【第一夜】
こんな夢を見た。
本丸の中に鬼がいる。
おれはそいつを探して走り回るが見つけられない。
誰もいない本丸をただ走り回る夢。
目を覚ましてもその夢は鮮明におれの中に残っていた。
朝焼けの赤色が不気味に部屋を染め上げている。
ただそれだけのことが、無性に胸をざわめかせた。
だがそれも朝の喧騒が近づくにつれ薄れていく。
皆のざわめきの中に身を委ねる頃には、おれはいつも通りのおれに戻った。
【第二夜】
こんな夢を見た。
本丸の中に鬼がいる。
おれはそいつを探して走り回るが見つけられない。
色々な部屋を見ても誰もいない。
先程までそこに居たとでもいうように、痕跡だけが残っている。
湯気の立ったカップ、流れ続ける水道、片方だけのサンダル。
そんなものが酷くおれを急き立てた。
目を覚ましてもその焦燥感はおれの胸を焦がした。
朝には早い薄暗さがおれにまとわりつく。
その日は一日気分が上がらなかった。
【第三夜】
こんな夢を見た。
本丸の中に鬼がいる。
おれはそいつを探して走り回るが見つけられない。
粟田口の部屋に行くと赤いリボンが落ちている。
部屋には様々な玩具や菓子、書きかけの絵などが散乱している。
おれはそれらを踏みつけて奥に押し入るが、鬼は見当たらない。
(短刀の皆は何処へいった)
飲みかけのジュースを冷やしていた氷が音を立てて崩れる。
ふと下を見ると、誰かが書いた似顔絵を踏み潰していた。ぐちゃぐちゃによれた紙は哀れに歪んで、絵の微笑みすらも掠れてしまった。
おれはその紙に手を伸ばして、
「……」
目を開けると自分の部屋の天井だった。
頭がジクジクと痛む。
唸りながら起き上がると、閉め忘れた障子の外でシトシトと雨が降っていた。
そっと窓を開けて様子を伺う。
風はなく、ひんやりとした冷気が静かに漂ってくる。その冷たさに身震いして窓を閉めた。
この時期は雨が降り続けるのだという。雨が降ると体調を崩しやすくなるとも聞いた。
「…最悪だな」
この頭痛もその一環ということだろう。布団に戻り寝ていたかったがそういうわけにもいかず、おれは着替えるために立ち上がった。
「鬼丸さんおっはよー!」
朝食を食べる気もせず、ふらふらとあてもなく歩いていると向こうから乱がやってくる。こいつはどんな天気でも元気そうだ。
「あれ、なんだか顔色が悪いよ。大丈夫?」
「……ああ」
心配そうにこちらを見てくる目を何故か上手く見れずに、ふいと横を向く。乱は気を悪くした様子もなく笑うとおれの手を引いた。
「鬼丸さん、よかったらボクたちの部屋においでよ!みんな雨で外に出られないから暇なんだ」
「おれがいっても別に」
「いいからいいから!」
なすがまま連れて行かれると、短刀の部屋は確かに、行き場のない奴らがたむろして遊んでいた。
宙を舞う紙風船をぼんやり眺めていると、腰のあたりに誰かが寄ってきた。下を向くと秋田の春色の髪がふわふわと揺れている。
「へへ、鬼丸さん。よかったら一緒にお絵描きしませんか?」
「絵だと?」
「はい、五虎退と描いてたんです」
「おれは絵など描けん」
「じゃあ僕が鬼丸さんを描きます!」
「……」
返す言葉が思いつかずに黙っていると、秋田は肯定と捉えたらしくいそいそと五虎退を連れてこちらへ座り込んだ。仕方ないのでおれも適当な場所に腰を落ち着ける。二人の真剣な眼差しにどこか居心地悪く身をよじると、乱がどこかから戻ってきた。
「ねえ鬼丸さん!このリボン新しく買ったんだ。結んでくれない?」
「自分でやった方が綺麗にできるだろう」
「もう、鬼丸さんにやってほしいのー!」
そう言って押し付けられたリボンの赤さが目についた。これを、おれは。見たことがある気がする。
「あのね、サイドを三つ編みにして後ろでまとめてほしいの!それでね…」
乱は懐に潜り込むとおれに背を預けて座り込んだ。おれは乱の髪の毛を拙い手つきで梳くと、ため息をついて複雑な注文に取りかかり始めた。
「……おい、出来たぞ」
「わーありがとう鬼丸さん!」
言われるがまま手を動かしなんとか形にした髪の毛は、しかしやはり、所々ほつれて不格好に思える。本当にこれでいいのだろうか?だが乱は嬉しそうにあちこちを鏡で見ている。
