強欲な☓☓☓のメメント
=================
東方剛欲異聞より
♪強欲な獣のメメント
♪有機体すべてのメメント
=================
 その日は珍しく、目覚めの良い朝だった。
 定休日の朝、程小時がこんなに朝早く起き上がれることは滅多にない。いつもならなんだかんだと理由をつけて二度寝を決め込んでいるところ、そんな気分にもなれないほどにスッキリとした目覚めだった。あくび一つ、手元に置かれたスマートフォンで時間を確認する。
 朝八時過ぎ。
 こんなに朝早い時間でも、ベッドを抜け出してみれば、上の段はもぬけの殻だった。
 同居人の朝は早い。睡眠が大好きなくせ、老人のように朝が早いのだ。そのせいでゴミ捨てを担っているが、今日はその日ではない。
 一階に降りた程小時はその姿が家の中のどこにも見えないことを確認して、テーブルの上の書き置きに目をやった。
『圭都図書館。十一時前には戻る。昼飯は家で食べる』
 三週間に一度、陸光は一人で図書館に出掛ける。いつも読んでいる本たちのほとんどは、こうして図書館から借りてきた本だ。朝が遅い程小時を置いて午前中には戻ってくるから、昼頃に目覚めたりなんかすると既に図書館帰りの陸光と寝起きに顔を合わせる、なんてこともある。
 律儀にも、陸光は一人で出掛けるとき、何処へ行くにも行き先と帰宅時刻を添えた書き置きをテーブルに残していく。それが破られたことは一度もない。それどころか、帰宅時刻だって一分たりとも破られたことはなく、予定より遅くなるときは必ず連絡が来る。
「クソ真面目な奴……」
 と同時に、家の中での傍若無人な振る舞いも思い出す。家から一歩外に出ればどこに出しても恥ずかしくないイケメン好青年“らしい”が、とりわけ程小時には傲慢さを隠しもせず、ベッドの上ではヤりたい放題な男だった。
 ともかく、陸光の書き置きは書いてある通りだろう、十一時までは戻らない。今日は朝早くに目が覚めてしまったぶん、一人の時間を持て余すことになりそうだった。目覚めたときには図書館帰りの陸光におはようの挨拶をすることもあるくらいだ、とにかく暇である。程小時はソファへ横になり、腕枕をしながら天井を見上げた。ガラスでできた透明な箱に差し込む、朝の日差しが目に眩しい。裏庭から這い伸びたツタの隙間から覗く、青色の無数のカケラがころころと形を変えて綺麗だ。天然のカレイドスコープを、しばらく眺めていた。目が洗われるような青――今日はいい天気だ。
 唐突に、この家は広いな、と思った。
 天井は高いし、二人ともほとんど足を伸ばすことのない、荒れっぱなしの裏庭や屋根裏部屋まである。家の中が広いのと、写真館を包む緑たちが防音の役目を果たすため、家の中で多少声を上げるハメになっても、羞恥はあまりない。
 ――あいつ、なんで一人で図書館に行くんだっけ。
 孤独をやり過ごすための思考の矛先は、陸光に向いた。いつからか、陸光が図書館に行くとき、程小時を伴わなくなった。ここに暮らすよりずっと昔の、大学時代からそうだ。なぜそうなったのか、よく覚えていない。
 ――別に、俺が行っちゃいけない理由はなかったはず。
 注意深く思い出しても、止められてはいなかったと記憶している。
 ――あいつが図書館で何をやってるのか、やましいことはないか、監視する必要があるんじゃないか? 知らない誰かと逢引してるかもしれないし。
 久々に、そんな気力が湧いてきた。天気のせいだろうか? そうかもしれない。晴れの日は好きだ。
 それに、もっと単純に、陸光に早く会いたかった。黙って会いに行ったら、あいつ、驚くかな。開口一番になんて言うだろう。
 こう天気が良くては、二度寝もできそうにない。だったら、自分で会いに行けばいいのだ。行き先はわかっている。
 随分と、調子のいい朝だった。そうと決まれば支度して、朝ごはんも食べずに程小時は外へと繰り出した。
 三十分もすれば、下町の匂いを残した商店通りの写真館から、大都会のど真ん中へ歩いていける。圭都図書館は、木漏れ日の柔らかな並木道を歩いていった先に、存在感たっぷりにそびえている。
 都市開発の流れを汲み圭都の図書館も一新され、近代的に造り替えられて久しい。図書館なんてただの本の倉庫だろうに、と程小時は思わなくもないが――刷新された図書館は随分洒落た内装になり、観葉植物が吹き抜けの回廊のあちこちから垂れ下がっていた。全五階建てのちょっとしたビルのようなその場所は、洒落た作りの窓ガラスで沢山の光を取り入れていて、建物の中でも目がくらむ。その明るさに誘われてなのだろうか、人出もかなり多かった。なにせ、図書館と言いながら一階にはこれまた若者ウケしそうな洒落たカフェが連なっているのだ。ここで朝から過ごす者も少なくないらしい。
