左馬刻と出会ってから六年の月日が経っていた。
「なぁ、一郎。そろそろいっしょに住むか?」
「……それ、このタイミングで言う?」
中王区政権はとっくに崩壊し、ラップバトルはエンターテインメントの一つとして浸透しきった平和な世界が訪れていた。
決別してしまった原因がお互いの誤解からくるものだとわかって徐々に距離が縮まり、TDDのころと同じように気安く名前を呼べるようになって。左馬刻はまた合歓ちゃんと暮らせるようになって。
お互い忙しいから毎日とは言わないけど結構まめに連絡もとって、月に一度は飯を食ったりもして……。
そして、いま。ほんの少しだけ酒の力を借りて「友人」の枠を越え、「恋人」としての触れ合いを一通り終えた明け方のこと。
正直ずっと片思いを拗らせていた自覚はお互いにあったので、左馬刻の提案はそんなに唐突ではなかったのだけれど。
「なんだよ、いやか?」
「ん……そんなんじゃねーけど」
さっきまでさんざん俺の身体を好き勝手に暴いていた右手が優しく頬を撫でる。いままでこんな風に触れられたことがないから擽ったくて仕方ない。
「一番下がちゃんと大学入るまでは、っていろいろ渋ってただろうが。……もう自分の幸せ考えてもいいんじゃねーの」
「自分、の……」
そんなつもりじゃなかった。俺はただ二郎と三郎を立派な大人にしてやりたくて、それが長男である俺の役目だと思っていて。
いや、でもこんな言い方したらとんでもない偽善者野郎だな。いつかこいつが言っていたみたいに。
「つーか、俺様の幸せを考えやがれ。何年待ったと思ってんだ」
「……そっちが本音だな?」
おまえを一生幸せにしてやる、なんてプロポーズを夢見ていたわけではない。
だって俺は男だし。左馬刻だって男だし。
いや、身体の役割的には不本意ながら俺が受け入れる側になってしまったけど……。
俺は左馬刻に幸せにしてもらいたいわけじゃない。左馬刻といっしょに幸せになりたいのだ。
「で? 答えは?」
ラップバトルの時に脳髄に直接叩きこまれた声からは想像できないような、とろけるような甘い声が促してくる。
惚れた相手にはこんなことできる奴だったのかよ? 何人の女をそれで落としてきた?
からかうような返答が頭に浮かび、一瞬で消える。
「……うん。いっしょに暮らそう、左馬刻」
それからの展開は早かった。
俺が断るという可能性は微塵も考えていなかったみたいで、新居はすでに用意されていた。セキリュティーが万全の高層マンションの最上階で、場所は都内。ヨコハマとイケブクロの真ん中辺りで、絵に描いたような高級住宅だった。
施設で育ち、そこを出てからも兄弟三人で決して広くはない家に暮らしてきた身としてはとんでもない大豪邸だ。
真っ白な壁、傷ひとつないフローリング。部屋の隅に積まれている段ボールの山だけが妙に現実味を帯びている。
「二人で住むには部屋の数多いんじゃね?」
どこからツッコんでいいのかわからず間取りの話を振ると、ベランダで煙草を吸っていた左馬刻がこっちを振り向きもせず返事をする。
「大は小を兼ねるっつーだろ。問題ねぇ」
「はぁ……」
問題があるわけじゃない。ただ、もったいないんじゃないかってだけで。
あんまり金をかけてほしくないんだけど、なにを言っても聞いてくれないだろう。この人は昔からなんだかんだ俺に甘いのだ。
ベランダに出て左馬刻の隣に立つ。肌を焦がすような日差しは今日も絶好調だ。
新生活の始まりは春が多いけど、夏に始まるっていうのも悪くない。
「なぁ、合歓ちゃんは一人暮らし始めてるんだっけ?」
「んなもんさせるわけねーだろ。友達とルームシェアだっつって先に家出てった」
「あ、なるほど」
なんとなく引越しのタイミングがいいなと思ってたんだけど、合歓ちゃんの都合に合わせただけか。
そうだよなー。この人はそういうの無頓着そうだもんなー。
……いやでも、TDDのころの世話焼きっぷりを見てたからちょっとショックではある。ほんとにちょっとだけ。
「左馬刻、今日の晩飯はどうする? 蕎麦でも食うか?」
「蕎麦?」
「引っ越し蕎麦」
いつか寂雷さんに言われたこと。俺たちは似た者同士らしいので、きっとまた近い内に喧嘩をしてしまうこともあるだろう。でもまた仲直りして、それでまた左馬刻の新しい一面を見つけられたりして。
今日からはまた二人で同じ景色を見て生きていくんだ。
左馬刻が嬉しい時は俺も笑っていられるといいな。左馬刻のことはなんでも知ってるつもりでいるけど、これからまた何十年もかけて知っていければいいな。
「いいぜ、伊勢海老の天ぷらでものせるか?」
