夜空から殆どの星が消え去った世界。
地上に落ちた《星の亡骸》と呼ばれる異星物質により、大陸には魔法や魔導科学が栄えていた。
これは大陸随一の美しさを誇ると謳われたイクシア王国が、亡国と呼ばれるようになるまでの前日譚。
======固有名詞======
◆ルーク(本名はルーク=F=ルヴァチュリア。でも出てこない) ?属性
主人公。記憶喪失の剣士。心優しく素直な性格だが、妙に厭世的なところがある。
◆イクス 水?属性
都の外れの僧院の先生。治癒魔法を使う。なにかの秘密を知っているようだが…?
◆アルバート=ホーンスタイン 
王国騎士団員。僧院の先生。刺突剣持ち。イクスに気があるぽい。
◆酒場の男ソラ
傭兵? 酒場に入り浸ってる飲んだくれのお兄さん。
◆騎士団長ゾルタ=ウル=イクシア 時属性
ジャバウォック討伐隊を指揮する団長。約三秒間の時間停止使い。
◆聖鎧の騎士(?) 空(くう)属性
伝承と同じ黄金の騎士。しかし真反対に街を破壊して回る。
================
0.
 ✕✕✕は地を駆けていた。
 星々の光を失った空が、泥沼のように泰平な大地を包み込む。
 無明の闇が、生ある者の命を奪おうとその森の出口を塗り潰し、死の底へと引きずり込もうと蠢く。
 ✕✕✕は空を駆けていた。地が動く。漆黒の天が動く。目にも止まらぬ速さで世界が動く。振り落とされればすなわち、この出口無き森の中では死を意味する。ゆえに✕✕✕は飛ぶ。ゆえに斬る。頼りにできるのは、失われた星の光のように美しい刀身を持つひと振りの剣のみ。闇の中で泳ぐ白亜の竜は強大なプレッシャーで人を地に叩きつけようとし、領域を侵した生者を喰らおうと容赦のない突進を繰り返している。今、すんでのところで突撃を躱しきり、その尾翼に鋭い一撃を見舞って叩き落とした。
 凄まじい咆哮が轟く。鮮血が飛び散り、生温かい液体が頬を濡らす。不思議なことに、この状況でも✕✕✕は至って落ち着いていた。初めてのはずなのに、初めての気がしないのだ。
 ✕✕✕は己の名がわからなかった。
 目を開いた時にはすでに、この森の中に立っていた。ここがどこで、どのような名をつけられた曰くのある森であるかもわからない。わかるのは森の主と思しき竜が、決して自分を歓迎してはいないこと。領域を侵した者に容赦のない制裁を加えようとしていること。そして、退けられなければすなわち死が待つ、ということ。
 幸いなことに、名も知らぬ自分の腰には、立派な剣が収まっていた。どういうわけか✕✕✕は己の名も、己の故郷も、立場も、存在の在り方すらも思い出すことができない。闇の中で今 産まれ落ちたかのように、すべての記憶が失われていた。ただ、剣だけは紛れもない「自分」のものであることが解る。初めて握ったものとは思えないほど手に馴染み、その間合い、重さ、重心の位置――剣のすべてを瞬時に理解できる。もしも記憶の欠落の以前、✕✕✕が意思を持って戦う剣士だったのだとしたら――きっとこの剣は旧くから✕✕✕を知り、✕✕✕もまたこの剣のことを誰よりもよく知り、愛していたのだろう。それほどまでに、✕✕✕は手に持つ星の光のような剣を手足のように扱うことができた。
 それゆえ竜を退けることにも苦労しなかった。五体目の竜を地に叩き落とし、剣についた鮮血を払う。この目まぐるしく変わりゆく世界の中で、動くことを止めたものから闇に呑まれ、死んでいく。竜を殺したら、また次へ。次々と遅い来る領域の支配者を、カンだけで屠る。記憶はなくとも身体が覚えた剣の型が、✕✕✕の血肉となってすべての敵意を退けるのだ。一閃、二閃。旧い星の光の軌跡が、無数の刃となって支配者を切り刻む。
 やがてその切っ先が、暗黒の空の一端を切り裂いた。外だ。閉ざされていた深い森の口が切り開かれ、✕✕✕は外へと躍り出る。
「…………これは」
 闇の中に生まれ落ちて初めて見た、外の風景だった。思わず言葉が漏れる。
 夜光に包まれた、白亜と蒼き水の都。
 中心に聳え立つのは、蒼き水晶で造られたクリスタルパレス。それは遠巻きに眺めるだけでも、夜闇の中で圧倒的な存在感を放っていた。水晶城を中心として六角状に広がる町並みは、さながら城を取り巻く花畑のようだ。至るところに蒼の水脈が走り、それらから生命のエネルギーを吸い上げるようにして大樹のような水晶城が樹枝を拡げ、天の頂きを目指す。
 彼が記憶を失っていなければ、その都を目にしただけで、己の立つ場所がわかっただろう。
 それは世界で最も美しい都として栄える旧き王国。
 三方を海に、そして一方を未踏の深い森に囲まれた、世界のごく僅かな人だけにしか目にすることを許されない、大陸から隔絶された王都。
 青年はしばし言葉を失ってから、考える。
 記憶を失った自分の目的は。行く先は。
 あの美しい都を目指していたのだとすれば、一体なんのために?
