さてさて。どうしてだか人の頭の上に突然現れた文字列の意味はなんなのか。
身近な人間での例だとヒルダにはマリアンヌが、マリアンヌにはヒルダの名前があった。あとは、
「ディミトリには俺の名前、ねえ」
親しい人間の名前、だろうか。しかしヒルダとマリアンヌは当てはまるとしても、ディミトリとクロードは隣の学級の級長同士といえどそれほど会話をしたわけでもなく、互いに他に近しいと思える人間はいる。幼馴染みが多く在籍している彼ならば自身よりも特にそうであろう。いつでも三歩後ろで付き従うドゥドゥーとも数年の付き合いがあるようだし。
ならばその時に会話していた相手、という説だが寮へ戻る間に見た人々は一人であっても頭上の名前は浮かんでいた。近接している相手がおらずとも遠くで一人佇む女生徒にもあったことを確認している。
一日頭を捻っても答えは出てこない。比較対象が少ないのだからそれも当然だが、仮説を立てても否定要素が絡みついてくる。不思議なのは傭兵上がりのあの先生の上には何もなかった、というところか。他の人間にも時折何もない、言ってしまえばいつも通りの正常空間な者は数は少ないまでもゼロではなかった。クロードに見えていないだけなのか、何かそこにも条件があるのか。
「おっと、ヒルダ、とマリアンヌか。あの二人もすっかり仲が良くなったものだな」
入学当初は人を避けるようにして過ごしていたマリアンヌだが、怠惰で面倒くさがりなヒルダの面倒見の良さが遺憾なく発揮されて今では同じ学級の人間とならばそれなりに会話も出来るようになっている。あくまでそれなりに、だが。
だから、クロードはつい足を止めてしまった。そもそも寮の端の木陰で二人して人目を避けるように立っていることに気を引かれたのだ。
距離が近付いたことは喜ばしいが、それでも彼女の笑顔というものは稀だ。ささやかなものだが、それでも確実に微笑んで、ヒルダの頬に手をやって、そして。
あれだけ見せつけられれば自ずと理解できてしまう。マリアンヌの穏やかで密やかな微笑み。ヒルダがマリアンヌに見せた溶けるような瞳の色。
ゆっくりと、触れ合った、唇たち。あの瞬間は覗き見ても良いものではなかった。そのつもりがなくとも罪悪感が湧き出てくる。あの二人は「そういう」関係を築いていた。
当然吹聴するつもりもないが、当人たちが隠していることを知ってしまったわけだ。秘密を探ることは多少なりともわくわくするが、恋情まで踏み荒らす気など毛頭ない。
更には、クロードは直感してしまった。あの頭の上の名前は想い人を示すものである、と。そして陽にとけるような金色の、空に透かした蒼の瞳を思い出す。自身をおそらくは想っているのであろう彼を。
ああ、なんて力を与えてしまったのだ。これが女神様の気まぐれだとすれば、どうして俺なのかと嘆きもしたくなる。秘密は探るものであって、剥き出しでそこに置かれたものは好奇心を擽りえない。更には本人が意図しない状況で勝手に覗き見られるとは。もしもクロードの心が預かり知らぬ場所で晒されていたならば海に飛び込んだかもしれない。
頭を抱えながら、大きな寝台に飛び込みそのまま逃避するように眠ることにした。
次の日にはけろりとして、どう「上手く使うか」を考えるクロードが見たい。