『バンドやめるわ』
 そう打った途端にグラグラっときて、仕方ないので縁石にへたり込んだ。もうすっかり暗い駅前にもまだいくつかつまらない店の光が揺れてる。頭が重くて、結局明らかに今日も飲みすぎた。だから、こんなことをしたくて集まってるわけじゃない。
 でももうやめたから、いいのか。
 やめた、やめたんだと繰り返すともうすっかり楽になって、そのまま後ろの生垣に落っこちた。ぐるりと目の前に回った街灯が、瞼を閉じると柔らかく変わった。
 体の痛みで目が覚めた。明るさはもちろん、暑い。シャツがじっとり濡れているし、自分が酒臭い。6時?8時?異常気象なのか最近の気温差は予想もつかないから、もしかしたらもう昼過ぎかもしれない。まじか。やっちまった。
 草に突っ込んでるから服も汚れているはずだし当然ギターケースも帰ったら拭かなきゃならない。もうすこし寝ててもいいか。少し遠くを行く人はまばらだった。
 しばらく直射日光で干された後、液晶画面で確認したら9時だった。LINEの通知がいくつか入っている。
『もうこんなこと言わないから、とりあえず来週一回は絶対!お願い!今度は飲まないし』
 やめたといったはずだが。交渉可能かと思っているのか?何回も話に出しているはずだが。
「当たり前だ」
『優太の納得いくレベルに到達すんのはすぐには難しいかもしれんけど、こっちも改善したことたくさんあるじゃん。優太だってインスト系の人これから集うのもまた手間だしさ、』
 どうやら相手はだらだらと続くこの紛争状態の延長だと思っているようだ。まぁ、確かに見分けはつかないが。
 俺が全面的に悪いのか!?けれど、追い出したければ追い出せばいいのにそうもしないあたり、見かけほどやる気がないわけではないのか。
 痛いところを突いてくる。ちょっと人に強く出てしまうのに無自覚なわけではない。
 トト、トトン、トン………
 くぐもった音は無秩序で  。目を覚ましてまた、眠ってしまったことに気づく。
 外は雨だった。
 窓を叩く音、ガラスの近くに溜まった冷気。夜ではないが明るくもない。絡まる水をかき分けた、もったり重い感覚が二の腕に残っていて、触ると目元から頬や鼻のあたりがさらさらと濡れている。多分悲しかった。どうして目が覚めてしまったのか。どうして、生まれてしまったのか。
 リズムは脳内の楽譜入れを勝手にめくっていく。書き込んだマーカーの色と題名、情景。
 山奥の小屋に降りしきる五月雨。柔らかいギターの音色で延々と続く八分音符。
自分のことなどほっといて回ってくれたらいいのに、と思う。部員もバイト先の上司も家族も、薄い繭の外側にいて、ぼやけて見える。
壁の向こうからざあ、ざあと音が聞こえる。びしゃんと大きな音が鳴るたびに、床に打ち付けられて形をなくす水。洗面器でお湯をすくってはかけているのだ。
親はもう寝ているだろうから、今入っているのは弟か。
そもそも魂?に重さで計測するという考え自体が古い。
いつの間にか音楽が切り替わっていた。単調なフレーズの繰り返し。(聴く分にはいいけれど、)BGMは演奏するとなると着地点が難しい。(典型的なBGM)
眠くなって、
例えば、気絶するのと眠るのと死ぬことの違い。
サムネイルがまた表示されていた。
ECHO。あなたへのおすすめ。
『江の島に行かない?』
『水族館』
『このエイの展示めっちゃいいと思う』
「エイ…?」
送られたリンクで飛んだページでは、なるほどエイが悠然と泳いでいる。画面の中で長い尾がその軌跡をゆっくりとなぞっていった。
なんとなく返信を送りかねて
『結局、練習の時はあんま話できなかったし。好きな曲とか教えてよ』
「じゃあ、3時ぐらいに出口で集合ね」
え、ちょっと。
近くにブランコがあったので座る。奏は長い間手を合わせ目をつむったまま動かない。随分長いお願いだ。
アルペジオ。体の細胞に、水に聞かせるように。繰り返し。意識がある分指は力む。指の重みで。自分の弾いている姿を後ろから見る感じで…
「またそれ弾いてんの」
「おっ」
「おって。優太、『おっ』て」
笑いがひきつった、のを見た俺の表情筋もひきつる。
「俺はもう譜読みできてるからいんだって」
頭を洗って、体を洗った泡だらけのぬるま湯は排水溝に吸い込まれて、パイプを伝って浄化槽ですっかり冷え込んで海に流れ込み、何千年の周期で大きくうねって海岸線を襲う。波に何人もさらわれて、さらわれていない人もいて、その人たちやその人たちの子供がまた頭を洗い体を洗う。
だって。
あの音がまだ、響いている。
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初公開日: 2020年05月05日
最終更新日: 2020年05月05日
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コメント
全然狂う気分ではないですが書きます。書いたら何か見えてくる。