 空っぽの記憶の中に問いかけてみても、返るものはない。
「……お前は知ってるのか?」
 語りかけたのは、手に握った剣にだ。今この世界には存在しない、失われた星の光のような白刃に向かって訊いてしまう。これほど手に馴染み、互いに理解していると実感できる剣ならば、自分の目的すらも教えてくれるのではないかと期待して。
 ふと、違和感のために、青年は言い直す。
「いえ、師匠。……わかりますか?」
 言ってから自分で首を傾げてしまう。今自分は何を口走った? 言ってから、その言葉の意味を反芻しようとして――。
 剣を握った腕に、焼けた激痛が走り抜けた。
「……ッ!?」
 経験したことのない、腕の芯を貫くような痛みに思わず剣を取り落とす。痛みだけではなかった。その一瞬、青年の中に確かな記憶が走り抜けたのだ。驚きのまま、背後を振り返った。
 白亜の巨竜が、いつのまにか青年の背後に立っていた。先程退けてきた竜の大きさの比ではない。そのまま飛び立てば、青年の背後にある栄華を誇る美しい都ごとすべてを焼き尽くしてしまいかねないほどの覇気を背負った竜だった。声もなく青年はその怪物と対峙して――ただひとつ、己に与えられた使命を理解する。
「なんだ。俺がやることって――」
 青年は取り落とした剣を拾わなかった。
 巨竜が大きな口を開け、迫る。
 青年はその目を鋭く見つめ返したまま、抵抗もせずに呑み込まれた。
1.- 記憶喪失の青年
 
 むかしむかし、今は亡き空の彼方に、無数のお星様が輝いていた時代のことです。
 イクシアの王国は空のお星様からの贈り物「星の天球儀」で栄えていました。綺麗な蒼と白色をした「星の天球儀」は人々に富と繁栄をもたらし、その蒼色と白色を繁栄の象徴として、王国のあちこちがその色で創り上げられていました。
 「星の天球儀」によって、国を治める王様たちはより強い力を以てこの国に平和をもたらします。国民たちはその王様をたいそう慕っており、イクシアは美しい都に成長していったのです。
 ところが、それをよく思わない他国の者がイクシアの秘密を狙ってある時「星の天球儀」を盗み出してしまいます。「星の天球儀」は悪しき心には悪しき繁栄をもたらすもの。「星の天球儀」によって他国の者たちは偽りの繁栄に染まり、「星の天球儀」を失ったイクシアの国民たちも暗黒時代を迎えます。
 そんな中、一筋の光を投げかけたのが、星とともにやってきた「聖鎧せいがいの騎士様」でした。全身をお星様と同じ黄金に染められた「聖鎧の騎士様」は、空から星を呼び寄せ、暗黒時代を照らし、同時に悪しき他国の偽りの楽土を破壊してゆきます。星がひとつ、ふたつ、と落ちるたび、イクシアの王国には光が戻ります。やがてすべての星が落ちる頃、イクシアは「星の天球儀」を取り戻し、元の通りの美と栄華を誇る美しい街がよみがえりました。
 しかし、「聖鎧の騎士様」を覆っていた黄金の光は戻りません。何ということでしょう、お星様より遣わされた騎士様は、自分の星の力を使うことで、悪しき世界に光をもたらしていたのでした。すべての力を使い果たした騎士様に黄金の光はなく、漆黒の騎士となり、天へ還ることなく地に落ちてしまいました。
 イクシアの王は、王国の繁栄のためその身を犠牲にして星の祝福とともに奮闘してくれた「聖鎧の騎士様」に敬意を表し、王国の一番広い広場に彼の慰霊碑を建てました。人々は末永く彼を祀り、讃え、イクシア王国の末永い繁栄を祈るようになりました。「星の天球儀」も彼の武勲を讃えたのでしょうか、それからイクシアの王国は今に至るまで一度も厄災に見舞われることなく、永劫の繁栄を享受するのでした。
 
「めでたしめでたし」
 イクスが絵本を閉じると、いちばん後ろで読み聞かせを聞いていた男の子が立ち上がった。
「俺知ってる! 記念公園にある真っ黒な像!」
「うん、そうだね。本当はお星様と同じ、ピカピカの金色の騎士様だったんだって」
「聖鎧の騎士様って本当にいたの? あの像は本物?」
「あの人も聖鎧の騎士様?」
 女の子が指差す方角には、読み聞かせを遠巻きに聞いていた騎士の男が立っている。自分に急に白羽の矢を立てられると思わなかったのか、柱に思い切り体重を預けてだらしない姿勢を、直ちにピン! と正すのが見えた。ここの小さな僧院をイクスとともに二人で任された、イクシア王立騎士のひとりだ。
「あはは。アルバートさんは違う……かな? でも、王立騎士団の騎士装束は、聖鎧の騎士様の衣装をモチーフにして作られているんだって。紋様とか、似てるみたいだよ」
「えー! 知らなかった!」
「アルバートって実はすごいんだ!」
