男は一人資料室にいた。目的は一つ、ある物体についてだった。
「あった。『JINX』か。縁起の悪いもの。だったか」
製薬会社の皮をかぶったデザイナーベイビーの開発に携わった組織の名前が堂々と拍子にあるそのファイルは、捲ればあっという間に全ての情報が手に入った。トップが信仰しているいわゆる『異能力者新人類論』にのっとって作られたその組織は、本来ならばその薬品を『異能力の科学的物質による開発』を目的に作ったらしいが、どうも成功せず出来上がったものはむしろ異能力を一時期とはいえ無効にするものだった、という。薬品の流通経路としては新人類論に反対するある異能力者の社員がその薬を持ち出して頒布。それをある『物質のコピー能力』を持った異能力者によって劣化品を大量に生成されて広まったというところらしい。
「薬品の俗称『Null』は研究員が仮称をつけて保管していたものがそのまま採用された……か。これはコピーする必要があるな」
今の警察組織は、サバイバルロッタリー事件以降発足された異能探偵社によって怠慢な組織となった。麻取などいった組織は健全に運営されているものの、そもそも異能力という概念をあまり好まないうえに思慮に入れない捜査一課はまるで事件をまともに扱おうとせず、このようなNOXでも簡単に資料を手に入れることが可能となってしまっている。
「……異能力」
自身の異能力をこの男、五十嵐蓮はきちんと把握できていない。というものの、把握したとしても何度も記憶喪失をしてその度改竄するパズルからしたら異能力のことまでいちいち教えていたらきりがない、という言い分らしかった。ともかくパズルに従順なことに変わりはない。彼女の指示通り写真を撮ったりコピーをしていた。
ふと、彼の手が止まる。遠い昔に、この動作をしたことがある。なぜか彼はそう思ってしまったのだ。砂嵐のような、霧のようなものによってそれは阻まれ曇らされる。警察にしてはラフな服装で、白い何かが顔にあって――
「パズルは、言及していない」
つまり『余計な』記憶だ。彼はその景色を脳裏から振りほどき、資料室を出た。
◆
「ほう。そんなものがあるのか」
「そうなんですよぉ。ビジンさんが言ってまして」
違う種類の青のオッドアイが弾ける先、探偵社員の三ツ三は手を口元に当てて資料をじっと見ていた。依頼の内容は『異能力を抑制する薬品の回収及び売人の確保』というものであった。コミュニケーション能力が(女性限定で)高い野呂は依頼書以上の話をいくつか持っているようで、少し言い淀んだ後口内で異様に分泌される唾液を飲み込んだ後話す。
「曰く、『薬自体は一日で効果は切れるらしいんだけれど、あまりに売人のルートが複雑で個人では特定しきれない』ってことらしいです」
「……待て。その女性はどうやってその話を手に入れたんだ。その女性は異能力者だったか?」
「い、いえ。そんな申告はしてなかったですよ。たしか飲食店の従業員だとかで、友人が偶然その薬品、えっと」
「『Null』を飲んだということだね」
「はい。そうらしいです」
「…………そうか。これはあれか。社員の市内巡回を増やすということか」
「それと同時並行で売人のルートをなんとなくでいいから明かしてほしいと」
「その女性が?警察ではなく?」
「警察のほうは、とにかく売人を沢山捕まえてくれってことらしいです」
それで、朝からリズと青月の二人や矢川・縹のバディも動いてたというわけか。それと同時に自分にお呼ばれがなかったことも、彼の足から理由は説明できる。特定のバディもいない以上、不測の事態が起きたときの対処のしようもないということもあるのだろが。一連の話を聞いて自身の中でしこりとして残っていたことが片付く。
「質より量の警察と、その逆の……ん?」
「どうしましたぁ?」
「その女性、なんという名前だった」
「え、あ、聞けてないです。茶髪と緑の目は覚えてるんですけど」
「成程。露骨な休戦予告だな、まったく」