「ゼファー。ゼファー」
「……また、お前か」
彼は果たして何人目のアレンなのだろう。今宵の相棒の姿もまた見るに堪えないものだった。
腹部には大きな風穴が出来ており、鮮血が壊れた蛇口のように滴り落ちている。その吸い込まれそうな風穴の向こうに存在する暗闇に、あの邪竜の腹の中を思い起こされ酷い嫌悪感を抱いた。僅かに眉を顰めた俺を見て相棒はにこりと微笑んだ。その真意を読み解くことができず俺は視線を落とす。
アレンはただ俺を責め立てたいだけなのか。小さな心当たりはあるが何を求めてそこにいるのか、なぜ俺の夢に現れるのかがわからなかった。
「お前は一体どうしたいんだ。今ここにいるお前が俺のことを憎んでるなら、思うままに罵倒してくれればいい。俺はそれを甘んじて受け入れるさ」
俺の知ってるアレンの優しさは、時折酷く痛かった。甘い蜜は摂取しすぎると時として毒となる。ならば――
「……この"僕"は本当に、君が都合良く責められたいだけで、自分勝手な考えで生まれた僕なのかな。"僕"が君を憎んでいないって、どうして思えるのかな。ゼファー」
眼前の相棒の言葉に瞠目する。
「……思えるさ」
震える声を抑え込み悠然を装って答えてみせる。
罪があって、罰がある。それを彼らは知っている。彼は知っていた。そう理解はしていても俺の手を簡単に手放すことはできない奴だった。俺だけに背負わせることはできないとかぶりを振って、頬を伝う雫を拭うこともせずに――
アレンは、俺のことを信じてくれている。
「——信頼と憎悪は別の感情だよ」
振り絞った俺の言葉を、彼は一蹴した。
「こんなにも、痛かったんだ」
佇む相棒は己の腹部の風穴にゆるりと手を添えた。溢れ続ける鮮血により彼はその場で血の池を作り続ける。
「君と死闘を繰り広げていた僕達に記憶はなかったけれど、"僕"はそれを取り戻した。恐怖も、苦痛も、——憎悪も。目の前でサラが無惨に切り裂かれ、リッピが全身を業火に焼かれて。僕の腕が切り落とされたこともあったよね。ちゃんと覚えてるでしょ、……"リリウム"」
彼らの、輪廻の記憶。最初は、お前達の命を奪うことを躊躇い手酷い反撃を受けた。だが邪竜の魔力が全身に巡るのを感じて、気付けばお前達は変わり果てた姿になっていた。魂を固着する儀式は俺の力量不足により失敗する。耳朶に響く邪竜の嘲笑がやけに煩い。わかっている、次こそ儀式を成功させて、少女を救う。
何度も何度も何度も。永劫に繰り返される輪廻。もう何度彼らをこの手で裂いたかわからない。幾度命の灯の消え失せた彼らの姿を目にしたかわからない。邪竜の暗示に掛かり続けて辿り着いた果ては、文字通りの死闘だった。聖なる光が闇を照らし、気付けば俺の身体は浄化されており、周囲には彼らが立っていた。そして相棒は俺に憎悪を向けることなく本当に闘うべき相手は邪竜だと、悪意に鋭い眼差しを向けていた。
そこにあった"彼"の憎悪の対象は、確かにニーズヘックに向けてのものだ。けれど、目の前のこいつは?今まで命を散らしていった彼らはどうだ。どうして俺を憎まずにいたと言える。彼らにとって俺は邪竜の力を身に纏ったリリウムだったのだ。
隠しきれない動揺が心を濁らせていく。"お前"は、"お前"じゃない。なのに。無条件の信頼が、届かない強さが、眩しすぎる光が――闇に覆われていく。
右腕に違和感を抱いて視線を移せば、かつて得た力があった。禍々しい魔力が宿った、確かに彼らの命を奪った腕。その腕をいつの間にか俺の側に佇んでいたアレンが手に取って、自身の首にそっと添えた。
――――やめろ。この、光景は。あの時と、
「首を絞め付けられたこともあった。これは全て、"ゼファー"がやったことだよ」
微笑んだアレンはそう言い残して事切れたように――否、事切れて、どさりと崩れ落ちた。罪の証でもある大きな血の池を形成して。
「俺、俺はっ……俺、は………!!」
絶望のままに目を伏せる。右腕で顔を覆うと、血の匂いとどろりとした感触が襲った。
「………、ファー……てる?………」
こえが、きこえる。これはアレンの声だ。お前は死んでまで俺を責め立てるのか。もうわかった。わかってるよ、アレン。俺は―――
「ゼファー、大丈夫?」
開いた双眸に、アレンの手が迫っていた。
「来るなッ!!」