「アルバートもお星様の魔法使えるの? 見せて!」
「俺は魔術師じゃないって」
 口を閉ざしていたアルバートが、その部分だけ強く否定する。王立騎士団員として、彼は騎士であることに誇りを持っているのだ。
 ふと、その話を遮るように、最初に立ち上がった男の子がもう一度疑問を口にした。
「お星様って、昔は本当にあったの? 本当に、絵本の中みたいに五つのトンガリのある形だったの?」
「うん、そうだね……」
 古い絵本だからだろう。夜空に当たり前のように無数の星が描かれていた時代から語り継がれた故か、夜空に見慣れない図形が散りばめられている。かつて「星」と呼ばれた夜空に輝く無数の光だ。今の時代、夜空に輝くのは「月」「火の星」「金の星」「土の星」のみ。今では考えられないほどに夜空は明るかったということがたくさんの古い書物で言われているが、現代においては確かめようがない。
「私も現代人だから、本当のところはわからない。でも昔は本当に「星」があったんだって。もしかしたらこんな形だったかもしれないね」
 イクスは、「おや」と顔を上げる。こういう話題に鋭い少年がいつもなら真っ先に食らいついてくる。今は亡き星空に魅せられて、幼くしてたくさん古い書物を漁っている彼なら何かを口にすると思ったのだ。見渡してみて、気がつく。彼がいない。
「……スターク君の姿が見えないね?」
 真面目な少年のことだから特に気にもとめなかった。もしかすると最初からこの部屋にはいなかったのかもしれない。慌ててイクスが部屋の中にいる子どもたちの数を数える。ひとり、少ない。スターク少年が足りないのだ。
「誰か知ってる?」
「ほんとだ、なんでだろ?」
「さっき見たよ、外出て本読んでた!」
 いつものことだろう。真面目だから、子どもたちとは少し離れたところでおとなしく本を読んでいることが多い子だ。それでサボるなんてことは絶対にない。
「少し心配だね……」
 イクスがアルバートを振り返ると、いち早く彼を探しにいったのか、元いた場所に彼の姿が見えなかった。イクスも本を閉じて立ち上がり、外に出る。
「え……」
 走ってきたのは、血だらけの少年と、その手を引くアルバート。
「どうしたの……!」
 子どもたちも後ろからやってきて、か細い悲鳴がいくつかあがった。
「先生……森の方に……人が……」
「どうしたの、そんな怪我で……!」
 イクスの目の前に駆け寄ってきた少年は、しかし足取りははっきりしている。イクスが肩に手を置いて様子を確かめると、イクスに血液をつけないためかほんの少しだけ距離を取りながら、必死に首を振って訴えた。
「違うんだ、先生、僕は怪我してない!」
「じゃあ誰が?」
「わからない、知らない人が、森の端っこに倒れてて……死んでるかもしれない……」
「わかった。スターク君は大丈夫? その人のこと、なんとか助けられないか頑張っていたんだね?」
 少年が力強くうなずく。この様子だと、まだ怪我人は助かる見込みがあるのだろう。
「案内してもらえる? アルバートさんは他の子をお願い」
 イクスとアルバートが子どもたちの面倒を見ているこの僧院は、王国の外れの「絶海」と呼ばれる大森林の近くにある。
 王国へ立ち入るためには三方を囲まれた海を渡るか、凶悪な生物ひしめくこの絶海を通り抜けるかのどちらかしかない。ごくまれに、絶海を抜け出してきた生物に王国市民が襲われるという事件が起きるので、負傷者が見つかることがある。しかし――。
 スタークはショッキングな光景に立ち会ったばかりだというのに、しっかりとイクスを導いた。
「あそこ……」
 スタークが指さす、大森林の入り口に、その青年は倒れていた。
 肩口からぱっくりと大型生物の噛み痕が残されている、ひどい有様だった。時間が経ったあとなのか、血はほとんどが変色し、着ている黒衣に吸われて重たげな色をしている。髪色は黒、この国では見かけない色だ。傍らには彼の得物なのか、服の色とは真逆にまばゆい白銀色の剣が落ちている。
(外国人? いや……)
 おかしい。
 絶対的な違和感がイクスを襲った。
 このひとを、私は見たことがない。
 こんなひと、ここにいるはずがない。
 その人物を助けようとするより先に、イクスの身体は違和感に縛られて動けなくなってしまった。見てはいけないものが、この世界に入り込んでしまったような――。
「先生!」
 幼い声で我に返った。イクスが見れば、スタークが先生、先生、と呼び掛けている。
「俺にはどうにもできなくて……、この人助かる!?」
「う、うん。やってみるね」
 この人が、悪人だったら?
