施設内の暖房設備は正常に機能し肌に冷気が触れる事は無いがリノリウムに反射する淡い常夜灯が寒々しさを感じさせる。日中は業務に勤しむ職員達の声が響く廊下は静寂に包まれ私の足音以外には何一つ聞こえない。眠りに落ちたカルデアは、身体の営み反してベッドから抜け出す私に小言を漏らしたり諌めたりはせず優しく看過してくれた。
 廊下に設えられたオリエルに腰掛けて足を載せ、窓枠に背を預けながら大窓の向こうを眺めても瞳が映すのは、星も濃紺の空も見えないどこまでも続く闇だけだ。硝子に頭を凭れ瞼を閉じれば、こつこつと氷雪が窓を打つ音が聞こえる。穏やかで不規則な律動は私が今最も必要としない微睡みを呼び寄せようとしていた。
 私にはどうしても眠りたくない理由が有る。それは殺人鬼に襲われたり怪物が唆すような、所謂悪夢を見るからではない。誰かに離したのならきっと子供みたいだと笑われるだろうが、眠るという行為そのものが恐ろしくてならないのだ。子供の頃は怖いどころか他人よりも睡眠を取る子供だった。脳が鈍る感覚も目覚めた後の気怠さも心地良く、両親は眠りすぎる我が子を心配していた。
 眠る事を恐れるようになったのは社会に出てからだ。温々と安全で悪意の無い環境で育った私は荒波に耐えうる精神力を持ち合わせては居なかったようで、周りの大人達は少女から女性になったばかりの私に強くある事を望んだ。罵倒されても気丈に振る舞い、泣くことは許されない。それでいて上司や先輩を引き立てろと言う。矛盾を感じながらも期待に応える為躍起になった私は、何より孤独と無防備である事を恐れた。私にとってその最たるものが睡眠なのだ。
 数年前、隈を貼り付けながら力無く笑う私を案じた友人の勧めで心療内科を訪ねたことがある。白髪を乱した痩せぎすの医者は脅迫観念から来る不眠症で有ると診断を下し何種類かの薬を処方したが、錠剤が睡眠導入剤である事を知っていた私は服用を拒み、不安を感じながら眠るよりも出来るだけ眠らない選択をした。
 其れはカルデアに来てからも変わらない。メディカルチェックで引っかかろうとDr.に説得されようとも強制的に意識が落ちるまで自分から眠ろうとはせず、死人のような顔をした私を同僚も心配してくれたが不思議と作業効率が落ちることは無かったのでそれとなく諭すだけで誰も強く諌める事は無かった。
 微睡みを振り払うように窓から頭を離して頬を叩き、自室から持ってきたコーヒーを煽る。
 今は眠ってはならない。吹雪の向こうに広がっているであろう宇宙。其の最果てについて思考を飛ばす。全ての命の根源たる宇宙は成長し続けているという説があり、私達人類が未だ到達どころか観測すらも出来ていない光が息づいている。何億光年、いや其れ以上離れた場所には一体何が有るのだろう。其処に至るまでに輝く星々には、私と同じく眠りを恐れる者も居るのだろうか。
「また来ていたのか。」
 見えぬ空に視線を向け夢想していた私に声を掛ける者がある。窓に反射する其の姿と、言葉とは裏腹に甘さと温かみのあるテノールは私が待っていた人物の物だ。彼は靴音を鳴らして私に寄り、窓へ背を向け腰掛ける。私は彼に足を向け膝を立てて座っているから、彼が此方を向けば夜着の裾から下着が見えてしまうだろう。其れを察したのかは私の知るところでは無いが、彼の瞳は真っ直ぐに前方を向いて問うた。
「今日は何を考えていた。」
「宇宙の果てについて。此れが一番」
「おまえは天体が好きだな。此処へ来る度に空へ思いを馳せている。」
「そう、好きだよ。ハッブル望遠鏡が見せてくれる惑星はどれも危うくて綺麗だし。こんなに科学が発達してるのに降り立つどころか辿り着くことも出来ないなんて浪漫があるでしょ。」
「浪漫か。確かに、金剛石で出来た星には浪漫があるな。例え降り立った瞬間に塵も残さず燃え尽きようとも一度は訪れたい場所だ。」
 淡々と嘲笑とも取れる言葉を吐いた彼に、私はいちいち腹を立てたりはしない。彼が軽口を漏らす事自体、他の職員からしたら考えられない物だろう。彼基デイビット・ゼム・ヴォイドは、一般職員から見れば雲の上の存在である。正規マスターAチームに所属するマスターと一般職員は基本的に交流が無く、休憩中に食堂や廊下で顔を合わせる程度である。されど私も一般職員であり、他のAチームマスターとは交流がないにも拘らずデイビットとこうして親密な関係に有るのは、眠りたくない夜に窓辺で黄昏る私に、また眠れぬ夜を過ごす彼が話しかけてきたのが切っ掛けだった。