「いや、そこまで高いやつじゃなくてもいいわ」
いっしょに住むからにはまずこいつに節約という言葉を教えなければいけないかもしれない。
小さく溜め息をつくと、強引に腰を抱き寄せられた。左馬刻の香水と煙草のにおいが一気に近くなる。
「まぁでも、とりあえず今日はケーキだな。おまえ、意外と甘いもん好きだろ」
「……は?」
「誕生日だろうが。自分の誕生日忘れるほど忙しいんかよ」
ぶわっと体温が上がったのがわかった。
仕方ねぇなと言うように眉を寄せる左馬刻の顔を直視できない。
「……かよ」
「あん?」
「覚えてたのかよ、俺の誕生日……」
我ながら情けない声だと思った。案の定ちゃんと聞きとってもらえなくて、まったく同じ台詞を二度続ける。
二度目に発した疑問はきちんと左馬刻に届いたみたいで、煙草を咥えた口角が上がる。相変わらず悪い顔が様になるオトコだ。
「偶然だったとでも思ったか?」
そう、今日は七月二十六日。俺の誕生日なのである。
出会ったころの左馬刻と同じ二十三になるわけだけど、全然実感がない。
あのころの左馬刻はとても頼りがいのある大人に見えたのに、実際同じ歳になってみると二十三なんてまだまだガキだなと思う。酒も煙草も許されている年齢なわけだし、法律的にはちゃんとした大人なのは間違いないんだけどな。
「……俺さ」
「ん?」
ゆっくり左馬刻に凭れかかると、支えるように肩を抱かれた。
俺の方がガタイはいいはずなのに、こういう扱いをされると自分がすごく華奢になってしまったかのような錯覚を覚える。
「施設出てから誕生日は毎年弟たちと過ごしてたから……なんと言うか、はじめてなんだよな。こういうの」
「……こういうの」
「その、彼女? じゃなくて、彼氏……いや、恋人? と、こういう風に過ごすの」
適切な言い方がわからなくて言い淀んでしまった。
と言うか、実感がない。身体の関係から始まったと言ったら語弊があるけど、実際そんな感じだし……。この関係を知ってるのも弟たちと、あと乱数と寂雷さんぐらいか?
まぁでも、それは些細な問題だとは思う。こうやって左馬刻が隣にいてくれればそれでいい。
背中を預けてバトルするのも、敵として殺し合いにも近いバトルをするのも楽しかったけれど。
「一郎くんよぉ……」
「ん?」
妙に気の抜けた声が聞こえてきて顔を向けると、なんとも言えない複雑な顔をした左馬刻がいた。
照れ……いや、怒ってる? どういう表情だよ、それ。
「そういうの、俺様以外に言うなよ」
「そういう……? って、どういう?」
「あー、わかんねーならいいわ。忘れろ」
「はぁ!?」
正直まったくわかんねぇ。
俺はただ本当のことを言っただけだ。はじめて家族以外と過ごす誕生日が左馬刻なんだぞ、って……。
「……忘れてくれ、さっきの」
指摘されて気付いた。すっげー恥ずかしいことを口走ってしまったことに…!
「いや、無理。あいにく記憶力には自信あるんだわ」
「ぐぅうう…!」
「ハハッ、吠えんな吠えんな」
優しく触れていた手が乱暴に肩を叩いてくる。
サマトキサマはとんでもなくご機嫌のようだ。不本意ながら俺のお陰で。
「んじゃ、蕎麦の出前でもとるか。伊勢海老のせてやるよ」
肩に触れていた手が離れた。携帯灰皿を取り出して煙草を潰した左馬刻は、一つ伸びをしてリビングに入っていく。
俺もそれに続くように中に入っていった。
あー、まだ顔が熱い。変な汗かいちまったし、蕎麦待ってる間にシャワーでも浴びっかな。
「一郎」
前を歩く左馬刻に名前を呼ばれて顔を上げると、これまた強引に腕を引っ張られた。油断しきっていた俺はバランスを崩してしまう。
自分の足に引っ掛かるという器用なことをしてしまった俺は、そのまま床にへたりこんだ。火照った身体にはフローリングの冷たさが天国のようで。
俺に引っ張られるように膝をついた左馬刻は、なぜかとってもいい笑顔を浮かべていた。
「さま、」
「手」
「……は?」
「手ぇ出せ、幸せにしてやっから」
いや、意味がわからない。わからないけど、これはきっと圧倒的に言葉が足りないってやつだ。
こいつがなにをしようとしているのか予想ができてしまい、けれど大人しく左手を差し出す。
満足そうに笑った左馬刻は、ジーンズのポケットから小さな箱を取り出した。紺色のジュエリーボックスが開き、中に入っていたのはやっぱり予想通りのもので。
「……思ってたよりシンプルなのな」
「あぁ? ゴツい宝石つけんのは婚約指輪だろ。これは結婚指輪だからな」
「っ!」
さらっと恥ずかしいことを言う男だな、本当に…!