 そんな考えが脳裏をよぎる。ないわけではない。イクスが知らない以上、決して信用に足る人物ではない。おまけに剣使いで、外国人。絶海を渡ろうと突っ切ってきたのだとすれば、ろくな人間ではないだろう。
「先生……?」
 スタークがイクスの顔色を覗き込む。彼の眼は、イクスを信じ切っている。イクスの治癒魔法が優れていることを知っているためだ。
 もし、このひとが、救いようのないくらいの悪人だったら……。
 考えても仕方のないことだ。イクスは覚悟を決め、手を伸ばした。
「急所は外しているから、助かると思う。この人はすごく剣士としては優秀なんじゃないかな……」
 スタークの顔がぱっと明るくなる。イクスはとんでもないことをしでかしたかもしれない罪悪感から、ほんの一瞬救われたような心持がした。
「スターク君も手伝ってくれるかな。魔脈を逆転させるだけでいいから」
「うん、わかった!」
 見事に切り裂かれた傷に手を添える。この人がどうか良き人でありますように。祈りながら、切り裂かれた肌が復元していく様子を瞳の中に克明に思い描く。いつものように。人を救い、生かすために。
 魔術が成った。スタークとイクスの純粋な魔力が組みあがり、複雑な経路をなんなく巡って形を成していく。
 それは「治癒魔法」と名付けられるような技術ではなかった。ほとんど時の巻き戻りに近い回復力だった。
 何者かによって惨たらしく切り裂かれた傷口がみるみるうちにふさがっていく。もとの綺麗な肌が見えるようになるまで、わずか数分のことだった。
「先生、やっぱりすごいよ……」
 スタークが、自分の魔力の経路の維持に汗を浮かべながら称賛した。
「神様の御業みたいだ。こんなにひどい傷なのに……」
「本当にな」
 背後から二人に声をかけたのはアルバートだ。イクスは集中を途切らせないように注意しながら、ゆっくりと声を出した。
「アルバートさん、子どもたちをよろしくって言ったのに……」
「あいつら存外臆病で、いい子だから。おとなしく待ってるよ。それよりその男だが……」
 傷が癒えて元通りになると、青年の全貌が明らかになる。歳は、アルバートとそれほど変わらないように見えた。若い。20くらいだろうか。
「遠巻きに見てたんだが、間違いなく、襲われたのは……」
「ジャバウォック? でもまだそんな時期じゃない」
 反論したのはスタークだ。
「ジャバウォックはこの時期には出てこないんでしょ? 聞いたことないよ」
「でもその傷で間違いないと思う」
「ってことは、このひと、助かっても……」
「うん……」
 ジャバウォックは絶海の覇者として恐れられる超大型の翼竜である。頭は魚のようで無数の牙を持ち、大きな蝙蝠のような翼と、無数の白く硬い鱗に覆われた化け物だ。これに襲われた民間人はまず助からない。しかし絶海付近にジャバウォックが現れる時期は決まっており、その時期になると王国騎士の精鋭を集めた騎士たちが討伐隊を結成し、王国民に危害を加える前に大森林の水際で討伐がなされることとなっている。そうでなければ、この僧院が森の近くまで子どもたちを野放しにするわけがないくらいに恐ろしい生物である。
 しかも、それが最も恐れられる所以は、食いちぎられれば最期の大きな牙ではない。
「このひと…多分、記憶喪失になってしまってるでしょうね」
 ジャバウォックに噛まれれば、意識は混濁し記憶が失われる。
 ある意味死よりも恐ろしい。生きながらにして、これまでの人生すべてが失われかねないこの狂竜の災厄こそが、大森林を「絶海」と呼ぶ理由だった。
 招かれざる客に、僧院の子供たちは大いに興味を示していた。
「ねえねえ、あの人見た? あの黒い人……」
「全然! 黒いのがちょっと見えただけ!」
「俺は窓から覗いてやったけど、結構イケメンじゃん?」
「アルバートも結構だけど、あのひとのほうが…」
「おいお前ら、いいからさっさと飯を食え」
 と、僧院に運び込まれた夜も、子どもたちの話題のすべてを、黒衣の異邦人がかっさらっていった。子どもたちの間では、そのことを面白くないと感じたアルバートが不機嫌になっている、などと噂され、疲れて寝静まるまで追い回されたとか。
 夜も更けると落ち着き、いつもの夜が訪れたことにほっとするイクスだったが内心は穏やかではなかった。
 明日の朝には、青年を救ったという行為の結果が出るからだ。
 明くる日、ほとんど眠れぬ夜を過ごしたイクスが目にしたのは、子どもたちに散々質問攻めにされタジタジになっている彼だった。
「ねえ、どこから来たの? 森? ガイコクジン?」
「なんてなまえなの?」
「なにもおぼえてないの?」
「じゃばうぉっくって、すごいの?」
「剣使いなの?」
 四方八方から繰り出される子どもたちの言葉がそもそも聞き取れないのか、青年はベッドから起き上がろうとした姿勢のまま固まっている。どうやらこれは思っていた事態にはなっていなさそうだと、イクスは助け船を出してあげることにした。
「あっ先生!」
 わざと音を立てて部屋に入ると、青年と子どもたちの目が一斉にイクスへと向けられた。
「せんせえ、起きてくるのがおそいよう」
「このひと起きたよ、ルーク!」
「ルーク、ってお名前なんですか?」
 青年はやっと立ち上がり、「はい、」と返事をした。どうやら言葉は通じるらしい。
「名前は憶えています、ルーク、とだけ」
「ほかはいっさいだめ」