「こんなんでいいのか」
「うん!またお願いね!」
「なんだと?」
「ダメ?」
「駄目では無いが…下手じゃないか」
そういうと乱はふるふると首を振った。
「鬼丸さんがやってくれるなら下手でもいいよ!」
その笑顔がやけに眩しくて、おれは目を細める。
「僕たちも出来ました!」
そういって見せられた似顔絵は、やはりどこかで見たことがある気がした。
【第四夜】
こんな夢を見た。
本丸の中に鬼がいる。
おれはそいつを探して走り回るが見つけられない。
玄関に花が生けてある。深い青色の紫陽花。おれは走る最中にそれを落としてしまった。
花瓶が甲高い音を立てて割れる。散らばった花びらが、酷く不吉に思えた。
小さな花弁が水でしとどに濡れて、くるくると水溜りの中を泳いでいる。
その滲んだ青が、おれには酷く、いけないもののように思えて、言い知れぬ不安を感じる。
(皆は何処に行ったのだろう)
そればかりが気にかかっていた。
目を開けると見知った天井だった。
おれは汗をかいていた。
外は夜明けの頃で、薄っすらとした明かりがおれを照らしている。
「……」
寝直す気にもならず、おれは風呂に向かった。
風呂上りに廊下を歩いていると、三日月が現れた。この朝早くにしっかりと着込んでいる。もう活動時間らしい。
「おお、鬼丸。おはよう」
「ああ」
「こんな時間に会うとは珍しいな」
「…寝汗をかいてしまってな。気持ちが悪いから風呂に入っていた」
何故汗をかいてしまったかまでは伝える気にならなかった。三日月はにこにこと笑いながら続ける。
「そうかそうか。俺はだいたいこのくらいには起きているんだ。おおそうだ、暇ならじじいの散歩に付き合ってくれないか」
「何故おれが」
「いいではないか、じじいの頼みは聞くものだ」
そういっておれの返事も聞かずに歩き出してしまう。しばし逡巡してから、ため息をついて後をついていく。
三日月は外へ出て庭を巡るつもりらしい。夜のうちに一雨降ったとみえて、足元がぬかるんでいる。つっかけたサンダルでは心許無い。また汚れでもしたら風呂に入った意味がない。おれは少しいらいらしながら三日月に声をかける。
「おい、こんなところに来てどうするんだ」
「はっはっはっ、散歩に意味などない。歩きたいから歩く、それだけのこと」
「おれは歩きたくない」
「いやはや、それは困ったなあ」
全然困ってないそぶりで話しながら三日月は足を止める。後ろから覗き込んだおれは息が詰まった。
紫陽花が咲いている。
「……」
「紫陽花か。もうそんな時期なんだな」
三日月は何が面白いのか微笑みを絶やさずに花を見ている。
「知っているか鬼丸よ。紫陽花は土の成分で色が変わるらしい」
「なんだと」
「酸性だと青く、アルカリ性なら赤くなるのだという」
ここには白色とピンクしかないがな。と三日月の声を聞きながら、おれは夢を思い出していた。あの花は青かった。
「鬼丸よ」
「なんだ」
「桜の木の下には…とは有名な一節だが、紫陽花にも似た話があってな。人を埋めると紫陽花は深い青に染まるらしい」
心を読まれたようだった。夢の中の紫陽花は青かった。それがどういう意味なのか、おれはわかりたくもない。
「……気味の悪い花だ」
「まあそういってやるな。俺にはむしろ、この花の誠意を感じる」
「何?」
「知らぬ顔で咲き誇ればいいものを、なんと正直者だろうか。全ての嘘も、全ての罪も、色づいて教えてくれる。なんと不器用で、優しい花だろう」
「……それは花じゃなくてお前が優しいんだ」
「はっはっはっ、俺が優しいか。いやはや」
振り返った三日月の笑顔は一等美しく、その目の光はやはり、優しかった。
「俺にはお前の方が優しく思えるよ、鬼丸」
「…何を言っている」
「さあ、なんだろうなあ。……ああ、そろそろ戻らんと朝飯を食いっぱぐれるな、いかんいかん」
鬼丸も早くこい、そう言って母屋に戻ってしまった三日月をおれは眺めていた。言われたことの意味を考え、しばらくその場に佇んでいた。
【第五夜】
こんな夢を見た。
本丸の中に鬼がいる。
おれはそいつを探して走り回るが見つけられない。