左目には傷があるという。
衣装合わせの最中に演出担当の方が熱心に語る言葉は、実際の物語で語られることはない。メイド服に眼帯、背には蝶の羽根。彼女がどこからやってきたのか、何があったのか。その全ては神秘であり禁忌、暴いた者には同じ傷を宛がうのだと、冗談めかした会話も人物造形には役に立つ。
「茜ちゃんもミステリアスやりたい!」
彼女の左目には何もない。
船での旅行中に遭難した女生徒だからか、学生服以上の装飾は付いていない。彼女は急に何かの力に目覚めたとか、我が名はアカネ・ノノハラ……と冗談を言って、周囲を笑わせている。無垢な姿だと思う。傷付けるための、無垢な姿。
私はまだ採寸の途中。操り人形の様相。従順に、無感情に。この時間でも練習は出来る。しかし、茜さんがちょうど右側にいて、否応にも見えてしまう。口元だけでも隙を見せたら、言いたい放題だ。こちらも隠してしまいたいけれど、そうしたら何も見えない。
片目だけなら、閉じても大丈夫。
概要を聞いてから、試してみたことがある。自室から洗面台まで。りっくんが真似てしまってから、母に説明するのは大変だった。孤島にひっそり住んでいる主人に従うメイド。アイドルって大変なのね、は答えに困った時の常套句だった。道端で練習することも出来なくて、結局事務所の廊下を使った。やよいに見つかった時も、メイドって大変なんだねーと言われた。
「しほりん1枚撮っていい?」
「止めてください」
採寸が終わったらしく、茜さんが動き始める。自由気ままな猫のようにも見える。これで静かならいいのに、と思うけれど言わない。彼女が目を付けたのは、私よりも多くの人数に囲まれている千鶴さんだった。やっぱり、光り物が好きなんだろうか?
左目のモノクルは、仮面の代替であるという。
一見優雅にも見えて、それでいて半端な装飾品は、女主人の表裏を表わしているらしい。隠していないようで隠している。そんな意図を汲んだ演技は、まだ挑戦したことがない。後で話してみたいと思う。私はメイド、主人のことは把握しておきたい。
左目。眼帯の中で閉じてみる。何も見えない。開けても見えない。
スタッフさんが小道具を手渡してくれる。ナイフは綺麗だった。傷を付ける道具は、綺麗だった。殺陣はあるんですか、と尋ねてみた。ないけどあるよ、と演出の方は言った。撮影はしないけれど、物語としてはある、ということか。きっと、主人の命令を受けて、従順なメイドはナイフを振りかざす。
傷を持った者が、誰かに傷を作る。そんな物語。
数種類のナイフを持ち替えて、結局最初に持ったものが使われることになった。私の採寸が終わったので、よろしくお願いします、と頭を下げた。期待している、と返事があった。自由になったけれど、眼帯は付けたままだった。メイド服も、一人で脱ぐには不安だった。
千鶴さんを待つ。布地のきらめきから着飾る宝石まで、女主人にふさわしいものを選ぶためにスタッフさんたちは議論を交わしている。その最中でも、女主人は余裕な態度を見せていた。私の練習と似たようなものかもしれない。
「しほりんしほりん」
「はい」
光り物に満足したらしい猫耳なしの猫が隣にやってくる。鈴でも付けたらよく鳴るかもしれない。
「なんで眼帯?」
茜さんが眼帯を覗き込む。その奥は見えない。開いているかも閉じているかも、傷があるかもないかも、彼女には分からない。分からないから、聞きたくなって、知りたくなる。
「……それは」
ナイフは持っていなかった。
きっと私は、無垢なものを傷付ける役。従順に、無感情に、命令通りに。
「内緒です」
だから私は、無垢なものに嘘をつく。いつか真実を明かして、より彼女を傷付けるために。
左目には傷があるという。
彼女の左目には何もない。
今はまだ。
おわりだよ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~