視聴者諸兄がもしいてもコメントがないと存在を認識できません
たぶん30分かからん気がする
★情景描写とは?
…………この方向性でなにかがわかる気がしない
実行のための3ステップ
1、まずラーメン屋を想像する
2、そこに入る自分を想像する
3、メニューを見て、描写する
ラーメン屋とそこに入る自分を想像するのは、稲荷流における『ふまえ』の所作です(誰も見てないと思ってるので伝える意思に乏しい)
自分は視点人物
りんご大好きな人とりんご大嫌いな人では、りんごを見たときの感じ方がまったく違うから設定が必要
一人称じゃなくてもなんの視点かの設定は必要。たぶん神寄り三人称だと美しい光景を見ても美しいとは表現できないと思うんですよね
本文らしきもの、、、、、、、、、、、
まずは描写抜きで事実の列挙
ラーメン屋に入った。
メニューを見た。
次に『ラーメン屋』と『メニュー』のでティール設定
裏通りにあるさびれたラーメン屋に入った。
ここは立地が決していいとはいえないが、妙に繁盛している。
値段のわりに大盛りというのが人気の秘密らしい。
私はここに今日初めて入った。
メニューを眺めれば、掲載されている写真はさほど大盛りという感じでもない。
チャーハンの値段が六百円となっているのだけれど、都心で六百円ならば、まあこのぐらいだろうなという範囲から大きくはみ出るものではない。
このあと実際に頼むフェイズが入る(ここから先が描写ポイント)
重要度(この場合、描写の文字数)の設定は全体の注目させたい配分を10とするなら
導入:ラーメン屋に入ったという状況紹介1
事前におわせ:ラーメン屋のディティール紹介2
実際に来た料理の描写:5〜6
シメ、オチの一文:1〜2
導入
裏通りにあるさびれたラーメン屋に入った。
ここは立地が決していいとはいえないが、妙に繁盛している。
値段のわりに大盛りというのが人気の秘密らしい。
事前におわせ
私はここに今日初めて入った。
メニューを眺めれば、掲載されている写真はさほど大盛りという感じでもない。
チャーハンの値段が六百円となっているのだけれど、都心で六百円ならば、まあこのぐらいだろうなという範囲から大きくはみ出るものではない。
実際に来た料理の描写
TAKE1
ところがどうだ(承前、事前におわせからすれば意外なことに、というような展開)
私の目の前に運ばれてきた料理は、メニューの写真のざっと倍ほどの分量だった。
おおげさではない。比較物として、写真にあるのと、目の前にあるのと、そうサイズの変わらないであろうレンゲがある。
写真のほうのレンゲは普通サイズに見える
TAKE2
実際に運ばれてきた料理を見て、私は『まあ、こんなものだよな』と思う準備をしていた。
ハードルを上げすぎないような気遣いというのか、自分で自分をがっかりさせないための防衛規制が自動的に働くようになっていて、過剰な期待をしているなと思うと、それをいさめるような心の働きがおのずから起きるように、自分を調整しているのだ。
ところがそんなものは必要なかった。
目の前に『どすん』と置かれた皿は、メニューの写真にもある、よくある、プラスチックの軽そうなものだ。だというのに積載量がおかしい。米の過積載、チャーシューの違法建築がそこにあった。
通常、食べ物に使う表現ではないのを重々承知で、私はこれを『なんてごみごみしたチャーハンだ』と感じてしまった。
具の量もさることながら、この米の量が本当にやけくそなのだ。芸術性なんてものを料理に求めたことはないが、このジェンガもさながらのバランス感覚で盛られたチャーハンには、積み込み芸というのか、なにが料理人にここまでのバランス感覚実験をさせるのか、その執念の出所が気になって仕方ないというレベルの、比喩ではなく山のようなメガ盛りであった。
どこにレンゲを尽きたてていいのかぜんぜんわからない。
私はこの山を目の前に固まってしまっていたのだが、呆然としているところに、第二、第三の『どすん』という音が聞こえた。
私は己の失態に気付く。
そう、メニューの写真を見て『これなら単品じゃなくてもいいな』と感じた私は、あろうことかチャーハンの他にも餃子を頼んでいたのである。
餃子なんてごまかしようがない。写真に十個の餃子が写っていれば、実際の餃子も十個ぐらいで一人前だと思うのが当たり前だろう。
ところが餃子は二十個あった。
「すいません、注文を取り違えていませんか? 私が頼んだんは一人前なのですが」
思わず確認したところ、新人っぽい、大学生ぐらいの青年は、いったん厨房に戻ったあと、接客用のスマイルを浮かべて私に述べた。「間違えてませんよ。一人前です」
ジーザス。
間違えていたのは写真だった。
誰も悪くない。メニューに比べて餃子の数が減っていて文句を言われるなら仕方なかろう。サイズがあまりに小ぶりで不満に思うなら、それも店が悪かろう。
