序・白鳥
毎晩決まって夢を見る。毎晩決まって、大碓がいる。
同じ腹から時を同じくして産まれた兄を殺したのは夢ではなかった。その証拠だと言うように、眠りに就くまで大碓の姿はない。小碓は夢の世界で、記憶を確かめるように、辿るように、幾度も大碓を殺す。夏になれば寝汗をかき、秋になれば虫の音を聞き、冬になれば落ち葉の散る音を聞いた。春になって蛙が鳴き始めても、その陰で兄を殺すのだった。何度も繰り返される夢に、小碓はどれが現実なのかが分からなくなってしまった。大碓が死の間際に言った「何か」も、「恨んでいるのか」と呟いたことも、全ては夢だったかも知れない。ただ一つ現実では大碓は死んでいる。現実の外を縫うごとくに、夢を生きる小碓がいる。
小碓はこんな夢を見る。
白鳥に化けて空を漂う夢。空には雲がない。晴れて自分を天へ導くような空、空を、どこまでも行く。目を覚ますと大碓が隣にいて、起きた自分に気がついて顔を柔らかく崩す。「私は永く夢を見ていた」
大碓は女のように柔らかい手を自分の手に重ねて、労わる様に撫でた。
「私が大碓を、何度も殺す夢だ……、しかし、それも夢だったらしい」
それを聞くと大碓はたっぷりと頷いて、白鳥を永遠に、籠へ入れてしまった。
極楽の顔
昨日も一昨日も、その前の日は覚えていないが夢を見る時必ず大碓が出てくる。大碓はただ隣にいるだけであるから、私が殺した事へのうらみというわけでもないらしい。しかし私はうっとおしく思って、文句を言ってやろうと決めた。最初は夢の中で言おうと考えたがいざ夢を見ても、夢の中では決めた事をすっかり忘れている。だから黄泉へ行った。
話に聞いていた黄泉は想像よりおぞましいものではなく、茫々たる闇がただ幽闃としてあるだけであった。大碓に会わせてくれと言うとそんな者は居ないという。生きた人間が長くここにいるものではないと言われて仕方なく来た道を戻っていくと、来る時には無かった場所に穴が開いてそこから光がこぼれている。近寄って覗くと穴の向こうには階段が広がっているらしかった。好奇心と、大碓に会えるかもしれないというわずかな気持ちに誘われて中へ入っていくと、入り口は確かに光って見えたはずがここは全く暗い。手元の明りで辛うじて足元が見える以外は、黄泉よりも闇く階段が延々と続いている。そうして歩き始めた。大碓が呼んでいるのかもしれないと考えながら、また、階段は今下っているから大碓は地獄へ落ちたのかもしれないと考えながら……。今まで登っていたはずの階段がいつの間にか下っている事にそこで初めて気が付いた。どこで変わったのか、またなぜ気が付かなかったのか分からないが、黄泉から続く階段に常識を当てはめて考える方が非常識だと思いあとは無心で先へ進んだ。そうして何十年も時が経ったように感じた。もう、引き返そうという心持ちにもならず、自分には天祐があるとさえ考え始めた。すると光明が倏忽と自分の身を包み視界が明るくなって来た。明るい世界は極彩色で、水は水晶のように光り、その上に蓮の台が浮かんでいる。あの階段は極楽に続いていたらしい。台の上に居るものは皆穏やかな顔つきである。きっと何百何千年とそうしたまま暮らしているのだろう。ここは地獄のようだった。そうして大碓を探し始める。限りない極楽の限りない台の中に大碓がいると信じて。
やがて幾年と経ったような心持ちがした頃、ようやく大碓と同じ顔を見つけた。その顔に向かって、「毎度夢に出てくるのはやめろ」と伝えて満足してしまった途端に、追い出されるような感覚を得た。その晩は安心して寝たが、大碓は夢に出てきて、こう言った。
「小碓、あれは私ではないよ」
それが唯一覚えている夢の内容だった。極楽で見たあの顔は、水晶の水に映った自分の顔だったらしい。
会いたい人
また大碓と夢で会った。あの時と同じ、寝ていたせいで少ししわの寄った寝間着を着ている。夢では、大碓と話せる時話せない時、話しても内容を忘れてしまう時とがあった。夢の内容は次のようなものだ。
何も無い部屋にいる。四方の壁が螺鈿のように、白く光の波をうっている。宝珠の中に居るようにも思えた。そして、目の前に大碓がいる。
「黄泉へも極楽へさえも行った。だがお前はどちらにもいない」
「当然だよ、私はここにいるのだから」
「ここ? こことは? この部屋か?」
「今は、この部屋と言えばこの部屋だ」
「そうか。ではお前が大碓だというなら、金輪際私の夢にこうして現れるのはやめろ」
「それは無理だよ」大碓は悲しそうな顔をした。
「なぜだ」
「わからない」
会話が途切れると同時に、合図をしたように目が覚めた。夢の内容を繰り返し思い出しているうちに、あの部屋にはもっと物があったように感じてきた。又大碓の声を忘れているような心持ちがした。では、夢の中で聞いたと思った声は誰の声だったのだろうか。夢のなかのことであるから、はっきりとは分からない。その日寝付く頃には、過去の事として残り始めていた。記憶は過去に、過去は夢に、夢は幻に、幻はやがて無に……
そうしてやはり夢を見た。
水晶のようなものが辺りを覆っているのだが、水晶は鏡のようによく反射する。幾人にも見える自分に戸惑いながらも大碓を見つけた。大碓は水晶の向こうにいる。今度は大碓が自分を呼ぶ。
「小碓、少し分かったよ」と顔をほころばせている。自分はいつもと変わらずに口を結んでいるはずだから、これが映った自分の顔ではないと確信する。何が分かったのだと聞くと大碓は、「私は、小碓がいるからここにいるんだ、小碓は私の事が好きなんだね」
得意気に話す顔は幼く見え、自分の分からない事を言う顔は大人びて見えた。「お前の事を特別に思ったことはない」続けて、「意味が分かるように言え」と言う。
「だから少しだと言ったんだよ。えっと、つまり、私は小碓だってこと……?」
「お前は大碓だ」何か考えようとすると意識が覚醒してしまった。
その日は大碓の言った言葉の意味ばかり考えていた。他の事が手につかないから、早い時間に寝床へ入る。風が冷たい。
二人で雪の積もった道を歩いていた。足跡はすぐに消されてしまうらしかった。耳を切り裂かれるような寒さに、大碓の声は聞こえない。山の方を目指して歩いている。突然、後ろから音もなく飛んで来た鶴に驚いた大碓が尻をついた。私は立ち止まって「大碓は小碓だ」の意味を考えた。それを察した大碓が立ち上がって私の目の前に回り込み、「ほら、こうしていると鏡みたいだ」と言った。双子なのだから、と言おうとした瞬間、垂れこめていた雲が晴れて日の光が射した。すると、雪に光が反射してきらきらと輝くように、水滴に光が通るように、大碓の姿がおぼろげになり出した。しばらく黙って見ていたが、自分が剣を持っていることを知って大碓の首の辺りを切りはらうと、大碓は全て雪となって散ってしまった。
飽きたので今回はここまで…
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