ぱしり。乾いた音を立ててその手を勢いよく振り払う。弾かれたように飛び上がり肩で息をしていると、視界が晴れていることに気付いた。ここは、どこだ。荒れた呼吸を整えるよう心を落ち着かせ思考する。血の匂いは消え失せて、耳を澄ませば鳥達の声。差し込む光は太陽のもの。ここは――現実だ。
――なら、今俺に手を伸ばしたアレンは。
恐る恐るそこにいる彼に視線を移すと、アレンは、酷く驚いた顔をしてこちらを見つめていた。
「ッ、悪い!!お前だと、思わなくてさ……痛かったろ」
はっとして振り払ったアレンの手を取り摩ってやる。微かに上擦った声を出してしまったがアレンはそれを気に留めるわけでもなく、緩慢に首を振った。
「痛いのは、ゼファーでしょ」
その言葉に、呼吸が止まった。眉尻を下げてこちらを見つめるアレンの新緑を想起させる瞳には隠し切れない悲しみが宿っている。しかし全て見透かされているようで、俺は見て見ぬ振りをした。
責められたいと思う心理は自分が楽になりたいからだ。邪竜の甘言に乗り裏切った俺を救ってくれたみんなの優しさが棘となり、心に痛みを生んでいる。彼らの優しさは本物なのに、それを俺が勝手に痛みに変換してしまっているのだ。
……乗り越えたと思っていたはずなのに。俺が作り出したであろう相棒に傷を開かれ抉られて、あっさりと闇に呑まれてしまう。過去の罪に苛まれるのは構わない。俺はこの痛みと永遠に向き合い続けなくてはならないのだ。だが、こんな様ではみんなが協力してくれている贖罪の旅は――
アレンの顔をまともに見れる気がしなくて、それ以上アレンと目を合わせられなかった。
「大丈夫だよ、ゼファー」
アレンがそっとゼファーの背中に手を添える。アレンのその手もまた、人知れず震えていた。
悪夢はゆっくりと、しかし確実に俺達を蝕んでいった。
覚醒して最初に顔を合わすのは当然ながら同じ部屋に泊まる相棒だ。普段なら相棒の方が席に目が覚めているのだが、今日は珍しく俺の方が先だった。隣のベッドで眠るアレンはどうやら悪夢に魘されているらしく、苦しげな様子に相棒の名を呼び肩を揺すって起こしてやる。
「う……おは、よう……ゼファー」
「はよ。お前、えらく魘されてたぞ」
ま、この町にいるんだから当たり前か。毎日のように悪夢を見せられ続ければどんな屈強な人間であれ憔悴する。この一件は精神論でどうにかなるものではないのだ。
さすがの相棒も参ったらしく、深い一息を吐いて額に滲んでいた汗を拭った。平気か、と問い掛けてから言葉選びを間違えたことに気付く。こう聞けばアレンは笑みを浮かべて大抵、同じ答えを返すのだ。
「うん。大丈夫だよ」
――ああ、ほらな。
隣の部屋で眠っていたカナとサラ、そしてリッピと顔を合わせる。彼女達にも隠し切れない疲労が現れておりどこか表情が沈んでいたが、みな多くを語ろうとはしなかった。
自分たちが滅入ってしまう前にどうにかしなくてはと、町の周囲の様子を改めて見て回る。豊かに生い茂る自然の中に住まう動物にも目立った異常は見られない。時折遭遇する魔物を倒して追い払っても、探知の術を使用しても、やはり何も感知できないままだった。
「うむむ……ゼファー様は何か感じられますか?」
「いや、俺も何も感じない。参ったな……」
お手上げだ、とは言いたくはなかったが事態は一向に進まない。明確な手がかりも痕跡すらも見つけられず、思わず頭をがしがしと掻いた。
「うーん……人為的な物で、誰かが町のどこかに何かを残したり、隠したりしてないのかしら?」
「一度調べたけど……そうだね。カナの言う通り、術に干渉されない細工をしてるのかもしれない」
「もしかしたら空気と同じで、当たり前にそこにありすぎて気付けてないってこともあるかも、だよね」
カナの言葉にアレンが頷き、サラもまた同意した。一度町へ戻るためサラを先頭に歩を進めていく。——が、ふと俺だけが立ち止まった。
「…………?何だ……?」
去り際にどこからか視線を感じて振り返るが、そこにはただ日光を浴びている新緑の木々がそよ風に揺られているだけだ。人も、魔物も、動物も、生物の気配すら感じなかった。
立ち止まっている俺にアレンが訝しげに声を掛ける。
「ゼファー、どうかした?」
「……いや、何でもねぇよ」
そう答えてサラ達の背中を追い掛ける。俺が追い越したアレンもまた、何かに感付いていたことには気付かずに。
カット
Latest / 130:49
カットモードOFF