しかし写真の倍というのは……私はメニューの不備を訴えたかったけれど、『メニューに比べて餃子が多い』という文句を声高に訴える自分をうまく想像できず、拳の振り上げどころを失ってしまっていた。
そしてラーメンどんぶりが置かれていることに気付いた私は、さすがにラーメンまでは頼んでいない、と言いかけて、ある可能性に気づいて押し黙って、考え込んだ。
まさかな。
いや、まさかな。
そう思いながらどんぶりをのぞきこんだ私は、そのどんぶりの中に、汁とネギしか入っていないことに気付く。
……まさか、まさかと思ったけれど。
これはなんていうか……
チャーハンについてくる、ただのスープだ。
私はこの店の店主について思いを馳せずにはいられなかった。きっと巨人なのだろう。餃子二十も十も誤差だと感じるような巨人。スープ碗がなくって面倒くさいからどんぶりで出しちゃえ、というようなおおざっぱさを持った巨人。
私は来る店を間違えたのかもしれない。私は人間レベルの大盛りを欲していた。巨人サイズは求めていなかった。
軽い絶望感と、食べる前に胸がむかつくという興味深い体験をしつつ、実食に入る。
量は多いものの、思ったよりあっさりした味わいで、そうつらくなく完食できたことをいちおう記しておく。
しかしそれは意地の産物でもあった。出された食べものを残してはならないという強い信仰、祖父母の代から我が家の家訓として根付いた教育により、私はどうにか意思力のすべてを振り絞って、あの『巨人の普通盛り』を食べ切ることができたのである。
シメ、オチの一文
ずいぶんと長かったような、しかし実際は短かった戦いを終えて、私は重い腹を抱えながら店を出た。
本音をいえばもう少し店でゆっくりしていきたかったのだけれど、ランチタイムに入ってしまい、客が増えたので、離席を余儀なくされたのだ。
電柱に背中をあずけて休みながら、遠くの大通りを見遣る。
別段街に用事はなかったが、私はある建物を探していた。
コンビニ、あるいは薬局。
ぱんぱんになるまで料理を食べた私は、今、胃腸薬を欲していたのだった……
雑談:
おしまい
情景描写ポイントはメガ盛りラーメンです(ラーメンじゃねぇよチャーハンだよ)
描写なくしては成り立たない話の、しなくては話の成り立たない描写部分がチャーハンというあたりが描写ポイントですね
描写は美しいものを美しく書くのはもちろんですが、ただ美しいだけのものというのはいかにもざっくりしているので、『どう美しいか』を視点人物なりの歪めかたをして捉える、それを歪めたまま書くのが大事かなとおもっています
風光明媚な景色を風光明媚だと書くということに、私自身がぜんぜん興味がないというのはあるかなと思います
今回書いたのはあとでなろうにでも投稿しておきましょう
それでは視聴者兄貴姉貴、もしも実在したらありがとうございました
ノシ
雑談:
減らす、増やす、もややこしめなのでどうにかしろ
雑談:
プラスチック皿のサイズとか色合いはどうでもよくって、軽いことをアピールできたらいいんだけど、これもまだ完璧ではない
雑談:
これうまくないな
レンゲのサイズを読者の中で明確化しないと、このあとレンゲを使ったすごさの描写が脳の表面を滑るばっかりになりますね
文章を書くときには……
その前に
娯楽というのは二極化できると思っていて
『教養、知識が必要で、さあ楽しむぞ! と気合を入れて楽しむもの』
『なんにも準備しないでなんとなく始めてなんとなく楽しめるもの』
この二種類のどちらかの方向に向くと思っている
そんで私が書こうとしてるのは『なんにも準備しないでなんとなく楽しむ』方向性なので、この場合、なるべく読者に想像とか事前知識とかのコストを払わせないように気を使うわけですね
その観点から述べれば、レンゲのサイズなんていう、パッと思い浮かばないであろうものを思い浮かべていただくコストを払わせる時点でだいぶダメ
雑談?:
そういえば序破急とか起承転結とかいう概念があるのだけれど
起承のあとの転から結はなるべく急転直下がいいというように言われていますね(エビデンスなんだっけな……)
起:承:転:結の字数配分は2:3:1:3ぐらい
全体で10にならねぇんだけどどうしたらいいかなまあいいか
さんすうができない
雑談?:
尺を割くような長い描写をしたいならば、『どこで描写をするか』の設定は肝要。
使う文字数の多さはそのまま『物語内の重要度の高さ』になる
どうでもいい箇所に文字数を割いても誰も読んでくれないので、(読まれることを想定するなら)、長々と描写する箇所はなんらかの方法で『そこが見せ場ですよ』と事前に事中に事後ににおわせておくべき
このフリと言うほどフリでもないがフリとしか世間では呼ばないものを稲荷流においては『におわせ』と称します(今考えた)