「キオクソーシツってやつだよ、先生」
 黒髪に、エメラルドの瞳。
 どこかの貴族のような整った顔立ちだな、というのがイクスの感想だった。黒髪は王国ではほとんど見かけないので、間違いなく外国人。そして立ち振る舞いからみても剣士であることは間違いないように思われる。騎士団の優秀な騎士に見るような隙のなさが感じ取れたためだ。
「なまえをふるねーむで言えないなんて、ここの最年少のちびちゃん以下! 大人なのになさけない!」
「なんでしゅっしんも言えないのー?」
「イケメンだけどあたまがわるいともてないよ?」
「あ、あの、ごめんなさい、ここは身寄りのない子どもたちの教育を預かっているところなんですけど、どうにもこの子たちはルークさんに興味津々で……」
 さすがに申し訳なくなりイクスも謝ったのだが、青年は落ち着いたもので、「いえ、」と軽く首を振るのみだった。その振る舞いに少しも嫌なところがない。自然な青年の姿がそこにある。
「この子たちから聞きました、なんでも付近の森に落ちてたところを助けてもらったみたいで。有難いんですが、名前以外に覚えている情報がなく……、満足にお礼をすることもできそうにありません」
「森の怪物に襲われたため、だと思いますよ。ジャバウォック。ご存じないかもしれませんが、噛まれると記憶がなくなってしまう翼竜です」
 イクスは隣の部屋から鞘を持ち出して、青年に見せた。これで目の色を変えるようであれば態度を変えなくてはならなかったイクスだが、青年から零れたのは安堵のため息だった。
「よかった。それ、多分大事なものなんです。なんでだろう、わからないけど大切なもののような気がしてずっと落ち着かなかった」
「この剣ですか? 綺麗な刀身ですよね」
 鞘から抜くと、しゃらん、と軽やかな音が鳴る。イクスでも重みを感じさせないほどに軽い。というよりは、重心が工夫されていてそのように感じるように作られているようだ。目を瞑ってしまうほどに眩く輝く白銀の刀身には、よく見ると文字が彫られている。
「光よ。ここに」
 ルークがそれを読んだ。イクスには読めない、古そうな崩し文字だった。
「なんとなく、誰か大切な人のものだった気がします。失くしたら多分、こっぴどく恨まれそうな」
「そうですか、よかった。これ、そばに落ちていたんですよ」
 イクスは一瞬迷って、それを青年に返すことにした。好青年の雰囲気が演技の可能性もないわけではなかったが、己の直感を信じたのだ。この青年は、考えているほどに脅威ではない。と。
 受け取った鞘を、青年はそのまま身に着けず、子どもたちの手の届かない高い所にひっかけて収めたのを見届けて、その直感は確信となった。
「いいんですか? 剣士の命みたいなものじゃ?」
「剣士……そうかな。そうかもしれないですけど、子どものいるところで危ないので」
 鞘にきっちり収まっているかを慣れた手つきで確認して、青年はすっくと立った。
「申し訳ないんですが、教えてもらえませんか。ここがどこなのか、何が起きているのか、はじめから」
 子どもたちが待ってましたとばかりに声を上げた。
「ここはね、イクシア王国!」
「の、外れの僧院!」
「聞いたことのない国です。学校のようなところみたいですね」
「まあ、そうですね。学校というと普通は魔法を教わる高等機関のことを言うので、ここは初等教育機関、子どもたちに常識や世間一般のこと、最低限の身を守る方法なんかを教えることになってます」
「魔法?」
 初めて聞いた、というような顔をしてルークは首を傾げている。これにはイクスも驚いてしまった。人間に赤い血が流れているのと同じように、子供でも知っているこの世の常識だからだ。僧院の子どもたちも同じだったのか、「えー! そんなことも知らないのー?」と口々に騒いでルークを取り囲んでいる。
「魔法……ご存知ないんですか?」
「た、多分。忘れちゃまずいことですか」
「えー、ねえねえルーク、いちたすいちはわかる? さんすうできる?」
「この色なに色だ?」
 まあまあ皆、とイクスは子どもたちをなだめた。そうでもしないと、ルークは真面目な顔をして全てに答えようとしかねなかったのだ。真面目な人なのか、なんなのか。
「改めて説明しようとすると難しいですが……、人間の身体には魔脈と呼ばれる魔法を使うもとの力が巡っています。その力を然るべき理論に従って放出すると、魔法が使えるんですよ。でも、使える魔法には向き不向きがあって、生まれてから死ぬまで、その人が使える魔法の種類は決まっています」
 例えばイクスなら「水属性」。これは川や池の水を自在に操る力であったり、雨を操ったりと様々だが、イクスの場合は身体の損傷を治す自然治癒の働きを高める力となる。
「ルークさんの怪我を治したのも私です。そこのスタークくんも手伝ってくれました。彼も同じですね」
「他の子も使えるの?」
「いいえ、他の子はまだ。すべての人にひとつずつ「属性」はありますから、すべての人に魔法を使うポテンシャルがあるんですけど、魔法を使うのには複雑で難しい理論を理解する必要があって、子どもには難しいんです。スタークくんは例外も例外、天性の才能ですよ」
 子ども達がいいよな、僕も使いたいなー! と口々に喚き立てる。普通は十歳を超えてようやく小さな魔法が使えるかどうか、といったところだ。
「じゃあ俺にも属性があるのかな」
