魔法使いというのはよくある話だが、魔力を使うからこそ、それ相応の流れや雰囲気のようなものが存在する。空気感と表現する古強者もいるが、実際のところは流れている魔力を感じ取れる鋭敏な感覚と直感の持ち主であることが立証されている。
魔力は世界の中を常に流れる大河のようなものだ。いや、風というべきか。
そんな風の中で流れが変わった、せき止めた、曲がったといったことはほんの些末なことでしかないのだが、それを感じ取れる存在というのが所謂「魔法適性が高い」一端と言われている。
ところがここで魔法戦闘のノウハウを高めていくと一つ抜けることがあるのだ。
魔法戦闘においては、魔法対魔法が原則として発生するいわゆる特定の魔法だけを散らすようなメタファー的なものも存在するが、原則は魔法を使う話から成り立っている。そしてそれに優劣があれど、みな魔法を使うことが前提になる。
ニンビーのフォルムを異業へと帰るあの巨大な掌を持つ籠手――【覚の籠手】もしかりだ。話に聞き及ぶ限りであれば、あれは魔力を発するものを検知する能力がある。物体には魔力を通過するとはいえその疎密による差異があるらしく、ブルー曰くそれを検知すれば居場所が特定できるといっていた。
しかしその全体は魔法を使う世界だからこそで、そのことを逆手に取ることで効果的に働く。
イリアとニンビーの間に立つ『血の覚醒モード』というべき羊の亜人シェラタンは、いつもの白い肌、白い紙、といった色素の薄い容姿とは一転、肌は褐色に染まり、四肢は少しだけ伸び、獣を思わせる流々とした脚部とそれに覆われた毛皮が特徴的なシルエットへと変わっていた。角もいつもよりもたくましくなり、常人よりもはるかに伸びるのが速いその白い髪は色はそのままで圧倒的にこの一瞬で数十センチ伸びているように見える。
シェラタンも、雰囲気でとごまかしているが魔力の検知ができるタイプの魔法生物である。眼前にいるニンビーの魔法発生の瞬間などをとらえきることは造作もないし、昔からそうしてきた。
しかし、ニンビーは『一切の魔力を使わず戦うことができる』のだ。
シェラタンの眼前から姿を消すほどの高速の動きは『魔力を一切使用せず』行われたものであり、その瞬間、視界からも、感覚からも『消えた』と感じてしまうのだ。
イリアも、そしてフィーも。
誰もニンビーをとらえきれていない。
強烈な振り抜きと共に重さがかかる。
柄を延伸した【匠の銀鎚】は錫杖のようでもある華美な装飾の施されたスレッジハンマーである。
その殴打を横っ腹にシェラタンは受け、執務室の壁にたたきつけられる。
それに一瞥もくれず、ニンビーは治ったばかりのイリアに肉薄。
イリアも反射的にニンビーに背を向ける。ニンビーは容赦をしなかったので迷いなくいびつなサイズの拳がイリアの頸椎を狙うが、イリアは腰に刻んだ収納術式から身が隠れるほどの大きな盾を展開した。重く金属がぶつかる音とともにイリアを見失ったニンビーはそのまま盾から拳を引くと、逆の手で【司の祖書】に挿してある栞を一つ抜き、盾に張り付けると盾はそのまま赤熱して溶解した。
もちろんすでにイリアはそこにいない。
イリアを深追いしなかったニンビーだったが、すでにフィーが接近してきていた。
光のフレームのように彼女の幼い容姿と細腕を覆う龍の紋様と爪。
本来の彼女の姿を一部顕現させることでドルグニカ竜の亜人としてのタフで豪快な技を使う。何より堅牢。
ニンビーは【匠の銀鎚】を握った手をフィーは思いっきり叩き落とすことに成功する。栞を張り終わったフリーのもう片方の手は
「しまっ――」「おふぉいッ!おそい
フィーの口にくわえた鱗から出る豪風と寒風のブレス。
ほぼゼロ距離でこれを受け、凍結してしまい、ニンビーは体勢を崩す。
ふらついた後ろを、先ほど取り落としたメイスをもって駆け出したイリアが勢いよく横なぎにする。
ニンビーは両手の【覚の籠手】の展開を中止。二回り小さい白い細腕は悠々と凍結を抜けもう一度【覚の籠手】を展開する。
片手でイリアのメイスを受け止め。
片手でフィーの剛腕をも受け止めた。
じゃあもう一人は?
