日差しの暖かな、穏やかな風の吹く午後。
ここ最近毎日のように歩き通しで白石がごねた為、一行は休息も兼ねて町の近くの森で野営していた。
一応、追手から逃げている身。町に泊まるのは軽率だと立ち寄るだけに留める。
白石は、最期まで文句を言っていたが。
本来であれば買い出しに杉元とアシリパで行く予定だったが、白石があまりにもごねるので、杉元はその役割を代わってやる。日が暮れるまでには帰るからと言って出て行った二人を見送って、杉元は溜まった洗濯やらなんやらを整理する事にした。
そういえば。
ふと顔を上げた杉元は、あまりに静かな辺りを見回す。
アシリパたちが立ち去る先程まではすぐ傍に居たはずだが、尾形がいない。
まぁ、いた所で仲が良いとは言えない二人。
変に小競り合いになるよりもいいだろうと思いなおし、杉元は作業を始める。
気紛れな男の行動一つ一つに目くじらを立てていたら、それこそ身が持たない。
どれ程の間、没頭していたのだろう。
荷物の整理はとうに終わってしまったし、洗濯物も本職と見紛う程綺麗になった。
流石俺、と自画自賛してみるも、突っ込んでくれる白石やアシリパは傍に居ない。
自然と独り言が多くなっていく。
「つーかさぁ……。普通一言、なんか言ってかない?どっか行くならさぁ…」
ぶつぶつと言いながら、薪でも拾いに行こうかと立ち上がった杉元は、もう一度野営の場所に決めた平地を振り返る。
勿論、人の気配等感じない。
まさか、アシリパたちについて行ったのだろうか?
そうだとしたらずるい!と憤慨しながらも一応声はかけておくことにする。
俺は、あいつと違って常識人なのだ。
そんな事を思いながら「俺、ちょっと奥行くから!荷物見てろよ!」と叫ぶ。
突然の大声で鳥たちがバサバサと飛び立つ音が聞こえるが、人の声は聞こえない。
「……なんだよ」
別に、寂しいなんて思っていない。
そんな風に誰に対しての言い訳かもわからない事を思い浮かべながら、杉元は森の中へと入って行った。
人の手が入っていない壮大な自然を前にし、杉元はぼんやりと、随分と遠くまで来たものだと思う。
病に怯え、死に怯え、迫害に怯えていたあの頃の自分からは想像もつかない程遠く。
死に怯えるような暇もない程、命のやり取りを行う毎日。
全てが終わった時、自分はどうするのだろうか。
ぐるぐると回る思考をクリアにするために頭を振った杉元は、良く燃えそうな乾いた木の枝を拾い集める。
町に行けば狩りなどしなくても食料は手に入るが、今回はどうするのだろう。
聞いておけば良かったなと思いながら、辺りを確認するが、町の近くという事もあって獲物の気配は少しもない。
鳥であればいるかもしれないが、杉元の腕じゃ、動き回る小さな的を撃つ事は恐らく出来ないだろう。
再び彼の頭の中に、厭味ったらしい笑みを浮かべる尾形の姿が思い浮かんだ。
悔しいけれど、こればっかりは敵いっこないから仕方ない。
「……俺は、薪拾いしてるもんね」
俺だって役に立っているというアピールをしてみるものの、聞いてくれる人は誰もいない。とうとう、孤独に耐えきれなくなってきた杉元は薪拾いもそこそこに野営場に戻る。
流石に戻ってきているかもしれないと言う淡い期待は、相変わらずの人気なさに打ち砕かれた。
「……本当にどこ行ったんだよ」
途方に暮れたような杉元の声は、かぁかぁと鳴くカラスの声にかき消されたのだった。
それから1時間程度して、日が傾く前に白石とアシリパが帰ってきた。
肉の解体屋から譲ってもらったという肉と、白石が強請って買ってもらった米で雑炊にしようと準備に取り掛かるが、尾形は姿を現さない。
ふと、杉元は気付く。
二人が戻ってきた時、杉元が一人でいたにも関わらず、二人とも尾形の所在を聞かなかった。
もしかしたら、二人はどこにいるのか知ってるのかもしれない。
けれど、もう日が落ちかけているのに、一人も心配の声を上げないのはおかしくないか?とも思う。
そもそも、よく考えたら、杉元は尾形の声を聞いていない気がする。
傍に居たのも思い出せるし、すぐ傍で白石やアシリパに何かを話している姿も思い浮かべられるのに、声が思い出せないのだ。
これだけの間一緒にいるのに、それだけ口を聞いていないのも些か不自然だと思う。
……尾形百之助という男は、本当に実在するのだろうか。
杉元は有事の際になれば冷静で頭の切れる男であったが、根が単純である。
冷静であれば馬鹿な事をと一蹴するような考えだったが、長い間寂しい思いをしていたせいで、彼の思考は冷静ではなかった。
「……な、なぁ…」
恐る恐るといった風に口を開いた杉元が問いかけた言葉を、目を丸くして聞いた二人は少しの間をおいて、腹を抱えて笑う。
「何?杉元、俺達がいないの寂しすぎて馬鹿になっちゃったの?」
「う、うぅぅうるせぇ!元々はお前が我儘言うから……っ」