 早く陸光を見つけないと。
 案内板を覗いて、程小時は頭がくらくらした。最新の図書館を舐めていた。広すぎる。一階から五階まで迷路のように広がっていて、ちょっとやそっとじゃ人探しもできそうにない。
 どうする――? 案内の文字とにらめっこして、程小時は考えを巡らせる。陸光の奴がどんな本を読んでいるかなんて、気にかけたこともない。いつも難しそうな本をとんでもないスピードで読破しているから、内容を読むというより、本を広げるという行為そのものから落ち着きを得ているのではないかとも思っているぐらいだ。どういった内容の書架に興味があるのかも、よく知らない。
 急に馬鹿馬鹿しくなってきた。
 そもそもなんでこんなところに来たんだっけ? 行くあても知らないのに。
 ポケットの中のスマホで連絡を取れば、陸光の奴は多少驚きながらも、素直に居場所を教えてくれるだろう。だけど――そういうことをしに来たわけじゃない。たまにはなんの連絡も前触れもなく突然押しかけてやって、びっくりするところを拝んでやりたい。それだけだった。だから連絡を取るのはだめだ。伸ばしかけた手をポケットからひっこめる。しらみつぶしに探していくしかないか、と真面目に案内板を読もうとして、程小時はすぐに止めた。見つけられなかったらそれでいい。そのまま気の赴くままに図書館を歩くことにした。
 どこか、遠い国の、知らない世界の景色のようだった。
 硝子越しに降り注がれる、光のカーテンの中に、陸光は座っていた。小高い観葉植物の周りに備え付けられた、あたたかみのある木製のベンチに腰を下ろし、いつものように本を読んでいた。あまりに日差しが熱いからだろうか。それとも、このあたりの書架に用のある人が少ないからか――人影は少ない。程小時は、光に誘われるように、彼のもとへ近づいていった。
 相変わらず、本当に読んでいるのかわからないスピードで頁をめくっている陸光は、すぐ近くまでやってきた程小時に、ようやく顔を上げた。注意深く観察したのに、陸光に驚きの感情は見られなかった。無言のまま座る位置を変え、スペースを開けてくれたので、程小時はそこに腰を下ろした。ああ、やっぱり日差しがすごく熱い。ぽかぽかするけれど、ずっとここにいたら汗をかいてしまうだろう。それなのに、隣の白い男は、涼し気な顔をして読書を再開していた。望んでいた反応ではないが、まあ良しとすることにする。
「なに読んでんの」
 かまって欲しくて、強く寄りかかりながら本を覗き見た。西洋の絵画らしきイラストが、いくつか並んでいた。文字だらけの小説か学術書を読んでいる印象が強いから、これには程小時も驚いた。美術に関する学術書らしい。
「芸術なんか興味あったのか?」
「……静かにしろ」
 くちびるに親指を押し付けられる。そもそもこのへんに人なんかいねーじゃん、という言葉はおとなしく呑み込むことにした。そのまましれっと読書を再開なんかするので、面白くない。こっちはわざわざこんな辺鄙なところまで出向いてやったというのに。
「お前さ、いつもほんとに本読んでんの? ものすごい速読だけど」
「……」
 まただんまりかよ!
 程小時は横から本をふんだくってやった。
「おい……」
「ちゃんと本が読めてるか確認してやるよ」
 少し前の頁に戻って、適当な箇所を読み上げる。難解な学術書だから、こうして読み上げても何のことだかさっぱりだ。
「十ページ前のおさらいだ。十四世紀のフランス詩が起源とされている、死の恐怖を前に人々が半狂乱になって踊り続けるという、一連の絵画、版画、壁画に見られる……」
「『死の舞踏』」
 え? こいつマジか? まだ最後まで言ってないのに。早押しクイズじゃあないんだぞ。
「おお……よくわかったな? マジでちゃんと読んでるんだな? 俺は感心したよ」
「十ページごとき前の話ならついさっき読んだばかりだ。……おい、それよりうるさいと言っただろう。黙って待ってられないのか」
「せっかく俺が来てやったってのに、黙ってここで何もせずに寝てろって? つれないなあ陸光先生は。わざわざ足を運んでいつもなにを熱心にお勉強なすっているのか、教えを乞いに来たって言うのに……」
 陸光が何も言わずに、そのあたりに放ってあった誰かのゴミらしきチラシを一枚とってきて、裏返した。白紙のその場所に、胸ポケットから取り出したペンで何事かを書きつけていく。
『おとなしくしてろ。これだけ読み終わったら帰る』
「まだそれ、二〇〇ページ以上あるように見えますけど……?」
 ペンのノックの部分で口もとを突つかれて黙らされる。おとなしく渡されたペンで、筆談に応じてやることにした。
『あと何分かかるの』
『三十分』
 三十分!? なにをどうやったらそんなに早く読めるんだ??
