「次は第五試合だからまだ時間あるね」
「じゃあ埼玉と熊本の試合見ようかな」
そんな会話が聞こえた。
「ねえ、どうする?」
声をかけられて目だけ動かす。
「……何がですか?」
「いや、一緒に動く?って質問なんだけど」
その質問に答えずに少し考える。
「……すいません、北海道と岩手の試合見たいので」
「そうなんだ、分かった!」
じゃあ後でね。そう言った二人組を見送って少女は軽く息を吐いた。
(……めんどくさ)
一体何を馴れ合うような真似をしているのだろうか。
自分たちが一体何のためにこの大会に出てているのか分かっているのだろうか。
冬の体育館に聞き慣れた掛け声やシューズの擦れる音が溢れている。
「ブロック三枚!」
「一本しっかり!」
「ナイッサー!」
どれも呆れるほど聞き慣れた掛け声だった。
「海堂さん、この後職員室前に来てもらえる?」
その話が来たのは数ヶ月前のこと。横須賀市立走水中学校女子バレーボール部がその年の夏に全国制覇をして、すでに数ヶ月が過ぎていた。
「何ですか?」
部活終了後に顧問に職員室前に呼び出され待つこと数分。顧問から手渡された封筒の中には、数枚の紙が入っていた。
「中学都道府県対抗選抜のチームから、声がかかりました」
「……私が?」
「そう。海堂さん、夏の大会で全得点の九割を一人で出したでしょう?その成績が認められて、こうして県から声がかかりました。中に詳細の書かれた書類とかがあるから、それに目を通して、もし出たいなら保護者の方に承諾書にサインをもらって来てください」
薄いどこにでもある封筒を持って体育館に戻ると残って練習していた同級生が集まって来る。
「何の話だったの?」
「何か、都道府県対抗選抜チームから声がかかったって」
一気にその場が騒がしくなった。
「ええ⁈神奈川県代表ってこと⁈」
「うん。そうなる」
「マジ⁈すごいじゃん!さすがあたしらのエースだわ!」
後輩たちもわらわらと集まってきて、話がどんどん広がっていく。
「でも、まだ受けたわけじゃない。親からサインもらわないといけないし」
「そっか、そうだよね」
「うん」
「でも、出るってなったらすごいよね!」
うちのエース様はやっぱそこらの奴とは格が違うってことよ!と楽しそうに話すチームメイト達の姿を見て、海堂はひそかに一人困ったように唇を噛んだのである。
その日の帰り道、重いスポーツバッグを抱えながらぼんやりと考えていた。
(……お父さん、今は確かアマゾンだ。お母さんはフランスだし、二人とも一ヶ月は帰って来ないから、メールしないとダメかな。二人に送るのめんどくさいな。Skypeかな。アマゾンとフランスと日本の時差……?うえ……)
海堂の両親は大変多忙である。それゆえ中学二年生の聖でもスマートフォンと——これは父親のお下がりだが——デスクトップパソコンを与えられていた。
使用できるSNSは限られているし、アプリのインストールも制限されていて、さらにその上でフィルターがかけられるという万全のセキュリティーがそのどちらにも施されている。
とは言え長い間全く親の顔が見られなかったり声を聞けないのは寂しかろうということで、彼女に唯一許されたSNSがSkypeであった。
(時差の計算……、社会の教科書見ないと分かんない……。めんどくさい……。やっぱりまずはチャットで連絡するほうがいいか)
秋の夜空の下を歩きながら小さく舌打ちする。
(何で同じタイミングでヨーロッパと南米に行くんだよ……、行き先揃えろよ……)
到底通りもしない文句を言ってから深呼吸。
(そもそもやってる仕事が違うんだ。文句言っても仕方ない)
母親はプロの体操コーチ、父親は昆虫学者といういかにも奇妙な組み合わせの夫婦のもとに生まれて十四年が経った。二人の馴れ初めは十歳歳上の兄も知らない。
この時期にもなると、六時半を回ると肌寒くなる。家に帰ればスーツのまま夕飯を作る兄がいるはずなので、その手伝いをするために早く帰ることにした。
「ただいま」
二階のリビングに顔を出すと、予想通りにスーツのまま夕飯を作る兄がいた。
「お帰り、聖」
相変わらずカタギとは思えないような顔つきだが、そこに関しては自分も似たような顔をしているので何も言えない。
「……あれ、兄さん顔にガーゼしてる」
よく日に焼けた兄の右顎には薄いガーゼが貼られている。その白さが目に痛い。
「どうしたの?」
「いや、大したことじゃない。仕事中にナイフが掠っただけだ」
その言葉に、背筋が冷えた。
兄の吟介は、神奈川県警察のヤクザの取締りをする部署に所属する刑事だ。一昨年、二十一歳のときに成績と実績が認められて県警へと移動になった。
ところがいわゆる交番のお巡りさんであったときよりも危険度は高いらしく、兄はその年の夏、転属早々に顔に怪我をした。右のこめかみから顎下にかけての斜めの傷で、確か十センチ近い傷痕が今も残っている。本人は「箔がついた」と言って笑い流していたが、こちらにしてみればその程度では済まない。
「あともう少しズレてたら首じゃん……」
「危なかったな」
「危なかったなじゃないよ!」
珍しく声を荒げたせいで、兄は驚いたような顔をしていた。
「兄さんが死んじゃったら、……嫌だ」
他にもう少しマシな言い方があったはずなのだが、そんなご丁寧な日本語はどこかへ消えてしまった。
「心配させたな」
でもほら、今ここにいるからいいだろ?とスーツのまま笑う兄のその顔に思わず首を縦に振りそうになって慌てて首を横に振る。
「危ない仕事で危ない部署なのは知ってるし、兄さんが頑張るから生活が安全になるのも知ってるよ。でも、いくら生活が安全になっても、兄さんがいなきゃ私は嫌だ」
そう言って睨みつけてやれば、兄は困ったように首をかいた。
「……そうか」
「うん」
「……そうだな。もっと気をつけるよ」
「うん」
「よし、とりあえずは風呂に入っておいで。カケルととーるが帰ってくるまで少し時間があるからな」