないのに、たったそれだけの言葉の意味が、ルークにはわかるのだ。
「……お心遣い感謝いたします、ええと」
「私の名はゾルタ=ウル=イクシアだ。ゾルタで良い」
「それではゾルタ団長、正直な考えを述べます。俺は記憶が抜け落ちているがゆえに、そこまでの評価を受ける理由はわかりません。自分が何者であるのかもわからない、何を見て何を考えここに立っているのかも、自分の記憶を奪った相手が「いない」と言われてしまった今は、目的すらもあやふやになりかけています」
「ほう。にしては、不自然なほどに迷いがない。それはなぜだ?」
 ――迷いがない。そうだろうか?
 いや。迷いはない。
 最初から、自分の中に迷いはなかった。激動の中に身を置いても、最後には確かなものだけがこの手の中に残る。記憶がなくとも、己がわからなくとも、ルークはそれに従えばよいだけだ。
 ――それはなぜか?
「……わからない」
 それでも、はっきりと言えることがある。自然に口が動いた。
「ですが、虚ろな生の中でも、この身体がやるべきことを覚えている」
 抜くべき時に剣は抜けるようにできている。ルークは白金の剣を抜き、宣言した。
「期待には応えます」
「意気やよし」
 老騎士も背負っていた大剣を抜く。あまりに突然と臨戦態勢になったふたりにおののいた他の騎士たちが、ざわめきながら距離を取った。団長の闘気に生半可な身分の人間が触れれば、それだけで傷を負う。
 嵐の前の静寂。決して静かとは言えないこの場の、二人の間の空間だけが、切り取られたかのような静寂に落ちる。
 その中で、アルバートが臆さず叫んだ。
「ルーク! 団長の属性は「時」だ」
「何?」
 ルークは振り返らずに聞き返した。属性。人ひとりが各々必ず持つという、魔術適正の証。
 ルークは魔法というものが実際どんなものであるのかを知らなかったが、「時」という名と、いつになく焦燥を感じさせるアルバートの言葉でその意味するところは理解できた。
「文字通り、時間を操る! 団長の魔法は時間停止。すべての時を止めたうえで、悠々と相手の首を斬り落とす」
「なるほど」
 時間加速でもなく時間の絶対停止。それならば、普通に考えて魔法の使えない人間に勝ち目はない。だが今のこれは決闘でもなければ死合いでもない。魔獣を討伐するにはうってつけの属性であるが、今相手にするのは正真正銘、意思と意思を持つ人間同士だ。ルークは確信していた。そんな魔法を初手からは持ち出すまい。
 あくまでも、初手からは。
 両者、剣を抜いたままぴくりとも動かない。その鋼のような空気を裂いて踏み出したのは、ゾルタだった。
 速い――齢を感じさせぬ隙のない足運びで、瞬きの間に距離を詰められる。
 カンッ! と甲高い刃のかち合う音。躱すには速すぎる一撃を、ルークは危なげなく剣で受ける。今の一撃で並みの剣士ならば斬られていたかもしれない、と思わされるほどには鋭く、重く、それでいて違和感のない運び。それだけで実力者を実感させた。なにせ相手の持つ剣は重剣なのだ、振り回すだけでも相当な力を要求されるそれを、相手は手足の一部のように軽々と、しかも空気の流れすらも操ってみせている。
「ほう」
 ルークは反撃にでなかった。ゾルタはそれを理解し、様子見から一気に攻めへと踏み込みを変える。まるで、この私の剣戟をまさか無事で受けきれると思っているのか、と笑うように。
 重剣使いとあっては当然だった。取り回しが重い分、一撃の破壊力では他のどの得物の追随も許さない。そんなものを受け流し続けられるはずがなく、ルークは身軽さを武器に速攻をかけるべきだったのだ。ルークはそれを、あえてしなかった。しかも深く考えていたのではなく、それが自分のスタイルであることを感じていたがゆえの判断だった。おそらく記憶を失う前の自分はそうやって相手とやりあってきた。だから従うだけ。
「――――ッ」