 とはいえ、そのあいだ、程小時はすることがない。そりゃあいくら美青年の読書姿が様になるとはいっても、三十分間も飽きずに眺めているのは無理だ。これが初対面ってわけじゃないし。というか、一緒に暮らしてるし。
『じゃあ陸光先生、俺にふさわしいおススメ本でも教えてくれよ。毎月のように通ってるんだから、あるだろ、俺にも読んでほしいみたいなの』
 爆速でページをめくりながら、その一文を一瞥した陸光が、即座に答えを書き留めてくる。迷いがなさ過ぎて、またもやちょっと感心した。
『書架G2 上から三列目以降』
「お、マジ~? 見てくる!」
 もらったメモを手に、記された通りの書架を目指す。近づくにつれ、書架の高さがそれとなく低くなっていくのはなぜだろうか……という程小時の素朴な疑問はすぐに解消された。いつの間にか、あたりの客層が子供ばかりになっている。書架Gから先は、子供向けの絵本が立ち並ぶ区画だった。念のためメモの通りの場所を確認したけれど、案の定お子様向け絵本が所狭しと並んでいる。
 即座に陸光のもとに飛んで帰った。
「おい!」
『お前にぴったりだったろう』
「どこがだよ! 俺のことをガキだと思ってんのか⁉ お前はガキと一緒に同じ店を経営してんのか!?」
 陸光は取り合わずに、読書を続けた。相変わらず内容をしっかり読み込んでいるとは思えないスピードで頁をめくっている。絵画のイラストが多いからとか、そういう次元ではない。
 そのまま寄りかかっても、文句は言われなかった。重いだろうに、頁を捲る手の邪魔になるだろうに、黙っている分にはなにひとつ文句はないらしい。それならと、紙の端に、一言書きつける。 
『俺が来たのに、驚かなかったのかよ』
 右手でペンを握り、答えが書きつけられる。
『いや。驚いた』
『えー。全然そんな感じじゃなかっただろ。嘘つくな』
『嘘じゃない。寂しかったのか?』
『調子に乗んな!』
 太ももをぺちりと叩くと、いい音が鳴った。陸光は何も言わずに、一定の動作を続けている。こいつは何をしたら驚いてこっちに意識を向けるんだろう? 程小時の興味関心は今度はその点のみに傾いていく。何をすれば、本の上の文字列より興味を引かれるんだ?
 十秒に一回程度、頁を捲るべくせわしなく動いているほうの腕を、ぎゅっと握って身を寄せる。どう足掻いたって図書館で許される距離感ではない。このままキスしたら、こいつ、どんな顔するだろう。いたずら心がむくむくと首をもたげてきた。このくらいの距離ならまだ何も言われないが、人前でべたべたしようとすると、いつもお小言がうるさい男だ。何か言うに違いない――。
 と、顔を寄せたところで、じっ……とこちらを見つめる視線を感じて顔を顔を上げる。このあたりには人が少ないと思っていたが、どうやら子供向けの書架がある関係で、小さい子供の姿はちらほら散見されるようだ。そのうちの一人が、じっとこちらを見ていた。見つめ返すのもなんなので、ひらひらと小さく手を振り返してやると、ふい、と視線が逸らされていく。
『逢引してるのが、小さい子にばれたぞ』
『大きな子供がいるなと思われたんじゃないのか』
『人前でべたべたしてんだから、お前も一緒だぞ?』
『気にしすぎだ。……暑い、そろそろ離れろ』
『やだね。お前が読み終わるまでずっとこうしてやる、それが嫌なら……』
 陸光の顔が、紙面からやっと上げられる。なんだ、ようやく何か構う気になったのか――? と程小時がその視線を追うと、陸光は先ほどこちらをじっと見つめていた子供を注視していた。小さな女の子だ。よくよくあたりを見回してみれば、ここにいるのは程小時と陸光のふたりと、その子だけだった。連れられて来ているだろう親の姿が見当たらない。そう思ってみてみれば、その子はふらふらと、さっきからあちこちを当てもなくさまよっているように見える。
「もしかして……」
「ああ」
 陸光は読みかけていた本をあっさり閉じてしまうと、分厚いその本を程小時に押し付けて、その場を立った。程小時だって、迷子かもしれないその子が気になる。でも、なんと声をかけてよいか、とっさには声が出なかった。だって、ふたりからは見えないだけで、背の高い書架の向こうに親御さんは普通に立っているかもしれない。そうなったら目くじらを立てられるのはこちら側だし、いや、でも、本当に迷子だったら? 子供が一人でふらふら歩いていたら、どんな人間に目を付けられるかわからない。ここはそっと陰から見守ってやるべきじゃないのか、とか――様々なことを考えているうちに、しかし隣にいた男があっさりと、声をかけた。
とりあえずここまで
「何でも救える聖人君子みたいなことを言うな。何でもは救えない」
「忘れるな。何でもは救えない――手を伸ばせる範囲しか」
「そんなものは、傲慢だからな」
「……」
「お前、だって、傲慢じゃん!」
「どー言う意味だよっ、わかりやすく言え」
「もっと本を読め」
カット
Latest / 112:44
カットモードOFF
文字サイズ
向き
チャットコメント通知
ヒカトキ日常
初公開日: 2022年08月27日
最終更新日: 2022年08月27日
ブックマーク
スキ!
コメント
ヒカトキ日常落書き