【壱 膝丸視点】
この本丸に顕現してからというもの、主の審神者に対して特に思うことはなかった。己が遣えている主で、戦術にも本丸の運営にも可もなく不可もなく。不満無く日々を過ごしていただけだった。
しかし、顕現して二年目の冬のこと。そろそろ近侍のできる男士を増やしてはどうかと担当役人から助言があったため、適正のありそうな者を数人選出したと発表があった。
読み上げられた近侍候補のその中に、俺もいた。それまであまり自分から審神者にかかわり合うこともなかったし、会話も必要最小限で、内容は業務連絡ぐらいだったはずだ。なぜ俺が選ばれたのかは分からないが、指名されたからには全力を尽くすまでだ。
発表の翌週からは、近侍業務のための研修が開始された。まずは現代のいろは歌(「あいうえお表」というらしい)を覚えるところから始まり、携帯端末の操作方法を習い、扱えるようになったらローマ字の手習い、覚えたらコンピュータという作業用端末とソフトの使い方を叩き込まれた。
幸運にも俺は適正があったらしく、1ヶ月で実際に近侍とともに実地訓練に入ることとなった。そこで分かったのは、審神者は普段の印象とは違い、案外思慮深く面倒くさがりな性格だということだった。
本丸が稼働して初期の頃に作ったというツールによって、作業はかなり簡略化されていた。出陣遠征内番などの当番は休暇希望や過去の記録を参考に自動生成されるし、最小限の項目入力だけで政府への定期報告資料が作成される。
「初期の頃バカみたいに時間とられてなにもできなかったから、サボるために昔取った杵柄ってやつで作ったの」
とは審神者がサラリと言った言葉だ。今まで世間話すらしてこなかったため審神者の過去についてはまったく知らないが、仕事を簡略化する能力はかなり高そうだと感じた。
逆に審神者が力を入れていることは本丸の運営で、細々した消耗品や食料品の備蓄管理、経費の使いかたの注視などにばかり時間をかけていた。
空いた時間は各刀剣男士について知ったことを日記に書いているようで、その日の終わりには一日にやった作業内や進捗をすべて記録に残している。頼めば躊躇う様子もなく開示してくれた。内容は、例えば明日から他の審神者に変わっても、その日記と進捗記録を読めば問題なく引き継げるだろう出来映えだった。
「君は、審神者を辞めるつもりなのか?」
単なる日記や作業・進捗記録にしては詳細に書きすぎている。もしや、と思って訊いたが、審神者は笑って否定した。
「まさか、ただ忘れっぽいから記録に残してるだけだよ。今の生活気に入ってるし、辞める予定はないかなぁ」
「膝丸、今の質問はさすがに不敬だろう」
そうか、辞める気はないのか。なぜかホッとしたと同時、俺の教育担当を勤める長谷部が、さすがに不躾過ぎた質問に注意してきた。
「すまない、あまりに丁寧にまとめられていたものだから、つい…」
「いいよいいよ、気にしてないし。これからも気になったことはなんでも訊いてね。長谷部も、あんまり威圧しないの。意見を言いにくい本丸にしたくないんだってば」
「いいえ、先ほどの膝丸の発言は無視できません」
「いいんだって、スルーしてよ」
審神者と長谷部の軽い口論から、今まで知ろうともしなかった彼女の一面を見れた気がした。不便なく暮らせ、定期的に出陣できればそれで良いと思っていたし、特に不満も興味もなかったため審神者に興味を持つこともなかった。
しかし、審神者の本丸運営に対する熱意などを知れば知るほど、彼女という人間がどういう人物なのかを知りたくなった。
それに、なんだか。
長谷部に自身の理想の本丸像を一生懸命語る審神者が、愛らしく見えたのだ。
【弐 膝丸視点】
一人で業務をこなせると長谷部からお墨付きをもらい、研修期間を終え近侍として仕事をするようになった。近侍は当番制で、1週間に1回程度の持ち回りだ。
今まで担当していた内番が近侍業務に変わった程度で生活に特に変化はなかったが、審神者との関わりは多分に増えた。それに、審神者を気にするようになった。
これまでは廊下ですれ違っても挨拶程度だったが、今は見かければ自分から近寄って話しかけ、急ぎの用がなさそうであれば世間話までするようになった。重そうな荷物を持っていれば代わってやったし、さにわ自身の買い物の護衛兼荷物持ちも申し出るようになった。
今日はなにもない非番だったため、午後から遠征の予定が入っている同室の兄者と自室で寛いでいた。炬燵に入って半纏を着てリラックスした様子の兄者が、唐突に「そういえば、」と話し始めた。
「お前、なんだか最近楽しそうじゃないかい?」
机の上に常備しているお菓子籠の中から取り出した個包装の煎餅を、袋に入れたまま割りながら言われたのは、予想していなかった話題だった。
「そうだろうか」
なにか継続して楽しい気分になるようなことがあっただろうか。と思考を巡らせるが、これといってなかったはずだ。