天井を眺めていたら、朝が来た。一睡もできなかった。
「…………」
今日はよく晴れていて、窓から見える縁条市が眩しい。窓辺のクマのぬいぐるみがじっとこちらを見ている。ただじっと。
階下に降りて顔を洗い、コーヒー片手にリビングに行くと先生がソファに腰掛け、新聞を読んでいた。
「ああ、起きたかアユミ。昨日はお手柄だったな」
感情の薄い声で、褒められる。そのまま先生はこちらを振り返らなくなった。新聞の、花村さん一家殺害事件の記事を睨みつけている。
――――昨夜の出来事がフラッシュバックする。
自分が犯人だと告白したヒカルさん。わたしは、咄嗟のことで何もできなかった。何も言えないでいるうちに、ヒカルさんは儚い微笑みを残して、逃げるように去っていってしまった。
その後は家に帰り、先生と羽村くんに報告を済ませた。二人ともたいそう驚いていたけれど。特に、なぜだか羽村くんが苦々しい顔をしていたっけ。
「……先生。羽村くんは」
「さあ、朝イチに出ていった。用事だとさ。普通そうな顔してたが、あれは何やら急いでいたな」
いつも気怠そうな羽村くんは、たまに感情が読みづらいことがある。それでも、もうずっと一緒に暮らしているわたしたちには何となく伝わってしまうのだけれど。
先生は、ニヤリと笑って直感を口にした。鋭すぎる直感を。
「右京ヒカルを探しに行ったんじゃないか。これ以上アユミに関わらせる前に、って具合にな」
羽村くんの考えそうなことだ。何も言わず一人で行ってしまう辺り、特に。
「先生」
「なんだ」
悲嘆に暮れる花村さんの姿が過ぎる。彼女の家族を惨殺したのが、ヒカルさん? あんな優しげに微笑むひとが? 頭の中で、どうしても結びつかなかった。
「ヒカルさんを見つけたら……どうなるんでしょうか」
恐る恐る、口にした。途端、新聞を見る先生の目が刃物のように細められた。
「決まっているだろう、何人殺されたと思ってる」
連続殺人事件。
犠牲になった家族は数しれず。
先生は迷いひとつなく、ゆらぎ一つなく宣告した。
「即殺だ」
ばしゃん、と新聞紙を畳む音が耳に刺さった。
+
本当にヒカルさんが犯人なんだろうか。何かの、気の迷いで口にしただけなんじゃないだろうか?
「…………」
無責任な楽観が浮かんでは消えていく。
縁条市の夕闇は変わりない。わたしの影が伸び、公園のレンガの地面を這い続けている。
「……いないな」
一日中、街を探し回ったけれどヒカルさんを見つけることはできなかった。かわりに、街を歩くうち、何かおかしな気配に気づく。
「……誰?」
聞こえないよう小さく呟く。誰かに、ずっとつけられている。それも複数。いつまでもいつまでも、影のようにぴったりと張り付いている。
ヒカルさん――では、ないと思う。逃げる理由はあっても、わたしを尾行する理由なんてないはずだ。でも、だったら、誰だろう。
「…………」
噴水広場で立ち止まる。それでも、追跡者はアクションを起こさない。噴水の縁に腰をおろし、何を考えているのだろう、と視線を向けようとした瞬間――
「方法は決まったかい」
「!」
あさっての方向から声を掛けられた。思わず振り向きそうになったのを、押し止める。その歌うような声には覚えがある。噴水の、反対側にいる。
「……何の方法、かな」
「決まっているだろう? 僕を殺す方法だよ、狩人さん」
不吉を纏って、彼女は噴水の周囲を歩いた。わたしの目の前に立ち、変わらず優雅に微笑んでいる。
右京、ヒカルさん。
「――やあ、アユミちゃん。また会えたね」
「…………」
昨夜会った時と何も違わない。なのに、いまは、その微笑みがどこか薄っぺらな道化のように思える。
くるりと背中を向け、これから自殺するような投げやりさで言った。
「さあ、一思いにやってくれ。いつでも構わない。方法は任せるよ」
無防備に背中を見せ、両腕を広げて待っている。その姿に震えそうになる。
「……どうして」
「どうして? 悪いことをしたからだよ、人殺しは悪いことだ。僕は呪いを使い、何人もの家族をひどい目に遭わせてきた。異常現象狩りであるキミに罰せられるのは、自然なことだと思うけどね」
背中越しに、冗談でも言うように微笑み掛けてくる。
「こうやって、何人も怪物を退治してきたんだろう? そう、僕も怪物だ。昨日の鎧武者の悪霊と同じ、倒されるべき殺人鬼なんだよ」
「――!」
脳裏を、雨の日の血溜まりが、地下駐車場で血まみれになった羽村くんの姿がよぎる。
右手の震えが抑えきれない。胸が苦しくて、呼吸が浅くなる。
「……アユミちゃん?」
違う。
あんなのは違う。
きっと何かが間違っている。
「ヒカル――さん、」
「ああ、なんだい?」
何か方法があるはずだ。
血溜まりに沈むダレカの姿が目に焼き付いている。
何か、何か。
「わたしは――――ヒカルさんを、助けたい」
「――――」
ようやく、声を絞り出した。
ヒカルさんは信じられないものを見るように目を見開いていた。
「キミは……」
その顔が見れない。わたしは、必死で考えを巡らせていた。
「……そうか。そういうことか」
何を理解したというのか。その中性的な顔を苦そうにしかめて、まっすぐに言ってくる。
「僕は人殺しだ。それを、理解している?」
「……うん」
「呪いを使って人を殺した。何人も、何人も」
「…………分かってる」
いいや、きっと分かっていない。信じられないだけなんだ。繊細そうなヒカルさんが、一方的に誰かを害したという事実がまだ実感できないでいる。
「……呪いは、日に日に僕の心を蝕んでいる。だんだんおかしくなっていくんだ。自分が自分じゃなくなっていく」
その全身から、黒色が滲み出す。夕日の赤を濁らせるように、怨嗟が目に視えるカタチとなって具現化していく。
「ひとたび暴走すればもう、自分ではどうすることもできなくなる。正気じゃない。あんな、あんな惨たらしいことを平気で僕は……っ!」
その左腕から、色濃い呪いが炎のように吹き上がる。別人のように凄絶な顔をして、ヒカルさんはわたしを糾弾した。
「それでも――それでも、キミは、僕を放っておくっていうのか……?」
「」