差し出した手を下から掬われ、薬指に指輪が通される。飾りっけのないシルバーリングがキラッと光った。
「いやってぐらい幸せにしてやっから覚悟しとけよ、一郎」
いつの間にか揃いの指輪を身につけていた左馬刻に抱きしめられる。身体の内側からぶわっと熱がこみ上げていくようで、なんとも言えないむず痒さを感じた。
「て言うか、なんでいま……?」
恥ずかしさとか嬉しさとか、いろんなもので緩む表情を悟られないようにわざと可愛くないことを口にする。
でも左馬刻はすごく嬉しそうに笑ったままで、それを見て更に恥ずかしくなった。
なんだよ、その顔。おまえが幸せなら俺も幸せだぜ、ってか? 少女漫画に出てくるイケメンかよ。
「……左馬刻のことも幸せにすっからな、俺が」
「はっ、上等」
結局なにもかもよくわからないタイミングだったけど、どうやら俺と左馬刻は未来永劫ずっといっしょにいることが決まってしまったようだった。
もしかしたら左馬刻は意外とこういうことをさらっとできない人間なのかもしれない。なんかそう考えると可愛いなぁ。
「なぁ、この指輪って今朝からここに入れてたわけ?」
背中に回していた手を下ろして尻を撫でた。
念のため言っておくけど、べつにセクハラしているわけではない。
「……仕方ねぇだろ、プロポーズなんてしたことねーんだからよ」
「うひゃっ!」
仕返しとばかりにガシッと尻を掴まれ、変な声が出てしまう。
こっそりと表情を窺うと、左馬刻はまだ笑っていた。なんでプロポーズした側の方がこんなに嬉しそうにしてんだ……?
「一郎ぉー、表情緩みきってんなぁ?」
なんて思っていたら、思わぬ指摘をされてしまい反射的に頬をおさえた。
あぁ、いますぐ鏡がほしい。俺はいま、どんな顔をしてあんたのこと見てる……?
ぱちっと視線が重なる。赤い瞳にうつる俺の顔は確かに史上かつてないほど緩んでいて(推しのバースデーガチャで大勝利した時でもここまでじゃなかった)、なにも言い返せないとはこのことだなぁなんて。
「……言っとくけど、あんたもすっげぇご機嫌な顔してっからな」
「あぁ? 当然だろ、やっとおまえを手に入れられたんだからな」
「…っ…!」
あぁ、悔しい。可愛いなんて言ったけど前言撤回させてくれ。
やっぱりこの人には永遠に敵う気がしない。常に一枚上手だ、残念なことに。
「それは……俺も、だし」
小さな声でそう言い返すのがやっとで、左馬刻は更に嬉しそうに笑った。
「んじゃ、とりあえずテーブル出すか。おまえ実家から持ってきてたろ、ちっせーやつ」
「……ん」
自然な流れで左手をすくわれ、まだ手に馴染まないシルバーリングにくちづけられた。
「今日はたっぷり甘やかしてやるから覚悟しとけよ」
「…っ…!」
きっとお互いに違う恋もしてきた。何度もすれ違って、でもようやく道が交わって。
ようやくひとつの道を歩くことになったその先に待っていることなんてまだわからないけど……。
「手加減してくれよ、ダーリン」
「そりゃおまえ次第だわ、クソガキ」
「そこはハニーって言っとけよ!」
幸せになれる気がする。こいつといっしょに歩いていれば、きっと。
シンプルなリングの内側に彼の瞳と同じ色の宝石が埋め込まれているのに気付くのは、もう少し後の話。
おしまい!!!!!!!
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向き
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エア新刊書くよ
初公開日: 2020年05月04日
最終更新日: 2020年05月04日
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