ごく頻繁に使われるワードとしての「幸せになってくれ!」「救われて欲しい...」において使われる、"幸せ"と"救い"とはなんなのかを考えたいと思ったので。
 今、一番私の中でホットな人物は法月仁というキンプリのキャラクターです。人生ハードモード属性の彼が、いかにして現在のような振る舞いや思想、あるいは思考回路や価値観を身に纏うようになったかは、キンプリ初心者、またオバレ中等部時代という仁にとって核心的な部分を描いたところが未視聴なので、正直わからないです。
 ("親"と"子"、"家族"とか"血の繋がり"というワードは私の個人的な人生のテーマなので、法月仁というある種の"永遠の少年"に心惹かれるのは、必然っちゃ必然なんです。)
 彼の核には父母への巨大な感情の渦があって、それはスススの最終話での最後に、「法月に似たのね」と母である愛に言われた際の仁の様子、聖の語る仁、ヒロの語る仁などの様子から察せられるように思います。特にススス最終話の仁が愛の毟った薔薇を浴びたときの困惑した顔に私はその感情の大きさが表れていたように思いました。私には、法月仁は感情の渦の中心で蹲っている永遠の少年に見える、しかし、その上で自分で自分を救うしかないと思っています。父母とどうにか関係を回復しようとしても、亡くなった父親に関しては不可能であり、母親とはどうなるかわかりませんが、回復の先に彼の"幸せ"が待っているかはわからないと思っている。そもそも関係が回復しても感情というものは残るし、感情が振幅しても関係は残る、そういうことがキンプリで描かれてると私は解釈しております。
 何があっても結局明日はある!ということはポジティブに考えればとっても良いことです。けれど、明日はある!が万人にとっての最良ならば、終末論なんていらないわけで、あれは明日がくる!という現実から自由になりたいという願望を呼び水にした想像上のユートピアですよね。言わば。そういう無限に続く明日に対して人間は無力です。そのこともあって、いつかくる救済や幸せといった概念は、古くから物語のテーマとして扱われてきました。
 (え、まだ法月仁出てこない...。)
 で、冒頭に戻って、物語における幸せや救いについてなんですが...。物語が物語としてある以上、その枠組みのなかでしか登場人物は生きられない、結末に向かって物語の筋書き通り生きること、それが彼ら彼女らの宿命です。どんな生き方、苦しみ方、死に方、別れ方、出会い方をしようとそれは物語の中では変えられないのです。かなしい。そこから願いが生まれます。「○○、幸せになってくれ!」
 そしてその願いが、原作の余白や過程、結末を別の世界線へ移し替えたのが二次創作と私は考えています。ところで幸せとはなんでしょうか? 法月仁の幸せとは何なのでしょうか? 救いとは何でしょうか? 永遠の少年が救われる、とはどういうことなのか。結構真剣に考えてみると、むずいですね。結局最初の方に言ったとおり、自分で自分を救うしかないタイプのキャラクターとして、法月仁は私の目に映りますが、では、救うとは、どういうことでしょうか。逆に、法月仁のどこを救いたいのでしょうか? と考えてみると、彼の幸福って何だろうか? に行き着いてしまうのです、私の場合。
 法月仁、めちゃくちゃ楽しそうに見える時もあります。むちゃ楽しくてまあ金はある、権力もある、出来ないことの方が少ない感じで、あれを一つの幸せの形として思い描く人はいるでしょう。けれど仁の場合、結局はそのような享楽の最中でも彼の中では自我が揺らぎます。激ラブオキニのルヰにさえふとしたときに母の姿やヒロの姿を見ます。また、若い頃の自分も見出します。そこにある、本当に欲しかったもの、を言語化するのは簡単そうで難しいです。愛が欲しかった、それに包まれてみたかったというような感じに私は思いましたが、他の方はどうでしょうか。
 ここまでで書いたことを整理します。
①仁には複雑な感情があり、その原因は分かっているようでわからない、あるいは分かっていても制御はできない。
②仁はある一定の幸せは手に入れているが、本人的にはしっくりきていないっぽく見える。
 ここからが本題!じゃあ結局仁はどうすれば今の幸せとも見える状態から、救いに至れるのかということです。物語の枠内、プリズムの女神の祝福が統治する(?)世界線で、そのきらめきに対してイマイチ懐疑的である仁の救済とは何でしょうか? 私には正直わかりません。ただ、こんなにだらだら私が書いた理由は、救済や救いは永遠に続くものではないと思うからです。
 私は法月仁、キャラクターとしてアツイですが、彼の望みや幸せは彼の生きてきた過去の中にあります。しかし人間は結局は明日を生きるしかないのです。法月仁は明日もルヰにメロメロし、ジョージに冷たくあたり、その他の人たちに鞭を振り回したり、聖を憎み、母の期待に添えるように頑張ってみようとしたりするのです。それがだらあっとつづいていくのが、生きること、人間でいることです、物語においては。私は永遠の救いはあると思っていません。しかし、救いはあると思ってもいます。ハッピーエンドの物語も、翌日に成田別れかもしれませんし、永遠のハッピーは多分ないです。必ず今日は泣きたいな、って日があります。仁にもありそうな気はしなくもないです。では永遠でない救いとはなんだいということですが、結局それは、刹那的であり、無自覚的なものであることが多いですね。今日目覚めがメチャよかった! 今日のお風呂の温度が最高だった!とか。そういうやつとかね。でもなんていうか、救いは永遠ではない、ピッと表れて一瞬で去るので、ほとんど気づけない。私はそういう一瞬の救いに似た何かを書きたいと思い続けています。ハッピーエンドは書けないから、一瞬海底から見えた太陽の光みたいな...。でもまた暗い海底にいることには変わりないし、太陽の美しいことなんて次の瞬間には吹っ飛んじゃうけど。でもそういう一瞬も救いと呼ばれうると思います。仁は性格的にもなんかいろいろあるし、彼の抱えてるものはデカすぎるけれど、でも太陽は永遠に輝くとルヰくんが言っていたので、それを信じて、また一瞬、太陽がきらっと光ったときに仁が感じるものが、出来るだけ、暖かい数秒でありますように。長いな! おわり! ありがとうございました! ほんとに誰の解釈も否定する意図はありません。かけないだけでハッピーエンドの物語も好きです!ハッピーエンドも人生の長さから見たら一瞬な気がします。そういう刹那的な海底からの浮上を希いながら、しかしその訪れには鈍感な人間たちに、幸あれ! さようなら〜!
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ある物語における『救済』
初公開日: 2020年05月16日
最終更新日: 2020年05月16日
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法月仁についての思考をまとめます。誰かの解釈を否定するものでは決してありません。私個人の考える物語と登場人物と鑑賞者についての読み物です。