「そうかぁ~白石がごねてたからかぁ~偉いぞ、杉元は我慢出来て偉かったなぁ」
シパシパと子供あやすような目でアシリパから見られ、涙を浮かべて笑う白石に顔を真っ赤にした杉元は、尾形と言う男が存在するという事実にホッと胸を撫で下ろす。
何を安心しているのかは、自分にも分からなかったが。
「尾形なら、自由行動にするなら晩御飯はいらないと言っていたぞ」
「尾形ちゃんも男だし~色々あるよねぇ~?」
色々って?と首を傾げたアシリパに、杉元は白石の頭を渾身の力で殴る。
決して笑われた仕返しではなく、幼気な少女に馬鹿な事を聞かせるなという意味合いを込めて。
「いってぇ~!だってさぁ!尾形ちゃん朝、言ってたじゃん!」
「俺は、聞いてねぇよ!」
あの時、杉元いなかったっけ?とアシリパに問いかける白石に、彼女はさぁ?と首を傾げた。
「……あいつ、元々そんなに話す奴じゃないだろ」
不貞腐れたように呟く杉元に向かって、白石はそうかなぁ?と返す。
「まぁ、確かに口数多い方じゃないし、無視するけど、話すのが嫌いって訳じゃないんじゃない?」
「そうか?確かに尾形は無駄口は聞かないが、冗談も言うし、割と饒舌な方じゃないか?」
二人とも同じ人物について話しているはずなのに、こうも噛み合わない事等あるのだろうか。
白石が「尾形ちゃんの冗談~?」と怪訝そうな表情を浮かべている横で、杉元は静かに思い出していた。
『杉元佐一ぃ』
楽しそうに、これから厭味を言ってやろうとばかりに近付いてくる表情や、声。
一つ返せば二つも三つも返ってくるから面倒だと思う反面、聞かれた事に対しての答えはいつだって的確だった。
『杉元』
口数は多くない。けれど、静かに耳に届く優しい音声。
尾形の見た目や雰囲気は冷たそうなのに、声だけは、いつも温かみがあった。
耳元で響く自分を呼ぶ彼の声。
それを思いだした瞬間。杉元の頬がかぁっと熱くなった。
「え……、何その反応」
目を瞬かせる白石に何でもねぇよと答えた杉元は、帽子を深く被り直して顔を隠す。
認めたくなかった。
声が聞けない事が寂しいと思ってしまったなんて。
夜も更けると、流石に肌寒くなってきたが、杉元はサァーっと静かなせせらぎを聞きに傍に流れる小川に来ていた。
アシリパは人ごみに疲れたのか早々に寝てしまったし、白石はこっそり買ったという酒を飲んで酔いつぶれてしまって、また、一人になってしまったと思う。
頭に浮かぶのは、厭味ったらしい笑顔ばかりで、何故こんなに寂しいのか、自分でも理解出来なかった。
「おい、酔っ払いとガキほっぽって何一人で黄昏てやがる」
砂利を踏む音と聞こえてくる厭味に驚いて振り返ると、少し眉を寄せた尾形が立っている。
自分が見せている幻覚なのではと目を凝らした杉元は、聞いてんのか?と不機嫌そうな尾形を見返して、現実だと分かると小さく「聞いてる…」と返した。
「……まぁ、白石を起こしてきたから良いが。お前はこんな所で何してんだよ」
「お前こそ、ずっと何してたんだよ」
杉元の言葉に目を瞬かせた尾形は、言ってなかったか?と首を傾げる。
「途中下ってくる時に良い高台があったからな。銃の整備がてら調整してた」
ついでに昼寝もと言った尾形に、杉元はなおも不貞腐れたように「聞いてねぇよ」と答えた。その不機嫌な様子に、更に首を傾げた尾形は「ご機嫌斜めだな」と苦笑いのような表情を浮かべる。
「なんだ?俺が裏切るとでも思ったか?」
「……そうじゃねぇよ。いや、端からお前の事なんて信用してねぇけど…」
そうじゃなくてと繰り返す杉元に、尾形は「杉元?」と問いかけた。
あぁ、そうだ、これだ。
彼が自分を呼ぶ瞬間。
この瞬間が好きだ。
彼がいないと思った時、確かに自分は寂しかったのだ。
「すぎも……」
尾形が最後まで言い終わる前に、杉元は彼を抱き寄せた。
驚いたように身を強張らせたが、別段拒否をされるわけでもなく、彼は大人しく杉元に抱きしめられる。
暫くして尾形が「白石が…」と口を開いた。
「ここに来る前、お前が変だったと言っていた。これは、その延長か?」
「……うん、俺、変なんだ。お前がいないかもって思ってから…ずっと」
もしかしたら尾形百之助がこの世界にいないのかもしれない。
そう思った瞬間、全てが色あせてしまうような感覚があった。
姿が見えない間もその喪失感が拭えなくって、彼が自分を呼んだ瞬間。
水辺の匂いも、夜露の湿った空気の匂いも、星空も、月に照らされた草木も、全てが色を付けた。
「尾形、もっと、俺の名前読んで」
「杉元?」
「もっと」
「……杉元佐一」
律儀に返してくれる尾形に、「うん」と言うと、鼻の奥がつんとしてくるのが分かる。
「お前の体温、温いな」
「お前は、冷たいね」
でも、ちゃんと体温を感じる。
あぁ、ちゃんといるのだ。そう思っていたら暫くして、尾形が「今のは傷ついたよ」と言ったので、杉元は小さく笑ったのだった。
おわり