「ええ、必ず。赤ん坊の頃から属性は変わらないですから、普通は生まれたところのお医者様なんかに教えてもらうんですけど……。知りたいですか? 調べようとすればできると思いますが。でもルークさんは剣士ですから、もしかしたら魔法を使ったことが今までなかったかもしれません……」
「え、関係あるの?」
「人すべてが魔術師になれるとは言っても、仕事や実際に使えるレベルになるまでは高等教育を受けなければならないんです。なので魔術師は賢者の証とも言われています。剣士の方は、その……」
 馬鹿だ、と言っているように聞こえてしまわないだろうか。騎士の中には魔術を修める人もいるが、もしこの森を突っ切ってくるような剣士なのだとしたら、とても魔法が使える人とは思えなかった。
「なるほど。剣士をやりながら冒険してるような奴には、とても魔術師にはなれそうにないな」
 青年はあっさりと認めた。
「ということは、あなたは賢者側ということですね。流石先生」
「褒めてもなにも出ませんよ。……名乗っていなかったですね、私はイクスといいます。ここで少し前から先生をやっていて……あ、もう一人、ここに先生がいらっしゃるんですけど」
 イクスが振り返ると、部屋に入るタイミングを見計らっていたらしいアルバートが歩み寄った。眉間にしわを寄せて難しい顔を隠していないのは、アルバートも森で拾った男を信用していないためだろう。
「こちらはアルバートさんです。イクシア王立騎士団員で……」
「ああ、紹介の通りだよ。それで、やっぱり記憶喪失みたいだな。これからどうするつもりだ? 頼りになりそうなものはないのか、あてを示すものとか」
「持っているものはそれだけみたいですね」
 ルークは壁に吊るされた自身の剣を見やり、どことなく他人事のように言った。
「自分でも驚いているんです、それ以外のものが何もないなんて」
「確かにね。森に落とした、とかなのかしら……?」
 アルバートは険しい顔をしたままだった。ここで身の潔白を示すようなものがあれば、イクスとて安心できたものであるが、そう上手くはいかないらしい。
「記憶を取り戻すには、どうすればいいんだろう?」
 一方のルークは淡々と己の置かれた立場を呑み込みつつあるらしい。窓の外の景色を眺めながら、明日の天気でも占うような口ぶりで言った。
「ルークさんを襲ったジャバウォックを倒せば、あるいは」
 それをアルバートが遮った。
「……残念だが、戻らない可能性もある。ジャバウォックによる記憶障害は、翼竜固有のウイルスが悪さをして記憶を失うとされている。それが理由でわざわざジャバウォックを狩って持ち帰り、反作用の薬を作ってもらうことがある。だが確実じゃない。30%ほどは運悪く記憶を取り戻せないものだ。不確実な方法しかこの世には存在しない」
「なるほど。まあとは言え、じっとしていても仕方がないですし。とにかくもう一度森へ行けばいいわけだ」
 窓の外を眺めていたエメラルド色が、明確に外れの森へと焦点を結ぶ。まさか、とイクスは気が付けば声を上げていた。そうでもしなければ今すぐそこの鞘を掴んで部屋を出ていきそうな雰囲気だったのだ。
「待ってください! また襲われて同じことになってしまいます。ジャバウォックの討伐には王国の討伐隊が派遣されますから、そちらに連絡をしましょう」
「それならもうしたよ」
 とは、アルバート。
「この時期にまさか、って反応だったけどね。3日後には編成された討伐隊が森に出るはずだ」
「ありがとうございます。自分の身から出た錆だし、自分でケリをつけるべきとも思ったんですけど。お恥ずかしい」
 なんて、言いながら頭をかいて笑ったりしている。このまま引き止めず送り出していれば、この人はもう帰ってこないのじゃないか――という不安を抱かせるような笑みだった。別段おかしなことを言っているわけではないのに、ぞっとする。
 イクスが何も言えないでいると、アルバートがおまけのように付け加えた。
「君も剣の腕に覚えがあるなら討伐に参加するといいよ。記憶を失うリスクを背負ってあの怪物と戦おうとする者は少ないからな。反面、すでに記憶を失った者は失うモノのない優秀な戦士として重宝される。それまで腕を慣らしておくといいんじゃないか」
「やめてよ、そんな言い方……」
「事実だろう」
 ある意味死よりも恐ろしいと言われる状況に置かれているひとに滅多なことは、と思うイクスだったが、
「そのようだ。もちろん、参加するよ。自分のことですしね」
 ルークはさほどつゆほども気にしていないらしかった。
 それから三日間、ルークはひとまずのところ僧院の子どもたちに混じって過ごした。自身より歳も身長もはるかに小さな子供たちと並んで座り、同じ目線でイクスの話をおとなしく聞いたりなどするのである。イクスの側が気後れしてしまうほどの順応っぷりであった。
 そのおかげか、子どもたちからの好感の獲得スピードはめざましいものがあった。イクスがその姿を見かけるたび違う子どもたちに追われていたぐらいである。謎の珍客ということもあり、皆興味津々らしいのだ。珍しい髪色の外国人で、妙に隙がない。同じ時間を過ごせばイクスはすぐに分かったが、子どもなりにも思うところがあるのだろう。なんとなく、そばにいると安心する感じ。親のいない子どもたちにとってこれはよほど安心材料になったと見える。
 それから、ルークには記憶の偏りが見られることも味方した。