 息を呑んだのは、二人を見守っていた騎士の者たちだった。どんな得物よりも重いあの重剣を手にしているとは思えぬほどに速い剣戟がルークを襲った。見守る者たちの誰もが、あれを真正面から受けきろうとは考えないし、できるはずもない。それをルークは表情一つ変えず、目にもとまらぬ速さで突き出される鋼の一閃を見切り、剣に負荷をかけない、針に糸を通すような最適解を瞬時に選び取って受け流した。銀光がそのたびに煌めき、観客たちは精霊が躍るような錯覚をその場に見る。無駄のなさは、時に奇蹟のような美しさをもってひとの目に映るのだ。
 ルークが反撃の一閃を放った。
 狙ったのは、ほんのわずかな呼吸の合間。
 重く鋭い無数の剣戟を、ルークもただ黙って体力をすり減らしながら受けているわけではない。相手を理解する方手っ取り早い方法がそれだというだけのこと。呼吸法、視線、癖、感覚、そして思考。剣とは己の魂の先にあるものでしかなく、それを会話法として極めたもの同士が刃を打ち合わせれば、相手のことを知るには十分だった。 
 ルークの一撃は確かにゾルタの隙を捉えていた。数億をはるかに超える先の一手の中で、最も速く相手を突き崩すことのできるただ一点のみを、銀閃が突き払う。
 因果が狂った。確かにとらえたはずのものが、結末を覆される。
「なるほど」
 ルークは理解した。なるほど、「時」の属性の本質とは因果の逆転。そうなるはずの未来を斬り捨て、己の望むものに作り変えてしまう。時間停止の理を操る老剣士はルークの知覚できない領域でほんの数舜時を止め、逃れたのだ。見えなくてもルークにはそれがわかった。
「これが魔法」
「初めてか、王族の〝時〟の魔法に触れるのは」
「ええ、なにもかも。逸らしましたね」
 剣を魂の先で操っているからルークには結果として知覚できるが、一秒にも満たぬ目に見えぬ時間であっさりと結末を覆してしまう、恐るべき魔法であった。それはすなわち、ルークが攻めに転じて確実な勝機を見出し完璧なタイミングで斬りつけたとしても、容易に躱されるということだった。
「しかし、私のほうも魔法は封印しようと考えていたのですよ。これはあくまであなたの剣士としての力量をはかるため。対等に向かうというのが筋でしょう」
「……」
「ですが、どうやら貴方はそのように考えるお方ではないようだ。持てるものすべてを持って向かい合う」
「……はい」
「はっは。私も命拾いです。そうでなくては、私はあなたに勝ち目がなさそうですから」
 来る――!
 魔術行使の予感というべきものがルークの第六感に響いた。死の予告。今そのままそこに立っていれば、数瞬あとには首が落とされているという未来視にも近い直感。ルークはその予告線から逃れるべく地を蹴った。
 それは正しい判断だった。一瞬にして目の前に現れた剣士が、最大級の破壊力を持って、横なぎに重剣を振るう!
 さしものルークも、完全に不連続な状況から繰り出される攻撃には対処が間に合わない。その驚異的な反射神経でかろうじて致命傷を逃れることができる、というだけで、気の遠くなるような重い斬撃に真横から襲われた。気を抜けば剣を取り落としそうになるほどの一撃。
「ルーク……」
 それは無理だ、とでも言いたげなため息が観客の男から漏れ出た。アルバートだった。それでもルークは体勢を立て直す。今ので「終わらせる」こともできたはずだが、相手はそうしなかった。まだ終わってはいない。
 鋭いエメラルドが見据える先、ゾルタは間合いを保っている。次の一撃をまともに喰らえば、それでこの試合は終わり。相手がルークを見極めるために始めた試合だ、ゾルタの魔術を見切れなければ、そこまで。これが本物の「殺し合い」ならばルークに一切の勝ち目はない。だがルークが一歩を踏み出せば、その途端相手は時間を止めてルークに斬りかかるだろう。相手は止まった時の中、自分だけが支配する領域をただ突っ切って、斬りかかるだけで勝負を決することができるのだから。
 それでも。ルークは一歩を踏み出した。命と結びついた白刃を握りしめ、向かう先がたとえ死でもその足を前に踏み出す。地を踏みしめ、己の世界を前に歩みだす。
「――――っ」
 ゾルタは一瞬息を詰め、魔術を発動させ――
 ようとして、突如背後から差し込まれた強靭な殺気に驚愕し、振り返る!