「感じ取れないなら、場所を確定させればいいんです」
足元と頭上に光のインクで書かれた宙に浮く魔法陣のサンドイッチ状態。
作画に時間がかかっただろう、手練れであっても数十秒を要したはずだ。
手で書かなくたっていい。シェラタンは三重術者トリプルなのだから、念動術式で立体術式の陣を書いたのだろう。全く気が付けなかった。
白雷。
執務室でおおよそ起きてはいけない轟音と閃光が奔る。
わき腹を抑えながらシェラタンは思う。
実際問題初手で振り抜かれたあの攻撃で自分にかかっていた反射や呪詛を込めた攻撃性のある障壁含めて8層分すべてを粉砕されている。なおかつその攻撃性は一切発現しなかった。魔法の術式の『目』のようなポイントを的確に叩き、機能不全にしているのだ。
いくら亜人であっても魔法を生身で受けられるのには限度も相性も存在する。
故に初手で『日和らせる』消極的なムーブを誘導させるような防御貫通を見せつけてきた手腕にただただニンビーの恐ろしさを感じ、感服するしかなかった。
そこを無理やり押し通せるのも、シェラタンが『幻燈』しなないからであるが、常人の理性であれば最初の一瞬で決着がついていたということだ。本気で殺しに来ているのである。容赦はしないという言葉に嘘はなかった。
落雷が終わり、目の眩みも晴れ。
シェラタン、イリア、フィーの3人がその中心部を確認すると。
何の傷もないニンビーがそこに立っていた。
唖然である。
いくら自動人形であれど。
いくらインシグニスブルーの制作物であったとしても。
あれを無傷ではあり得ないのである。
障壁術式をも展開しない命知らずの魔力断ち戦法を取ったニンビー。
その検知されない恐ろしいまでの隠密性や強襲能力に対してのハイリスクは魔力に対しての防御が一切できないこと、これに尽きる。
だが、それが行われていない。
魔法の展開はおろか、破損した魔法術式の残滓すらない。
唖然、というほかないが。
ニンビーは口を開く。
「あたしの特性を聞き及んでたとはいえ、わずか数分の接敵でここまで学習されるともう生かしておく理由はないよね、ってお姉様ブルーが言ってたけども、いよいよどうしてあたし達がロートルになる時代も見えてきた感じがするわ」
返答次第でどうなるかわからない3人は、そのまま沈黙を続ける。
「とはいえ、前情報だけでここまでやられちゃうのはなんだか癪だけど。決まりだし、仕方ないか」
まるでほこりを払うようなしぐさ。ドレスをぽふぽふと払うと。
「周り見てみなさいよ」
3人はようやく周りを見渡す。
そこには戦いの跡など一切ない。
ただただ整えられ、理列整然と並んだ書類と質素ながらも装飾が味を出す什器。
殴り込みをする前の執務室のそれであった。
「悔しいけど、今回はあたしの負け!」
ニンビーのその叫びに呼応して。
「契約は果たされた」
いつしか執務室の扉の前に立っていたのは、瞳で。
そう短くつぶやくと扉から出ていった。
「そゆことだから、頑張ってね」
「どういうこと、よ」
「イリアちゃんに説明すると、あたしたちは本来あるべき元鞘に収まったの。便利人形じゃないわ。あたしはあたしの、そしてあたしの正義のために戦った。あたしの存在意義はインシグニスブルーと偽り、また主であるインシグニスブルーの剣となる事。しかしあたしは折られてしまった。故に負け。契約は果たされた。過去の自分はここで死んだわ。そう、初めて死んだのよ」
ニンビーはイリアの目の前に屈んで説明していたが、イリアにデコピンをしようとして手を払いのけられる。
振り返ってフィーに近寄るニンビー。
「皇女様、あたしの主の戯れにもう少しだけ付き合ってあげて。これは彼女なりの決着のつけ方なの」
「こんなはた迷惑な決着があるか…!今の話が本当なら」
フィーの唇にニンビーの人差し指が押し当てられる。
「あたしから言えることは『待ってる』ということだけ」
最後に少し離れたところで落雷を食らわせた当人であるシェラタンに歩いて肉薄する。幼い背が見上げるようにシェラタンを覗く。
「本当に瞳ちゃんの意思、なんですか?」
「瞳も悩んでいるの。ただの悩みじゃないよ。それにちゃんと寄り添ってあげられるのなら、先に進んで。瞳の悩みは理解はできるけど、共感はできない。あの子は人間として育てられたからこそ持った感覚。あたしは瞳と記憶の共有はできるけど、でもそれは瞳のコピーではなくて、瞳の記憶を知ったうえでのあたしだから」
「無責任な」
「不老不死飼い殺しにしているくせにどの口が言うのよ」
ニンビーはそういってシェラタンの脇を一度さすると。
そのまま歩いて執務室から出ていった。
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