衣笠灯香は目が覚めるたびに、自分の体が軽くなっているのを感じた。
毎回薬剤の満たされた水槽から身を起こすこと以外はひどくすっきりした気持ちなのである。
目を覚ますたびにそこには夏苅葉がいるのだが、今日は違った。
「壬生、鴇依」
私がそうかみしめるように読んだ名前に対して、彼女は
「ごめん」
そう返した。
灯香は手慣れた動作で液をふき取ると、自分の関節をなぞるように触る。
やや引っかかる感じは自分の皮膚だなとは思うが、本当に自分の腕が機械に置き換えられているのかいまいち実感がない。感覚は以前と変わらないからだ。
手を握り。
屈伸し。
軽く身をよじって体操を済ませた後、服を着ていく。
鴇依からすれば、今まで見た『白峰の旗』の時の制服とは打って変わり、彼女の白髪が目立つような吸い込まれる黒の制服だ。
その間数分あったわけだが、鴇依は何も話しかけず、ただそこに立ち尽くして待った。
「おしゃべりのあなたが黙りこくるだなんて」
鴇依に灯香が発破をかけていくように問うと、鴇依は端末を操作して灯香に見せた。
(聞かれたくないことがあるの、ですか。とはいえ素振りでそれはもうばれてしまっていそうですね。まぁ彼女ならこの部屋にカメラがあることくらい知ってそうですから演技に乗ることにしましょう)
「そうですか。では私は言いたいことがありますので聞いてもらえますか?」
肯定も否定もせず、ただ端末をしまう鴇依。
「私をどうして『第柒民栄』に回収させたんですか」
「灯香、あなたの過去が気になったから」
「気になった?私の過去をあなたは知っているのですか?」
「ある程度なら、ね」
実際、鴇依は嘘をついていない。
鳥子小冬に光を見出した『鳥子邸大火』の謎についてはある種の推測がたっている。
それは当時凍結される寸前だった一つの計画によるものである。
「あれは俺が教えたものだ」
スクリーンに映しながらルークに説明をする夏苅。
「それは俺がこの前教えてくれたあの計画書か?人間兵器の」
「成功例が衣笠灯香だと教えたが、もし成功したらお前は何をする?」
「試したくなる」
夏苅は拍手をして見せた。
「通常の感性としてはとても正しい。俺もそうする。試作品が出来上がったら、まず試してみたくなる。まぁ試作品を汚したくない気持ちもわかるがそれはどっちかというとエンジニアではないな。アーティストだ。動くことで完成するのではなく、形になったところにゴールを置くやつらの考えであって美術館に飾っておけと思う」
夏苅が放った缶コーヒーを受け取ると、ルークと同時にふたを開けて呷る。
「壬生には俺が知ってる情報を教えたが、壬生も壬生で俺の知らない情報を持っていたんだよ」
「聞いてもいいか?」
「記憶を失っているって聞いたわ」
「ええ、私の出自を誰も答えてはくれませんし、私自身なんで今生きてるかをきちんと理解していませんからね」
「私も記憶喪失をしているって言ったら?」
「…それが何の共通点が?私と同じとは限らないでしょう」
「あなたがなぜ、出自が不明かどうかは知っているの?」
「...まぁ一応」
灯香らしからぬ一瞬の間に鴇依は少し違和感を覚えたが、問い続ける。
「もちろんじゃあ意味することは分かるわよね」
「わざわざそう言うってことは、あなたがそうだっていうのですか」
「そうよ。私はあなたの失敗側。情報処理に特化したケースモデルの投棄ナンバーよ」
「当然、陶芸家だって気に入らないものを棄てる。エンジニアもきちんと失敗した試薬を手順をもって処理する。そう、処理するんだよ。あれは処理されなかった過去の残滓だ」
「壬生鴇依、がか?」
