「えっ、ええ……!?」
阿久野に抱えられて空中からトラックを見下ろしたピエタは、目を白黒させながら顔面の潰れたトラックと阿久野の背中の青い風とを見比べた。バイクでトラックの前方に乗りつけ、全力でトラックの顔を殴って無理やり止めた渡部の額当てから、鋭い双角がはらはらと花びらになって散る。
渡部は頬にかかった長髪を掻き上げて夜風に翻し、トラックの運転席を睨んで呟いた。
「……誰も乗ってないじゃないか。逃げたな」
一発くらい殴ってやりたかったけど、と小さくひとりごちた渡部は、しかし輝石が顕現を解いて額当てから髪留めになるとすぐに長髪をまとめてトラックの後方へ駆け寄った。
「ピエタ、恭二! 研磨師さんも!」
《すんません、俺はそろそろ発動が限界っす。あとのこと、頼みます》
「オーケー、恭二、ありがとう!」
みのりの返事があってから、阿久野の背で青い翼が形をほどいてつむじ風になる。その風に支えられて降下した二人の足がアスファルトにつくと、青い風はその色を消しながらさあっと流れていった。
バランスを取り損ねてよろけたピエタを渡部が支え、その様子を見ていた阿久野がほっと胸を撫で下ろす。ピエタの奇跡の発動が止まったことで体の動くようになった泰河と牙前もすぐに合流した。
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牙前は、足音につられて泰河たちのほうを見ていたピエタと目が合った途端、眉尻と目尻を吊り上げて彼の胸倉を掴んだ。
「えっ、わあっ!?」
「ちょっと、いきなり何するの!」
「漣、よせ!」
渡部と阿久野の制止も無視し、牙前はピエタの紫紺の双眸を睨みつけて低く声を押し出した。
「今テメエの持ってる石全部出せ。誰と繋がってやがる」
「え……。あっ」
牙前の言葉に、ピエタは少しだけ眉を寄せたもののすぐに何か思い当たった様子でぬいぐるみのマントの下を探った。そこには小さな巾着袋が紐で結びつけられており、ピエタはその紐をほどいて巾着の口を開く。
「これ、もらいもの。九郎の石……大事だから、カエールに持ってもらってた」
ぬいぐるみの首にかかった雪花のペンダント、そのチェーンの背中側・マントの下に紐で結わえられていた巾着袋には、ピエタが清住から受け取ったときの懐紙ごと深緑の輝石が収められていた。思わず中を覗き込んだ阿久野が顔をしかめる。
「これは……」
「まずいんですか? 研磨師さん」
渡部の質問に、阿久野はゆっくり言葉を選びながら答えた。
「石の中の光がだいぶ不規則なので、あまり良い状態ではないですね。小粒ですし少量なので、持ち主に影響が出るほどではなさそうですが……。ただ」
阿久野はちらりとピエタのほうをみて、視線に気づいたピエタがぴゃっと肩をすくめて小さくなる。阿久野は自分の手元に視線を戻し、巾着袋の紐を引いて口を締めた。
「……ただ、その光り方が、さっきのピエタ王子と同じでした。なので、この輝石が何らかの形で王子、もしくは王子の輝石に干渉していた可能性はあります」
輝石に干渉、と渡部が硬い声で繰り返し、自覚のなかったであろうピエタが目を見開いて渡部の服の肩を掴む。阿久野は少し屈んでピエタと目線を合わせ、口を閉じた巾着をピエタの手の上から持ち上げた。
「これは、私たち輝石工房が預かっても構いませんか? 返却できるかどうかは、検査・鑑定してみないと分からないのですが……」
「…………」
ピエタの視線が、迷うように下方で揺れる。しかし、ピエタが返事をするよりも先に渡部が言い切った。
「いえ、返却は結構です。輝石工房さんが検査など適切な対処方法をご存じなら、このまますべてお任せします」
「みのり!」
ピエタが慌てて渡部の袖を引く。しかし、渡部はきっぱり首を横に振った。