 そこにルークはいない。ゾルタが魔術を発動させるのよりも速くルークが動き、更なる背後へ回ったのだ。もう一度ゾルタが気配を探り視線を走らせた先に、やはりルークはいない。
「……」
 時間魔術に対して上手を取れないと悟ったルークがとったのは、魔術が発動される前にその背後を取ること――。
「それはあまりにも……」
 あまりにも愚かで、浅はかな考えだ。ゾルタは魔術で時を止め、背後を振り返る。その場から一切動かず、殺意を持った眼差しのまま時を止めた男へと、今度こそ決着をつけるべくゾルタは大剣を振るった。
 それは、空振った。
「!?」
 時を止めた世界で、自分以外に行動ができる者はこの世界のどこを探してもいるはずがない。それを誰よりもよく知っているゾルタは目を見開き、咄嗟に振り下ろした剣で受け身の体勢をとった。そんなことはあり得るはずがない、わかっていながらも本能で防御体勢を取ったのだ。
 そしてそれは正解だった。完全な死角から、先ほどまで目に見えもしなかった場所から、影のようにルークが現れ、鋭い剣閃を浴びせる!
「む、」
 ゾルタはその剣が噛み合った一瞬を見逃さない。その瞬間に時間を止め、大剣を振るって、その影を打ち払おうと容赦のない一撃を浴びせる。
 しかしまたしても、それは空振った。そんなはずはないのに、ゾルタ自らが支配する領域で、ルークに触れた瞬間にその姿が消える。
 幻影の魔術使い。そんな存在もこの大陸には確かに存在する。だがあの青年は魔術使いだったのか――? 疑念を抱きながらも決してその表情に焦りを見せず、ゾルタは言い放った。
「そんな小手先だけの技で戦うとは、見込み違いか」
 ルークが一瞬、気配を緩める。笑ったのではない。ただ単に、張り詰めていた己の気配のコントロールを緩めたに過ぎない。
 ゾルタはその一瞬を見逃さなかった。時を止め、その隙を突いて、試合を終わらせるべくルークを薙ぎ払う!
 その剣戟を、確かにルークは完璧な力加減で受けきった。今度こそ、会心の一撃を信じて疑わなかったゾルタを心の底から驚愕させた。
「なッ――」
 息を呑んだのは、試合の流れを必死で追いかける外野も同じ。
 そのさなかで、なおも重い一撃を剣一本で抑え込んでいるルークが言った。
「完全に、化物専門の必殺技なんでしょう」
 それゆえに一撃一撃が大振りになる。今度こそ完全に魔術に乗せた剣戟を防いで見せたルークが告げる。
「そして貴方の時間停止は見積もって三秒以下。その時間を超えて時間を止めることはできない。……そうですね?」
 まるで、停止した時間空間を見てきたかのように言ってのけた。感心したのはゾルタばかりではない。その事実を知っていた騎士たち、アルバートを含めた騎士団員たちは、それこそ化け物と邂逅したかのような衝撃に身を痺れさせていた。
 ***
 人間という生き物の視界は前方120度しかない。それ以外はいわゆる死角、高々全周の3分の一しか認識できない。
 しかし人間には視覚以外にも聴覚や触覚、果てには第六感なども備わっており、普通は足音、音速に至った刃先の音、風の流れや殺気といったものから「気配」を察知することで死角からの襲撃を察知できる。
 だがそれが偽りの情報であればどうか?
 気配を完全に殺すだけではなく、残影、偽りの殺気をもし、残すことができる者がいるとしたら?