「まったく片鱗もないよな。似ても似つかない。体系も真逆、運動能力も真逆。でもな、白兵戦に特化した人間兵器だけにとどまらず、才覚ってのは多方面にあるんだよ。イメージ能力が高ければ趣味レーターを必要とするようなことを感覚で理解するような技術者が生まれるかもしれない。戦術の転載は必ず武芸に秀でているとは限らないだろ?」
「確かに、確かにそうだけどよ」
夏苅のいうことは正しいひどくもっともである。
だとしてもそれが道徳的に正しいとは言えない。いや、それが人間じゃなかったら普通にやっていることだからこそ、人として見ていない話しに悪寒が走った。
夏苅も時折見せるこの『冷たさ』はルークにとっては路地裏のごろつきが相手を人間扱いしない殺意とは別の冷たいナニカであることは分かっていたが、日に日に感じることはその末端をいまだに感じ取れていないことだった。
「計画は存在したのですね」
「なんか別に悲観してるわけじゃなさそうね。なんかすんなり受け入れてて腹立つ」
ため息交じりに悪態をつく鴇依。
「まぁ、そんな気はしてましたから。で、ほかに聞きたいことがあるのでしょう?」
「これ、見覚えがあるでしょ?」
鴇依は自分のポケットから取り出したのは――
「面白いもんだしてきたな」
「あれは端末か?」
ルークの言葉を聞き流しながら、スクリーンを見つつ夏苅は内線をかける。
「忙しいところ悪い。俺だ。実働部隊を第5区画に召集かけろ。緊急だ。壬生鴇依の持ってるものを徴発する必要がある。悟られるな。奴は逃げのプロだ」
「おい、夏苅」
「忙しい、黙ってろ。衣笠灯香の試験スケジュールの見直しをしたい。明後日の予定のを――」
あわただしく電話をする様子もそうだが、鴇依の会話も聞き逃したくなかったルークは自分がどっちを見ればいいのか悩むような動きになっていた。
「どこから見つけてきたんです?」
「あなたが倒れていたところから回収したのよ。普通の端末じゃないことは分かっていたけど内部ストレージにいろいろ細工がされていたことは面白かったわ。灯香、あなた面白い書類を読んだ形跡があって、『白峰の旗』ではないストレージから文書をストリーミングした形跡が残っていたわ。だけどこれは私では読みだせなかった。端末から陣営の関係ないところにアクセスをしている?普通の生徒ならあり得ないわ。ならあなたはそれをどこから仕入れたのって話なの」
先ほどとは変わり、今度は鴇依の問いに灯香が黙ってしまう。
「何を読んだの?」
夏苅の端末に着信が来た。
即座に折り返して『プラン変更、行け』と伝えた直後、灯香がしゃべりだそうとするタイミングで女生徒が二人入ってきて鴇依を組み伏せた。
さらに夏苅は端末を操作し、そこにしゃべりかける。マイクが部屋につながっているのだ。
「灯香、聞こえているな?テストを始めるから部屋から出ろ。今日は6番の部屋に入れ」
「わかりました」
スピーカー越しに灯香の声を拾う。
組み伏せられた鴇依を一瞥して、灯香は部屋から出た。
「所長、回収しました」
「ご苦労。そいつも隣の部屋に入れとけ」
「いいんですか?」
「やれ」
「わかりました」
カメラが操作され、別の部屋が映し出されると、そこに鴇依は投げ込まれた。
同性故か、粗雑に扱われた鴇依は、縛った髪留めが緩み、長い髪を床に散らしていた。
「おい、あれは俺の部屋だろ」
「お前のでもねえ。それに独房に今更戻りたいのか?それともあんなちんちくりんでもお前の性欲が満たせればいいのか?やめとけアイツにかかわると滅びるぞ」
端末を操作し、マイクを切りながらルークにそう言った夏苅は自分の机に腰かけて、残った缶コーヒーを呷った。
「俺も掌の上かよ」
そう夏苅はつぶやくと、ジャケットを羽織って部屋を出た。
ご丁寧に部屋をロックして、ルークは出れないようにして。