 人見知りの私と寡黙な彼は始めこそ会話もなく、距離を開けて真っ白な窓を眺めるだけであったが、毎晩のように此処へ来る私と同じく毎晩の様に此処を訪れる彼は次第にお互いの趣味趣向を理解し合い、夜だけの友人になっていた。
「そう言えば、レイシフト実験上手くいったんだってね。おめでとう。」
「オレは何もしてない。ただコフィンに入って目を閉じる。気が付けば違う世界に連れて行かれる。それだけだ。」
「バラバラにならなかったことに対してのおめでとうだよ。」
「君もやってみるといい。」
「出たよ。“君”なんて言って。小馬鹿にする時はいっつもそう。」
「何をむくれているんだ。いつもの事だろう。」
 常に無表情で堅い印象を持つ彼は、チームのメンバーの前でもこうして冗談を振り撒いたり優しい笑顔を見せたりしているのだろうか。私の前でだけ笑って居て欲しいだとかそんな鬱陶しい感情は抱いたりしないが、彼が夜に態々出向いて話を聞く人物は私だけであって欲しい。
 窓から差し込む乳白色の僅かな光が彼を照らし、彫りの深い精悍な顔に影を落とす。足を伸ばせば爪先が彼の足に触れたので、彼は少しだけ顔と視線を此方に向けて其の様子を眺めていた。
「眠いんだろう。子供が眠る時間はとうに過ぎているぞ。」
「まだ良い。」
「明日も仕事だ。」
「分からない?まだ話したいの。」
「では話を。話題は何が良い?」
「夜の話を。」
「オペラか?」
「違う。…オペラ見るの?」
「オレを何だと思ってるんだ。オペラも映画も見る。」
「意外。俗世には興味がないと思ってた。」
「この手の会話は30回はしているがよく飽きないな。」
「デイビットを揶揄うのは楽しいから。」
 彼は私の足首を持ち上げて自身の腿に乗せ距離を詰める。言っては失礼かもしれないが彼には似合わない支給品の“Caldea”Tシャツの安っぽい生地が、ボディクリームを塗った足の側面を撫で付けるのが心地良い。この光景は第三者からすれば紛れもなく恋人同士の戯れにしか見えないだろうが、当事者としては友人同士の軽い接触であり毎晩の事である。
「地球のように四季が有る星を知っているか?」
「何それ。なんて星?」
「クリーゼ832cという星だ。地球から16光年離れている。質量は地球の5.4倍、公転周期は35.68日。太陽から受ける平均エネルギーが地球とほぼ変わらない。大気もあり気温も極めて近い星だ。まあ、四季の移り変わりは地球よりも極端らしいが、距離もそう遠くは無いし火星をテラフォーミングするよりは移住に適した場所だとオレは思う。」
「火星移住計画は順当に進んでるって聞いたよ。星に降り立たなくても大きな宇宙船で生活するんだって。施設を回転させて重力も作って、ショッピングセンターなんかも出来たりしてさ。」
「待て、似たような内容の映画を見たことがあるぞ。」
「バレた?もし貴方が、そのクリーゼなんちゃらって星に引っ越す権利を得たら、住み慣れた地球を見捨てて其処に引っ越す?」
 魅惑の惑星の話を聞いた私が初めに抱いたのはこの疑問だった。幾らロマンがあっても未開の地に足を踏み入れ、そこで生活するのは大きな勇気がいる筈で、不安や恐怖などとは無縁そうなこの男が、自分の口から持ち出した話題で物怖じする様を見たかったのかもしれないし、私の知ったかぶりへの指摘で会話を終わらせたくなかっただけかもしれない。もしかしたら眠気に負けて脳が正常に働いていなかったのかも。
 如何でもいい質問にもきちんと思考し答えをくれるのが彼の長所でも有る。様々な要因で齎された私の質問に長い睫毛を伏せて思案した後、彼の唇から漏れた吐息が静寂を裂いた。
「状況が切迫しているのなら検討するだろうな。自分の責任以外で死ぬのは御免だ。」
「全然知らない星なのに?」
「君も全く知らないカルデアに住居を移しただろう。住めば慣れるさ。」
「また君って言った。」
「そうか。無意識だ。」
「腹が立って眠気が吹き飛んだ。眠れなくなる話をありがとう。」
「本当か?瞼が下りてきているぞ。」