 思えば魔法のなんたるかを知らないというのに、古い崩し文字は難なく読んで見せたのだ。特に古典についてはこれまた珍妙な知識を披露することがあった。聖鎧の騎士にわく子どもたちが何気なく「星」について知っていることはあるかと尋ねると、時刻によっては見えづらい「木の星」と「土の星」の特異な形状を語った後、かつて存在した失われた星々についても語り始めたのだ。これにはイクスも、アルバートも驚いた。
「どの星もここよりずっと遠くにあったんだ。明るさも大きさもバラバラで夜空に散ってた。昔の人はその星々をつないで絵を描いたらしいよ。星を点に見立てて、点と点を結んで空想したんだ」
「点? 五つのトンガリじゃないの?」
 ある子はイクスから絵本を持ち出してルークに見せた。
「ああ、これは脚色だよ、たぶん。こんなに大きくない。でも本物に忠実に描いたら点と点が散らばってて、殺風景だろ?」
「ええー! うそ! 星は綺麗なんだよ!」
「もちろん。でも絵本の世界にそれは描けなかったんじゃないかな。あまりに綺麗すぎて」
 この回答は子どもたちをいたく感動させたらしい。
「すごい! どうしてそんなことがわかるの? 見たの?」
「え、ええ? どうだろう、ね……そう言われると自信なくなってきた」
「なんで! うそついたの? そんな自信満々に?」
「いやあ、うそ、じゃないと思うけど……」
 なぜそんなことを知っているのかは、ルーク本人にもわからないらしかった。イクスでさえ「外国どころではなくどこか遠い場所」からやってきたのではないかと思わせるようなルークは瞬く間に子どもたちと打ち解けていった。小さな子はもちろん、聡明なスタークも。
 二日もすればルークは完全に調子を戻したようで、子どもたちと外に出て、アルバートそっちのけで「訓練」の真似事に付き合わされていた。
 ところで、僧院では護身術と称して主に騎士団員からその流儀を教わるが、なにも本気で剣技を習得しようというのではない。騎士剣にも種類がある。
 例えば、主に観賞用として庶民の目を楽しませる「剣舞」の流儀。こちらは実戦で使われることはなく、ただ美しさのみを追求された動きだ。ひとによってはこちらを極めるべく剣をとりもするし、また例えば護身剣――こちらは文字通り、正しい受け身を取り自分が傷つけられないための流儀を習得することもある。僧院の子どもたちの中から騎士になる者もいないわけではないが、ほとんどは剣を持って戦うことを目的としない。教える側のアルバートにしても討伐隊や自警団に加わるわけでもなく、つまるところ、子どもたちが「死線をくぐり抜けてきた」剣を見るのは初めてなのだった。
 イクスが見たとき、いままさに練習用の木製剣を持って複数の子どもたちがルークに飛び掛からんとする場面であった。もちろん、危なげなくすべてを躱す。ルークのほうも一応同じ木製剣を持ってはいるが、本職からすれば玩具のようなものだろう。ほとんど手持無沙汰の片手を形だけは満足させるために持っているだけで、子どもたちの突撃をひらひらと避けているだけである。
 ……そのはず、なのだが。
「もおお!! 全然、かすりもしないよ!?」
「ひきょーだよお!! ずるしてる!!」
「してない」
 あくまでも真顔で反論するルークである。
「剣士なんでしょ! だったらまっとうに真正面からうけるべき!!」
「いやそれは……だって……ねえ?」
 そ……っ、と、ルークがイクスのほうを見た。遠巻きに見守っていることはすでに気づかれていたらしい。助け舟を求めるような目だ。
「ルークさんが本気出したら、みんなケガしちゃうでしょ?」
「だってだって…、」
「剣士の本気、見てみたい!」
「がっかりだよお、これじゃアルバート以下!」
 子どもたちは少なからず異邦の剣士に期待を寄せているようである。
「せんせい! 先生はどう思う?」
「うーん、どう、かあ……」
 イクスが思う正直なところを言えば。
「みんな、いつもより動けてる気がするよ?」
 ルークの動きには一切の無駄がない。
 それは恐ろしいまでに無駄がないのだ。傍目にはただその場で動きを避けて、子どもに木製とは言え剣を当てないよう気を遣っているようにも思える。が、イクスは多少武術に関しては見識があり、その目で見てはっきりと、いっそ美しいほどに「無駄がない」ことがわかる。無駄なく最小限の動きで避けているだけで、本人に子どもを舐める意図などおそらくない。むしろその逆だ。その証拠に、子どもたちの動きが無駄のなさに触発されていつもより激しくない。ルークに当てるためには大振りではいけない、という本能的な判断によるものだろう。動きが逆に昇華されている。
「僕らのことじゃなくてえ、どう思うって、ルークのことだよ!」
「ルークさんは素晴らしい剣士の方だと思いますよ?」
 ね? と顔を見合わせると、思った通りの助け舟を出してもらえなかったためか、ちょっとだけ傷ついた顔をした。
「さっきアルバートさんには、『お前の剣は野生的すぎる、王国剣技の優雅さとはかけ離れているから下手に子供に教えるな』と言われちゃいました」
「あら、そうなんですか」
 アルバートがこの無駄のなさに気づいたかはわからないが、野性的、の意味はわかるイクスだ。おそらくは稽古や型の記憶による鍛錬ではなく、何度も死と隣り合わせの経験をしたからこそ研ぎ澄まされた剣技。