「なんだあれは……」
 誰かがつぶやいた。
「存在そのものがめちゃくちゃだ……」
 殺気とは時に幻影となって相手を刺す。
 魂が身体を離れて刃を握る。一種の幽体離脱のようなものだ。
 記憶を喪失し、何もかもをその手から失った。だが、虚ろであるなら虚ろでよし。肉体そのものの実体がまるでそこには無いかのように気配を殺し、存在を限りなく希釈し、本来肉体の存在しない場所に、あたかも「そこに人の存在が、魂があるかのように」錯覚させる。本当は目の前にいるのに、死角からの殺気を錯覚させる。あるいはその逆、本当は後ろにいるのに、前方からの存在を錯覚させる。時を止めてなお眼球がその場に実像を結んでしまうほどの強烈な感覚への恐怖制御。
 記憶がないからこそ、そもそも自分自身を一片の躊躇なく切り捨て希釈してしまえる容赦の無さがあるからこそ、この制御が成り立っている。歴戦の剣士ですら、この気配のめちゃくちゃな有り様に振り回されてしまうのだ。相手が何者か、どのような魔術を使う相手であるかわからないなら尚更である。警戒すればするほどに、目の前の相手のことがわからなくなる――。
 ルークはこの錯覚を利用して、相手の間合いをはかっていた。相手が無制限に時間を停止できるのか、それともある程度の時間制約がつくのか。それは時間の止まった世界を渡れぬ者には決して知覚することができないが、あえて意図的に作り出した間合いを、不連続に移動する相手の距離から推察することができた。ルークは自身の殺意の幻影を使って間合いを狂わせたうえで、ゾルタの魔術を正確に読み切ったのである。
 だが。
 それでも。
「間合いを見切られたのならば、見切られたことを分かったうえで立ち振る舞うだけのこと」
 達人同士の境地に至った者の鍔迫り合いは、先の読み合いであるという。相手がどう動くか、数手先の未来を読んで斬り合う。三秒間で詰め切れない距離をお互いに近くして、やっと同じフィールドに立てたというだけのこと。
「本当に、お強いですね」
 相手はルークの動きに順応し始めている。さっきまで通じていた不意打ちがもう通じない。ルークの小手先の技術である陽炎のような殺気すらも見切って、ゾルタは圧倒的なリーチを誇り、当たれば首が飛びかねない容赦のない致命の一撃を放ってくる。
 こうなると、死合いは剣技の技量ではない。それを振るう者の心が行く末を決める。
 ――死合いを制するときは、相手を理解した上で、なお心が相手を上回るときだ。
 誰から聞いたのだろう。そんな当たり前の言葉。ルークの脳裏によみがえった声があった。記憶が失われてなお、夢の中で何かを追い続けている。その先に、あるいは後ろに存在するものの正体。それは言った。
「極限の一瞬ではな。お前のような半端物では未だ見果てぬ夢世界のことだ。つまり、鍛錬せよ! その程度じゃ、――は殺せないぞ!」
 魂が刃を握る。死にさらされてなお、生きなければならないという意志。足掻き続けなければならない意志。目を塞がれようと足をもがれようと前に進まなければいけない覚悟。ルークはその心が剣を握る。たとえ何も見なくとも、何もかもを失っても、身体がやるべきことを覚えている。振舞うべき自分を覚えている。
 誰かが味方をした。感じられぬ時の流れ、魔力の流れを識る。
 自分にそれを与えた何者かを無意識にでも信じる限り、それは力となり、肉体を失い、記憶を失い、すべてを失い、亡霊と化してなお向かう相手を斬る。
 ゾルタという人間そのものを捉えた青年が、因果の果てをも見抜いた銀の一閃を、放った。
「大変です!!!!!!」
 という声で、決着をつける一撃はピタリと静止した。
 慌ただしい足音と声が混ざり合い、剣士同士の試合に満ちていた静寂がかき消された。
 それで、ルークとゾルタの一騎打ちはいったんの幕を引く。お互いに、今この瞬間決着しかけた極限の一瞬がそう簡単に再現できないものであることを理解したのだ。ルークも剣をおさめ、ゾルタも大剣をおさめながら騎士に問う。
「何事だ?」
 ジャバウォックが現れたのだろうか。ルークが成り行きを見守っていると、尋常ではない爆音が市街の中心でとどろいた。
「聖鎧の騎士が現れました!」
「聖鎧の騎士だと?」
 おとぎ話の登場人物がなでこの場面で出てくるのか。ゾルタも嫌悪感をあらわにしながら聞き返すが、報告をした騎士は少しもたじろぐことなく、繰り返した。
「あれは……あの全身を金で覆われた鎧の騎士は、そうとしか言いようがありません! そいつが、市街を爆撃してまわっているんです!」
「空から星を落として……爆弾のように降り注いで……今、街は大混乱で……」
 憔悴しきった騎士に、ゾルタも真実の一端を認識したらしい。即座に身をひるがえし、駐屯基地の騎士に号令をかけた。
=====ここまで=====
「いっそ地獄の門でも開きそうな程の覚悟だ。死者の国に行くのが目的、というわけではあるまいな?」
「まさか!」「でもなぜ自分がこの国を目指して森を踏破しようとしたのかはわかりません。何か目的があったように思うんですけど」
「ゆけ。我々が駆けつける。貴殿らはまず大切な人のもとへ行ってあげなさい」
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一次創作chp2-
初公開日: 2020年06月23日
最終更新日: 2020年07月07日
昨日の続きから アーカイブめちゃくちゃバグってたので新規作成2章から
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