 彼は上体を乗り出して私の腰の脇に手を付き、下りているという瞼に無骨な指を這わせた。およそ人間らしくない男であるが、体温は人並みで、冷えた眼球にじわりと熱が滲む感覚がする。指は瞼から顳顬、顳顬から顔の横に垂れる髪の毛へ移ろい、髪の毛の感触を楽しむように触れた後で緩やかに離れていく。
 いつものムスクはシャワーで流れ落ち、代わりにボディーソープのシトラスの香りが鼻腔を擽った。行為の間も紫色の瞳は私の顔を捉えていて、私も彼から視線を逸らすことが出来ない。夜間に星の話をしているだけの、この上なく健全な逢瀬であるのに二人の間には其れ以上の甘美な雰囲気が漂っている。
 確かにデイビットは理想的な男性であると思う。美しく聡明で思慮深く、彼の側はどの友人の隣よりも居心地が良い。それに私の勘違いでなければ、彼が女性にこれ程接触している様を見たことが無い。距離など有って無いようなもので、私達は恋人には至らないまでも親密な関係にあると言って良い筈だ。
「何を考えている。」
「何も。綺麗な顔だなって。」
「顔か。外見を褒められても何とも思わない。」
「私、前にも同じ事言った?」
「おまえには一度も。」
「それじゃあ他の女に言われたのね。」
「そうかもな。」
「おまえは外見ではなく、他の長所を褒めるだろう。趣味が合うだとか無愛想だとかそういった内面的な部分だ。」
「無愛想は褒めてるつもり無いけど。貴方は頭が良いし優しいし、こうして眠気覚ましに付き合ってくれる上に私を寝かしつけてくれるから好きだよ。」
 彼の軽口に返しただけのつもりで放った“好き”と言う言葉は存外彼に刺さったのか、片膝を立てて付いていた肘がずるりと宙に落ちて髪の毛が揺れ動いた。常に完璧に振る舞っていた彼の様に私も驚き、口を半開きにして眺めていたら、乱れて顔に落ちた髪を顔の横に流して平静を装い、咳払いを一つ落としてまた私に顔を見せる。其の表情には気不味さが浮かんでいる。
「あの…大丈夫?」
「おまえのせいだ。」
「ごめん。でも本当に好きだよ。良い人だもの。」
 彼は良き友人であるのだから言葉に嘘はない。けれども彼は私を友人だとは思っていなかった様で、“良い人”と言う台詞に過剰な反応を見せた。コーヒーを抱えた私の手を自身の掌で包んで、いつになく真剣な表情を向けている。
「何?」
「オレがおまえの言うように良い人なのだとしたら、トラウマを抱えた女に近付いたりはしない。」
「そう、かも。じゃあ貴方はどうして私に近付いたの?」
「分からない。只、初めておまえを見た時に美しいと感じた。」
「なんだ。人に外見がどうとか言ってた割にやっぱり見た目で判断するのね。」
「それは違うな。殴られるかもしれないが、君の見た目は月並だ。」
「どうもありがとう。」
「これ以上褒めて欲しいか?」
「もういいや。」
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08:54
明智
こんばんは!♡ありがとうございます〜!
10:52
ななし@a7562e
デイビット夢楽しみです…!
17:29
明智
ななしさん こんばんは!のろのろ書くのでゆっくりしていってくださいませ!
113:23
明智
ちょっと席外します
142:27
明智
少し離席します
144:51
明智
今日は此処までにします!
145:00
明智
閲覧頂きありがとうございました!
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えふご夢かくよ16
初公開日: 2020年05月30日
最終更新日: 2020年05月31日
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コメント
夢企画様へ提出予定の作品を書きます。
えふご夢かくよ24
お題で頂いた「Machiavélisteの番外編」を書きます
明智
えふご夢かくよ22
ちょっとだけライブ。おっとっと食べながら書きます。(おいしい)
明智
えふご夢かくよ23
主にデイビットくんとバカンスに行く話。完成しました
明智
【3/2は臣綴の日】厨房の2人、 ★
寮の厨房で友情(愛情?)を育む、葉星大チューボー組
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