「じゃあ、アルバートとルーク、どっちか強い方に教わりたい!」
 ひとりがそんなことを言い出した。
「そうだよ! 大人同士で戦え!」
「お前の腕の程にはたしかに興味があるな」
「あちゃー」
 大人の対応を求めかけたイクスに反し、揚々とアルバートが現れた。ははあ、とその横顔を盗み見てイクスは察する。曲がりなりにもこれまで僧院を任されてきた騎士団員としての矜持があるのだ。
(でもたぶん、勝てないよ)
 その言葉がアルバートに伝わることなく、模擬試合は一方的に始まった。アルバートが持ってきたルークの鞘を本人に無理やり押し付け、距離を取ったのちに、剣は抜かれた。
 剣が抜かれてしまえば、応えないわけにはいかない。ルークもその剣を抜く。
「あ……」
 白昼の光に照らされて、白刃がいっそうの輝きを得る。この場で抜かれたことが惜しいほどに美しい輝きだ。思わず息を呑んでしまうほどの。試合の行方などほんの一瞬頭から抜け落ちてしまうほどの。
 その輝きに向けて、刺突剣が迫る。突きに特化した細剣はそれこそ貫くことにかけては無駄がない。アルバート自身もある種相手に信頼があるためか、情け容赦のない突きが閃いた。
 刃は、交わらない。
 やはり躱すことでその一撃が白紙になる。
「ええー………………?」
 子どもたちは今度こそ鍔迫り合いが見られると思ったのか、落胆のため息がこぼれかけた。しかしそれは途中で消える。みな同じことを感じたのだ。
 空気が変わった。
 あるいは纏う雰囲気が。表情一つ変えないルークはそこに、変わらず立っている。汗ひとつ浮かべず、間合いを取った両者の距離感に違和感はない。だからこれは、肌で感じる空気感としか言いようがないのだ。あの妙に腹の座った、本当に外国から来たのかも不明で、素性のなにもかもが闇に包まれた異邦人。そのひとが、自分たちのよく知る人物と、模擬とはいえ明確に対立した。その瞬間に変わったのだ。――空気なんかじゃない。あの人は何も変わっていない。変わったのは、イクスの、子どもたちの、心だった。恐怖だった。あれを敵にまわすという恐怖。恐ろしい、と本能が叫んだ。
 模擬試合はたった一合で決着した。
 次の一突きはアルバートのフェイントだった。その突きを躱したポイントへ、更なる速さで突きを繰り出すつもりだったのだ。
 でもそれは叶わなかった。ひと突きめも、ふた突きめも、空振り。その結果はおそらく試合を見ていたどの子どもたちにもわかったことだろう。一撃があまりにも遠い。刃があのひとを捉えるビジョンが思い描けない。そうなることが決まっていたかのように、まるで描かれた一枚の絵を見るように、あまりにも正しく、美しく、反撃の一手で終着した。
 間を置いて、刺突剣が深々と地面に突き刺さる。アルバートが弾かれたと理解した時には、さっきまでその手に握っていた剣に土がついている。
「勝負あり」
 とりわけて感情の起伏を感じさせないルークの声が響いた。
「ですね? ……あれ? どっちかが負傷するまで終わらない、とか、そんなルールあったりしますか……?」
 あっという間に出番を終えた白刃を鞘に納めてルークが恐る恐る尋ねる。あまりに一瞬のことに、誰も歓喜も困惑も感情を表すことを忘れていたのである。止められていた時が、ルークの声でようやく動き出す。あるいは、氷漬けにされていた身体がようやく動くことを許される。
「いえ、勝負ありです。そんなルールはないですよ、その、あんまり一瞬のことだったので、ちょっと見惚れたというか。ね?」
 首をそろえて見守っていた子どもたちに意見を求めるも、さっきまであれだけにぎやかだったはずの口は少しも開かれなかった。
「あれれ? みんな?」
「君……君ってやつは」
 刺突剣を回収し、切っ先を拭ったアルバートがルークに歩み寄った。そのまま殴り掛かるかと思うような剣幕にイクスが一瞬止めにはいろうかと迷ったその時。
「なんだ今のは! お前のそれは……それは……! 遊びってものがないのかよ! ちょっと引くほど野性的すぎる! やはりお前にはガキらの訓練なんか任せられん! なんだ、その……、お前と打ち合っていたら、子供の自主性が失われるというか……、みんな機械みたいにされかねん!」
「え、ええ?」
「アルバートさん?」
 息を切らせながら告げられたのは、やっぱり負けても「譲れない」という宣言だ。しかし貶すというよりは、どことなく称賛のこめられた言葉であった。
「勝負は勝負だ、試合ってくれたことには感謝する!」
「ええ、それはもう、こちらこそ」
 二人の握手をもって締めくくられた、その模擬試合のあと。
 あれだけ懐かれていたルークに、しばらく子どもたちが寄り付かない時間があったという。
2.- 聖鎧の騎士を追って
キリがいいのでここまで!
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一時創作chp1-
初公開日: 2020年06月22日
最終更新日: 2020年06月22日
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気ままに
一次創作chp2-
昨日の続きから アーカイブめちゃくちゃバグってたので新規作成2章から
読みもの
白月
てすと
てすと
読みもの
白月
へんしゅうさん
考えながらやるので進みは鈍いです。
読みもの
まる