夜のこたか広場に、ばし、どか、と、何かぶつかり合う音が続く。渡部はさして興味もなさそうにしながら、しかし確かに口を開いた。
「盾、一つだけじゃないんだね。広場の出入口を塞いだやつだけになるのかと思ったよ」
「あまり多いと、注意力散漫になるがな。だが、このくらいなら問題ないだろう」
答えた信元の両腕には、肘から手首にかけて、防具のように迷彩の盾が張りついていた。信元はその盾で渡部の拳を受け止めて、湾曲したその表面でいなして相手の懐へ踏み込む。躊躇なく渡部の顔を掴もうとしたその手の先で、渡部が軽く顎を引いた。
渡部が顎を引く、額の位置が下がって角度が変わる――つまり、彼の額当てから突き出した灰桜の鋭い双角が信元の体へ向く。
「ふっ、」
短い呼気とともに渡部の身体が一瞬沈み、そこから跳ね上がるように双角が信元の伸ばした腕の付け根、肩口へ突き込まれる。すぐに片足を引いた信元だったがわずかに間に合わず、信元の身をかすった角は浅く皮膚を裂いて赤く汚れた。
「……」
ダメージではあるがそれはごく浅く、騒ぎ立てるものでもない。信元は傷を無視して両腕を伸ばし、渡部の服、その肩の布地を掴んだ。
そのままぐっと腰を落とし重心を下げて足を踏み締め、渡部の体を大きく振り上げて背中から広場の路面に叩き落とす。
「っ、げほっ」
叩きつけられた衝撃で渡部が咳き込む。その胸元にあえて片膝を乗せ、信元は渡部の首元を掴んで詰問した。
「自分の石を汚してまで取る戦法ではないな。……何が狙いだ?」
「? 別に……ああ、そうか、輝石工房の人たちだもんね。気になるか。……俺、元々そんなにおとなしいほうじゃないからね。だから、表面の汚れってそんなに気にならなくて」
にたりと、渡部の唇がいびつに歪む。
「むしろ『鬼神の呪い』がかかってるときは、ちょっと汚れてるくらいのほうがうまくタガが外れて楽しくやれるかな」
その語尾の余韻も消えぬうち、渡部の体から灰桜の爆炎が噴き上がる。もう何度目かの光景に信元も眉間へ深くしわを刻んで、熱を持たない光だけの炎の中で渡部の動きを封じようと試みた。
けれどこの炎は、牙前の『RULE』の副産物。炎の大きさが、烈しさが、何を表すのか、信元はとっくに知っている。
「ははっ、無駄だよ!」
案の定、信元が体重をかけた膝も手も渡部に払いのけられ、あまつさえガラ空きの胴に蹴りを入れられて信元はぐっとむせるのを耐える。しかし引き換えに立ち上がるのが遅れた信元の顎めがけて、渡部は爪先を振り上げた。
ピエタの故郷を取り戻したい。その鷹条の叫びを聞いてなお、木邨は剣を下ろすことができなかった。動揺のまま顔を歪めながら、それでも木邨は風の檻ごしに鷹条を見て声を押し出す。
「……それでも。こんなやり方、間違ってる。正しくない」
「じゃあ本当に正しいことって何だ!?」
鷹条の怒号は風刃となって木邨を襲った。ごうごうと吹き荒れる烈風の檻の中で、青い燐光の形作るいくつもの三日月が、木邨の目の前へ乱れ飛ぶ。木邨はそれをなんとか『幸福の守護者』で斬り捨てて、それでもすべてはいなしきれずに服の裾や腿の端などが幾筋も裂かれた。
木邨はなお顔を歪め、しかし、鷹条の怒号は止まらない。
「このままピエタが自分の家に帰れないのが正しいことか!? 王族のピエタが国を見捨てるのが正しいことか!? あいつが故郷を想うのがそんなに悪いことなのか!?」
「…………」
木邨はじっと唇を噛んで、ただ青い三日月を白い剣身で払うことだけに集中した。それが正しいとは、木邨だって思わない。だが、ならば人の輝石を奪っていいのかということになれば、それだってけして正しくはなかった。
正しいことなんてどこにもなかった、少なくとも今は、この場所には。木邨はそれを悔しいと思って、だから、彼らを違う場所に連れて行きたくて、『幸福の守護者』を正眼に構え直した。
ぽつりと、木邨はゆっくり呟く。
「……あんたは、あんたたちは優しいな。でも正しくない。そんなんじゃ誰も幸せにはなれない」
木邨は、ふう、と長く静かに息を吐いて、それから、まっすぐに鷹条を見据えた。
「国家一級鑑定士木邨龍、……制圧を開始します」
「馬鹿が、やってみろ!」
鷹条の挑発には乗らなかった。木邨は、今度は短く、そして鋭く息を吐くと、『幸福の守護者』の切っ先を下げて右側の下段に構え、風の檻も恐れず一直線に駆け出す。すぐに木邨の体を搦め取って妨害する風の感触は水中での流れに似ており、木邨はそれを、下段から逆袈裟に斬り上げた。そうして作った風の間隙に身を滑り込ませて、木邨は風の檻を脱する。
「チッ、」
舌打ちをした鷹条の背後で、青い燐光に縁取られた鷹が風の声で鳴いた。その鷹が何度も羽ばたくと、そのたびに翼から三日月の風刃が生まれて木邨へ襲いかかる。木邨はそのいくつかを斬り払い、いくつかは頭を下げて躱し、いくつかを跳び越えて鷹条を自らの間合いに捉えた。
腕を伸ばして剣先を向ければ鷹条に届く、その距離で木邨は急に剣の持ち方を変える。彼は利き手側で腰の横に構えていた剣を耳の横まで持ち上げ、それと同時に、剣身に近い側で順手にしていた右手を滑らせ逆手で柄頭側を掴んだ。