「駄目だ。この石はピエタが清住本人から貰ったもので、ピエタがこの石を手放すこと、この石が輝石工房さんに渡ることは清住にとって不本意かもしれないけど、その石がピエタに何かしてたんだったら、俺は清住を許さない」
袖を掴むピエタの手を外して、渡部は阿久野へ深く頭を下げた。
「よろしくお願いします。もし、他に何か必要なものがあれば揃えます」
「分かりました。この石は、輝石工房フレームが責任を持って対処します。……王子も、それで構いませんね?」
「……はい」
ピエタは、渡部の横で彼と同じように深く頭を下げた。
「よろしく、お願いします」
その後、輝石工房の共用車が現場に到着すると後部座席のドアから鷹条が飛び出した。それから一直線にピエタやみのりに駆け寄る鷹条の背中を見て、木邨は思わず苦笑ぎみに噴き出す。
「ついさっきまで、後ろでぐったりしてたのになぁ」
奇跡は概ね、遠隔や長時間での発動は負荷が高い。その例に漏れず、ピエタと阿久野を道路に下ろして発動を止めた鷹条もしばらく後部座席で疲弊しきった様子だった。それが全力で仲間のところまで走っていくのだから、笑いも出ようというものである。
元々トラックが人通りの少ない方面へ向かっていたので、幸運なことに渡部がトラックを大破させた以外は周囲の損傷もほとんどない。その大破したトラックも、木邨と信元、鷹条が車で合流する頃には、『鬼神の呪い』や『RULE』を駆使して人力で路肩に寄せてあった。そうして交通の妨げになることを極力避けつつ、今は阿久野が連絡したレッカー車を待っている状態だ。
車を降りた信元に怪我の有無を尋ねられ、首を左右に振って答えた阿久野は、しかし眉間にしわを寄せてトラックを示した。
「荷台はカラだ。運転席もな。ピエタ王子の奇跡が催眠系だから、誰かワープか何かの奇跡を持ってる奴が他にいるんだろう」
「……なるほど」
静かに頷いた信元は、黙って路肩のトラックの荷台を開けた。そこは阿久野の言葉通りもぬけの殻になっていて、ピエタたちが集めていただろう輝石は、ひとかけらも残っていない。信元はまたも黙ってトラックの荷台を閉めると、阿久野や渡部たちを振り向いた。
それからいくつかの話し合いや予定のすり合わせがあった後、ピエタと泰河・牙前の未成年三人が信元・鷹条と一緒にフレームの車に乗り、渡部が自分のバイクに跨ってそれぞれの車体にエンジンがかけられる。商店街へ向かうバイクと、同じく商店街へ向かって鷹条とピエタを下ろした後に虎牙道らぁめんへ泰河と牙前を下ろしてくる予定の工房共用車を、阿久野と木邨がトラックの脇から見送った。
その阿久野と木邨を、さらに見下ろす人影がある。
路肩に寄せたトラックのそばの電柱、その上に立った人影は、彼らを見下ろしてひょうきんな様子で眉を八の字に下げた。
「にゃふ~ん、くろークンの奇跡も破られてしまったでにゃんすか。これは厄介なことになりそうでにゃんすねぇ……」
ああでもないこうでもない、と口の中でにゃむにゃむ落胆と不満を転がした猫楊は、とん、と電柱の上端を蹴って背中から夜闇に身を投げ出す。その背を、薄い光の膜が若葉と桜の色でマーブルを作りながら包み込むと、猫楊の体はもうその空間には存在しなかった。
ただ、二色の光が視界の端でちらついた気がして、阿久野はふとトラックの横の電柱を見上げる。
「英雄さん?」
隣にいた木邨が不思議そうに阿久野の視線を追い、しかしその先にはただの電柱と夜の景色だけが黙って存在するだけだ。視線を阿久野に戻した木邨が首を傾げて、光の正体を掴み切れなかった阿久野も、同じように首を傾げる。
「窓ガラスか何かの反射かな……?」
阿久野はそう呟いて、少し目を擦ると視線をトラックへ戻した。