「例えば、僕らがこれから乗る飛行機の行き先を自分で決められるとして、君ならどこへ行きたいですか?」
お客様とニューヨークでの商談の後、"偶然"にも俺の滞在するホテルのロビーで出会った英国紳士は、茶目っ気たっぷりと言わんばかりの表情でウィンクをしながら航空券を押し付けてきた。一緒に投げかけられた問いは一旦無視をして、手元に収まるチケットを確認する。スマートフォンのコードを翳せば大抵のことが済んでしまう時世に、わざわざ航空券を印刷して寄越すとは。出発時刻は明日の午後8時、行き先は黒く塗りつぶされている。何かのジョークだろうか。
「これ、どこに行く便ですか?」
口にしてから、まず勝手に航空券を買ったことを責めるべきだったと気付いた。航空券の名義は俺になっている。SEIGI NAKATAー間違いなく俺の名前だ。どこだと思います?なんてニヤニヤしながら聞いてくる英国紳士ージェフリーは、同じ便名が書かれた紙のチケットをもう一枚取り出した。ご丁寧にそちらの行き先も塗りつぶされていて、あぁまたこの人の悪い癖が出たのだな、と面倒くささに息を吐いた。
「それで、ですよ。ここには行き先不明のチケットがありますよね。僕らはこれからこの飛行機に乗ります。君はその飛行機がどこへいけばいいと思います?」
太平洋のリゾート?街並みが美しいヨーロッパの古都?馴染み深い大都会?それとも、慣れ親しんだキャンディの家?
くるくるとよく回る口は忙しなく動いて候補地を並べてくれるが、そのどれをも選んで欲しくないという感情が声にありありと含まれていた。
どうしてこの人は、こんなにもよく話すのだろう。
「ジェフリーさんは、どこに行きたいんですか?」
そういえば、先週末のビデオ通話でヘンリーがまたこの人の多忙を嘆いていた。一時期は全く普通の人間の生活をしていると思っていたのに、最近は以前のような生活に戻ってしまった。このまままた寝る以外は仕事をする様な生活を送るつもりなら、今度こそ本当にインターネットの使えない南の島にでも送る必要がある。あれは仕事を生きがいとしているなんていけしゃあしゃあというけれど、本当は仕事に逃げているだけなんだ。プライベードで直視したくない問題があるときは特に。など、およそ1時間半の通話のうち、7割くらいはジェフリーへの嘆きが占めていた。いけしゃあしゃあなどという語彙をどこで仕入れてきたのだろうか。この三兄弟ー正確には兄弟と従弟ーは時々妙な日本語の単語を覚えては使ってみたかったのだと妙に嬉しそうにしてくることがある。
「僕はどこでもいいですよ。それより、君の行きたいところを知りたいなぁ。」
手元の航空券を手持ち無沙汰に撫でてみる。明かりに向かって翳してみても、抜かりなく、元の文字列が透けることはなかった。さてどこへ行きたいかと問われても、俺が思い浮かべるところなんて、この人はすぐにわかってしまいそうなものなのに。
南の島はそれなりにいいかもしれない。太平洋のリゾート地には、沖縄県は含まれるのだろうか。高校の修学旅行で初めて飛行機に乗った時、上空から眺めた沖縄の海の青さは今でも思い出せる。そういえば、あの海の色はジェフリーの目の色に似ていた。
この航空券さえ押しつけられなければ、俺は明日の飛行機でニューヨークからコロンボへ飛びり、2週間の休みをキャンディでだらだらと過ごす予定だった。ついでに言えば、ラナシンハ・ジュエリーに俺が就職してから初めて、リチャードと長期休暇が被っている2週間だ。丸2週間ではないが、後半の6日間はリチャードもキャンディで過ごす予定になっている。だから、できればキャンディに帰りたいな、というのが俺の正直な気持ちだった。